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ブログを書く、と言う事は自分の考えを一般公開する、と言う事。 2009年にブログを書き始めた当初は音楽に関する事だけにしようと思っていた。 でも、私の音楽は私の過去と日々の生活・経験・考え・想いの集大成である。 そして私には弾く事の必要性と同じくらい、書く事の必要性が実感として在り、 音楽について書く事は自分について書く事になる。 自分のプライヴァシーと安全性と、書く事への必要性を天秤にかける。 2週間前の今日、手術をした。 アメリカでは外来の手術で、朝5時半に病院に入り、午後4時ごろには帰宅した。 医者には「次の日から仕事に戻れるくらい簡単な手術だから」と言われていたのに、 身体がいつまでも元に戻らないもどかしさを自分の怠慢の反映と思っていたが 後から聞いたら日本では一週間の入院を要する手術だった。 そして祖母が亡くなった。 明日家族が12人、私たちの人生の晴れ舞台に立ち会うためにヒューストンに来てくれる。 おもてなしの準備、そしてその晴れ舞台その物の準備。 気が付いたら、ブログも論文も練習も後回しになる日々が続いた。 そして改めて実感。 私にとって、弾く事と書く事は、食べることや寝ること位重要だ。 何があっても書きつづける。何があっても弾き続ける。 それが私だから。 さ、ゴールドベルグ変奏曲!
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今朝起きたら、日本からおばあちゃんが亡くなったと言うメールが届いていました。 下の写真は今年の2月、卒寿のお祝いの時の写真です。 おばあちゃんはいつもおしゃれっ気がありました。 ベレー帽が懐かしい。 おばあちゃんはお出かけの前には必ず鏡台の前に座ってお化粧をしました。 正午にヒューストンのメディカルセンター主催の演奏会シリーズに出演が決まっていました。 ヒューストン・メディカルセンターでも一番大きなMethodist Hospitalは Medical Center for Performing Artsと言う 演奏家の治療や、音楽セラピー、音楽と脳神経の研究などを主に行う部もあります。 音楽の治癒能力を宣伝し、その一環として 病院のロビーでは毎日月曜日から金曜日の1時から5時まで生のピアノ演奏があったり、 またそう言うBGMとは別に今日私が出演したようなちゃんとした演奏会形式の演奏を 月に10回ほど主催したりしています。 今日は私はブラームスのヴァイオリン・ソナタとクラリネットソナタと言うプログラムで ご存知私の心の友のクラリネット奏者の佐々木麻衣子さんと ヒューストン交響楽団でヴァイオリン奏者を務めている私の昔のルームメートのTinaと一緒。 演奏をしていると神経が研ぎ澄まされ、普段分からないことが分かるようになります。 例えばお客さんの息遣いが聞こえるようになったり、集中度や目線が肌で感じられたり。 吹き抜けの会場の二階から目線を感じて見上げたら、 お医者さまが沢山鈴なりになって聞いていらっしゃいました。 会場の横の廊下を通りすがりの患者さんや看護婦さんも立ち止まって聞いてくださいました。 音楽が受け入れられている、必要性を実感されている、と感じられる日でした。 最後にアンコールでスクリャービンの左手のためのノクターンを弾きました。 「第一次世界大戦からは右手を戦場で失ったピアニストが沢山帰ってきて、 その中の数人が左手のための曲を委嘱始めた。 人間は生きていると色々な物を失っていく。でも人間は強い。 この曲はいつも、私にその事を思い出させてくれます」 とスピーチをしてから弾き始めたら、聴衆が本当にかぶりつくように聞いてくれました。 今日のお客様の多くは医療関係のスタッフ、お医者様、看護婦さん、 そして患者さんや看病のご家族。 毎日生死に向き合っている方々と音楽を通じて一体感を味わう事が出来た事が嬉しかった。 病気がちだった私は母や家族、そしておばあちゃんやおじいちゃんや親戚のみんな そしてお医者様や看護婦さんやインターンの先生や色々な方々に見守られて 成長して来ました。 成人式の時に「生存率は50パーセントと思ってください」と言われて入院していた私。 「式に出席だけないだけじゃなくてもう2週間もお風呂に入っていない汚い身体で…」と 看護婦さんにこぼしたら 「体は拭けばきれいになります。着物はいつでも着られます」と強く励ましてくださった。 その時に、付きっ切りで私の治療法を工夫してくださったお医者様は 実はその時ご自分の奥様が分娩室に入られても私に付き添ってくださっていた、と 後からお聞きしました。 私、そして私が奏でる音楽はそう言う方々みんなの想いの結晶です。 …
