2週間のヨーロッパ旅行を振り返って。

4年ぶりにヨーロッパに行ってきました!日程はこんな感じ。 6月14日      アテネ入り6月15日~21日   ギリシャのスペツェス島で機械学習の学会        20日:学会主催「ピアノで聴く水」リサイタル6月21日~25日   ジュネーブ観光6月25日~27日   アテネ観光 刺激・出会い・美食・驚き・発見・再会・探検…余りに盛沢山で、どこから書き始めて良いか分からないくらいです。思い出に浸りながら書き始めに悩んでいると(う~ん、毎日日記をつけるべきであった…)とも思います。が、実は今回の旅行に於ける最大の発見の一つは余白の大切さ。私のアメリカの携帯は旅行中はWifiが在る所のみネットアクセス可能。電話としては全く機能しませんでした。特にスペツェス島ではWifiは場所が特定され、しかも遅かった。...でも、これが良かったのです。我を忘れて読書に没頭したのも、新聞紙の畳み方に格闘しながら隅から隅まで読んだのも、水の音に聞き入ったのも、そして電話に気を取られること無く色々想ったのも久しぶりだった。お蔭で私の覚醒や感受性の度合いが旅行中にアップしました。生き返ったような実感を持って旅を楽しめた。現代社会に於ける「不便」の贅沢。リミテーションが在って初めて可能になる事が在ると言う事実。何にせよ、インターネット恐るべし。これからは携帯・パソコンの使用時間の上限を毎日守ろう。固く決心して帰国して来ました。次の再発見は歩き回る事の楽しさ。学会終了後は毎日10キロ以上歩いていました。歩いて初めて気が付くことに沢山愛おしさを感じました。すれ違う人の人種・服装・表情が微妙に変わっていく様。投げかける挨拶が、帰って来るときの喜びと発見。街のディテールに対する自然の壮大さ。アメリカ、特に西海岸の車社会で歩くことの喜びを忘れていたな~、と痛感しました。 旅のハイライトを場所ごとにまとめます。 アテネ: 結果的にアテネでは3泊。しかも全て同じ区域で(Evangalismoと言うメトロの駅付近)、違う宿に泊まる事になりました。このそれぞれの宿の違いが面白かった。 宿その①:アメリカから飛んで最初の宿はAirbnbでアパートの貸し切り。最初の晩でちょっと奮発して一泊約60ドル。広々として、窓からウ~ン!と上体を乗り出すとアクロポリスが遠くに望め、天上が高く、(え、これが60ドル!?)と言うお得感満点のきれいな高級アパート。騒音レヴェルが割に高いアテネでも防音完璧。ベッドルーム、居間、広いキッチン、そしてバス・トイレ。寝具も気持ちよく、快眠。 宿その②:ジュネーブから帰ってきての一泊は1/3の値段相応。借りたベッドルームはソファとベッドが片面づつ接触している狭さ。ベッドは傾いていて、洗面所は顔を洗おうとすると目前の鏡に頭がごっちんこする至近距離。熱いアテネの夏でもクーラー無し。申し訳にある扇風機は動いたり動かなかったり。そして動いている時は「ガーガー、カタカタカタカタ」と常に自己主張。半分地下の部屋で、ベッド横の窓は交通量の多い道に隣接。バイクや車が通る度に突っ込んでこられるような臨場感。同じアパートにもう二つあるベッドルームはそれぞれ貸し出されていて満室。そして洗面所にも寝室にも台所にも、色々な用具が雑多に(これ以上在り得ない)と言うくらい山盛りに積まれています。今までの宿泊客が残していった全てを捨てずに積んだ?と言う感じ。一応掃除はしてあるけれど、とても歴史が在る感じの建物で、しみ・黒ずみはもうどう掃除しても清潔感は醸し出せない。 宿その③:最後の宿は離陸時の事故に飛行不可になった飛行機会社が250人+の乗客全員のための宿を取った4.5星のホテル。二つ目の宿から徒歩3分の距離が信じられない別世界。ロビーにはシャンデリア。屋上にはアクロポリスが臨めるプール。サウナもジムも、夕食と朝食のビュッフェも、すべて込み。個室のシャワーは超広く、寝室は完全防音。全てが完璧。これ以上ないくらいの快眠。 この宿の質の違いはアテネの貧富の差・観光地としての建前と現実のギャップを垣間見せてくれたような気もします。兵役を終えたばかりの20代の男性と話す機会が在ったのですが、彼によると現在のギリシャの失業率は29パーセント。数年前にニュースになった経済破綻から回復しているとは言い難い状況です。でも、観光が一大産業のこの国では、そういう事実は前出しにしたくない。 アテネでのハイライトは二つ。一つ目は最初の晩に食べた日本食屋の「Gaku」。Syntagmaと言う地区にあるお洒落なレストランは実は私の旧友のお店。学部時代の先輩、バッハに思い入れる凄腕ギター奏者、「ごー君」と言う呼び名で親しまれていた長野剛さんとは実に20年ぶりの再会でした。全てアテネの魚尾市場で調達された新鮮なお魚をふんだんにあしらった冷やし中華風ラーメンも、お任せでごー君自ら握って下さったお寿司も、デザートの抹茶入りクレムブリュレも最高!