• ここ数日、修羅場を経験した。 私はLAに在る学校からも全額奨学金のオファーを受けたのだが、それを蹴ってヒューストンに行くことにした。 それを私からの個人的な拒絶と感じた何人かの友達や、音楽関係者と非常に感情的なやり取りが何回かあった。 私だって、LAには郷心が付いている。 去るのは辛いし、自分の決断が本当に正しいのか疑問も不安もある。 だからつい声を高らげてしまう。 そして普段ならお互い笑い出してしまうようなくだらない水掛け論を 本気になって凄い時間とエネルギーを費やして延々と繰り広げてしまう。 むしろ喧嘩別れした方が辛くないから喧嘩してしまうのかも知れない。 一人で身も蓋も無く泣いたりした。 人と居る時は大丈夫なのだが、一人だと泣けてしょうがなかった。 SOSを受けて友達が一緒に居てくれるのだが、練習と睡眠は一人で無くてはできない。 寝入りばなに何度も泣きだして目が覚めて、眠れない日が二晩続いた。 練習しようとしても涙が出てくる。 それでも段々落ち着いてきて、泣く回数が少なく成って来て、面白いことに気が付いた。 他の曲は大丈夫なのに、ショパンになると泣けてしまうのである。 なんでだろう。 ショパンはやっぱり何か特別なんだと思う。 ちょっと垢ぬけない泥臭さが時として在るけれど、それが人間的なんだと思う。 実直と言うか、本当にストレートに感情的なのかなあ? 今はもう大丈夫。今日は泣かずにショパンも弾けました。 皆とも仲直りしたし。 私はコルバーンで、本当に親しい友情を培ったし、色々な人に本当に良くしてもらった。 去ることをそんなに怒ってもらえるなんて、光栄だと思う。

  • 人生の過渡期にあって、余裕が無い。 4年間暮らしたLAで出会った一人ひとりにお手紙を書こうと思っていたのだが、 どんどん時間が無くなって来て、 昨日(全くご挨拶せずに去るよりは)と思って一斉メールを出してしまった。 ブログにも色々書きだそうと思っていたのだが、余りに大きなトピックで、 書こうと思うと気分が萎えていつも一日延ばしにしてしまい、今日に至った。 もう少し時間が出来たらもっと内容の在ることを書くので、 とりあえず昨日送った一斉メールのコピーペーストで許して下さい。 「お陰さまで四年間のコルバーン・スクールでの修行を来る5月10日で無事終了し、卒業いたします。 卒業後は、ヒューストンのRice UniversityにあるThe Shepherd School of Musicと言う所で、 演奏博士課程(DMA)を修めることにいたしました。 The Shepherd Schoolのオーケストラは全米一、二位と言われており、素晴らしい常人指揮者が居る所です。 石油のおかげで芸術に対する支援も盛んで、コンサートも多く在るそうです。 学校のホールや練習室と言った設備も抜群です。 ニューヨークやロサンジェルスへの郷心は強く、最後の最後まで迷いましたが、 ライスからは全額奨学金とさらに生活費を出して頂けるとのことで 結局お金の心配をせずに勉強と練習に没頭できると言う好条件と、 ライスとそしてThe Shepherd School の評判の高さ、 それから新地への興味でライスを選びました。 十日の卒業式の後、一二日に日本に発ち、演奏会を幾つかした後、 去年に引き続きボストン交響楽団主宰のタングルウッド音楽祭にて 研修生として二か月勉強、演奏いたします。 その後、八月中旬にHoustonでの新生活が始まります。 LAでの4年間、本当に色々な方に暖かくご支援頂きました。 感謝の念に堪えません。」

  • 練習とリハーサルと、これから計画的にやらなければいけないコルバーン卒業後の引っ越しの準備で結構忙しいのだが、チャンと本は読んでいる。息抜きに欠かせない。 私は柳澤桂子と言う人は今まで全く知らなかったし、この本も本当に偶然にタイトルだけ見て図書館から特に意味も期待も無く借りてきた「意識の進化とDNA」と言う本だが、とても面白く読んでいる。まず題からは想像もしなかったが、これは小説の形式を取っている。偶然出会った、生命科学者の男性とコンサート・ピアニストの女性が、生命科学と芸術の対話をする、という簡単な背景で、趣旨は筆者の専門と人生経験を通じて検討した人生感と生きる意味だと思う。この人は非常に有望視された生命科学者でありながら30歳を皮切りにずっと原因不明の難病と闘い続けたようである(現在70代)。それで研究所の仕事も解雇となり、そんなことから執筆を始めたようだ。科学についての知識の乏しい読者の為に、生命科学を分かりやすく、興味が持てるように色々説明してあって、私にもとても分かりやすいし、面白い。例えば記憶の仕組みとか、それからリズム感についてもとても面白い話が在った。 聾唖者で打楽器奏者のエヴァリン・グレニーの話しから始まって、生まれつきの聾唖者でも詩にとても効果的な韻を持たせる人が多いと言う統計の紹介、聴覚障害のあるバレリーナの話しなどが紹介され、その後、リズム感と言うのは先祖代々の記憶と体内リズムで感じられるものであって、必ずしも耳で聞くものでは無いと言う主張がなされる。それを立証すべく、例えば心臓は切り刻まれても、適当な液体につければ一定のリズムで鼓動を続ける、とかアメーバのリズムの話しとかが紹介される。私にとっては本当に目からうろこ!と言う感じ。 この本は「出会い」と言う感じがします。次に帰ったら購入したい本です。

