• 凄いびっくり!そして、感動… 今さっき、メールが来ました。 『1998年の客船での旅について』との題です。 『夫と二人でアメリカからアテネまでの客船の旅に出た時、あなたがピアニストとして乗船していました。あなたが練習している最中こっそり忍び込んで聞き惚れたのを覚えています。あなたは恥ずかしがり屋さんだったけれど、本当にきれいなピアノを弾きました。 練習中のあなたの写真があるのですが、もしご興味が在ればお送りします。今、家の大掃除をしていて、たくさんの物を捨てています。この写真もあなたが欲しくなければ捨てようと思います。でも、お聞きしてみようと思いました。ご住所をお教え頂ければ、お送りします。』 もう16年前のこと。 客船では色々な乗客や乗務員と一期一会の濃い会話を交わしましたが、 正直に言ってこの女性がどなたか、思い出せません。 でも、胸が熱くなる思いがしました。 16年前の、まだ青二才の私がある夫婦の思い出の一部になっていたなんて。 音楽家の醍醐味だな~、としみじみと思いました。

  • Chiara Quartetは現在アメリカでもっとも注目されている弦楽四重の一つです。 (英語ですがHPはこちら:http://www.chiaraquartet.net/) 特に最近リリースした「Brahms by Heart」で注目度が急上昇し、 NYタイムズを始めとする多くのメディアに取り上げられました。 その理由の一つは四重奏には珍しく、暗譜で録音に挑んでCD作成をし、 最近の彼らの生演奏も多くは暗譜で行われるからです。 「注目を浴びるためのネタだ」と言う批判を跳ね飛ばし 「私達は9年間このブラームス四重奏・五重奏の録音を試みていたが、 その時のテークのどれにも納得がいかず、試行錯誤の結果 暗譜によって自分たちの満足の行く域に達することが出来たのだ」 と公表しています。 『何々を「by heart」でする』と英語で言った場合 これは「記憶して行う」と言う意味の諺と成りますが、 彼らは「私たちにとって本当にハートから演奏しようと思ったとき、 文字通りBy heartでやるのが一番と言う結論に達した」と言っています。 この四重奏の第一ヴァイオリン奏者、レベッカ・フィッシャーが 私の博士論文のテーマを知って、快くインタビューに応じてくださいました。 子育てしながら、演奏旅行をし、学校で教え、と言う生活は本当に忙しい物だと思いますが、 移動のための運転時間を理由して始めは「30分しか時間が取れないのですが…」 と断られていたのにも関わらず、最終的には45分くらいの熱弁となりました。 楽譜を使って演奏していた頃と今との練習法の変化、リハーサルの仕方の変化、 4人の奏者の中でも以下に暗譜の仕方が違うか、 過去や現在に置いて、暗譜での演奏・録音をやっている他のアンサンブル、 オーケストラが暗譜をする事の是非、などなど 実に広範囲にわたって話し合う本当に刺激を多く受けるインタビューでした。 特に四重奏の場合、楽譜立てはお互いの目線の間にはばかってしまう結果となり、 楽譜立てが無くなったことでお互い目線を交わすことが非常に多くなり、 さらに体ももっと自由に音楽に合わせて動くようになった、 兎に角演奏が全般的にもっと自由、楽になった、 とレベッカは繰り返し語っていました。 ただ暗譜での演奏には準備に数倍の時間がかかるため、 興業家本意、招待する側本位の、今の音楽市場に置いては 向こうが要請する曲目に応えられない場合が多くある。 今は暗譜が珍しくて、メディアに多くの注目を浴び良いが、 これからそう言う意味で売り込みが難しくなる可能性もある。 更に、他の四重奏や室内楽グループから 「我々も暗譜で、と言うプレッシャーがかかるからやめてくれ」と言われることもある。 とも言っていました。 しかし、彼らにとって暗譜をすると言う行為はあくまでよりよい演奏のため、 より真摯に音楽と向き合うための試行錯誤の結果であり、 売名行為や見せびらかしなどでは絶対無いことは強調されました。 この4人は音楽を分析的に考えてしまう傾向があり、 楽譜を取り除くことによって、知性よりも感覚、そして感性で演奏することに近づけた、 だけど楽譜を使ったほうがよりよい演奏ができる音楽家だって居るだろう。 暗譜はあくまで自分たちの試行錯誤の結果であり、 一般的な暗譜による演奏の是非を推奨するつもりは全く無い、 とも言っていました。 私の論文のリサーチがもっと進んだ数ヵ月後にまたお話しをする事を約束して、 電話を切りました。 とても、わくわくしました。

