タングルウッド最終日と、3つのピアノ協奏曲

永遠に来ないかと思うときもあった、タングルウッド最終日になってしまった。 信じられない気持で、みんな何となく夜いつまでもぐずぐずと寝ないでおしゃべりをしてしまった。 明日は10時までに寮を出なければいけないのに。 お洗濯も、荷造りも、まだの人が多いのに。 それはそうと、一昨日、昨日、今日とつづけてものすごい演奏会が立て続けにあった。 8月14日:ボストン交響楽団、指揮マイケル・ティルソン・トーマス。 ラフマニノフのピアノ協奏曲3番(独奏、ブロンフマン)、ショスタコーヴィッチの交響曲5番 8月15日:ボストン交響楽団、指揮アンドレ・プレヴィン ベートーヴェンの交響曲4番、リストピアノ協奏曲2番(独奏、Jean-Yves Thibaudet)、ラヴェル「ラ・ヴァルス」 8月16日:研修生によるオーケストラ、指揮クルト・マズア ブラームスのピアノ協奏曲2番、(独奏ギャリック・オールソン)、ブラームスの交響曲2番 まず、凄いのはピアノ協奏曲の中でも特にヴァーチュオシックな3曲が 3日続けて超有名なピアニストによって演奏されたこと。 皆凄かったが、ブロンフマンは巨体によってピアノを制覇し、聴衆を圧倒した感じ。 ティボデはテントの演奏会場の音響を計算に入れ、できるだけ明確に、はっきりと弾こうとした。 ブロンフマンに比べると、理性的で、計算が聞いた演奏に思えたが、熱情と言う意味では欠けたかも。 それは曲の性格による所でもあるのだが。 でも、ブロンフマンが体で弾いている感じだったのに対し、 ティボデは対局的に、指の細かい動きでコントロールするきらいが在った。 そして3日目のオールソンはこれは文句が付けようがない。 この人もかなり体が大きいのだが、(鍵盤の下に膝が入りにくそう)、 ブロンフマンが良くお尻を浮かせて重心をピアノに欠けていたのに比べ、 オールソンは常にがっしりとお尻が安定して、 おおらかに、自然に弾いていた。 それなのに(だから!?)音が詰まることなく、おおらかに響いて、本当に気持ちよく聴けた。 この3夜の演奏を比べるだけでも、物凄い勉強になった。 もう一つ凄いのは、15日に振ったプレヴィンと、16日のマズアが二人とも80歳だったことだ。 年の取り方、と言うのは随分個人差があるようだが、 プレヴィンは物凄くゆっくりとしか、歩けなくなっている。 機智の富んだ会話をするし、足腰以外は若若しく見えるが、 舞台の袖から指揮台に上がるまで、付添に一緒にあるいてもらい、 指揮台上がるのに、支えてもらっている。 そして、彼の指揮はすべてが耐えがたくゆっくりだった。 なぜそうなるのか。 年のせいか、意識的解釈か。 彼の知名度と、歴史から、オケの奏者は彼の指示に従うが、信じられないテンポであった。 マズアはパーキンソン病から、手の震えが止まらない。 でも、それが全く演奏の妨げにならない、物凄いエネルギーで、物凄い演奏をオケにさせてくれた。 クレンプラーは晩年、脳溢血を患い右半身が麻痺しても、 左手だけで物凄く存在感と主張のある指揮をしたそうである。 年はみんな取っていくし、それにつれて肉体的限界が出てくる。 でも、年をとればとるほど、歴史とのつながりは濃くなるし、経験は豊富になり、 自分の視点と言うのもどんどん確率されていくだろう。 自分の成長の深さによって、どれだけ肉体の衰えを超越できるか。 なんだか究極のレースである。

