みなとみらい終了!ありがとうございました。

昨日の13時半開演で、「ショパンToジャパン」の独奏会をして参りました。 ピアノもホールも良く響き、 (ああ、良いホールで、良いピアノで弾くって、そう言えばこういう感じだった!)と リハーサル中は至福のときでしたが、本番は思わずあがってしまいました。 リハーサル中は問題なかったヒールが、ひざが震えてバランスが取りにくく、 ペダルを踏むのが困難になって、途中で脱いでしまいました。 それでも、ホールがピアノに共鳴するのは本当に気持ちよく 気持ちよさに浸るのと、「あがり」に襲われる、そのせめぎあいで 私の中の葛藤はかなり忙しく、時に音楽がおろそかになったのではないかと危惧しますが、 自分では明らかなミス以外は判断のしようが在りません。 でも、録音聞くのも怖くて本当にいやなんだな~。 でも、そんな中、父がお世話になっている同僚の方のエピソードが私を和ませてくれました。 この方は前半の途中に会場を飛び出してきたそうです。 受付をずっとやってくれていた父(どうもありがとう!)が 「どうしました!?」とお伺いしたところ 「ショパンが良くって血が騒ぐ!花を買いに行って来る!」 と言って、走って行ってしまったそうです。 非常に立派な花束に付けられたカードには 「誠に、実に素晴らしいピアノを聴くことができました。 気づいていましたら日比谷花壇を探していました」 と、書いてありました。 私はこのエピソードはずっと忘れません。 これから一生、心の宝、勇気の素にさせていただきます。 「Beauty is in the eye of the beholder(美は見る人の目の中にある)」 と言う言葉に付いて、考えさせられます。 私はもっと委ねる、と言うこと、託す、と言う気持ち、信頼すると言う姿勢を持たなければ。 一度解き放った音楽は、もう聴き手の物なのです。 私は正直に、一生懸命、ピアノと音響と音楽と聴衆の聴く心を信じて、 ただもうそこにある音楽を解き放ち、音楽世界を広げるのが、 ピアニストとしてのお仕事なのです。 それ以下でも、それ以上、でも無い。 もっと謙虚に成ろう。

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中休み、映画鑑賞

昨晩は、家族で映画鑑賞をしました。 最近、日本での西洋音楽発展の歴史に興味を持っている私のために 両親が録画しておいてくれた山田耕筰の生涯に関する映画です。 『大いなる朝』(1979)と言うTBSの三時間ドラマ。 山田耕筰を野口吾郎が、山本五十六を加藤剛が演じ、 この対照的な人生を歩んだ二人の人生を第二次世界大戦中心に描いています。 (父は「結婚前は『加藤剛に似ている』と言われた」と自慢していましたが、 はっきり言って、面影も在りませんでした。 別に悪い意味ではなく、似ていない、と言うだけです。) 山田耕筰がいかに日本の西洋音楽が根付く段階で多大な貢献をしたか、 と言うのは知れば知るほど驚愕します。 しかし、この映画で、この道がどんなに苦労を伴った物であったかということも実感しました。 スポンサー(三菱財閥)との関係の複雑さ、借金、他の音楽家との関係の難しさ、 さらに、いかに働きかけても一般的にクラシックがやはり受け入れられない、と言う事情。 勿論、かなりモテモテで、波乱万丈の人生を楽しく生ききったようですが、 でも、どんな名声を得ても、安易とは言いがたい人生だったのは確かなようです。 時には借金取りを逃げて、芸者のヒモのような生活をした、と言う風に描かれていました。 どれだけ事実に基づいているかは不明ですが。 この頃観る映画のテーマが全部共通しているように思えてしまうのは、 私が自分の最近の考察を投影してしまうからでしょうか? それとも、そう言う映画を無意識の内に選んでいるのでしょうか? 日本に向かう飛行機の中で観た二本も、 芸や美のために命や人生を賭ける、と言うテーマの映画でした。 一本目は邦画の『利休に聞け』。 豊臣秀吉にその名声をねたまれ、 芸に対するこだわりか、自分の命か、の選択を無理強いされ、 切腹する、千利休の話しです。 そして二本目は邦題『ミケランジェロ・プロジェクト(原題『Monuments Men』)』。 第二次世界大戦中にナチスが強奪した何千、何万と言う芸術品を 奪い返して、元の持ち主に届けると言う任務を買って出た もう若いとは言えない美術史博士や美術鑑定士のグループの話しです。 軍の基礎訓練をやっとの思いで終え、そのままヨーロッパ入りした彼らは、 色々な冒険をして、鉱山に隠されている何千と言うアート・コレクションを見つけます。 「ヒットラーの死去、またはドイツ国の陥没の際には全てを燃やせ」 と言うドイツ軍の命令と競い合うようにして、急いで救出する芸術品の中には ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ… 行く先の多くで「自分の部下が次々と死んでいる時に粘土や絵の具救出のために人員を貸せるか!」 と、見方軍の協力も拒まれてしまう彼ら。 それでも、「文明の最高傑作が破壊されてしまったら、例え勝利したとしても後世になんのために戦ったのか申し訳が付かない!」と、命を賭けて奔走します。 私はミケランジェロや、バッハと自分の命、と言う選択を迫られたら、 間違いなく前者を取って悔いは在りません。 勿論、そう言う状況はほぼ100パーセント在りえないし、 だからこうして安易に断言・公言できるのかも知れない。 でも矛盾しているようですが、音楽に自分の人生を捧げることで、 これからずっと経済不安と孤独と付き合うかもしれない可能性に ちょっと躊躇する一瞬があることを、ここで今日告白します。 今までの人生や選択には全く悔いは在りません。 やってきたことの全てが、苦労も含めて、良い思い出、そして成長の肥やしと成っています。 それに勿論、経済不安にも孤独にも、程度も捉え方も対処の仕方も色々ありますし、 私の努力や働きかけでこれからどんどん変わりえるでしょう。 私は今、本当に親友と心から呼べる、多くな強力な友達に恵まれています。 大半は、私と志を共にする音楽家で、苦労も音楽のハイも分かち合える、本当の同志です。 その事に関しても、自分は本当に幸運だと思うし、感謝しています。 それに、山田耕筰はその79歳の生涯を立派に全うしています。