  • 昨日、5月4日(日)の正午過ぎから始まった ライス大學のDuncan Recital Hallで行われた 私の「ショパンToジャパン」は無事終わりました。 自分で言うのもなんですが、色々な意味で成功したリサイタルだったと思います。 自分でも正直に渾身こめて弾けたし、 来て下さった方々にも喜んでいただけたと思います。 ピアノも良くなってくれたし、ホールも気持ちよく響いてくれました。 そして最大の発見は「暗譜」。 この曲目の多くを私は他の色々な場所ですでに演奏していました。 新しかったのは武満のLitany No.2,スクリャービンの「焔に向かって」、 そしてドビュッシーの「Le plus que Lente」。 この三曲を含めて、私は全てを暗譜で演奏するつもりで準備していました。 しかし本番数日前、色々重なり時間的にも感情的にも忙しい中、 練習中に暗譜が怪しくなること数回。 色々考えた末、本番中に使いたいと思った曲には楽譜を使って演奏することを自分に許したのです。 クラシックに余り縁の無い方にはピンと来ないかも知れませんが、 これは保守的な演奏家、愛好家はおったまげる位、型破りなことです。 オケや、室内楽の演奏家は楽譜を使って演奏する事が当たり前です。 しかし、協奏曲のソリスト、そしてピアニストは暗譜で演奏することが当然のように課されます。 (不思議と木管・金管奏者は協奏曲でも楽譜を使うことを許される場合があります) 楽譜を使って弾くと言う事は、練習か能力不足とみなされてしまいます。 コンクールや学校の試験のほとんどは暗譜しなければ失格になります。 そんな中、なぜ敢えてこういう決定をしたかと言うと、色々理由があります。 まず私はこのブログで前にも書きましたが、 「暗譜の歴史と是非」と言うテーマで博士論文を書いています。 (と言うか、書くことに成っています…) その為には、その反対の楽譜を使って弾くことをして見なければ 暗譜について語れない、と思ったのです。 もう一つ、演奏会の翌朝、私はChiara四重奏の第一ヴァイオリニスト、 レベッカ・フィッシャーとのインタビューを取り付けていました。 このアンサンブルは最近「Brahms by Heart」と言うタイトルで ブラームスの四重奏と五重奏を暗譜で録音してリリース。 そしてライヴ演奏も暗譜を取り入れ始めて、物議をかもしているのです。 楽譜を使うことが普通と思われている演奏家が暗譜を使ってニュースになるなら、 暗譜が当たり前と思われている演奏家が楽譜を使ってニュースになるかな? まあ、ナンにせよ、インタビューのためにも自分にこの実験を課してみたのです。 暗譜で本番を演奏する、と言うことは時として 練習量や能力に関係なく、本当に怖いことです。 起きる事故は最悪の場合、演奏の中座、と言うことも実際にありえます。 これがいやで、伴奏者になるピアニストや、キャリアをあきらめる才能溢れる音楽家も居ます。 暗譜忘れが怖くて、ベストを尽くせない演奏家は、ある意味ほとんどと言って良いかもしれません。 そんな中、私は今回のプログラムの中からショパンの3つのマズルカ集、作品59と、 武満徹の「リタニーNo.2」そして山田耕筰の「碧い焔」に楽譜を用いました。 暗譜の心配が取り除かれて、音楽的表現にむしろ大胆になれた、と言うのが正直なところです。 暗譜するために物凄い練習量を積み重ね、その結果解釈まで練習しこんでしまい、 壇上に上る段階ではすでに「再現のロボット」になっているピアニストが多いのでは無いでしょうか? そして本番の緊張と高揚の中で楽譜に向き合うと、…