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タングルウッドでの(最後の)演奏、その10

今日はとってもいい天気だった。 まぶしいような陽気で、木の葉がきらきら光っている感じで、 風は涼しいけれど、肌は日差しにあたってちりちりする感じで、 湖まで泳ぎに行った。 メンデルスゾーンのトリオの準備中、悩みながらお散歩して偶然見つけた湖は、 実はタングルウッドでは代々研修生の遊び場になっている湖で、 私もあれからちょくちょくお散歩とかで行っていたけど、 何しろ忙しかったし、雨も多かったので泳ぐのは今日が初めてだった。 水がきれいで、魚も泳いでいるし、水草も沢山育っていて、青トンボがいっぱい飛んでいた。 何となく流れが在って、プールで泳ぐよりもずっと簡単にぐいぐい泳げた。 タングルウッドに来てから運動らしい運動は全くしていなかったので、本当に気持ちよかった。 そのあと、6時からアンドレ・プレヴィンの歌曲のコンサートが在った。 私は"Sallie Chisum Remembers Billy the Kid"と言う9分の曲を、共演した。 これでタングルウッドの演奏はすべて終わり。 皆でお祭り騒ぎをした。 今、2時半です。 明日の朝早く、名残惜しみに最後にもう一度皆で湖に泳ぎに行く約束をしているので、もう寝ます。

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凄い日!

今日はたくさん凄いことが在った。 まず朝、ボストン交響楽団のドレス・リハーサルを見学しに行った。 今日のプログラムはブロンフマンの独奏でラフマニノフの協奏曲3番と ショスタコーヴィッチの交響曲5番、指揮はマイケル・ティルソン・トーマスである。 リハーサルでは前から10列目くらいの鍵盤側の席に座って聴いていたが、 私たちを見つけたブロンフマンは、昨日の遭遇もあってか、オケのイントロ中に目礼してくる。 それだけで興奮なのに、リハーサル中に「聞こえる?」と目と手振りで聴いてくる。 本当は今夜の本番を控えて、抑えめに弾いているブロンフマンの音は、オケに負ける時もあったが、 まさか「聞こえません!」とは、絶対に言えない。 ブンブンと、頭を縦に激しく振って「聞こえます!聞こえます!」と何回もやった。 リハーサル中のブロンフマンはオケのテュッティの最中は、 難しいパッセージを鍵盤に指をあててさらったり、水を飲んだり、オケの団員と目くばせを交わしたり、 結構気が多かった。 そして、「これが彼にとってはメトロノームと練習するようなものなんだなあ」と思わせるような、 感情と、勢いをすべて排除して、正確にゆっくり目に通していた。 しかし夜の本番では、一転して物凄い演奏を披露したのだ。 何回も重心を鍵盤に乗っけるべく、お尻を浮かせ、テンポは計算されつくしているが 常に緊張感があり、そして勢い付けるところでは、オケを振り飛ばすかのような勢い! 終わった瞬間に、観客が地震の様などよめきを上げて、立ち上がった。 5回カーテン・コールが在った。 午後はアンドレ・プレヴィンの歌曲のドレス・リハーサルがあった。 アンドレ・プレヴィン出席だったので、普通のドレス・リハーサルよりも緊張したが、 彼はみんなを惜しみ無く誉めて、とても楽しそうにしていた。 マーティン・キャッツの公開レッスンがそのあと在った。 この人は有名な伴奏者で、今日はドイツ歌曲の公開レッスンだったのだが、 歌詞をいかに音楽に反映させるか、と言うことに重点を置く面白いレッスンだった。 コンサートのせいか、それとも充実感か、とても幸せな気分だ。

