大雪

サラサラの雪が、月並みな言い方だが音も無く降っている。 昨日の夜から天気予報が大声で警報を発していた。 水気のほとんど無い雪で、桜の花ビラみたいに、風が吹くとサーっと模様を描きながら舞う。 みるみるうちに景色が白に染まって行く。 空気が乾燥しているので、外に出ると最初の一瞬は肌が引き締まったようなピリピリした快感がある。 寒さを感じ始めるのは30秒くらいたってから、肌の下で、である。 段々骨がきしむような、骨がギューっと絞られているような、「寒さ」になってくる。 雪がやむ頃には、もう少し暖かくなっているはずで、太陽が出てきたらば雪に反射して、きれいだろう。

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冬休み

私が今居る所は、私の高校時代のホームステイ先だ。 私は13の時に父の赴任に伴ってNYに引っ越してきた。 16の時、父が日本の本社に帰ることになって母と妹は伴って帰国したが、私は残った。 その時私を引き取ってくれたのが、ドイツ系アメリカ人のエドとジョーンだ。 二人ともすでに60代で、4人の息子は独立していた。 私と私のピアノを引き取ってくれて、その後私が大学、大学院と進学して、卒業して、 演奏旅行やフリーランスの不安定な時期をすごして、その後ロスに進学してからもずっと 私の部屋と、ピアノがある地下室をずっとそのままにしてくれてもう15年を超える。 マンハッタンに住んでいる時は、休養のためや、祝日を祝うため、集中した練習の為、 度々この家に里帰りして来た。 もう家族である。 リュウマチや、視覚の問題など、それぞれ肉体的に少しずつ衰えてきては居るが、 まだボーリングやゴルフ、マージャンや執筆、ボランティア活動など精力的に生きている二人だが、 食は変わってきたなあ、と思う。 私が高校時代初めて一緒に暮らし始めた時は、その時流行りの健康志向で 魚や野菜を多く摂取し、肉は夏のアメリカ風物詩のハンバーガー位だった。 ところが段々、アメリカ人が「meat & potato」と自ら戒める食に段々戻って来て、 今日の夕食はBratwurstと言う、ドイツ風ソーセージが二本と、 mac & cheese(インスタントのマカロニのオレンジ色のチーズ和え)だ。 野菜は全く無し。 私はトマト・ジュースを飲んでごまかしたが、それでも太いソーセージ二本は油負けして残してしまった。 文句を言っているのではない。面白いなあ、と思うのである。 日本人は年を取ると、一般的に健康志向に、さっぱりした物を好むようになる。 例えば私の父は、もっと若い時は母の健康志向の料理に 「僕は栄養を食べているんじゃない」 「(小さく刻んだお肉をはしでつまんで)お肉はどこ?」 などと言っていたが、 特に健康診断で最近凄くほめられてからは、母の健康的な手料理を喜んで食べている。 でも、これは本能的に身体が健康食を求めるようになるのではなく、 子供時代に食べたのに近い食事を好むようになるのではないか? ドイツ移民として育ったエドとジョーンは、 子供時代はドイツ風ソーセージなどの肉食と、副菜のジャガイモ料理を多く食べて育ったはずで、 だから最近の食事はそうなるのではないか? 私は、ある日本人女性の晩年から死去までとても親しくしてもらった経験がある。 この方は津田塾の卒業生で、 戦後すぐ、アメリカに留学生として渡米してこられ、アメリカ人男性と結婚していて、 私との会話も、二人きりの時でさえ、ほとんどすべて英語だった。 ところが晩年、寝たきりになって、記憶が段々幻想的になって来た時、 見るテレビは全て日本語番組になり、私との会話も全て日本語、そして最後に「蕗が食べたい」と云った。 蕗は多分、ごぼうと並んで、アメリカで手に入れにくい数少ない日本特有の食材だ。 私は年を取った時、何を食べたいと思うのだろう?