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生まれたら死ぬ。出会ったら別れる。 そしてその一々に感動し、みんな成長していく。 今年は沢山の人を見送る年だ。 2月28日に、私のアメリカン・ファーザーのエドが91歳で大往生した。 16歳の時に転勤で日本に帰った私の家族に同行せずジュリアードでの勉強を続けた私を ホスト・ファミリーとして妻のジョーンと共に家族の一員として引き取ってくれた。 高校を卒業するまで一緒に住むと言う約束をはるかに超越して 大学に上がってからも成人してからも地下室には私のピアノを残して私の練習室とし、 2階には私の部屋をそのままにしてずっと取っておいてくれて、 祭日には良く「里帰り」をさせてもらった。 大岡和夫さんは私のNYの心の拠り所、親戚のおじさんの様な人だった。 最初にハワイでお会いしたのは多分2004年。 今年の6月22日に逝かれるまで12年間、 沢山の美味しいお食事と楽しい談笑と人生相談を一緒にしてもらった。 私がNYで行う演奏会にはほぼ毎回、奥様の早苗さんと一緒にいらしてくださった。 私も和夫さんの絵や彫刻が並ぶスタジオに良くお邪魔して色々感銘を受けた。 絵のモデルをさせて頂いた事もある。 そして今10月、松江で私のおばあちゃんが昏睡状態になってしまった。 90歳。 私には子供の頃からずっと「おばあちゃん」だったけれど、 私が幼児の頃はまだ人生半分の分岐点を通過したばかりの所だったんだなあ。 香港に転勤移住するための準備をするため、1歳になったばかりの私を母は実家に預けた。 何週間くらいお世話になったのか。 「郵便屋さんでもだれでも人が玄関に来るたびに挨拶をしに出ていく子供だった」と 何度もその話しを私にしてくれてはカラカラと笑うおばあちゃんは毎回 (不憫にも母親を探しているのでは)とか言った感傷を一切許さない口調で回想した。 自分自身の苦労人生を思わせるような明るさと厳しさを、私はそこに見る。 「人生の一番良い時を戦争に台無しにされた」とよく言っていた。 私が大病をする度に、退院後の療養生活は母の休養も兼ねて松江に帰った。 療養中の日課のお昼寝から起きるといつもおやつを用意してくれていた。 私がする病気はいつも滋養をつけなさいと言われ続ける、食事制限が無い物だったので、 美味しいものを一杯食べさせてくれた。 おじいちゃんがバイクを走らせて新鮮なお魚を入手して来てくれて それをおばあちゃんとお母さんがおろして 松江の宍道湖で取れるすごくおいしいお刺身をお腹いっぱい食べた。 お刺身もだけど私はおばあちゃんが作ってくれるあらの煮つけが大好きだった。 醤油が多めでしょうがが一杯入っていて、甘辛くて美味しいのだった。 おじいちゃんが亡くなってから十数年、カーブスと言う女性専用ジムの最年長会員になって 家事一般を全部ひとりでこなし、ヘルパーさんを拒絶し、好きな読書をしながら 本当に数か月前まで一人暮らしをしていた。 おばあちゃんは頑張ったのだと思う。 昏睡状態って夢は見るのだろうか。 おばあちゃんは何かを想ったり考えたりしているのだろうか。 私は松江の生協病院でお母さんに付き添ってもらって昏睡状態のおばあちゃんを想いながら ゴールドベルグ変奏曲を弾く。 ゴールドベルグは通奏低音の上をさまざまな30の変奏がそれぞれの世界を繰り広げ、 そして一番最後に一番最初のアリアがそっくりそのまま戻ってくる。 私たちもおんなじ。 私もいつかは死ぬ。…