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最近会った有名人、その5

今日は、NYから友達が遊びに来て、二人でインド料理を食べに行った。 そしたらなんと、アンドレ・プレヴィンと、ヨッフィム・ブロンフマンに会ってしまった。 プレヴィンには明日会う(そのことは明日書きます)。 ブロンフマンは実は私は5月に学校の公開レッスンでラフマニノフのパガニーニ狂詩曲を聴いてもらった。 でも、向こうはお食事中だし、有名人だし、こっちの事を覚えていないかも知れないし、 それに恥ずかしいし、なんかごますりみたく思われるのも嫌だし、 と、私は目を合わせないようにして、無視してしまった。 そしたら食事を終えたブロンフマンが、帰り際に向こうから 「なんだか君、見覚えが在るねえ」 と、話かけてきたのだ! 「実は、コルバーンでラフマニノフを聴いていただいた真希子です」 と、言ったらば 「ああ、そうだった、そうだった。元気にしていたかい?タングルウッドはどう?」 と、2分ほど会話をして、握手して立ち去って行った。 友達に叱られてしまった。 「有名人じゃない普通の人だったら、一回会った人に偶然また出くわしたら挨拶するでしょ? どうして有名人には同じようにしないの?それは、失礼じゃない?」 確かに、そうかも知れない。

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音楽評論家とピアノ録音鑑賞のクラス。

今日は、Richard Dyerと言う、元ボストン・グローブの音楽評論で、 最近はクライバーン・コンクールの審査員も務めた人のピアノ研修生の為のクラスが在った。 主に古い録音を聴き比べたり、クライバーンの逸話を聞いたりと、 割とカジュアルなクラスだったが、面白かった。 始めにMr. Dyerは歌と楽器を弾くと言うことの関係について述べ、 例としてホロヴィッツが「どのピアノ教師からよりも多くの事を学んだ」と評する バリトン、Battistini(19世紀後半から20世紀の始めまでのスーパースター)を聞いた。 お酒が入っているのかと言うような、私たちにはいい加減に聞こえる音程とリズムで、 聴きながら皆で笑いをかみ殺していたが、でも音楽的自由さ、と言うのはよくわかった。 そのあと、Richard Dyerの先輩の音楽評論家、Michael Steinbergが公開レッスンで 楽器奏者たちに詩の朗読をさせ、言葉のリズムと抑揚を演奏に結び付けるよう奨励した話や、 ソフロニツキーのシューベルト・リストの冬の旅の最後の歌の録音を聞かせてくれた。 「最近の若い人は、歌のピアノ独奏用の編曲、例えばワーグナー・リストの「トリスタン」などを弾く場合でも、 歌詞はおろか、ストーリーさえ把握してないんでは、と思われる場合が多い。 それに比べて、昔の人は、歌の編曲で無くても、メロディーの息使いまで伝わってくるような弾き方をする」 と言っていた。 リヒテルはソプラノと結婚していたし、彼女との録音に素晴らしいものが在るそうだ。 コルトーも、演奏キャリアの最初の半分は歌手との共演で成り立っていたらしい。 コルトーの公開レッスンで、生徒にそれぞれの曲を正確な形容詞で描写する能力を厳しく求め、 さらに同じ性格のオペラを熟知して、ピアノで弾けるようにすることを要求し、 それができなかった生徒を叱咤し、変わりにトリスタンの3幕目を朗朗と弾きまくった、 と、Richard Dyer自身が目撃したエピソードも披露してくれた。 他に、ドビュッシーに「バッハを弾かせたら最高」と評された、アメリカ人のピアニスト、 Walter Rummelのバッハも聞いた。 この人はのちにナチスに入れ込み、そのための反感で音楽史から事実上抹殺されてしまったようだが、 タングルウッドのあるマサチューセツ州のStockbridgeと言うところに住み、 ドビュッシーの前奏曲の世界初演や、アメリカ初演を手掛けたそうだ。 バッハはまるでブゾーニ編曲のように、低音にオクターブや和音がたくさんつけ足され、 とてもドラマチックなバッハだったが、感情的にとても訴えるものが在って、 オルガンみたいで面白かった。 それに比べて、ブゾーニの前奏曲とフーガ一番は、透明で、鮮明で、すべてがクリアで、 ブゾーニのバッハ編曲からは想像もつかない、楽譜に忠実な、洗練された演奏だった。 他にランドウスカがピアノで弾いてるモーツァルトのソナタや、 コルトー、Micholowskiのシューマン等を聞いた。 別世界に飛んで行ったような一時だった。

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