舌鼓を打ちながら、お互いの音楽への熱い思いやこれからの希望や野心について語り合い、素晴らしく盛り上がった一晩でした。 もう一つ美味しかったのは、魚市場で頂いた焼き魚と焼きタコ。ギリシャでは七輪を使って海鮮を焼き、レモン汁をたっぷりかけて頂く、日本人には超嬉しい食習慣が!この日頂いたシーバスはあまりのおいしさに、周りの目をはばからず目玉から骨までしゃぶってしまう美味しさ!お昼時を過ぎた空席が目立つ飾らない店内で提供されていた、演歌や盆踊りと聞き間違うライブ音楽も、素晴らしい香辛料でした。 スペツェス島: スペツェス島でのハイライトは学会で出会った科学者たちの素晴らしい研究(特に国際貿易関係を物理の原理で解析するEconophysics(経済物理)の家富洋先生や、X線を使って中世以前の古文書を読み解いたり石に埋まった化石を研究するUwe Bergmannなど。)そして「科学者」に対する私の偏見を覆す、彼らの多趣味で社交的で陽気さ。さらに社会意識の高さ。そんな彼らと交わした科学に於ける女性進出問題や、音楽・政治・経済・人生観・歴史などに関する意見交換。そして渾身込めて演奏した「ピアノに聴く水」が、一曲毎に全員満面の笑顔と、惜しみない拍手のクレッシェンドで迎えられた時の喜び。CDが売り切れてしまいました。 スペツェス島は村上春樹が「遠い太鼓」と言うヨーロッパ滞在記に「ノルウェイの森」を執筆中に滞在した場所の一つとしてかなりのページ数を費やしている小さな島です。アテネからフェリーで2時間半ほどで、学会があったのは海岸沿いにある元寄宿学校。私は学会の研究発表を聴講したり、演奏会に向けて少し練習したり、島の海岸沿いを歩いてみたり、海水浴をしたりして、ゆったりした時間を過ごしました。シンポジウム主催者の企画は驚くほど文化的要素が多く、ソクラテスが最後に死刑判決を受ける裁判の再現劇を見たり、ギリシャのライブバンドで皆で手をつないで踊ったりもしました。寄宿舎では、毎食必ずグリークサラダ。これが美味しい!そして、スピナッチパイ、ムサカ、海鮮たっぷりのリゾット・パイエア風煮込みなど、伝統的なギリシャ料理もこの寄宿舎のカフェテリアで満喫することが出来ました。 ジュネーブ: ジュネーブは国連やWHO(世界保健機関)など国際政府機関が多く、日米リーダーシッププログラム関連の友達がいたこともあって、今回学会の後に寄る事に決めました。アテネからの飛行機が遅れたのにも関わらず、CDC(Center for Disease Control:アメリカ疾病管理予防機関)でHIVと結核撲滅の活動をするジュネーブに出張中の友達が待っていてくれました。翌朝アメリカに戻る彼女と少しでも多く時間を過ごしたくて、荷物を宿に預けて早々に彼女と2時間程ジュネーブ湖の周りを散歩しながら色々語り合いました。麻薬中毒者たちが注射針を共有してしまうことでHIVの感染が広まる。それを防ぐために、古い注射針を無条件で新しい針に変えてあげる施設を設立する。アフリカの奥地で性教育を施す。水商売の人たちに性病に関するワークショップを開く。そういう活動をずっとキャリアにしている彼女は、でも信じられないほど朗らかで、無邪気で、かわいらしくて、天使のような人です。彼女の博愛主義には本当に触発され、自分ももっともっとやりたい!と思います。 翌日はフランクフルトからジュネーブまで6時間車を転がして会いに来てくれた私の20年来の友達夫婦と、CERN(欧州原子核研究機構)に見学に行きました。「科学を通じた国際協力で世界平和を!」と第二次世界大戦直後に立ち上げられたCERNの背景。原子の研究の副産物としてCERNから出てきたものの中にはWorld Wide Web,そしてタッチスクリーンなど、現代の私たちの生活に密接しているものも。そして勿論ノーベル賞受賞のその壮大なビジョンとミクロの研究にも感銘を受けましたが、PRにどれだけ力を入れているかと言うことにすごく感心しました。半端でない。研究者たち自らが毎日ツアーを行う(ただし選抜。私たちはラッキーでしたが、応募は手間がかかるしややこしい)。展示場ではライトショーや3D 映画や、言語や質問が選べるインターアクティブなディスプレーなど、ディズニーランド顔負けの最新テクノロジーが駆使された楽しく、かつ情報満載の内容。ジュネーブに行く機会があったら是非行ってみてください。(ただし音楽は良くなかった。シンセサイザーの音楽は適当な繰り返しが多く、耳に付き、確かに近代的な雰囲気は醸し出しているけれど、私に言わせると展示になんの価値も不随しなかった。) そしてCERNの後は、ジュネーブの街を挙げての音楽祭!運命としか言いようのない幸運でたまたま我々のジュネーブ滞在の週末がこの音楽祭にぶつかったんです。色々な教会や広場や公園で、オーケストラから合唱団から室内楽やエレキ・ギターなど、色々なジャンルの音楽を楽しみながら散策。