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今回の一件で、色々経験して、色々学んだ。 私はライス大学の素晴らしい支援団体を通じて、 これ以上無いと思われるほどの貴重なアドヴァイスを沢山いただいた。 これをちょっとまとめ書きして公開して、誰かの役に立てば良いな~と夢見ることにしよう。 ①「関係がやばくなってきた、これは虐待かも!?」と思い始めたら気を付けること。 虐待の被害者と言うのは、最初は大抵は自分の事を虐待の被害者だと思っていない。 自分が疑い深いんだ、 自分が…だから相手の怒りは当然だ、 相手は自分を愛している、この怒り・暴力は屈折していても愛情表現である 待っていれば相手(あるいは状況)は改善する。自分が我慢さえすれば全て丸く収まる。 …とかなんとか、思ってしまいたい。 相手もそういう気持ちを利用して、色々な事を言う。 「君はどうしてそんなに人を信用することを怖がるんだ? 過去にどんなトラウマがあったんだ、可哀想に… 僕がどれだけ君を愛しているのか、分からないのか? ここまでの僕の気持ちが理解できないなんて君は重症だ」 (相手がアメリカ人だったので日本語に訳すと歯が浮くけれど、あしからず) ②知り合いが虐待の被害者だと思ったら 知り合いが虐待されている時、善意で介入して説得しようとしても 大抵の被害者が自分の事を被害者と認識していないので、難しい。 あくまで自分はあなたが心配で言っているんだよと言うことをアピール。 「別れろ」とか威圧的に言うのではなく、「本当に幸せ?」と聞く。 「私はあなたに元気で幸せで居てもらいたい。」とお願いする。 そして、「別れなくて良いからちょっとだけ距離を取って、冷静になるために」と 短期旅行や短期別居などを勧める それから、虐待の関係に於いて一番最初に無くなるのは自由である。 私の場合、本当にべったりと一緒に居られて、 彼の目や耳を気にせずに第三者と話せる機会がどんどん減っていった。 そのうち、携帯も壊され、コンピューターも壊れ(多分壊され)、 兎に角外部との連絡が取りにくくなった。 被害者かも、と思われる人から連絡が来たら、何を差し置いても聞いてあげて下さい。 私が一番悲しかったのはやっとの思いで電話したら 「今何時だと思ってるの?」と怒鳴られたときである(アメリカ人の友達)。 それから、メールで「話したい」と打診したらば 「この日のこの時間なら話せる」と非常に狭い枠を指定され、頭を抱えた。 特に在外の日本人の場合、日本に居る家族と話したくても時差があって中々話せない。 わがままを聞いてあげてください。 それから、そちらから被害者に電話をするのも良いのですが、 その場合は加害者が見張っているかも知れない可能性を常に念頭に置いてください。 「なんでそんな曖昧な言い方をするんだ!はっきりとしろ!」とか怒鳴らないでください。 (これもアメリカ人の友達。「大丈夫なのか?」と心配して電話をかけてきてくれて、心配してくれているのは分かっていたのですが、彼が近くに居たので、SOSのメールを送ったことがばれないように「ああ、今映画を観たところ~」とのんきなしゃべり方をしたら怒鳴られました。声が大きかったので、携帯から漏れないか心配で、どうしようかとドキドキしました。(悟ってよ~!!)とすごく思いました。) ③いよいよ怖くなってきた、と思ったらば。 口論になったら、絶対自分が常にドアの近くに居るように気を付け、逃げ道を確保しておく。 二人きりで車に乗ることをなんとしても避ける。 警察の番号を携帯にインプットして置き、いつでも短縮ダイアルでかけられるようにしておく。 (いつも携帯と共に充電器も持ち歩き、絶対に電源を切らさないようにする) 専門の人にできるだけ沢山相談する。(警察、社会福祉、相談窓口など) 携帯に録音のアプリケーションをダウンロードして置き、証拠になりそうな会話を録音。 出来るだけ孤立しないように、顔見知りで良いから近所にネットワークを作っておく。 隣近所にいざと言うときに助けてくれそうな人の目星をつけておき、何かあったら駆け込む。 仕事や学校に行っている方は、そちらでできるだけ沢山の人に状況を知っておいてもらい、 支援ネットワークなどの情報を確保しておく。 ④ストーカー行為の対象になってしまったらば。 出来るだけ一人で行動しない。 出来るだけルティーンを作らない。…