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ギャラリー「静」で演奏しました。

日本二日目は三鷹の和風ギャラリー「静」で演奏してきました。 和風の焼き物、ガラス細工、染物など、雰囲気の溢れる素晴らしい物たちが 沢山置いてあるこじんまりとしたスペースになぜか アップライトが置いてあって、ここでの演奏は7年目です。 地域に強く根付いているのは、やはりオーナー原さんの人徳でしょうか? 毎年、必ず来てくださるお客様が一生懸命聴いてくださり、 熱心に音楽協議に参加して下さって、 一緒に「音楽会」の空間を共有、いえ、共同制作してくださいます。 今年はそこに、留学を模索中に私のブログに出会ったと言う 大宮からいらした、ピアニストの方がいらしてくだり、 演奏が終わってからの恒例の食事とワインと歓談の会で、盛り上がりました。 毎年、花束まで持ってきてくださるSさん。 奥様が作ってくれるお料理持参で参加してくれるお店から徒歩1分と言う方も居ます。 私の着物姿のデザインの「ショパンToジャパン」のアルバムも好評で、 皆さんに一緒に祝っていただけました。 14年年目だから、の醍醐味です。 「継続は力なり」と言っていただきました。

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今の私だから弾けるショパン

日本に帰ってきました。 先の帰国は年末年始だったのですが、その後プライヴェートで色々ドラマがあり、 半年前ここに居て家族と同じ食卓に座り同じ様に談話していた自分が これから起こることにまだ何にも影響されていなかったことが信じられない。 実に不思議な気持ちです。 でも、life goes on, and the show must go on。 そして全ては芸の肥やしです。 人生観が変わった私の音楽観も、当たり前ですが大きく変わりました。 2001年に初めて日本での演奏活動をさせていただいたあの頃の自分と、 今ここで14年目の演奏活動を再開しようとしている自分が、 同じ人間、同じ音楽家、そして同じピアニストであることが信じられません。 そんな私を14年間、本当に最初の年から毎年、暖かく見守り続けてくれている 家族を始め、家族のようになって来た支援グループの皆さま、聴衆の皆さまに 今年もお聴きいただけることが、今の私の大きな支えです。 言葉に気持ちを託せると、私は余り思っていませんが、 音楽には今年こそ、託してみたい気持ちです。 台風が接近中ですが、一人でも多くの方にお聴き頂ければ幸いです。 「Chopin To Japan」今の私にしか弾けないショパンがある、と思って準備しています。 7月12日(土)みなとみらい小ホールにて13時半開演!

