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ヴァレンタインの日の午後、学校から紹介された、と言って 結構大きな会社のVIPの秘書からメールが来た。 今日が奥さんの誕生日、しかもヴァレンタイン、と言うことで 急遽サプライズでピアニストを呼んで、夕食中のBGMをお願いしたい、との事。 今夜は特に予定が無かったし、受けてみた。 結婚37年目の夫婦。さすがに高級アパートだが、気さくな感じの二人。 二人が意外につましい夕飯を食べている間、ドビュッシーやショパンや 静かで癒し系の曲を5曲くらい弾いた。 一曲ごとに拍手をしてくれる。 むしろ無視してくれた方がお互い気楽かも、と言う気持ちもちょっと在ったが、 でもやはりちょっと嬉しい。いちいち褒めてくれる。 夕飯が終わって、夫が古いポップスのラブソングの楽譜を持ってきた。 簡単な編曲で、問題なく初見できる。 そしたら、最初はもじもじしていた夫が、ピアノの周りを去らないので、何かな~と思っていたら、 2番目から歌い始めたのである。 声が出ていない、息が続かない、そしてこちらまで恥ずかしくなるほど照れまくりながら、 でも、最後まで歌いきった。 「この曲は37年前、結婚式の時歌ってもらった歌なんだ」 聞いて、感動してしまった。 ラブのおすそ分けをもらった感じ。 約束の5割り増しをキャッシュでくれた。 いろんな意味で良いアルバイトだった。
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今学期は「オペラ:1875-1925」と言うクラスを取っている。 ビゼーの「カルメン」(仏)、ヴェルディの「オテロ」、ストラウスの「エレクトラ」(独)そしてベルグの「ヴォツェック」(独)をそれぞれ数週間ずつかけて勉強していくクラスだ。今日は私はヴェルディのオテロについてプレゼンをした。 シェークスピアの悲劇に基づいているこのオペラは1500年ごろのヴェニスの、ムーア人の将軍の話だ。ムーア人というのはぺトルーシュカでも悪役として出てくるが、北アフリカのイスラム教を信じるアラブ系の人たち。当時のヴェニスにはユダヤ人などと共にムーア人と言うのも結構居たらしい。このお話の主人公のオテロはキリスト教に改宗したムーア人。とても尊敬される人望の厚い将軍で、役人の娘と恋に落ちて結婚する。が、オテロに降格された軍人イアゴの企みにのせられ、新婚ラブラブの新妻デスデモーナが浮気をしていると言う疑惑に取り付かれ、殺してしまう。このお話の一番の問題はタイミング。シェークスピアの台本からははっきりとは分からないのだが、イアゴにデスデモーナの浮気をほのめかされてから、実際に殺人に至るまでに数日、あるいはもっと少ない、もしかしたら一日。このお話を解釈する上で大切なキーだ。二つの解釈が可能である。 1.ムーア人と言うのは野蛮人である。どんなに努力してヴェニスで認められる働きをしても、ちょっとのきっかけで火がついて野生がむき出しになる。 2. 「ムーア人」と言う事で、どんなに成功してもいつまでも人種差別の対象のオテロが最愛の妻に裏切られるのではと言う恐れから、嫉妬に走ってしまうのは自然な人間の心理である。 色々な文献を読み漁った。シェークスピアは「ヴェニスの商人」ではユダヤ人差別を扱い、「じゃじゃ馬鳴らし」では女性差別を扱っている。オテロも人種差別に関するあるスタンスを持って書いた可能性が強い。よって2. でも、ヴェルディと歌詞を書いたボイトは英語のシェークスピアから直接オペラを書いていない。そして当時イタリア語に訳されていたシェークスピアの批評文や、訳された台本、そしてイタリア語で上演された「オセロ」の多くは1番の解釈だったのである。何年もこの悲劇と付き合ううちに、当時のイタリア一般の解釈よりはずいぶん2番に近寄った二人だが、やはりシェークスピアよりよほど1番の解釈に近い。 シェークスピアは面白い!高校生の時、ロミオとジュリエットを英語で読まなくてはいけなくて、泣いた。まだアメリカに来たばかりで口語の英語もまま成らないのに、古い英語でつづりも文法されも時として違うシェークスピアには全く歯が立たず、日本語訳で何とかこなした。でも、今回、オセロを英語で楽しめる自分を発見して感慨深かった。そしてシェークスピアがオセロを書くに至った歴史的背景や彼の政治的信念などにかんしての文献が面白くてたまらず、一瞬「これからでも文学専攻したい!」と思ってしまった。