ジュネーブに住んで9年になる私の友達がびっくりするほど、教会では立ち見が出る鈴なりの観客。公園も押すな押すなの混雑で、ジュネーブの人たちが夏の週末の音楽祭を楽しんでいました。 翌日は、そのジュネーブ在住の友達が案内してくれて、フランスへの国境を越え、中世の街並みがそっくりそのまま残るYvoireへ。夢を見ているような素敵な別世界でした。ゆっくりと街を歩き、レマン湖を望む景色良いレストランで素敵な海鮮ランチを頂きながら友人とゆっくりと、これまでの人生で得た教訓や、それをこれからのライフウォークにどう活かして行けるのか、など大学生の様に語り合う時間が持てました。お互い丁度人生の折り返しにあって、これからできること・したいことを考えている時なのかもしれません。こういう話し合いが本当に大切に思えます。出張の合間をぬって贅沢な時間を作ってくれたWEF(世界経済フォーラム)で大活躍中の友人に感謝です。 夕方は10キロ近く歩いてローヌ川とアルブ川の合流点を見に行きました。青く澄んだローヌ川の水と、白く濁ったアルブ川の水が渦を巻いて混じり合うさまは結構迫力があり、多いに満足しました。その後ジュネーブ湖沿いの出店で食べたチキンサンドと、ソーセージとラクレットも美味しかった。 ジュネーブ最終日も盛沢山!まず現地の友達が勧めてくれたフォーシーズンズホテルのホットチョコを飲みに行きました。抹茶のお濃い茶の様な濃厚さ…と言ったらちょっと大げさかもしれませんが、これはすごい!ゆっくり味わっていると、お腹いっぱいになります。 ジュネーブの旧市街のウォーキングツアー。ジュネーブの起源と歴史、そして現在が良く分かります。それから国連のツアー。国連のキャンパスは広大で、その歴史も沢山ある国連の機関も、ツアーのお陰で色々垣間見れて良かったのですが、一番すごかったはツアーの後。もともと国連職員のために企画されていた「極貧シミュレーション」と言うプログラム。参加人数が足りなくて、急遽一般ツアー参加者にお呼びがかかったのです。たまたま時間に余裕があったので何のプログラムかも良く分からず参加を決めたのですが、これが強烈だった。Crossroads Foundationと言うNPOがやっていて、国連の役人や安倍総理の奥様も参加されたことがある、10年来のプログラムだそうです。 極貧状態にある人々(一日に稼ぐお金が220円以下)が世界に11億人います。その人たちの生活を一時間半体験してみましょう、と言うものです。参加者はまず班に分けられます。それぞれの班はシミュレーション中の「家族」です。私たちがお金を稼ぐ手段は一つ:お店で客が買った品物を入れる紙袋を作る事です。糊は小麦粉を溶いた水。紙は新聞紙です。家族で兎に角できるだけ早く紙袋をできるだけ沢山作成し、店に売りに行き、そのお金で家賃と食費を賄わなくてはいけません。でもお店は気まぐれで、紙袋を買ってくれないときもあるし、条件を付けてくるときもあります(マッサージ、ハグ、お世辞、など)。家主は容赦なく家賃を引き上げ、払えないと持ち物を取り上げたり、交換条件を出して来たりします。NPOやNGOが救助品や教育プログラム(起業や健康法など)や子供の養育補助を持ち出して来たりしますが、彼らが持ちかけてくる救済の内容に耳を傾けている時間や余裕がありません。そして時々無慈悲に係の人が「あなたは病気になりました。これから5分働けません」「あなたは交通事故にあいました。2分お休み」と告げに来て、家族がどんどん働けなくなります。悪条件の中、紙袋を作ろうを一生懸命やりますが、家主は怒鳴り散らすし、係の人が洗面器や太鼓をどんどんと叩いて「急げ、急げ、間に合わないぞ~」「次の家賃が払えなかったらホームレスだぞ!」「早く、早く!」とプレッシャーとストレスをかけてきます。でも糊は水っぽくて新聞紙がすぐ破れ、粗悪品は全部店先で破られてしまいます。これをただ一時間延々と続けるのです。 始めはゲーム感覚の負けず嫌いで、闘争心丸出しで紙袋作成にかかった私ですが、この一時間半を経て、糊でべとべとになった手と、破られた新聞紙が散乱する部屋を出てから一週間経った今でも、強烈にこの時の印象が体感として残っています。そして実際に紙袋を作りながらなんとか生き残ろうとして一生を終える人たちがこの世の中に多く存在している、と言うことが実感として感じられるのです。 この思いがけず強烈な国連訪問を終えてすぐあと、今度は日米リーダーシッププログラム繋がりのWHO(世界保健機構)とOHCHR(国連高等人権弁務官事務所)で働く二人のエネルギッシュな女性たちと大量のフォンデュを頂きながら科学・性差別問題・人権問題などについて多いに熱く何時間も語り合いました。気が付いたら日がとっぷり暮れていました。ジュネーブの日の入りは9:30だと言うのに、帰宅時は真っ暗。時間をすっかり忘れる熱い時間でした。 人生観が変わったような、思い出に残る、刺激の多い旅行になりました。