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移動日について

演奏活動で、特にソリストとして生活の糧を得ようと思うと、物凄い量の旅をすることになる。 本当のスーパースターになると、ほぼ一年中ホテル住まいで、家なんて持つほうがばからしくなるらしい。 私の友達や教授の何人かは、素晴らしい才能と経歴でそう言うソリストになる機会はあったけど、 移動とホテル住まいで参ってしまい、演奏活動をギブアップした人達が何人もいる。 飛行機の中で眠れない、ホテルで眠れない、飛行機でアレルギー反応を起こしてしまう、 あるいはホテル住まいで、いつも新しい知人に囲まれている生活で鬱になってしまう、 など、色々な理由を今まで聞いてきた。 ところが、私は移動日は大好きなのである。 飛行機、バス、電車、どんな移動手段も大好きで、眠ければ全然問題なく眠れるし、 プログラム・ノートを書くとか、ある曲の勉強をする、ペーパーを書く、本を読むなど目的があれば かけられる時間は始めから分かっているし、飲み物とか持ってきてくれるし、凄く集中できる。 飛行場も、バス・ターミナルも、電車の駅もいつも興味を持って歩きまわる。 それぞれのローカルな工夫が面白いし、人間観察も面白い。 景色を眺めるのも大好きだ。 飛行機で初めて行くところに向かって下降していく時は、私は本当に窓にへばりついている。 農場なのか、工場地帯なのか、自然が多いのか、都市か、都市近郊住宅街なのか、 観察しながら、次の演奏会での私の聴衆の生活を想像してみる。 この人たちは、どれくらい演奏会に行く機会があるのか、どう言う教育を受けてきているのか、 どう言う価値観で、どう言う人種で、どう言う生活を送っているのか? 目的地について、乗物から一歩新天地に踏み出す瞬間の空気、においも好きだ。 (ああ、ここはこういう所なんだあ)、と思って嬉しくなる。 ホテルも大好きだ。 ホテルのお風呂は不潔のような気持ちがして入れない、と云った友達が居たが、 私はホテルのお風呂は後で自分できれいにしなくて良いので、大好きだ。 夜も大抵のホテルのベッドは私のおうちのベッドよりずっと大きくてほわほわで、 楽しいので、ぐっすり眠れる。 昨日のこの時間は摂氏12度のロサンジェルスで荷物造りをしていた。 今日は、零下7度のNYで、冬景色を見ながらブログを書いている。 愉快、愉快。

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これから~バッハ。

このあと、夜の7時半から一時間半、ヴァイオリニストの録音の伴奏の仕事を終えたら今学期は終了! 今日の午後、私可愛がってくれているオーボエの教授、アラン・ヴォーゲルに呼ばれた。 彼は、私がコルバーンに来てしばらく経ってから顔を見るたびに 「自分は1989年のクリスマス・パーティーでアンドレ・シフに勧められてから毎日、 平均率曲集の前奏曲とフーガを二曲弾くことを日課にしている。君もやってみなさい」と言われていた。 今日、そのことと、来学期から彼のオーボエ専科の生徒たちにバッハを教えることを頼まれた。 パブロ・カサルスも毎日平均律を弾いたそうである。 モーツァルトのピアノにはいつも平均律の楽譜があったそうだ。 ノーベル賞を受賞をした医者・牧師・オルガニスト・ピアニスト、アルバート・シュヴァイツァーは 「毎日バッハを弾くことにより私たちはedify(啓発、教化、薫陶)される」と言ったそうだ。 彼は1905年にバッハの伝記を書いているのだが、その中で 「。。。バッハは一つの終局である。彼からは何ものも発しない。一切が彼のみを目指して進んできたのである。この巨匠の真実の伝記を書くということは、とりもなおさず、やがて彼の中で完成し終焉するドイツ芸術の生存と展開を叙述し、この芸術の努力と過ちを理解することである。この天才は決して単独的精神ではなく、総体的精神であった。我々が畏敬の念をもってその偉大さの前に佇立する作品は、数世紀、数世代の手が加えられて完成したものである。。。」と書いている。 アラン・ヴォーゲルが平均律を弾き始めたのは「ハーモニーを理解したかったから」だそうだ。 オケの中で弾いている時、自分がミスを多くし過ぎる、と思い、 それはハーモニーをきちんと理解し、聞いてないからだ、と思い、 それでアンドレ・シフのアドヴァイスに従うことにしたそうだ。 そういう話を一時間くらい聞いて、彼がオーボエを弾くようにピアノでインヴェンションを弾くのを聞き、 私はすっかり触発されてしまった。 明日からNYだ。 私も明日から毎日平均律を弾き始めようと思う。

