褒められた!

レッスンでショパンのポロネーズ(嬰へ短調、作品44)を弾いた。 先生に「これは本当に男性的な曲で、女性の演奏で満足したのは今までで君だけだ」と言われた。 「!」と、引っかかる褒め方だったけど、やっぱり嬉しかった。 確かにこの曲は大きな和音や、オクターブが連続するので、小手先では弾けない。 この曲をたくさん練習すると、上腕と背筋が疲れる。 でも、筋肉で弾くか、と言えばそういうことでもなく、脱力して、重みと勢いで弾いていると思う。 本当にこういう曲は女性には向かないのか。 本当に女性と男性でそんなに弾き方や、合う曲は変わるものなのか。 お寿司を食べながら、同じ門下の男性ピアニストと結構感情的にこの事について議論したことがある。 彼曰く、女性の音は男性より小さく、生演奏なら奏者を見なくても男か女か分かる。 私は、それは個体差、個性があり、確かに一般的な傾向と言うのはあるかも知れないが、 だからと言ってひとくくりに「女性は」「男性は」と言える問題では無い、と反論した。 舞台で弾く自分の音を自分で客席から聞くのは不可能だが、私はよく「音が大きい」とコメントされる。 そのことを頼りに、同じ門下で繊細さを良く誉められる男子生徒より私の方が音が大きい! とはったりをかました所、議論の相手はぐっと詰まって「彼は菜食主義だから」とほざいた! ここで私は「議論に勝った!」と宣言し、次のお寿司をおごってもらう約束を取ったのだが、 今思い出したが、お寿司はまだおごってもらっていない。 でも私だって「この曲は体が大きくて、体重の重い人の方が得だな」と思う曲はある。 例えばブラームスのピアノ協奏曲2番。 タングルウッドの最後の演奏会でのギャリック・オールソンの演奏は今でも忘れられないが、 彼は本当に巨体の持ち主で、ピアノの鍵盤の下に膝が入りにくそうだし、 固太り、と言うかがっしりした体形なので、座っていても実に安定している。 ふぃ~ん、やけ食いでもして、体重増やそうかなあ。。。 「女性だから」とか「女性なのに」なんて、言わせないぞ!

褒められた! Read More »

笑いの必要

ずっと眠れない。 眠れないから悩んでしまうのか、悩んでいるから眠れないのか、もう分からない。 悩んでもショウガナイことばかりだし、元気な時は鼻先で笑っちゃうくらい小さな悩みばかりなのだ。 でも、眠れない夜には本当に悩まされる。 寝ようともがくと邪念に苦しむから、ガバっと起きてとりあえずしなければいけないことを片付ける。 野暮用が多いのだが、それでも少しずつ片づけていくと気がまぎれる。 そうしていると朝になってしまう。 疲れてはいるが、眠気は無く、そのまま練習に向かったりする。 そうするともう晩には夢遊病者状態。 感覚がいつもの半分くらい。 カーテンを通して世界を経験しているよう。 そんなとき、学校から招待券をもらって現代曲ピアノ・リサイタルを聴きに行った。 ピアノの生徒の皆と一緒だ。 今夜のメキシコ人女流ピアニストが、主に南米の作曲家たち12人に Pedro Paramoと言うメキシコ詩人の作品への反応としてピアノ曲を作曲するよう依嘱した。 その結果を12曲並べて2時間のピアノ・リサイタルにしたプログラムだ。 曲の合間に、それぞれの作曲家が取り上げた文章がスペイン語、その次英語で ピアニスト自身によって読み上げられる。 始めは面白いリサイタルになるか、と思った。 紫色の照明で、舞台は不思議な雰囲気に包まれ、 ピアニストの声はハスキーで詩の朗読はゆっくりととても心地良かった。 ピアノ演奏も中々良い雰囲気で始まり、曲も美しい。 一曲目、二曲目と進むうちに(?)となってきた。どの曲も同じに聞こえる。 もしかしてこの人は、どんなテンポ指示も強弱記号も無視して、 弾けるように、もしくは弾きやすいように、弾いているんじゃないか? よってどの曲もスロー気味で、思わせぶりな、残響をいつまでも聞くような、弱音続きになる。 そして極みつけに、二つの音をただやたらと連打し続ける曲が在って(本当に3分くらいそれだけ) 私たちは、静かに笑い始めてしまった。 休憩中、目と目で通じあって会場を退出して、ピアニスト仲間同士、外に出たとたん爆笑大会になった。 ちょっと意地悪だったかもと反省の念もあるけれど、それよりも本当に正直に、素直に、心の底から 「笑わせてくれて、ありがとう」 普段の私は普通の人がびっくりするくらい、大声で頻繁に笑う。 でもこの数日間、そう言えば全然笑っていなかった。 笑って、みんなで一緒にお腹が痛くなるくらい笑って、本当にすっきりした。 糞まじめを笑い飛ばす勇気と元気と強さを持ちたい。 豪快な楽観性と、荒削りな態度を持ちたい。 今日は笑って、それに一歩近づいた。 今夜はちゃんと眠れるように。

笑いの必要 Read More »

嬉しかったこと

今日の夕焼けは格別だった。 友達と外の芝生で夕飯を食べながら、 自分たちの将来や音楽業界の将来について結構真剣に話をしていたのだが ふと気がつくと、雲が美しいパターンを描いて、夕焼けを金色に反射していた。 どんな統計が、これからの音楽業界の先行きの不安を描き出したとしても、 私にとって音楽とはもう宗教の様なものなのだ。 人類にとって、と言うのはおこがましければ、私にとって、 音楽と言うのは感性を研ぎ澄ましてくれ、生きていることの実感を与えてくれ、 信念を持つことを教えてくれる、私が成りたい私になるために不可欠なものだ。 そのための犠牲は、私は悔いは無い。 私は音楽に巡り合えて幸運だった。 それに、一生懸命何かをやっていると、同じく一生懸命な人と、親身な友達になれる。 私は楽観的に、毎日一歩一歩、自信を持って修行を重ねていこうと思う。