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本の序章と言うのは、大きな概念に満ちている。 その本その物が私の論文と密接な関係がなくとも、序章に開眼!することは良くある。 今夜読み始めている本の序章はあまりにも私の論文に直接関係ある概念が満載だった. Deirdre Loughridge著、Haydn’s Sunrise, Beethoven’s Shadow: Audiovisual Culture and the Emergence of Musical Romanticism (2016) この本は大体1760年から1810年の半世紀に於けるハイドンからベートーヴェンに象徴される音楽に対する美意識の移行をテーマにしている。この半世紀に、虫眼鏡、のぞきからくり、影絵劇、走馬燈などの視覚テクノロジーが浸透した。これ等は視覚だけでなく、間接的に聴覚への理解も助長し、さらに音楽に対する新しい見解を打ち出すきっかけとなった。ハイドンは自分が知覚するそのままの世界をいかに音世界で描写するか探求したが、ベートーヴェンに於いては感覚の延長、さらに感覚を超越した世界に何を想像するか、と言う音楽へと変わったのだ。(P.9) ルネッサンスに印刷機が発明され、耳主体から目主体への文化へと移行した。しかし最近、現代社会を視覚的とする主流な味方に反して、聴覚も論理やテクノロジーに多大な影響を受けることを立証する研究が主にSound Studiesに於いて行われている。個人の主観的社会体験を視覚のみから見るのでは無く、それぞれの感覚を分けて検証する、と言うやり方は19世紀の生態学の確立から始まり、現代にいたっている。(P.9) 特にフランスのGrand Operaに代表されるオペラを始め、音楽と演劇を統合させた芸術分野に於いては、視覚と聴覚をそう簡単に分離して論じることは現実離れしていた。しかしドイツはその器楽音楽に於いて視覚に対する聴覚の優勢を論じた。これが後にドイツ・ロマン派に於ける音楽理想主義となるのだが、これには二つのルーツがある。 1.ルターの宗教改革などに代表される敬虔主義では聴覚が魂に通じる感覚としておもんじられた。 2.ロマン派の理想主義の哲学者たちが器楽音楽を言葉などの確固たる概念を超越した、それゆえにより『真実』に近い芸術の系統だ、としたこと。(P.10 ) 1800年までにはすでに美学に於いて感覚の別離は主張されていた。純粋音楽、そして「音楽を聴くときは目を閉じる」と言うことへの奨励はここから始まっている。 1800 Johann Gottfried Herder “Spcae cannot be turned into time, time into space, the visible into audible, nore this into the visible; let none take on…
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ライス大学図書館の論文指導部で部長を務めるエリザベス。 経歴を見ると恐れおののくほど素晴らしい人だし、才色兼備。 その人がなぜか私の博士論文の過程に於いて物凄く協力な味方になってくれている。 普通は論文指導は文学部の博士課程の生徒などが行って、エリザベスはその全てを取り仕切ったり教授群と交信したりするのだが、私の論文には個人的に興味を持ってくれて「私が指導します」と言ってくれた。ストーカー騒動の一連で私のコンピューターファイルがバックアップも含めて全て破損されてしまった時、私はエリザベスの前でだけは泣いたのだが、その時も「こんな状況でも私にはあなたの明るさと強さが見える。あなたは大丈夫。書きつづけなさい。」と励ましてくれた。そして、私がエリザベスに電子メールの添付として送信していたそれまでの論文をくっつけて私の論文を再現してくれた。(その後、ライス大学のITチームが私の破損されたハードウェアからファイルを復元することに成功してくれたので、私は論文本体のみでなく、それまで取っていたノートなども全て戻って来た。めでたしめでたし。) そのエリザベスはでも、私の事を面白がって買ってくれているのは分かるけれど、私の論文のまとめ方にはいつも難色を示す。「ほら、例えばここであなたは一つの見解を提示している。