• ご無沙汰しています。本当にブログ更新を怠ってしまいました。 まだ三が日が明けないうちにヒューストンに帰って来ていたのですが、 日本での沢山の思い出の消化と整理、 そして必修が全て終わり、事実上「学生生活」を終了した私の新しい人生の一歩を踏み出す準備で いささか時間を取られてしまいました。 取りあえずの私の目標は三つです。 1.論文以外には唯一残っているこの博士課程のためのハードル:言語テスト。 イタリア語、フランス語、ドイツ語の一つを選んで、 与えられた文献を決められた時間枠の中で英語に訳します。 私は高校生時代にイタリア語を二年間勉強し、 学部生時代にはドイツ語を1学期勉強した後ドイツで1ヶ月滞在する機会に恵まれました。 でも、今回この言語テストであえてフランス語に挑戦することに決めたのは この7月、そして10月と2回続けてパリに行く機会があり、 また今年の秋に訪れる予定が決まりつつあって、 こう何回もお邪魔しているのにいつまでも「フランス語喋れません」じゃ恥ずかしい! と言うことで一念発起して今フランス語と格闘しています。 2.演奏活動を増やす! 博士課程の勉強中は学校に集中して演奏の機会を増やすための働きかけは勿論、 時には練習さえ後回しになっていた3年半でしたが、 総合試験が終わった今、演奏に飢えていた自分を発見!! 目下練習中は3月24日にNYでSpectrum Symphonyと共演する プロコフィエフの協奏曲3番。 それからこの夏の日本でのリサイタル・プログラム「ショパンToジャパン」。 さらに、オーディションに晴れて受かって テキサスのNPO「Texas New Music Ensemble]なるグループの 正式ピアニストに成りました。 テキサスに関係ある現代作曲家の曲を集めて演奏会をすると言うグループです。 テキサス州は、そう考えてみると広い! 広大! ヒューストンを始め、ダラス、フォート・ワース、オースティン、サン・アントニオなど それぞれの都市にプロのオケがあり、 テキサスに関係ある作曲家のリストはエンドレス! 小さな国よりずっと大きなテキサス州にこういうNPOがあるのは当然かも知れません。 アンサンブルのメンバーもテキサスの主要都市色々からオーディションで選ばれたつわものぞろい。 ヒューストンメンバー(4人)の顔合わせは今週末―楽しみです。 3.論文を書き始める。 あんなに熱情を持ってプロポーザルを準備し、意気込んで提出した 「暗譜の歴史と是非」と言う議題ですが、 私の悪い癖でどんどん議題から離れてもっと一般的な広大なトピックの文献を漁ってしまい、 いつの間にか「歴史上の記録と記憶の反比例」に読んでいる文献の題目が摩り替わっていました。 いかん、いかん。 また集中しなければ。 そして、読んで感心しているだけでなく、ちゃんとノートを取って情報の整理を始めなければ。 反省、反省。 と言う訳でこれからも張り切って頑張りますよ!

  • 2014年 明けまして おめでとうございます。 実に10年ぶりに日本でお正月を迎えました。 木曽の山奥の父の実家で、叔母たちがもち米を蒸してついてくれた 栃の実餅、蓬餅、そして白いお餅。 おせちの重箱。 母が自家製のじっくり煮込んだ鶏がらスープで作ってくれたお雑煮。 前回の帰国では気がつかなかったのですが両親の新居からは富士山が見えます。 家から富士山が見えるのは実にラッキーな気持ち。 家族4人で一緒に拝みました。 天気が良かったので、家族4人でゆったりと多摩川沿いをお散歩しました。 凧揚げをしている子供たちが沢山。 そう言えば私たちも子供の頃は良くお正月に凧揚げをしたな~と考えながら 小学生時代、狛江の社宅だった時代に良く貸しボートを家族で漕いだ その多摩川のずっと下流を大人になった私と妹と、成熟した両親が 今度は語らいあいながらゆっくり歩きます。 母だけが青信号を勿体無がって走っています。 この頃ジムに通っている母は若返ったようです。 2013年も色々在りました。 Rice大學では一月から五月まで、最終学期と言うことで 1875年ー1924年のオペラを研究するクラスや (プロコフィエフの『3つのオレンジへの恋』の研究) 自由研究プロジェクトのためのYoutubeシリーズ「Poco Piano」の作製などで 本当に充実した日々でした。 夏は13年目となった日本でのリサイタル・シリーズで 「西洋音楽の中の日本」と言うテーマで山田耕作のピアノ曲を始め、 モーツァルトのトルコ行進曲に始まる西洋音楽の中の『東洋』、そして日本を検証しました。 そして同じプログラムでパリでの演奏デビューを夏に果たしました。 同じパリで国際比較文学研究会のパリ大会で学会デビューを果たしたのもこの時です。 秋には博士課程の中でも最大の難関、総合試験に挑みました。 音楽史、音楽理論、そしてピアノとそれぞれ4時間の筆記試験に加え、口答試験がありました。 勉強中は脳が一回り大きくなったような、自分が突然博識に成ったような錯覚を覚えましたが、 計12時間の筆記試験で付け焼刃の知識はすべて流れ出てしまったようです。 まあ、さっぱりしましたが。 なんにせよ、晴れて合格した日は本当に嬉しかった。 2014年は論文と、演奏活動の年、 そしてこれからの人生について論文を書きながら熟考する年です。 論文のテーマは「暗譜の歴史と是非」。 すでに読み始めている文献の数々は本当に面白く、 論文に直接関係ない資料まで読み漁ってしまいます。 特に文明史に置ける「記憶と記録の反比例」と言うテーマは 音楽と関係なく興味そそられる論点です。 演奏は3月24日にニューヨークでプロコフィエフの3番の協奏曲を演奏できるのが 非常に楽しみです。 オーケストラをバックにソリストとして弾く協奏曲は 2006年に学校に戻り勉強し直す決意をするまで 東欧オケとの全米ツアーなどで毎年機会に恵まれていたのですが、 学校に戻ってからはやはり難しく、 2012年の春にメシアンの「天の国の色彩」を学校のオケと弾いて以来。 しかも、ずっと念願だったプロコフィエフの3番! それに、私の第二の故郷ともいえるニューヨークで! さらに2014年の夏の日本は7月12日13時半みなとみらいと8月3日13時半美浜文化ホール。 去年に引き続き、日本人の私が西洋音楽を専門とする意味を探る一環として…