  • これから5月のリサイタルに向けてかなり集中して練習しなければいけない。 上手く気分転換をすることが効率の良い学習に欠かせない、と脳みその本で読んだ。 睡眠が記憶を助けるとも読んだので、少しでも眠気を感じたらサッサと学校内にある寮の自分の部屋に戻ってちょっと昼寝する。チャンとパジャマに着替えて、カーテンを閉めて寝る。別に目覚ましはかけないが、普通は絶対15分で目が覚める。でも、自覚的には何時間も眠ったような、世界が変わったような気持ちがする。いつも時計を見てびっくりし、そして「本当に有効に時間を使ったなあ」と、とっても満足した気持ちになり、サッサと練習に戻る。 今日は、運動で気分転換を試みてみた。体操着に着替え、寮の地下にあるジムに行って、走る。呼吸が上がり、汗が一杯出る。(脳内モルヒネ、脳内モルヒネ)と呪文の様に唱えながら30分走る。確かに凄く明るい気持ちになって、目がぱっちり覚めた感じがする。 楽しく、効率よく、頑張る!

  • 先週は本当に色々あった。その中でも、これからずっと覚えていて、音楽の道を進んでいく上での活力にしたい、と思うことがいくつかを書き出してみたい、と思う。 ストラヴィンスキーのオクテットはフルート、クラリネット、バスーン二人、トランペット二人、トロンボーンとベース・トロンボーンと言う編成のかなり入り組んだ曲だ。テンポが途中で変わったり、小節ごとに拍が変わったり、楽器が小節の思いがけないところが吹き始めたりするので、指揮のオーディションに良く使われるらしい。この曲の自分の指揮をヴィデオ録画するにあたって、一緒に演奏してくれた子達の熱心な姿勢に凄く励まされた。皆、私が自分の音楽的解釈を伝えると、凄く一生懸命それを実現してくれ、凄く楽しんで一緒に音楽してくれて、「どっかで演奏する機会は無いかなあ?」と結局だめだったのだけれど、色々あたってみたりしてくれた。トランペットの一人はたまたま来年私と進路が同じなのだが(これについては、近いうちに公表予定)「来年、リサイタルでこの曲やるから、マキコ指揮してくれる?」と言ってくれた。「え? でも、私より経験の多い指揮者は他に一杯いると思うんだけど」。。。嬉しかったけど、私は彼に一番好条件でリサイタルをして欲しかったから、こう言ってみたら、彼が口をとんがらかして「だから、何?」と言ってくれた! 凄く、凄く嬉しくて「分かった、喜んでやらせてもらうね。それまでに一杯勉強しておくよ。」と約束した。 昨日のオーボエのリサイタルは、非常にうまい(先生も口があんぐりするくらい上手い)、ちょっと異色のJ君とのリサイタルだった。彼がなぜ異色かと言うと、まず普通の木管奏者と違ってプロのオーケストラでのポジションを全く欲していないこと。今まで何度もオーディションに受かっているのだが、「このオケは上手く無い」とか、色々な理由を付けて、全て蹴ってしまっている。そして彼がオケの仕事が欲しく無い理由の一つは、彼がとても熱心なユダヤ教徒で金曜日の日没から土曜日の日没までは、宗教的な理由により「仕事」をしてはいけない、と言う掟がある、と言うこともある。例えば、学校のオーケストラはいつも土曜日の夜8時からなのだが、彼がオケに載った場合、ドレス・リハーサルは、他のオーボエの子が代役を務め、彼は本番だけ乗ることになる。学校のオケだからこれでまあ、何とかなるが、プロのオケなら、勿論許されることでは無い。彼はとても音楽的だし、時々凄く面白い冗談を言うのだけれど、そう言う宗教的なこと(例えばいつもユダヤ教の男の人がかぶる帽子を被っている)で、少し社交的に浮いていた。私もとても近くお友達づきあいをしていた訳では無いのだけれど、彼は私のことをとても評価してくれていつも共演を持ちかけてくれていた。今回、お互い卒業間近になって初めての共演がやっと実現したわけだけれども、私はリハーサルの過程において、彼の音楽に対する真剣な姿勢と、とても深い思考レヴェルにとても感銘を受けた。リハーサルの最中は音楽解釈において、そしてリハーサルの前後は人生の倫理や、音楽人生に関する考えについて、色々、凄く感慨深い会話を沢山、沢山した。そしてむしろリハーサルよりもこうして会話をしたことで、共演がお互い気持がぴったり合って、本当に(自分で言うのもなんだが)ハイ・レヴェルの演奏が出来たと思う。先生も「普通の解釈とはかなりかけ離れているけれど、二人が心から同意してやっているから納得して聴いてしまう」と言ってくれた。私はやっぱり少し偏見が在ったなあ、と思う。普通で無い格好、普通で無い慣習を敢えて貫き通す彼と、近しいお友達に、気心の知れた共演仲間になれない、となんとなく決めていたと思う。いつも、いつも共演を誘ってくれたのに、今まで断り続けていたこと(他に色々忙しかったからだが)、今になって悔やまれる。良い体験をして、良い教訓を学んだ。 音楽はやっぱり凄いなあ、と思う。