この書き方だと次にいくつかの例がだされるのかな~、と期待していると、この『見解はしかしこういう反対論に会うかも知れない』と来るからこんがらがっちゃう。」と本当に残念そうな顔をする。そして「ここは意味が分からなかった。この段落では何が言いたいの?」私が説明を始めると、「ああ!分かった!」と実に晴れやかな顔をしてくれる。 この前は「口で説明してもらうと本当に良く分かる。でもあなたの書き方は本当に分かりにくい。わかった!こういう実験をしましょう。このセクションであなたが言いたかった事を口頭でしゃべって、それを録音したモノを自分で聞きながらタイプして頂戴。それを私に送ってくれる?そしたら私があなたの口頭の説明と文章のどこにギャップがあるか、書いて見せて上げます」 そこで私は図書館の「グループ・スタディー室(机、いす、プロジェクター、ホワイトボードとマーカー、テレビモニターなどが設置されていて、ある程度の防音処置がされ、中で議論しながら勉強出来るようになっている)」を一人で借りて、(ちょっと恥ずかしいな~)と思いながら、自分のスマホにぼそぼそと語りかけ、それを文書に起こすと言う作業を行ったのである。これは難しかった。エリザベスは自分では意識していないのかも知れないが、私の説明中に実に積極的に質問してくるのである。「え?今のはどういう意味?」とか「今あなたが言った事はつまり、こう言う事?え?違うの?じゃあ、こう言う風には言える?例を挙げてみて?」それで、私はエリザベスが不明に思っている点が明確になってくるので、そこを中心に説明が出来る。それにエリザベスは自分が納得するまで許してくれない。 私は自分が何が言いたいかは、かなり明確になって来ている。19世紀の鍵盤楽器奏者の暗譜と言う、物凄く限られた議題に関しては、私が今世界で一番物知りかも知れない。これが学術論文でなければ、自分の主張とか歴史的事実に一々出展先を明確にしなくて良ければ、エッセーでよければ、「明日にでも出版できる!」と思う。だからエリザベスの様に興味を持って熱心に聞いてくれる人相手にならいくらでもべらべらしゃべれるし、色々な視点(例えば:歴史・社会背景・女性問題・人種差別問題・工業革命・技術工学の発展・19世紀ヨーロッパ都市化・社会革命・経済・政治)から暗譜の起源について語れる。 でも、私は音楽学の専門で無い。どんな分野でも学者になるべくして正当的な教育を受けてきたわけでは無い。むしろ、ピアニストになるためはそんなものは無駄とする音楽学校の文化の中で勉強しないで練習だけした来た。そしてこの論文は音楽学の専門家に何とか許容してもらえるように背伸びして書いている。一文書くと(ああ、しかしこう言う角度から突っ込まれるかも知れない)と思ってしまい、その反論に先手を打っておこうと思って書き足していると、論点がずれてしまう。さらに、私の言おうとしていることは証拠が少ない。そして私には、私の言う事に自動的に箔をつけて来るかもしれない学者としての経歴が無い。だから、言葉を連ねて論理の様な屁理屈をこねたくなってしまう。だって、私がリサーチのために読んでいる19世紀のドイツ人はそうやってるし。 しかし。 私がこの論文で達成したい一つの目的はクラシック音楽に付随する「裸の王様」現象を暴き、「王様は裸だ!」と言う事である。それは、願わくばクラシックをより一般的に、より親しみやすく、より音楽本来の姿に戻す事、である。リサーチを通じて、クラシックに付随するエリート主義が19世紀のドイツ・ロマン派の理想主義(それはドイツの国粋主義、アーリア人種優勢主義にもつながっているように見える)に密着しているかがどんどん分かってくる。そしてこの19世紀のドイツ人たちは、自分が良く分かっていないことを、沢山の難しい言葉を使って煙に巻いて片づけてしまう、と言う事を良くやっている。ヘーゲルは「音楽の事はあまり分からないが」と言いながら「音楽がこうだ、ああだ」と色々論じて、それがそのまま音楽理論者や批評家や音楽学者に今でも物知り顔で引用されてしまっていたりする。 私は、私のコンプレックスを理由に同じ言葉で煙に巻いて自分を隠すことをしてはいけない。簡潔に自分の論点を、音楽専門で無い人にも通じるように書く。