  • 木曽にいます!

    私の父の実家、山奥深い木曽、大桑村に居ます。 ここは旧中山道時代、大名行列の野尻宿を提供した村。 http://www.kyoshu-komichi.com/nojiri.html 私の父の実家も建て替えるまでは その当時、大名行列の家来の人たちが雑魚寝した 広くて天井が低い2階がありました。 私は普段日本に帰国する時は毎週末(ありがたいことに)演奏会が入り、 また演奏会にまつわるリハーサルや、段取り、練習、 そして広報に携わってくださる方々とのミーティングなどで、 関東地方以外を訪ねることがとても難しくなります。 今回は演奏が少なく、思い切って1泊二日で訪ねてみました。 子供の頃、田舎に帰るのがとても楽しみでした。 幼少を6年間香港で過ごした私と妹のために この地域の伝統的な年末行事「お年越し」を大々的にやってくれたりしました。 お蔵からお膳を出してきてくれて親戚一同がずらりと並んで大晦日をお祝いした時は 本当にタイムスリップしたようで、小学校2年生だった私はこちこちに緊張してしまいました。 元旦に父が卒業した小学校の校庭で凧揚げをしたり、 おじいちゃんと森林浴をして、夏休みの自由研究に木の葉の採集をしたり、 楽しい思い出が沢山あります。 お墓参りも本当に久しぶりにさせていただきました。 私のような在外者にとっては『お墓』と言う概念がむしろ逆にとても象徴的に意味深くなります。 訪ねるのは何年ぶりですか… でも、懐かしい場所です。 森林と小川に囲まれた、静かなとても美しいところです。 私のような人生だと関東地方の実家の周りだけが日本のイメージになりがちですが、 今回九州と、木曽と、立て続けに訪れる機会に恵まれて、 自分の心のよりどころの『日本』の厚み・重みが増しました。

  • 私は日本は本州しか知らなかったですが、九州デビューしています。 おととい長崎に行き、昨日博多に来ました。 昨日は昼食は長崎で長崎ちゃんぽん、そして夕食は博多で博多ラーメンと言う凄い日でした。 長崎では: No. 1 興福寺 (キリシタン迫害、そして鎖国への未知を辿る1620年代の日本で、貿易をしていた中国人がキリシタンではと言う疑いを払拭するためも会って造ったお寺。当時の長崎の人口は5万人。そして中国人人口は5千人だったそうです!)、 No. 2 活水女子大 (1879年にアメリカ人宣教師によって創立された学校。音楽部も在って、昨日は長崎の愛好家コミュニティーが中心となって行うメサイア・シング・アロングに参加させていただきました。特に数は少なくても正確にしっかりと支える男性の部が印象的でした)、 No. 3 県立民族博物館 (長崎の特に西洋と日本の接点と言う位置づけに私は興味があるので、展示が非常に面白かったです)、No. 4 グローバー庭園 (鎖国直後から来日して製鉄や炭鉱などを始めたスコットランド人のグローヴァーを始めとする色々な外国人の豪邸が沢山あり、展示物も充実!草野肇さん、と言う素晴らしく物知りな案内者にご案内いただき、色々お教えいただき、貴重な時間を過ごすことが出来ました。) No. 5 出島 (鎖国中と幕末以来の二つの全く赴きの違う出島が比較検討できるように工夫がされてあり、非常に面白く拝見しました。オランダ人は貿易を日本と続けるために鎖国の滞在賃として一年に一億も幕府に払っていたそうです!日本との貿易がいかに良いビジネスだったか、それだけでも良く分かります。面白い) No. 6 長崎平和記念公園 No. 7 長崎原爆資料館 No. 8 国立長崎原爆死没者追悼平和記念館 そして昨日の夜博多に着き、博多ラーメンを食べ(美味しくてびっくり!)、 博多駅前のクリスマス・イルミネーションに驚嘆しました。 今日は一日博多を観光、そして夜実家に戻ります。 明日は木曽! 私は旅が大好きです。