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今日に至った歴史への感謝

昨日の演奏会は物凄く喜ばれたし、自分自身も意義を感じる会でした。 1829年にウィーンで製造された古楽器で、ソプラノとのリサイタルだったのだけれど(途中でNatural ホルン奏者が三曲参加)、まず会場が凄かった。マンハッタンに現存する最古の建物で、歴史的建築物に指定され、NYCが博物館として管理している1765年の豪邸。マンハッタンの北のハドソン川を望む高台にあって、ジョージ・ワシントンがアメリカ独立戦争の時総司令本部に使っていた建物です。楽器はソプラノ歌手の家族におじいさんの代から伝わって来た物で、おじいさんが別荘を買った際、建物と一緒に買い取ったのですが、その頃にはもう楽器としては使い物にならなくて、ただ単に家具として部屋の隅にずっと置いてあったそうです。この別荘にソプラノは物凄く執着していて、ここで芸術家村のような物を計画して…とか色々夢が在ったらしいんだけど、お家の事情で別荘が売られることになった時、兎に角この楽器だけでも救出しようと、物凄い散財をして運び出し、オランダで修復作業をし、アメリカに空輸して、凄いリサーチをしてこの博物館が時代的にも一番適当と決断、ここに寄贈してこのフォルテピアノでコンサート・シリーズをようやく始めよう!と張り切っている時にこの建物の湿度・温度管理が皆無で、フォルテピアノがまた使い物にならなくなっていることを発見…またもや修復作業。そして、気候が一番安全なこの時期に兎に角一回だけはコンサートをして、その後にもっと湿度・温度管理設備が整っている音楽学校に寄贈することを決定。そのたった一回のコンサートが今回の演奏会だったのです。 古楽器演奏の専門家ではなく、私のような普通のピアニストを起用した理由は、このソプラノ歌手の夢の中に、この楽器で、普段古楽器に触れる機会の少ない普通のピアニストに古楽器演奏の機会を与え、音楽観や視野を広げてもらいたいと言う熱情がもともとあったからです。私は、師事するBrian Connelly氏が古楽器の専門だったこともあり、彼の演奏する古楽器演奏会に聴衆として定期的に参加していますし、参考のために彼の所有する色々な時代の古楽器に触れさせてもらったりもしているのですが、、実際に演奏に向けて練習すると全く気合が違い、今回は本当に開眼の瞬間に多く恵まれました。古楽器と現代のピアノの違いはいわば、普通に喋るのと、演説をするような違いがあります。古楽器の鍵盤は現代の鍵盤の半分ほどの重さしかありません。実際にはもっと軽く感じられ、それまで指をたくさん動かして弾いていたシューベルトやベートーヴェンの速いパッセージやトリルなどは、古楽器では本当に遊んでいるようにより速く、軽やかに、簡単に弾けます。現代のピアノが共鳴に金属盤を使い、スチールのピアノ線で物凄い重量と、圧力がかかっているのに対し、古楽器では全ての部分が木で作られていて、音量はずっと小さい物の、暖かい、無理の無い音がします。でも、音量は相対的なものなのですね。始めは「小さい音だな、可愛らしいな」と言う印象を持つ古楽器の音色が、一度その音世界に入り込むと、その音量と音色の微妙な差の味が味わえるようになってきます。一番びっくりしたのは、低音の魅力。例えばベートーヴェンの月光のソナタのベースなど、古楽器で弾くと本当に打ち震えるように響くのです。とても劇的な効果です。もう一つ古楽器で探求して本当に楽しかったのは「モデレーター・ペダル」と呼ばれるペダルです。このペダルを踏むと、弦とハンマーの間に布が差し込まれ、全く新しい楽器のように音色がガラッと変わります。ハープシコードか、ルートのような音色ですが、音はずっと長く響かせられるし、強弱の幅も広い。ハンマークラヴィアのゆっくりな3楽章にこのペダルの使用が指示されていたので、このペダルの存在は知っていましたが、実際にこの楽章をこのペダルを使用して弾いてみると、これは驚異の効果!現代のピアノでは絶対分かりません。 しかし一番の収穫は、聴衆の反応でした。食い入るように最初から最後まで聞いてくれ、冗談をかませば大笑いしてくれ、最後の音の緊張感が溶けていく瞬間には皆で一緒に大きなため息とともに拍手のポコ・ア・ポコ・クレッシェンド。本当に会場が音楽を通じて一体となってに特別な時空を共有・共感した!と言う、まさに私が目指しているような音楽会となりました。演奏後「宇宙に小さな穴が開いてこの会場ごと皆で2時間タイム・トラヴェルをしたようだった。物凄い体験だった」と言ってくれた人や「あなたの『この楽器の製作者を始め、修復を決断したマルチェラ(ソプラノ)、修復を手がけた修復者や、今日の演奏会を可能にするために寸かを惜しんで調性したステュワート、そして今日の演奏会の企画に関わって奔走した皆、そして今日こうして会場に足を運んだ聴衆の一人一人。全ての人のこだわり、愛情、熱情がこうして歴史を経て今日の演奏会に繋がっているんだな、と実感し、今日ここでこのフォルテピアノを演奏できる自分の運命に感動しています』と言う言葉に感激して涙してしまいました」と言ってくれた人など、本当に音楽人生の醍醐味を今日、味わえたな~、と思いました。 感謝。

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