今年の夏のプログラム,「東洋を夢見る西洋音楽」について

今年の夏の選曲を一生懸命行っています。
リサイタルのトップバッターはモーツァルトの「トルコ行進曲」が最終楽章のイ長調ソナタ11番、KV331。
一楽章と二楽章は以下にもクラシックと言った変奏曲とメニュエット。そこで「ピアノ独奏会に来たな~」と言う気持ちを確立して頂いて、有名な三楽章「トルコ行進曲」に突入。ここで「東洋との遭遇」になります。なぜこの曲が「トルコ」なのか、と言うのは一瞬のデモンストレーションで一目瞭然です。ここで「東洋」の大義、さらに私がこのリサイタルプログラムをデザインするに至った思考を説明します。西洋音楽を専門する日本人として、日本と西洋音楽の最初の接触以来の発展の歴史を勉強する意義を感じたこと、などです。
モーツァルトのソナタは意外に全楽章で24分ほどかかります。前半の残りは主に日本人作曲家の曲を弾いてみようとおもっっていますが、その前に私がこの学年度リサーチをした「天正遣欧少年使節(1582-90)」について少し話しをしようと思います。ポルトガルから来た宣教師に洗礼と教育(音楽を含む)を受け、ヨーロッパに送られて日本での宣教活動の報告と資金援助の要請をスペイン・ポルトガル・ローマの貴族や法王に行った、4人の十代の少年たちが、日本からヨーロッパに向けて正式に送られた最初の使節団です。彼等は無事日本に帰国し、豊臣秀吉の前で持ち帰ったチェンバロ、ハープ、ヴィオラ・ダ・ガンバなどを使って御前演奏をしました。その時の曲が何だったのかと言う記録は残っていないのですが、今ではジョスキン・デ・プレの「千の悲しみ(Mille regretz)」と言うシャンソンであったのではないかと言う音楽史家、皆川達夫氏の説が広く受け入れられています。この曲をルート用の変奏曲にしたものがあるので、まずそれを演奏しようと思います。
まず、山田耕作(1886-1965)のピアノ曲を二、三曲弾こうと思っています。山田耕作一般的には「赤とんぼ」など日本語の抑揚を活かした、親しみ深いメロディーで多く知られていますが、ベルリンで留学中にはマックス・ブルックなどと勉強し、日本人としては初めて交響曲やオペラを作曲し、海外で演奏され、評価を受けた最初の日本人作曲家です。彼のピアノ曲はかなりの量になります。私はピアノ全曲集を最初から最後まで何回か読み通して見ました。「スクリャービンに捧ぐ」と題された二曲の曲集はいい曲ですが、すでにYoutubeでいくつかビデオが発表されており、出来ればまだあまり知られていない曲を紹介してあげたい。http://www.youtube.com/watch?v=iwB4rt7cItc
でも、あまり難解なものや、単純すぎる物、彼のベストでは無いものを選曲してしまって、彼について間違った印象を残してしまってはいけない!
選曲にこんなに責任を感じ、悩むのは久しぶりです。自分の美的センスが問われる作業です。
他に、やはり武満徹(1930-96)はどうしても入れるべきでしょう。
時間的には、あともう一人くらい選べるのですが、これが又難しい。
色々考えています。
滝廉太郎(1879-1903)の「メニュエット」と「憾」と言うそれぞれ2分30秒くらいのピアノ曲があります。彼は結核で亡くなっており、病気を広げないために未発表の作品は全て焼却処分になったそうですが、メニュエットは初期作品、「うらみ」は遺作だったのと、彼自身は途中で断念した留学先で知り合った日本人女性のために書いた曲であったため、彼女の元に郵送されて、残ったようです。従って、この曲を弾くか、滝廉太郎は断念するか、と言う選択になります。私は「メニュエット」方が好きです。
滝廉太郎は音楽での日本国費留学生第2号で、第一号は幸田延と言う女性です。彼女は残念ながらピアノ独奏曲を残していませんが、ヴァイオリンソナタなど、多数作曲もこなしました。彼女が作曲した横浜平沼高校の校歌は聴いたらびっくりしますよ。(幸田延は山田耕作も、滝廉太郎も教授しています)

後半は、「東洋」に触発されて書かれた曲たちです。
トップバッターはラモー(1683-1764)のオペラ・バレー「インドの優雅の国々(Le Indes Galantes)(1735)」からの抜粋を作曲家自身がハープシコードのために編曲した曲集からさらに抜粋します。このオペラ・バレーのあらすじは、『破壊的な戦争では無く、愛を!』と言うメッセージの元に愛の妖精たちがそれぞれトルコ、ペルー、ペルシャ、そして「未開の土地」に行き、恋人たちの縁を結ぶ、と言う筋です。このあらすじは色々、意味深です。まず、ヨーロッパから見た「東洋」の大義。それから器楽曲(歌とは違って言葉を要しない)の国境・文化・言語を越えた共通性の大義。実際、最初は歌の伴奏として発展した器楽曲が独立したジャンルを確立する過程にはそう言う思想がありました。
それから、沢山の小品を弾きます。(順番はまだ未定)
バルトークの「アレグロ・バルバロ」。バルバロというと、北アフリカのイスラム系の人種(ムーア人)が住む地域になります。英語で「Barbaric」と言うと「野蛮な」と言う意味になりますが、語源はこの地名なんですね。シェークスピアの「オテロ」の主人公はバルバロ出身のムーア人ですし、ストラビンスキーのぺトルーシュカにもムーア人が出てきますよね。でも、このバルバロも「東洋」に入っちゃうんです。ちなみに大きな意味ではユダヤ人も、ジプシーも「東洋人」です。
それからスペイン出身の作曲家、アルベニスの「Orientale」、ラヴェルの『マ・メール・モア』より「パゴダ(多重の塔)の女王レドロネット」、ブゾー二の「テューランドットの居間(曲集『エレジー』より)など。
そして最後はやはり東洋音楽を西洋音楽にとり入れることを一番積極的に開拓したドビュッシーの『映像』二巻目。
どうでしょう?曲目のご指摘などございましたら、どしどしお願いします!

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