嬉しかったこと Read More »

演奏会後の不眠

昨日の夜は眠れなかった。 疲れていて11時に就寝したのだが、1時半に目が覚め、そのあと寝たり起きたり朝まで過ごした。 目が覚めるとなんだか心臓がどきどきして、色々気になって寝ていられない。 起き上がって、ちょっと勉強してみたり、水を飲んだり、物を食べたり、読書をしたり、 リラックスして自分をなだめて、なんとか睡眠までこぎつけようと工夫をするのだが、 工夫の後やっと睡眠にこぎつけてもまたすぐ眼が覚めて、繰り返し。 こんなにひどいのは珍しいが、演奏会の後はたいてい眠るのに苦労する。 頭の中で音楽がぐるぐる鳴っているのである。 反省点が急に次々出てきて、「穴があったら入りたい状態」な時もあるし、 次の演奏に向けての課題を急に思いついて、闘争心に燃え盛る時もある。 また、あまりに楽しくて嬉しくて、にやにやにやにや、眠れない時もある。 今回のは少し違って、土曜日の夜の演奏会の副指揮の興奮で眠れなかったのである。 土曜日は4~6時まで演奏会場でのサウンド・チェックおよび最終リハーサル、 そして8時から本番、と言うスケジュールだった。 副指揮者として、その夜の指揮者のアシストを務めるとともに、 指揮者に何かあったら代役を務めるつもりで挑まなければいけない。 まず、4時のリハーサル開始に、渋滞に巻き込まれた指揮者が10分遅れてきたのである。 その10分、私は気が気でない。 調弦だけでも始めさせるべき?最初の曲、振り始めるべき? やっと指揮者到着。 そして、リハーサル開始後、曲が進行する中、指揮者が振り返って「どう?」と聞くとき、 いったい何と返事をすればいいのか。 細かい問題点はたくさんあるのだ。 しかし、リハーサルの時間は限られているし、本番は数時間後。 結局「いいです!」と答えるしか、私には思いつかない。 作戦を変えて、大きな問題点をノートに書き取り、リハーサルの後で指揮者に渡した。 そして木管や、打楽器に個人的にアプローチして、随処の問題点を質問と言う形でやわらかく指摘。 皆に本番でベストを出してもらいたい。 でもそのために何をいつ、どう言えば良いのか、経験不足な自分が本当に歯がゆい。 今週のリハーサルは毎日出席して、総譜も勉強し、注意点も書きこんだ。 でも、副指揮者としてそれをどう活かせるのかが、うまく掴めない。 そして本番中、なまじ難しい所や、落とし穴を全部知っている分、自分で演奏するような緊張感。 どうしても力が入り、指はトントン拍子を取ってしまう。 演奏会はとても良かったのだが、私は本当に疲れてしまった。 そして夜、寝ているとドヴォルジャークのチェロ協奏曲や、ヒンデミット、ラヴェルが鳴りだす。 「こう言えばよかった」 「何で自分はこうしなかったんだろう」 「こう言ったほうが効果的に伝わったかも」 むしろ自分で振った方がずっと吹っ切れ易かったかも。 このプログラムなら、本当に振れたのに! あああ!指揮がしたい!!!

演奏会後の不眠 Read More »

グスタヴォ・デュダメルについて

日本でグスタヴォ・デュダメル(Gustavo Dudamel)と言うのはどのくらい話題になっているのだろうか。 ロサンジェルス・フィルハーモニックの音楽監督を17年務めあげたエサ・ペッカ・サロネンの後任。 若干28歳の若さも話題だが、それよりもヴェネズエラ出身だと言うことや、 恩師、サイモン・ラトルをまねて伸ばしたくりくりの髪が 激しい指揮と共にぶんぶんと振り回される様子、そのカリズマ、人当り良さで非常な話題の人になってる。 ロス・フィルのシーズンは来週始まるが、 そこらじゅうの街灯にロス・フィル宣伝のデュダメルの様々な写真がプリントされた旗がはためき、 どの新聞もこぞってデュダメルについての記事を書き、 まさしく「犬も歩けばデュダメルにあたる」なのである。 今日読んだ新聞記事によると、このデュダメル・フィーバーにあやかろうと、 「デューディー・ドッグ」なるホット・ドッグ(アボガドのドレッシングや香辛料などが南米風らしい) を売り出す店まで、出てきているそうである。 私は2年前に彼の指揮を見ているが、確かにすごいドラマチックな指揮者だと思う。 そして人をその気にさせるエネルギーと言うか、オーラみたいなものが在って 「世界皆兄弟」みたいな気持ちにさせてくれるから、彼の指揮でオケで弾くのは楽しいと思う。 新聞記事の見出しだけでも面白い。 「デュダメルは、クラシック業界を救えるか?(高齢化が危ぶまれるクラシック業界に若い世代を呼びこむことができるか、と言う内容」 「デュダメル、茶色の新風(ロスの人工比率を大きく占めるヒスパニック系の観客を増やすことができるかと言う内容~確かにクラシックの観客は白人が多く、近年東洋人の割合が増えたが、他の人種は人口の比率に比例していない。しかし、デュダメルは南米出身と言ってもその風貌はむしろ白人に近いと私は思う)」 一観客としては、これからデュダメルの指揮をたくさん見れることは嬉しいが、一演奏家としては、このプレッシャーを彼がどうやって乗り切るか、同情と興味と応援したい気がこもごも。 ロス・フィルの新しい時代が開幕する。

グスタヴォ・デュダメルについて Read More »