  • 「焔に向かって」  

    スクリャービンの「焔に向かって」を最初に聞いたときは「は?」と言う感じだった。 短い曲なのだが、 ある意味ミニマリズムと言っても良いほど単純で簡潔なモチーフが繰り返し、 音域と音量の高まりは在るものの、 伝統的な意味での和声の緊張と解決が無い。 明らかに『焔』を描写しているのだが、 印象派のように、感覚に訴えかけて描写する対象を彷彿させると言ったプロセスが無く、 むしろ焔をそのものになりきろうとしているかのよう。 美化したり、芸術化したり、と言う操作が無いため、 初めて聞く人の多くは狐につまされたような感じになるだろう。 しかし、弾きこめば弾きこむほど、勉強すれば勉強するほど、魅惑される曲である。 ホロヴィッツの有名な録画がある。 この動画でホロヴィッツは音を好き勝手に足しまくって、 ついでに曲もちょっと長くしてしまって 本当にスクリャービン作曲・ホロヴィッツ編曲と言う感じなのだが、 その効果は出ている。 この「デタラメ」と批判する人も居るであろう動画の中で 演奏前ホロヴィッツは知ったかぶりで 「この曲はスクリャービンが世の終わりをもたらす炎を描いているんだ」 と言っている。 実に眉唾だが、でもまあそう言われてから聞くと、それも納得できるような曲、そして演奏。 一方でスクリャービンの娘、そしてそのピアニストの妻が 「作曲家の意図に一番近い演奏」と讃えたのが スクリャービンの義理の息子ソフロ二ツキーの録音がこちら。 私はこちらの方がずっと好きだが、 これだって楽譜どおりとは言いがたい。 要するにこの曲に置いて、楽譜は「大体」なのだ。 トレモロなどの効果音が多く、楽譜どおりにきちんと弾くための練習は意味が無い。 勢い、インスピレーション、そしてほとんど芝居をするような 雰囲気を醸し出すための大きなイメージ。 どちらにしても悪魔的な曲、そして今まで私がチャレンジしたことの無い種類の曲だ。 これに大して山田耕筰の「青い焔」。 山田耕筰はベルリンに留学した後、日本に帰国する道中、 ロシアにしばらくとどまり、そこでスクリャービンのピアノ曲「詩曲」を聞いて ほとんどあきらめかけていた音楽への道に人生をかける決意をする。 「青い焔」もタイトルからしても、またその曲が意図するところとしても この「焔に向かって」を知った上での作曲と見て、まあ問題ないだろう。 この曲も最初に聞くと「は?」と言うような曲だが、 特にこうやってスクリャービンと比べると、面白い! さて、こういう最初に聞いて自分自身が「は?」と思ってしまった曲を お客さんにいかに納得して頂くか、と言うのが私のチャレンジ、である。

  • 曲順、と言うのは、私はかなりこだわる方である。 例えばメニューだってこの味の後にこの味が来るから引き立つ、と言うのがあると思う。 絵だって並ばせる順番や、壁の色調、部屋の色調によって印象が随分変わるだろう。 今回の「ショパンToジャパン」は私の6枚目になる。 5月4日にライス大學のダンカン・リサイタルホールで短めのリサイタルとして発表するが、 基本的にCDとして楽しんでもらうために配慮した曲順だ。 従って、曲から曲へと、虹のようにつなぎ目が分からないように、 しかし確実にその発展・変調が意識できるように、工夫をしてみた。 調整は勿論、一つの曲の最後の音・和音・モチーフが、 次の曲の最初の音・和音・モチーフに関係があったり、 我ながら中々こだわりが細かく、「してやったり!」である。 そして勿論、ショパンに触発されたスクリャービンとドビュッシーが その後今度は山田耕筰と武満徹を触発する、 その移り変わりもはっきりと提示しているつもりだ。 ただ、これはあくまでCDとして聞いてもらうための工夫。 5月4日のリサイタルではこのプログラムの微妙な陰影、起伏を どう立体的に描き出すかが、挑戦となる。 トークを交えるので、少しは救いだ。 さて、その懇親の曲目・曲順(括弧内は調整) 調整を書いただけでは伝わりにくいと思う。 ここは是非、ご来場をお願いして、味わっていただきたい。 同名の日本のリサイタルでは この曲順の最初の2曲を省き、最後の二曲を後半に持っていって ショパンのソナタの3番を弾きます! ショパン エチュード、作品25-1「エオリアン・ハープ」(変イ長調) ドビュッシー 「月の光」(変ニ長調) ― トーク ― スクリャービン マズルカ、作品3-7 (イ短調) ショパン 3つのマズルカ、作品59      1番 (イ短調)      2番 (変イ長調)      3番 (嬰ヘ短調) ドビュッシー マズルカ (ロ短調) ― トーク ― ショパン 2つのノクターン、作品27      1番 (嬰ハ短調)      2番 (変ニ長調) スクリャービン 左手のためのノクターン、作品9-2 (変ニ長調) ドビュッシー ノクターン (変ニ長調) ― トーク ― 山田耕筰 スクリャービンに捧げる曲      1番 「夜の詩曲」(変二長調)      2番 「忘れ難きモスコーの夜」(変ロ短調) 山田耕筰 「青い焔」(ロ長調?) スクリャービン 「焔に向かって」作品72  ― トーク ― ドビュッシー 「La plus que Lente(レントより遅く)(変ト長調) 武満 リタニーNo. 2 「Lento misterioso(ミステリアスなレント)