• 農業革命の結果、食品生産の急増に伴い、人口の倍増が起こった。 (ヨーロッパ人口:1700年=一億五百万、1800年=一億八千万、1850年=二憶六千五百万) さらに、少ない労働で効率よくより多くの農作物の生産が可能になり、 工業革命の影響もあって都市への人口集中が始まった。 (パリ人口:1800年=50万人、1851年=130万人) 都市への人口集中により、マスコミの活発化が起きる。 さらにアメリカ独立戦争(1776-)とフランス革命(1789―)に始まる 貴族社会の崩壊と、中産・ブルジョア階級の成立。 社会階級が生まれつくものでは無く、資産や能力や努力で変われるもの、となる。 政府が君主政治から、共和・民主制に代わり、 政治が一般市民を対象とした、一種のショーにならざるを得なくなり、 それに伴い、それまでプライヴェートでやるべきとされていたことの多く(音楽を含む)が 公共で、しかも多くの視聴者を対象としてやるもの、と変わる。 その上、個人の思想を重要視する啓蒙主義の浸透。 ナポレオンのテクノクラシー(技術家に一国の産業的資源の支配と統制を委ねるとする政治) そしてそれを促した工業革命の結果、 個人が習得する実際的な知識や技術の価値が大きく上がる。 この全てが個人・個性の賛歌につながり、 その結果、ヴィルチュオーゾが英雄として奉られる社会になる。 Paul Metzner著、Crescnedo of the Virtuoso: spectacle, skill and self-promotion in Paris during the Age of Revolution, 1998 ぜ~、ぜ~、ぜ~、ぜ~… 弱音を吐かせてください。 私は言葉をしゃべり始めたときは香港で、 広東語と英語と日本語のちゃんぽんでしかしゃべれない子だった。 6歳半で日本に戻って、日本語は不自由なくなったけれど、 13歳で英語をほとんど解せず渡米して 高校はほとんど解せず卒業して、 そのまま音楽学校で一般科目を勉強せずにここまで来た。 その私が工業革命、農業革命、啓蒙主義、共和制と言われたって、 一々調べなきゃ、分からないんです…! あああ、もう!!! この全てを暗譜と言う演奏様式が社会現象を反映して出てきたものだと言うことを 何とかしてまとめなければいけないんですけれど、もう!!! 頭をかきむしり、洗濯物をまとめながら突然 (よし!人口増加についてはこう言う風に書こう!) と、思いついた文章を忘れないうちに!とすっ飛んでコンピューターに行き、 一文書いて、また行き詰まり、 また洗濯物をまとめ始めて(!)となり、コンピューターにすっ飛んで… と、洗濯物を手に朝からぶつぶつ独り言を言いながらウロウロしています。 それが私の『論文執筆』です。

  • 最近のブログでは「正義は勝つ!」のテーマで勇ましい事を色々書いているが、 実は私の日常生活はいたって地味は、はっきり言って隠遁生活である。 ストーカーが怖いから外に出ないのか、と言われればそういう事も多少はあるかもしれないが、 家にこもってやることが山盛りなのも、事実である。 博士論文と練習。 それから教え。 たまに社交。 その合間にまあ、警察や社会福祉の人とミーティングが在ったり、 検事と電話で話しをしたり、 演奏会の安全対策についてメールしたり、そういう事もしているのだが、 はっきり言って大抵の時間は一人で鶴の恩返しのように コンピューターとピアノのキーをカタカタカタカタ。 そんな中、高に乗る人と全く乗らない日がある。 乗らない日はブログに熱がこもり、 論文を「書き」ながら、チャットをしたり、 色々気が散っている。 でも昨日と今日は凄い熱の入りよう! なんでだ…! と、思ってはた!と思いあったたのが、雨である。 ハリケーン・パトリーシアと名付けられた歴史的大型ハリケーンが メキシコ湾を接近。 あちこちで洪水警報が出ていて、昨日の朝から雨が降りっぱなし。 この雨の音が素晴らしいのである。 単調ではない。 激しく叩いたり、流れてみたり、ピッチも色々変わる。 この雨の音が私の集中促進剤なんじゃ…? まあ、締め切りが近い、と言うのもあるのかも知れない。 とりあえず木曜日に書いただけ提出する、と言う約束を 文章校正の図書館のスタッフとしている。 目標の2章終了まで、と言うのはどんどん現実味を失ってきているが、 それでもやっぱり(もしかして頑張れば…)と言う気持ちがどんどん高じる。 私はなんでだろう、出かける直前になると、突然アイディアが進展したり、 面白いアングルで言える文章を思いついたり、 俄然、リサーチが面白くなったりする。 出かける前の30分と言うのは、時間が際限なくある時の10倍くらい捗っている。 それで、(ああああ、もう行かなくちゃ…)と 大変残念な気持ちで家を出て、たいてい遅刻する。 皆、そんなものだろうか? 雨雨フレフレ…(母さんが♪?、もっとフレ♪?)