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「『ストーカー退治のピアニスト』と一生思われ続けてほしくない。ネームバリューを下げないでくれ。ピアニストとして正当に有名になることを目指してくれ」 「正義感は良いけれど、やっぱり囚われているからいつまでも身の危険も顧みずに色々やっているんじゃないかと心配」 「もうそろそろ練習と論文だけに専念しても良いんじゃない?これは結局はマキコさんの貴重な時間のロスじゃない?」 色々な友達が親身で色々言ってくれる。 皆、本当にありがたい。 私の事を思って言ってくれているのだと思う。 ありがとう… デモ。。。 こういう事件があった。 マンハッタンで真夜中に帰宅途中の女性が襲われた。 女性は「Help!」と大きな声で何度も助けを求めた。 沢山の人が窓まで行って、何事かと下を見下ろした。 でも、誰も下に行かなかったし、警察に通報もしなかった(一人が一回したと言う説もある)。 女性は殺されてしまった。 この実験は大きなニュースになり、 問題視をした社会学者たちがこの事件をシミュレーションした実験を色々した。 そしてBystander Effect(傍観者効果)と言う集団心理を打ち出した。 これは、起こっている事件・非人道的な振る舞いに対して 目撃者の数が多ければ多いほど、自主的に助ける人が少なくなる、と言う実験結果だ。 私はこの事件とBystander Effectに関して読んだのは学部生の時だけれど、 その時に「私は立ち上がって助ける人になろう」と決めた。 ちょっと話しは変わるけれど、ここでMirror Neuron(ものまね細胞)の話を。 私がコップを持って口に運ぶ。 それを見ているあなたの脳のものまね細胞は まるで実際にあなた自身がその行動を行っているかのように反応する。 このものまね細胞が音楽家の脳には平均値よりもはるかに多くあるのだそうだ。 私は音楽家だからそうなのだろうか。 周りの人が嬉しければ嬉しいし、 周りの人が痛かったり悲しかったりしたら、何とか良くなってもらおうと思う。 今回私がストーカー退治に燃えているのは、他にも沢山被害者が居るからである。 ここでは今その事があまり書けないのだが、でも皆私よりもずっとひどい被害にあっている。 別れる別れないの修羅場の時、元婚約者は私が助けを求めるのを防ぐべく 「隠しマイクが付けてある。いつどこで何を言っているか、全部聞いているぞ」と言った。 私は(そうですか、それでは)と思って 警察や社会福祉に相談に行くときは所持品を全て別部屋に置かせてもらって話しをした。 大学に属していたのが幸いだった。 大学構内に警察も社会福祉も全て揃っていたから 「レッスンがある」とか「練習に行く」とか言って、 そう言う所に通っていた。 そうしたら尾行されたりもした。 そして「お前は嘘つきだ!信用が出来ない!気違い!被害妄想!裏切者!」とののしられた。 こう言うのは、後から知ったのだけれど結構よくある虐待パターンらしい。 私がそういうのを乗り切れたのは、私の大学が全面的・積極的にサポートしてくれたのと、 私の友達と日本人コミュニティーが、それこそ自分の危険を顧みずに 私が別れられるように必死で私を説得し、引っ越し荷物を運び出し、 演奏会がある時は総出で見張ってくれたりして、 私に時間と手間と愛情をかけて応援してくれたからである。 証拠を収集する過程で昨日、そのころ相談してもらっていた友達の日記を見せてもらった。 そしたら私との会話が全て書き出されてあり 日記に手書きで延々と箇条書きしてあるのである。 そしてどのように説得して私を別れさせようかと言う作戦が書き出してあり、 こう反論したら、こう言ってみる、とか、微に入り細に入り、なのである。 私がもう投げやりになりかかっていたころ、…