  • 思い出ぽろぽろ

    『おもひでぽろぽろ』を観みました。 私は宮崎駿は同じ日本人としてとても誇りに思っている人の一人で、ファンです。 この作品もずっと見たかったのですが、 特に先週観たかったのは今週末の同窓会のためです。 『おもひでぽろぽろ」は思っていた以上に今の私にぴったりの映画でした。 人生分岐点にある主人公が、小学校5年生の自分に再会し、 その頃の思い出を復習しながら、これからの自分に思いをはせ、 最終的に決断をする、と言うストーリー。 私の同窓会は小学校3年生の時のクラス。 小3年の同窓会は珍しいと思うけれど、このクラスは特別なクラスだったのです。 S先生は本当に素晴らしい先生だったし、同級生も皆個性ある面白い子ばかりで 毎日が思い出満載の、本当にきらきらした毎日の一年間でした。 インフルエンザが流行して学級閉鎖の多発がニュースで騒がれる中、 「学級閉鎖ごっこ」と称して先生が来る前にクラスの半分以上が教室の中に隠れ (机の下、ロッカーの中、本棚の隙間) 先生を驚かそう、と皆でワクワク協力したのもこのクラスでした。 市が主催するサッカー大会に 「スリーワン一小」(第一小学校の三年一組だったので)と言うチーム名で出場し、 あっさり第一回戦で負けてみんなで悔し泣きしたのもこのクラスでした。 そんな時先生はいつも、 夏はアイスキャンディー、冬はあんこの詰まったうぐいすをおごってくれました。 先生は40人近く居たクラスの生徒一人一人に 二学期の途中にノートをプレゼントしてくれました。 「見た事、感じたこと、発見したことなどを書きましょう」 と先生の手書きで表紙に書いてある日記帳です。 私たちが書いて提出すると、 先生は私たちの本分よりも長いコメントを赤ペンで書いて返してくれました。 私は半年の間に6冊分の日記を先生とやり取りして、 それ以来の私の宝物です。 同窓会にあたり、それを全部読み返してみると、 先生のコメントは小三の私に対しても全て「です、ます」調で まるで今の大人になった私に書いてくれているようです。 その頃良く同級生とけんかして悔し泣きしたりすることも多かった私に 「平田さんの言い分もきちんと理がかなっているのだけれど、 例え間違っているとしても相手の言い分にも思いをはせる気持ちの余裕と時間を持ってください。 その方が自分も楽だと思いますよ。」 など、今の自分が身につまされるメッセージが沢山。 私たちも先生が大好きだったけれど、 先生も私たちのことを本当に大事に思ってくれていたのだと思います。 同級生のK君がお父さんのラーメン屋さんをついでお洒落な中華料理屋さんに改装した 駅前のお店で皆で会いました。 「好華」と言う名前のとっても素敵なお店です。 http://kouka-china.com/ 黒酢の酢豚はレンコンとサツマイモが入って変り種でしたが、 肉がボリュームがあり、ソースの味もすっきりと美味しく、 レンコンもサツマイモも外がカリっと揚がっているのに中が野菜の味がしっかり生きていて絶品! 私はシャオロンパオは大好きで世界の色々な中華街で食べましたが、ここのは本物です。 日本的に少しあっさり目ですが、素晴らしくジューシーで 皮もボリュームとやわからさのバランスが程よく、本当に美味しいです。 やんちゃな3年生だったK君がこんなに立派な店主・コックさんになっているなんて。 脱帽。感慨無量です。 お店は常に満席、と言う感じで 厨房を一人で切り盛り(凄い!)しているK君とはゆっくりは喋れませんでしたが、 でもそのお料理に彼の意気込みと元気を感じました。 和歌山から駆けつけてくれたYちゃん、そして今では引退なさっているS先生も交えて…