毎年原爆記念日に、亡き祖父母を思います。81年前の戦争末期。翌日の命さえ定かではない状況下で、祖父母には想像する事さえ思いつかなかったでしょう。自分らの孫がアメリカでピアノを弾きながら平和を語るなど。
日本時間の8月6日の早朝、私は南カリフォルニア州でそんな話しをしながらピアノを弾きました。「水を…」「水を…」と言いながら死んでいった被爆者の方々の追悼の意を込めて、ショパンやドビュッシーやモンポ―が水をテーマに書いた曲を弾き進めました。


「私は85歳です。終戦をよく覚えています。」終演後、東欧訛りの英語で遠慮がちに喋りかけてくださった女性は涙ぐんで私の手を握り、頬にキスをしてくださいました。
仲良くするのはこんなに嬉しいのに、我々人間はなぜ凄まじい惨事をも引き起こすのでしょうか。
広島記念日の数日前まで私はU.S.ジャパン・リーダーシップ・プログラム(US-Japan Leadership Programの頭文字を取って通称『USJLP』)の毎年恒例の協議会に参加していました。政治・軍事・教育・研究・宗教・文化・芸術・NGO/NPO・社会事業・起業・企業…それぞれの立場からよりよい将来を築き上げるために何ができるのか真剣勝負をしている皆が集まって、協議をしたり、ふざけあって大笑いしたり、打ち明け話をして一緒に涙をしたりする仲間たち。私のかけがえのない元気と勇気の元です。




USJLPの3日3晩の協議会は朝のラニングから深夜の飲み会まで大興奮のハイテンションです。皆が一生懸命喋っている中で大切な会話の一言も聞き漏らせない…とどんどんそれぞれの声が大きくなり、3日目には全員声が枯れてハスキーボイスです。そしてそんな熱血協議会が明けた翌朝、私は目覚めながら涙が出てきたのです。
私はこの仲間たちの為なら何でもできる。走れメロスの様に、約束を守るために走り続ける。私はこういう友情を可能にする国際平和と社会正義のためにできることを精一杯する。
これが『愛』というのかなあ、と今更ながら思います。