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「ピアノと視覚」

アメリカ西海岸で1984年から慕われている日本語新聞『日刊サン』に今年から掲載中のコラム「ピアノの道」。毎月第一・第三木曜日に発表されています。 “Your eyes can deceive you. Don’t trust them. Stretch out your feelings. (目は欺くことがある。視覚に頼るな。感覚を研ぎ澄ませ。)。” スターウォーズ・ファンなら、オビ=ワン・ケノービが主人公のルークにジェダイの精神を伝授している場面が目に浮かぶセリフです。 これ、ピアノでも当てはまるんです。 ピアノを弾きながら楽譜と鍵盤を両方同時に見ることは出来ません。このジレンマは象徴的でもあります。音楽に集中するのか、ピアノを弾くと言う行為に集中するのか?答えは、「見ない」。見ない事によって、音楽(知的把握)と演奏(肉体的行為)と感情(心)のバランスを取る事が可能になります。理想的には、見るのは準備段階で済ませて、演奏中は視覚は超越したいんです。 この記事の続きはこちらでお読みください。

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戦時中の在日ユダヤ人音楽家の貢献

戦時中の在日ユダヤ人音楽家の貢献

アメリカ西海岸で1984年から慕われている日本語新聞『日刊サン』に今年から掲載中のコラム「ピアノの道」。毎月第一・第三木曜日に発表されています。 “When playing music, it is possible to achieve a unique sense of peace(音楽を奏でる時、他では在り得ない平和を感じることができる)。”パレスチナ人を含むアラブ系とユダヤ人の若い奏者たちで形成されたオーケストラを養育して和平活動を行うイスラエル人指揮者、ダニエル・バレンボイムの言葉です。 ピアニスト田中希代子(1932-1996)が日本人として初めて国際音楽コンクールの一位無しの二位で最高賞を受賞したのは1952年です。大戦終結から7年、黒船到来から99年での計り知れない快挙。もちろん本人の努力と資質、周りの理解と支援もあったのですが、もう一つあまり知られていない歴史的背景があります。戦前から第二次世界大戦を通じて在日した、ユダヤ人避難民の貢献です。 この記事の続きはこちらでお読みいただけます。