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去年の12月にマサチューセツ州のニュートンと言う町に、銃を持った男が侵入し、 先生を何人かと6歳児を何人も殺すと言う、痛ましい事件があった。 それをきっかけにアメリカでの銃所有権に関する法律の見直しに関する声が高まった。 皮肉なことに、その後も銃事件がいくつか起こり、私の住むヒューストンに近いコミュニティーカレッジでも 2人の生徒の喧嘩が何人かの生徒を巻き込む銃事件に発展してしまった。 銃に関する法律をもっと厳しくと言う世論が、主に民主党が強い州で高まる中、 銃を持つことで、銃を所持する悪人から自分を守る権利、と言うのを主張する人も増えている。 昨日は私は野球のグラブを買うためにスポーツ専門店に行った。 なんと、ここでも銃を売っているのである。 勿論、テキサス州では狩はスポーツだから、そう言うことも在るのだが、 明らかに狩用ではない銃も沢山在る。 そして、私が興味津々で30分ほどうろついていた最中に5本の銃が売られたのである! 平和な土曜日の午後の、ヒューストンでのお話、である。 ちょっとにわかに信じがたい。 私が16の時、平田家は私をアメリカのホームステー先に残して帰国。 その一年後くらいに、ホームステーをしていた日本人の男子高校生が ハロウィーンパーティーの仮装をして、間違えた家を訪ねてしまい、 「Freeze!(「動くな!』と言う意味だが、直訳は「凍れ」」と言う英語が分からず、 警告を無視して、危機を感じた家の主人に射殺されてしまったと言う事件があった。 その後、アメリカに子供が居る母親たちが中心となって、 アメリカ政府に銃規制法の見直しを要求する署名運動が起こり、 私の母も一時熱心に関わっていた。 あれからもう10数年、である。
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プロコフィエフのピアノ協奏曲3番―なんとも体力と筋力を必要とする曲である―を練習中。 何しろ大きな和音をバンバン弾いたりするので、他の練習室よりも廊下に響く。 「昨日プロコフィエフ練習してたの、マキコ?You sound GREAT!」と褒められたりすると、 張り切ってもっと大きな音で練習したくなってしまう。 しかし連続和音は息が切れる。そして上腕の筋力、さらに腹筋力、背筋力の必要性を感じる… プロコフィエフは渡米の途中、シベリアから日本に行き、船を待つ最中2ヶ月ほど日本に滞在。 その間(ピアノが無く、作曲活動が限られたため)短編をいくつか書いている。 この短編と言うのは、現在ロシア語と日本語訳でしか手に入らないそう。 ちなみにプロコフィエフの日本滞在は1918年、そしてこの協奏曲の作曲は1917-21. この曲に日本の影響が現れているか、と聞かれれば、そう思って聞けばそうも聞こえる。 天正遣欧少年使節のリサーチの時に身にしみて分かったが、 船旅と言うのは本当い海の状態と、船の有無に左右されたようだ。 それでも20世紀初期にも、船を待って2ヶ月待ちぼうけ、と言うのは驚嘆! でもそれでプロコフィエフが親日家になったのなら、そう言うめぐり合わせに感謝、である。
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今回久しぶりに寝込んで、体力のありがたみをしみじみと再確認した。 体力があるときは、やる気が出る。集中力がある。物事に意味を見い出しやすい。楽しい。 と、言うことで風邪の症状がなくなり始めた頃から、体力をつけるべく、試みを始めた。 始めは「日向ぼっこ」とでも言った方が良いような速度で散歩。 ペースと距離をちょっとづつ上げて行ってその度に散歩がどんどん楽しくなる。 それにストレッチ運動を加え、次にYoutubeで「ラジオ体操」! (そう言えば、夏休みに朝の6時半にラジオ体操に出席する義務があったよな~) 悲しいことに、ラジオ体操の翌日はなんと、筋肉痛… でもめげず、次の日も続け、週末は友達と外でキャッチボール。 私は病気勝ちだったし、ピアノのために手をかばう、と言う事もあって、 体育の時間も休み勝ちだった。 ミットをつけてキャッチボールをするなんて生まれて初めてである。 でも、凄く楽しい! ちなみに今週末のヒューストンは20度代。 ニュースでアメリカ各地の厳寒について大騒ぎをしているのがうそのようである。 ニューヨークでは、火事を消そうとしても、ホースの水が凍ってしまい凄い難儀だそうだ。 病み上がりの体には、外でキャッチボールをして軽く汗をかけるヒューストンの気候がとても嬉しい。