  • ジレンマ

    10歳の時に一か月入院をした。 肝臓だったので自覚症状はほぼ全く無かったが、実は結構悪かったらしい。 私はお気楽な物でトイレまでスキップして 寝たきりの子の付き添いのお母さんに「あんたはきっと誤診だよ」と あきられたり、うらやましがられたりしたのを覚えているが、 血液検査の数値とかはお医者さんがびっくりするくらい悪かったみたいだ。 でも、私自身はお気楽な物だった。 だって小児病棟は10時と3時におやつがでるし、 おやつに時たま出る手作りのプリンは本当に美味だったし。 母は隔日の面会日に持ちきれないほど図書館から本を借りてきてくれて、 私はそれを読みふけったり、 同部屋の子たちと手をつないで輪になって 「サウンド・オブ・ミュージック」歌いながら踊ったり (これは看護婦さんに「病院ですよ!下の患者さんが頭がガンガンするって…」と怒られた) 隣のベッドの腎臓病のかおるちゃんと違って私は食事制限もなかったし (かおるちゃんのは無塩食でちょっとかわいそうだった) (最高だ)、と思っていた。 同室にななちゃんと言う赤ちゃんが居た。 先天性股関節脱臼だったのかな? 両足をベッドの上でつるされていつも上向きに寝た状態だったのだけれど ニコニコして愛想が良くて、本当に可愛い赤ちゃんだった。 10か月くらいだったと思う。 私と、仲良しになったかおるちゃん二人で一生懸命ナナちゃんの世話を見た。 あやしたり、一緒に遊んだり、おむつとかナースステーションに報告したり、 使命感を持って一生懸命時間を共にした。 自分もそうやっていると楽しかったし。 そしたら叱られちゃった 「自分の療養をもっと大切にしなさい、安静にしなさい」って。 でも、実は私にはナナちゃんをお世話することが大切だったんだ。 入院は、自覚的には楽しかったけれど、やっぱり不安だったんだと思う。 その証拠に、一度予定されていた退院日が、 その日の確認のための血液検査の結果が悪くて延期になったとき 「ギャオ~ン」とベッドでバタバタ足を蹴りながら大泣きしたのを覚えている。 ナナちゃんをお世話してナナちゃんにニコニコ喜んでもらえると、 「私は入院中に使命がある、いや、この子供部屋に入院したのは運命だったんだ!」と 何だか、自分の入院に意義感が持てたのだ、きっと。 今回のストーカーの件、 「わざわざ危険を買って出なくても」と心配してくださる方もある。 私も「確かに」と思うときもある。 でも、私は元・婚約者が実は凄い悪かったことが発覚して、 やっぱりちょっとは落ち込んでいるんだと思う。 そして、「これは運命だ!」と悪者退治の行為に走ることが 私の落ち込み対処なんだ、とも思う。 私は役に立ちたい。 社会や周りの人の幸せに貢献できた、と正直に思えることは喜びだ。 でも、被害者の立場になってしまって迷惑を一杯かけちゃっている。 心配もかけちゃっている。 それに見合うくらいの貢献をしなければ、と 「悪者退治」の道に走って行ってしまっているのかも。 しかし、それが逆に余計心配をかけることになっていたら… ジレンマ。

  • 今までは、有名になりたい、とは思わなかった。 宮本武蔵のようにピアノの道を極めよう、 結果はついて来れば良し、ついて来なければそれも良し、と思っていた。 と、言うかむしろ 「自分は好きな曲が好きな場所で好きな人たちに好きなように弾けて、 イメージの問題とかとやかく言う人もいないし、 他の人の生活も自分のキャリアにかかっていないし、 気楽で幸せ!」と思っていた。 でも今回のストーカーの一件があって、 社会福祉の人にお世話になったり、検事の事務所で何時間も待ったりして 色々なつらい目にあっている人たちの話しを聞いたり、人生を垣間見たりする機会があった。 私は正義感が滑稽なくらい強いので 「これは社会福祉のお仕事を始めますか」 と思っていたら 「そんな事するより、有名になってもっと世論に影響力を持て!」 と言ってくれる方があった。 その時はそんな事可能だと思わなかったし、あまりにも想定外で 「こ、この人は…何を言っているんだ…」と思った。 でもストーカーの一件はどんどん発展して行って 正義感以上に想像力がたくましい私は 「これは…今まで安全だったのが非常にラッキーなだけで、 彼の過去の被害者と同じようにボコボコにされてしまうかも知れない。 いや、私はかなり積極的に泣き寝入りをしない覚悟だから、 これはもしや…消されてしまうかも!」 と非常に大げさに自分の中でドラマ化して 「きっとワイドショーに取り上げられる写真はこれだ。 あ、このYouTubeヴィデオも流されるかな…」とか、 それでも何故か楽しい方向に想像が走っていった。 (ほれ見ろ、ストーカー! 日本語だけど、こうやって色々な可能性を紹介してやったぞ! これでも来る気があるなら、来てみろ! 自動翻訳ソフトができるだけ的確に訳していることを願いつつ。) そう言う風に想像している最中にはた、と思いついたのだ。 私の知名度を上げれば、結果的に自分の安全性が高まるのでは? そして、私の事件の認知度が高まれば、ストーカーはもう絶対手が出せなくなるし、 副作用的に弱い者いじめに対する関心も高まるのでは? 私はラジオでもテレビでも色々収録しているし、YouTubeも結構ある。 ソロ・アルバムも六枚出しているし、 アンサンブル録音とか、アルバムの一部のトラックに出演とかも含めると 8枚は絶対、もしかしたらそれ以上ある。 ブログも最近、そう言う意識が少しあって 今までより気合を入れて書いてみたら読者数が一気にアップした。 (ありがとうございます!) 一般の人よりはすでに素材が揃っている。 それにまあ、人前に出ることがやっぱりある程度好きだから クラシックピアニストなんていう職業選択をしたんですし。 夢物語のようですが、まあ、想像していると楽しいので。 ああ…読者の中にはこれを読まれて 私の安全を気遣って苦しい思いをしている方もいらっしゃるだろう。 家族のみんな、大丈夫だよ~! 身の安全には十分気を付けているし、今は論文と練習でほとんど隠遁生活だよ~。 お友達も同僚も、皆本当に感謝しきれないほどサポートしてくれているし、 警察とか社会福祉の人も、真剣に色々やってくれているし、 こういう状況下ではこれ以上在り得ないほど、恵まれているよ~。 それに私は逃げ足が速いんです。…