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「ピアノを弾く」vs.「音楽を奏でる」

「ピアノを弾く」vs.「音楽を奏でる」

アメリカ西海岸で1984年から読まれている日本語新聞『日刊サン』に今年から掲載中のコラム「ピアノの道」。毎月第一・第三木曜日に発表されています。 5月14日(木)に発行された記事は「『ピアノを弾く』vs.『音楽を奏でる』」と題しました。今回は個人的な視点から書いた記事となっています。 “Social Sculpture(社会彫刻)“って、ご存知ですか?社会は一つの大きな芸術作品、その将来は世界の市民全員参加の共同制作、と考えるのです。我々の日常の営みや人生の選択は全てこの芸術作品を形作る表現です。ドイツ人芸術家、ヨーゼフ・ボイス(1921-1986)の概念です。 私がピアノを弾き始めたのは2歳半でした。でも音楽を奏で始めたのは実に最近の様な気もします。ボイスの概念を持って違いを説明すると、「ピアノを弾く」のは自分のためで、「音楽を奏でる」のは共鳴で世界を美化する理想を求めて、と言うことになるのかも知れません。 残りの記事はこちらから、そしてこの記事の英訳はこちらからお読みください。 残りの記事はこちらからお読みください。

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シューベルトの「ます」は19世紀ドイツ語版「泳げ!たいやきくん」??

シューベルトの「ます」は19世紀ドイツ語版「泳げ!たいやきくん」??

これからツアーで演奏する「ピアノで聴く水」のプログラムにリストが編曲シューベルトの歌曲「ます」を入れたのは、実は「ます」を童謡教材にしている保育園の園児たちにせがまれたからです。しかし、譜読みを始めた当初は(いったいなんでこの曲が流行したんだろう?)と首を傾げ、中々入り込めませんでした。メロディーは単調だし、歌詞もなんだか腑に落ちないストーリーです。 歌詞はこちらでお読みいただけますが、かいつまんで内容を話すと「私」が元気よく小川を泳ぐマスを快く眺めていると、釣り人が釣り竿を持ってきます。(水がこんなに澄んでいるからからマスには釣り人や釣り竿が丸見えさ。ますは絶対釣られない)と「私」は安心してみています。が、しびれを切らした釣り人が水をかき回し、濁流の中でマスは釣られてしまう!...こういうお話しです。 毎日の譜読みと練習を義務的にこなしていた私に最初のインスピレーションをくれたのは漫画「昭和元禄落語心中」(これ、傑作!)。ここでまず、筋があまり面白くなくても、語り口調と間の取り方でお客を悶絶大爆笑させることができる、と学び、がぜんチャレンジ精神に燃えた私! そして次のインスピレーションは昨日、突然練習中の閃きとして、私に訪れました。私はずっと「ます」がどうして当時流行したのか、ずっと不思議に思っていたのです。この曲は、当時比較的無名だったシューベルトのヒット曲の一つです。2年後にはこの曲を基に室内楽を書くように委嘱を受け、シューベルトはピアノ五重奏「ます」を書いています。なんで流行した!? 当時のウィーンの人たちはこの曲に何を見出した!? その時、急に思いついたのです。 (この歌詞の筋って「泳げ!たいやきくん」と同じじゃない...?) 「泳げ!たいやきくん」がなぜ流行ったかはすぐ分かる。1970年代後半に出てきた歌です。大学紛争や反戦運動など、反体制主義の思想を経験しながら成長した団塊の世代が企業戦士としてまだ30代で死に物狂いで働いている時代です。「♪まいにちまいにち」「♪鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃう」「♪店のおじさんとけんかして海に飛び込ん」で、「♪時々さめに追いかけられるけど、そんなときゃそうさ逃げるのさ」と歌うたいやきくんに、聴き手はさぞかし自己投影したことでしょう。そして最後にお腹が空いたあまりついつい釣られてしまい、「♪やっぱり僕はたい焼きさ...」と釣り手に食べられてしまうたいやきくん... 「ます」は「たいやきくん」ほどストーリーが発展していません。が、水をわざとかき回されて濁流の中で釣られてしまうマスに、世の中の不正に怒りを感じている人たちは、みんな「たいやきくん」にしたのと同じような自己投影するのでは? う~ん、世は変われど、人は変わらず...マスもタイも、意味深し...

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