-
あしたから一泊二日でキャンプに行こう!と友達に強靭に誘われている。確かに動かせない予定は無い。月曜に立って10時のピアノ・クラスまでに帰ってくる、と言う約束を取り付けた。友達は張り切って必要な食糧の買い出しは全て済ませてしまった模様。この頃は色々イベントが沢山在って、ちょっと練習が。。。指揮の準備もしないと。。。 でも、不思議なものできちんと遊んだ方が遊びの前の楽しみにしている時と、遊びから帰って来て嬉しいエネルギーが一杯の時の練習の質が良い、という発見はこちらに来てこうして強靭に遊びに誘われ続けているうちに発見した。そして上手な子程、積極的に遊んでいる感じもする。う~ん、でも今回はきついかなあ? でも、卒業後多分カリフォルニア州を去る私には最後のキャンプとなるかもしれない。。。 う~ん、悩んでいるうちに少しでも多くとりあえず練習しておこう。もしかしてキャンプに行くかもしれないし。
-
今日は午後、ジェニーのオーボエのリサイタルに出演した。テレマンのオーボエ・コンチェルトは弦楽四重とダブル・ベース、そしてチェンバロの伴奏で、私はチェンバロを担当した。経験は多くは無いのだけれど、結構ソロも在って楽しく弾けた。それからデュティユ―のオーボエ・ソナタ。この曲はオーボエには超絶技巧らしいけれど、ピアノも決して簡単ではない。でも、とても素晴らしい曲だと思うので、気合いを入れて準備して、気合いを入れて練習しました。良い曲を弾くのは楽しい。 演奏の後は意識がちょっと日常から離れる。すぐに雑用や演奏に戻れない。そこで、今日はオペラを観に行きました。LAオペラと、LAオペラの常任指揮者のジェームス・コンロンの共同プロジェクトで「リカヴァード・ヴォイシズ」と言う、ナチスが抹殺したために上演されなくなり、その為埋もれてしまったユダヤ人作曲家によるオペラを探して上演してりヴァイヴァルさせましょう、と言うもう何年にも渡ってやっている企画の一環で、今日はシュレッカー(Schrecker)と言う20世紀初期のウィーンの作曲家の「Die Gezeichneten(The Stigmatized)」を観ました。舞台から何と3列目の席が手に入ってしまい、舞台の上に在る字幕と舞台で進行していることを同時に見るのにちょっと苦労したけれど、音響は素晴らしく、指揮も歌手の演技もばっちりまじかで見れたし、とても楽しみました。 オペラが終わったら随分夜遅く、急ぎ足で学校に戻ったら、一年生と二年生の男の子二人と丁度出くわしました。彼らの方が私の10歩程先を歩いていたのですが、二人でまるで申し合わせたように学校に入るドアを右と左で「サッ」と同時に私の為に開けてくれたのです。何だかお姫様になったみたいで嬉しかった。この右の一年生の男の子はチェリストです。父親が有名な指揮者らしく、結構周りがちやほやしているのですが、本人はそう言うことにはまったく無頓着で、私にはそれが頼もしく見えます。例えばこの前のパーカッション・アンサンブルのスティーブン・ライヒのセクステットでピアノ・パートを引き受けたり、学期末で皆が段々忙しく、余裕がなくなって来ている時に色々な演奏に積極的に参加したりしています。私は来週、自分の指揮のヴィデオを製作せねばならず、その為の弦楽奏者9人と管楽器奏者8人を集めるのに結構苦労しました。皆、「助けたい」と言う気持ちは山盛りなのですが「今ちょっと苦しいの。許して」とか、「自分のリサイタルが迫っていて間に合わない」とか、最終的にはOKをくれる子でも「予定を確認してから」と言う人がほとんどだったのですが、この子だけは頼んだら即答で「喜んでやります。是非、やらせてください」と言われて、正直びっくりしました。その言い方はもう、主義、と言う感じで(この子はもしかしてそう言う風に「頼まれたら断るな」、と教育されているのだろうか)と思いました。何にせよ、それで私が非常に嬉しかったのは事実だし、私の中でこの子の好感度は200%アップしたし、自分もこれからは誰かに物を頼まれた時、即答出来る時は「喜んで」と言って引き受けよう、と思いました。
-
練習に本当にノル一日、と言うのは、朝から違う。 私は大体朝食の直後、朝一番に簡単なウォーム・アップから始める。自分の姿勢と呼吸、自分と鍵盤の位置と関係、そして自分の体の重さと動きと血のめぐり、などを確認するような、簡単なものだ。ところが、ノル日と言うのは、この段階ですでに脳みそが色々な発見するのである。昨日はこういうノル日だった。 簡単なスケールを弾いていた途端、脳みそが「ビビビビ!」となった。(何だか、今のスケールはリズム感が良く無い、なぜか。テンポは一定してるし、音の粒はそろっているし、特に目立ってリズムが間違っているわけではないのに、垢ぬけない。なぜか。リズム感とは何か)と始まり、(リズム感と言うのは、ただ単に正確に時を刻むということでは無い。