小さい時から大きくて健康優良児と思われがちでしたが、実は病弱でした。免許取り立ての母が前夜から地図を予習して私を色々な専門医や大学病院に連れて行ってくれました。原因不明の症状が多く兎に角安静を勧められることが多かったのですが、そんな時「まあ、ピアノを弾くくらいなら良いでしょう」とおっしゃったお医者さんに無性に腹が立ったのを覚えています。
ピアノ演奏は全身全霊の真剣勝負です。かかとを地面にぐっと踏み込んでバランスを取り、丹田に気合を入れて上半身の安定と脱力をし、腕の重みの勢いを計算しながら背筋を意識してペース配分をしながら弾きます。演奏前の補水や食事のタイミング、舞台袖のストレッチ運動や瞑想、演奏中の腹式呼吸や目の動きにも注意しています。全ては最小限の体力で最大限の効果を上げ、ペース配分をして演奏会の最後まで自分の最高の音楽創りをするための努力です。激しい曲を弾くと息が切れます。少ない音一音一音の音色とタイミングに非常な集中力を要する曲は、弾き終わると長旅から帰還したような、夢から覚めたような気持ちがします。
でもありったけの力を込めば良い音がでるか、感情に集中すれば感動を生みだす演奏ができるかというと、力任せや感情任せは独りよがりになるのです。私が長年のピアノ道を通じて思うに、全身全霊というのは頭と心と体を均等に理想に向けてつぎ込んでいる状態です。意識的には目的達成のための最大効果を計算・肉体的には深い腹式呼吸で脱力しつつ必要な筋力を効果的に総動員・感情的には音楽の伝達と共有に集中できている…こういう状態です。練習というのはある意味、技術的・感情的・分析的な側面をそれぞれ分けて解決をした上で、このバランスの交渉をしていく経過です。その経過を経て初めて本番中の全身全霊が可能になるのでだと思います。
思うに人生も、この頭と心と体のバランスを取るための道なのではないでしょうか。

この記事は日刊サンに隔週で連載中のコラム「ピアノの道」#181(7月19日発表)を基にしています。