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ヒューストンは洪水警報である。 今日はハロウィーンなのに… 仮装を用意して楽しみに待っていた子供たちが可哀想である。 でも私は雨の音が嬉しい。 例のごとく雨の音が聞こえてくると論文が捗る。 昨日は図書館の論文指導担当の先生とのミーティングがあった。 夏休み明け初めてのミーティングだったこともあり、何とお昼までごちそうになってしまった。 私はこの論文指導の先生が大好きである。 目がとっても大きくてなんだかおしゃれなのだがそんな事われ関せずと言う風に 非常に「できる女」だけど「能ある鷹は…」という感じで、かっこよいのである。 それに私はなぜか特に目をかけてもらっている。 元婚約者との修羅場中コンピューターがいつの間にか破壊されていて しかもクラウドやエクスターナル・ハードドライヴにバックアップしてあったデータも 全て消されていたことが判明した時、私はこの人の前で泣いたのだった。 (私は今回の事ではセラピストとこの人の前以外では泣いていない。) まあ、ライス大学のITデパートメントがすごく頑張ってくれて エクスターナル・ハードドライブのデータがほぼすべて戻ってきたので 今となっては笑い話ですが。 それに私は自分でもタフだなと思うけれど 今まで書いた博士論文が全て消えたかもと思った瞬間に (やった~!新しいトピックでまた最初からリサーチやり直せる)と ちょっとだけ嬉しかったのだけれども。 こういう事態になると、自分の優先順位が明確になってくる。 私の場合、お金のロスや身の安全性よりも、 自分の信念、友達、そして音楽に関する仕事の方がずっと、ずっと大事。 自分の車が破損されている防犯カメラのヴィデオを見ても 「証拠残してくれてありがとう!ばかだね~!」としか思わなかったが その車の修理中私をドライブしてくれた私の心の友の車が破損されたヴィデオを見たときは 本当に気分が悪くなって2時間くらい放心状態だった。 だって私がこんな風にいつまでも強がっていられるのは 私の友達が本当に、本当に素晴らしい人たちで、私を一生懸命サポートしてくれるからなのだ。 ま、前置きが長くなったが、昨日その論文指導の先生に2章目を見ていただいたのである。 2章目と言っても、2章目の5つあるセクションの最初の二つ、 16ページ分だけしか間にあわなかったけれど。 その時に注意されたこと。 「色々情報が詰めてあるけれど、一つの段落と次の段落へのつなぎが弱い。 メロディーが続いていない感じがする。 それぞれの段落を短く一文で説明したものを作り、 それで段落の順序と整理をせよ」 それで昨日の夜、教えの仕事を終えてから朝の2時まで そして7時半に目を覚ましてからこっち3時間半、それにかかり切った訳である。 その段落を一文にまとめたものを下に書き出してみました。 自分の復習のために元の英文を日本語に訳して、皆さんに公開します。 INTRO (提示) At lease in some ways memorizing makes piano playing easier than…
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もう初めて5年目なのですが、知名度を上げる努力をしてみようと決めたこともあり… ラジオ局FMブルー湘南78.5MHzで クラシック音楽番組「スカッとスカぴあ」を4か月に一回担当しています。 毎週土曜日の朝10時半からの放映です。 今週10月31日(土)から5週間、私の担当で 「ピアノ演奏史に観る女性観の移り変わり」と言うテーマでお送りします。 リアルタイムでこちらからもお聴きいただけますが、 放映が終わった後はダウンロードでどうぞ。 10月31日分はこちらからMP3のダウンロードが可能です。 http://xfs.jp/71a4c226f8586c4aebc0c3915bea97d2a491a9941d335d335d 今回のテーマは 「女性に弾きやすい曲、弾きにくい曲」特集! 