もしそうならば、時計の秒針や、メトロノームのリズム感が良い、と言うことになるが、決して私たちはそう感じない。じゃあ、リズム感とは何か。それはもしかしたら方向性のある拍、と言うことではないか。)とこれはずっとスケールを弾きながら、リズム感を良くするべく試行錯誤しているうちに脳が勝手に独語しているのである。方向性のある拍、だけではない。性格のある拍、とでも言おうか、主張のある拍なのである。そして拍と言うのは、独立して方向性や性格を持てるものではない。全て周りの拍との関係、総合的な強弱や音色や非常に微妙なタイミングによって、初めて方向性や性格を持ち得るものなのである。。。発見! こういう練習はワクワクするし、こういう風に始まった日は一日中練習が凄く楽しい。
-
私の友達のジョンは美味しい物を食べないと良い音楽が出来ないと信じている。 私は勿論、美味しい物は大好きだが、食事自体が凄く好きで「美味しい」とか「美味しく無い」とか以前に、どんなものでも興味を持って食べることが出来る。「なぜ自分はこの料理をまずいと感じるのか、材料は何か、調味料は何か、自分にとって『まずい』とは何か」と考えながらもぐもぐやっていると、結構何でも楽しく食事が出来てしまう。それを持ってケチなので、美味しい物を食べるための努力と言うのはジョンの様な友達に無理やり連れて行かれないと、しない。ジョンはもう2年程「トロと言うものが食べてみたい」とずっと私に言っていた。私は(トロは高いしな~)と思いながら「じゃあ、来週ね」とか「来月ね」とか、適当にかわしていたが、ついに今日ジョンと二人で連れ立って寿司屋に行った。 そして、私はちょっと反省した。 本当に美味しい物を食べると、こんなに満ち足りた、幸せな、楽しい気分になれるんだなあ。 ジョンとの会話もいつもにも増して充実して、その後二人でバリバリ練習した。 そして(この店はいつも人が並んでいるなあ)と思っていた寿司屋に行ったのですが、びっくりするほど安くて、そしてとても美味しい寿司だったので、これからも行こうと思います。ロス近辺にお住まいの方、リトル・東京の「ハマヤ」と言うお寿司屋さんです。
-
今日、素晴らしい室内楽経験をした。 ブラームスのピアノ四重奏(ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)の2番の特に2楽章(作品26)は、本当に美しい曲なのだが、今日私の先生にレッスンしてもらって、このグループで初めて息がぴったり合い、お互いの考え、感じていることが手に取るように分かり、一緒に音楽を創る、と言う域に達したのだ。このグループはコルバーンの中でも特に選りすぐりの弦楽器奏者が集まっている。オーケストラの座席も主席や、主席のアシスタントに選ばれることが多い3人だ。ところがなぜか、音楽的な話しになると表現の仕方も、テンポの感じ方もずれが在り、最初に一緒に弾こうと決めた時は皆凄く興奮していたのに、リハーサルも間遠になっていた。でも、今日先生の指示が始まったら突然、皆の気持ちの方向性が一瞬にしてぴったり合ったのだ。後はもう、今までの苦労が嘘のように簡単に、それぞれが自由に音楽が出来た。 そして、不思議なことに気が付いた。 私がここ数日ずっと気にしてた手の痛みなのだが、レッスンが終わって気が付いたら全く無くなっているのだ。レッスンの最中はもう無我夢中で汗が出るほど集中して一生懸命弾いていたから微妙な手の痛み位気がつかなくて当たり前だが、レッスンが終わってからもずっと痛くないのである。 これは昨日のパーカッション・アンサンブルの演奏会の後でもちょっと思ったことだ。スティーブン・ライヒと言うミニマリストの作曲家のセクステットを弾いたのだが、ミニマリストとの音楽と言うのは時間の感覚が変わる位同じパターンを繰り返し、しかし意識的には分からない位ずつそのパターンを非常にゆっくりと変更していくことによって、曲を発展していく。だから同じ和音を本当に数分にわたって繰り返し打ち続けたりする。この演奏会は、本当に手のことが心配だったが、コンサートをキャンセルするわけにはいかない。ところが、演奏会では皆、奏者も聴衆もノリノリになって、私も弾いてて凄く楽しく成って来てしまったのである。演奏の途中で一瞬(ヤパイ、今痛みを感じないのはアドレナリンのせいだから、少し手加減して弾かないと、余計手が痛くなる)と思ったのは覚えているのだが、もうステージの上の皆が興奮しているから、私も巻きこまれてガンガン弾いてしまった。ところが終わってみて、全然痛く無かったのである。 やっぱりこういうのは心理的要素がとても大きいのかも知れない。 それか、音楽の、あるいは音楽に喜びを感じる心の癒しのパワーと言うのは、想像以上に物凄いのかも。