  • 最近、カラオケをしている。 カラオケはやればいっつも凄く楽しかったのだけれど 「クラシックピアニストがカラオケなんて…」と言うイメージの問題とか、 なんでかな~、もう何年もやっていなかった。 しかし、ヒューストンの日本人社会ではカラオケが大流行! そして、皆びっくりするくらい上手い! 「NHKのど自慢、ヒューストンに来てください!」と思うくらい。 素人とは思えない。 そして、在外何十年とか、そういう人ばかりなのに、 「なんで?」と言うくらい皆、曲を良く知っている。 始めは恥ずかしかったし、遠慮もあって、 キャンディーキャンディーとかアニメの短い歌を歌っていた。 (と言うか,キャンディーキャンディーは短いと思っていたら歌詞が3番まであった)。 でも、段々すごく楽しくなってきて 「ぎんぎら銀」とか「ルビーの指輪」とか「ギザギザハートの子守歌」とか 思い出し始めると、ぞろぞろ思い出す! そして声もどんどん出てくる! 楽しい。歌を大声で歌うってなんて気持ちが良いんだ! それで思い出した。 私はいっつも本に読みふけるか、歌っている子だった。 と、言うか大人になっても歌っていた。 道を歩きながら鼻歌でも、シャワーで大声でも、 一人で留守番の時なんて、家じゅうを飛び跳ねて、踊りながら歌ったりした。 お風呂に入る時はいつも妹と二重唱をした。 学校で習ってきた合唱の曲とか、そう言うのを私が妹に教えて、 それで私が下のパートを受け持つのだった。 時々音程確認とかも、ちゃんとやった。 いつ、歌うのやめちゃったんだろう? 昔の人も良く歌ったらしい。 音楽史とか読んでいるとたまに、中世とかのそういう風景の記述があったりする。 仕事しながら、道を歩きながら、子供をあやしながら、 合唱したり、一人だったり、斉唱だったり、 兎に角どこでも歌っていたらしい。 後、踊るのも。 貴族も平民も、手をつないで輪になって踊り狂ったりしたらしい。 楽しそう… まあ、現在のアメリカではねえ。 色々な文化・宗教・言葉の人がそれぞれの歌をもっているから 電車が止まっちゃって、運転再開を待ちながらみんなが合唱なんてできないけれど。 でも、回し歌とか、したら楽しいのに。 そう言えば、ロサンジェルスの学友とは良く歌った。 台湾人と、アメリカ人と、日本人の私でハイキングした時、 中国語と日本語でそれぞれ歌を歌って、 歌詞の内容を想像してあてっこをする、と言うゲームをした。 皆でキャンプに行ったときは山道で車座になって 皆で和音を作りながら、一人ひとり音を一つずつ変えていって和声を進行させる、 そんなゲームを悪気もなく皆で大声でやっていたら 道行く人に「これは何かの儀式ですか?」と聞かれて、皆で大笑いした。 もう随分昔しの話しだが、私は合唱が趣味の弁護士さんと演奏を通じて知り合いになった。 マタイの受難曲とか、そういう古典を歌うグループに入っていらして、 とても張り切って、リハーサル風景の逸話とかを時々聞かせてくださった。 そんなある日、演奏会の一週間前に非常に優秀な女医さんでいらした奥様が 出勤途中に救急車に跳ねられて即死されてしまわれた。 噂になるくらい美男美女で、しかも二人共人望が高く、優秀で素敵なカップルだったのに。 その一週間後のマタイ受難曲の演奏会に、この弁護士さんは出演されたのだった。…