一般的に女性に弾きやすいとされるのは小回りの指使いの多い いわゆる「真珠の粒を転がすような」と言われる曲。 その例として私のアルバム「Early Works by Maurice Ravel」から『水の戯れ』を。 そして女性に弾きにくいとされる曲は腕力を使う大きな和音や和音の跳躍が多い曲。 例としてはブラームスの協奏曲の一番を挙げて、抜粋で一楽章からお聴きいただきます。 最後に特番で「胸が大きい女性(とお腹の出た男性)に弾きにくい曲」と言うことで 腕の交差が多い曲を挙げ、その例としてスカルラッティのソナタを 私の「ハンマークラヴィア」のアルバムよりお聴きいただいて、終わりです。 本当は在外の私はスタジオ収録では無く、スカイプで収録しています。 いつも時差を考慮しながらスケジュールを融通してくださる (プロデューサー、かつご自身も素晴らしいシンガーソングライターの灯織さん、 ありがとうございます!) でも、気分を盛り上げるためにブルー湘南のスタジオの写真をアップしましょう。 ご感想など、お聞かせ願えれば幸いです。
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缶詰になって論文を書いていました。 朝から晩までそれ一本でリサーチをしながら書き進めので遅いのですが、 もう19世紀にタイムトリップをしてしまったような 時間も曜日も分からなくなるような3~4日を過ごしていました。 いやあ、18世紀後半から19世紀へかけての期間と言うのは激動の時代だったんですね。 農業革命、工業革命、貴族社会崩壊、ピアノと言う楽器の急発展・加速大量生産。 そして昨日の朝、取り合えず書いたものを提出して、昨日はその後練習です。 11月7日にあるテキサス作曲家5人を取り上げたピアノ・リサイタル。 もうあと一週間後! 昨日はその一人のために彼の曲を通し稽古しました。 手放しで褒めていただき 「何も言うことは無い!」と一回通しただけで帰ってしまわれたのは 拍子抜けだったのですが、まあ、良かったです。 いつも思うのですが、作曲家の視点と言うのは演奏家の視点と随分違います。 音一杯ミスしちゃったなあ、と謝るつもりで近づくと 「完璧だった!」とホクホクとか。 「ジャズっぽく」とか「瞑想の状態で」とか書いてあって (どういう意味だろう)とすごく考えて、作曲家にお聞きすると 「あれ!?そんな事、そう言えば書いていたね~」と言われて拍子抜けしたり。。。 そのギャップが生じる理由は二つあると思います。 1.演奏家がいかに近視的に音楽を考えているか、と言うこと。 2.演奏家と音楽家の教育がいかに違うか、と言うこと。 演奏家は大抵とても小さなとき(私は3歳)から、 いかに楽譜を忠実に的確に再現するか、を最優先する訓練を受けています。 ところが、それ程の的確さを実際に聞き取れる人は、 他に同じような訓練を受けた人のみです。 それに対して作曲家は大抵もっと成長してから 自分の意志で音楽の勉強を始めた人が多い。 最初に楽器奏者として訓練を受けた人でも、 途中から作曲に以降した場合、 演奏家としていかに忠実に楽譜を再現するかと言う訓練から遠のいてかなり経つので もっと全体像を見て、細かいところまで聞き取っていないのです。 じゃあ、なぜそんな細かい、自分も忘れるような表記をするのか。 これは記録と記憶の反比例と言うことに関係していると思います。 私の論文でも言及しているのですが、 西洋文化が発展する過程に於いて、 音楽でも、思想でも、事実でも、記録をする方法がどんどん発展して それに反比例して人間は記憶をする、 そしてリアルタイムの人間と人間が直接情報伝達をする、と言うことを 怠るようになっています。 この現象はテクノロジの発展によってどんどん加速している。 だから、作曲家がわざわざ出向いてくれて私の演奏を聴いても、 自分の記譜の方を自分の耳よりも信頼して、 それを忠実に再現する私に何も言うことが無くなるんだ。 寂しい、と感じるのは私だけでしょうか?