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息継ぎ、息抜き

ずっとかなり忙しかったので、ブログを怠ってしまいました。 土曜日の学校のオーケストラの演奏会の副指揮、 色々な楽器の演奏の期末試験の伴奏の準備(譜読み、リハーサル、レッスン同伴、他) それからコルバーンの卒業生で、在校中仲良くしていたピアニストがコルバーンに遊びに来たので、 積もる話を夜を明かして語り合ったりしていました。 土曜日の演奏会は客演の指揮者、( (サンディエーゴ交響楽団の音楽監督で、中国出身のジャージャー・リング氏) の指揮による、 ウェーバーの「オベロン」序曲、ブルックのスコティッシュ・ファンタジー(ヴァイオリン・ソロは在校生)、 そしてシベリウスの二番、と言うプログラムでした。 4日続けて毎日2時間半のオーケストラのリハーサルを全部聴きとおし、 自分なりに少し総譜の勉強などをしたので、かなり時間は取られましたが、良い勉強になりました。 副指揮の主な責任は、指揮者に何かあった場合(急病、事故、ヴィザの問題で入国拒否される、など) 指揮者に代わってリハーサルや、本番を行う、と言うことです。 しかしこれはあくまでも建前で、そういうチャンスはめったになく、 大抵は指揮者の御用聞き(お水を持ってったり)と、 本番前の会場でのサウンド・チェックの時、客席でオケがどのように鳴っているか 指揮台に立っている指揮者に報告する(聞かれたら~出しゃばってはいけない)、位です。 ホールの音響によって、高音が響きやすい、低音が鳴りやすい、舞台の奥の音が凄く遠くなる、など 色々な癖があり、それは舞台上の人間には聞き分けることはほぼ不可能で、 だから代わりに客席に座って、副指揮が「金管大きすぎま~す!」とか言うのです。 私は本当はこんな責任のある仕事を任せられるような力量も勉強量も全く無いのですが、 たまたま学校の指揮者と、本当の副指揮者が両方ともその日演奏会があり、 ピンチ・ヒッターでコルバーンで指揮を勉強している私が、ときどきこういう大役に抜擢されるのです。 まあ、光栄なのですが、でもやはり責任重大な気持ちがして、無事終わってほっとしました。  自分の力量以上の大役を授かって、引っ張り上げられるように成長する、と言うこともあると思いますが、 やはりプレッシャーは大きいです。 伴奏も、一人引き受けると、どんどん色々な人の伴奏の話が入って来て、 気がついたら思わぬ量になっていました。 ヴァイオリン、ダブル・ベース、クラリネット、オーボエ、トロンボーンに、チューバと楽器も曲も多様だし、 社交だけでは分からなかった学友の一面がリハーサルで発見できたりして、 始めは凄く楽しかったのですが、 今は明日で全部終わるので、本当にほっとしています。 昨晩などは、最後のリハーサルの時は自分が何を弾いているのか 目も耳もうつろで分からないようの気持ちがしました。 でも、こうやって色々な楽器や色々な友達と合わせをしていて、一つ大きな発見がありました。 それは、難所の直前、伴奏しながら彼らの為に息をしてあげると、上手く弾けるのです。 チャント同じテンポで伴奏譜をしっかり普通に弾いてあげても、何回やってもつっかえるところが 難所の一拍前で、私が「す~」と大きく息を吸ってあげると、皆上手く弾けるのです。 これは吹奏楽器でも、弦楽器でも同じで、私は自分の発見が信じられなくて 確認するために何度も息をしてみたり、しないで見たり試したのですが、結果は一定。 別に彼らに聞こえるように大きな音を立てて息を吸い込んでいるわけでもないのです。  これはきっと赤ちゃんや病気の人に物を食べさせる時に 「あ~ん」と、自分も大きく口を開けてあげると食べてくれやすい、と言うのと同じなのかな? 明日(水)は自分自身の演奏の期末試験があり、その後二つ、金管の期末の伴奏があって、 木曜日はNYに向けて出発です。

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