休日

タングルウッドで出会って、今いろいろな理由でNY付近に滞在している友達8人と飲茶に行ってきた。 まだタングルウッドが終わって一週間も経っていないのに、タングルウッドの外で会うのは不思議な感じで おまけになんだかずいぶん久しぶりな、懐かしいような気持ちになって 多いに食べて、多いに賑やかにはしゃいでしまった。 タングルウッドの最中ずっと食べたいものトップリストに「飲茶」と「お寿司」が何度も登場したので、 その一つを皆で一緒に夢をかなえられて良かった。 それにしても、安かった。 中国人のお友達の特にお勧めの、ちょっと遠いところにある飲茶のお店だったのだが、 週日特別の安値で、どの料理もすべて1ドル50セント、今の円高で計算すると125円位である。 それなのにちまきなど、他の店よりもずっと大きくて それぞれ、想像をはるかに超えるお得なお皿が来るたびにみんなで 「うおおおおおお~」 と、総立ちして感激してしまった。 飲茶のおばさんたちがびっくりしていた。 そして美味しいのだから、もう大満足である。 タングルウッドが終わってからしばらく練習しない日が続いている。 それは皆に共通しているようで、たとえば今週末早速演奏会が在るお友達は 「練習する気がしない」と言って嘆いていた。 なぜか、いくらでも眠れてしまう。 朝起きると、びっくりするような時間で、夜は異常に早く眠くなり、 その上にお昼寝までしっかりしてしまう。 そして、久し振りにプライヴァシーが在る風呂場で、 ゆっくりお風呂に使ったりシャワーを浴びたりするし、 時間制限のない、自分の好きなものがゆっくり食べられる食事を 久し振りに新聞を読みながら食べたりしていると、 なんだか一日がすごく短い。 でも、最低限しなければいけないこと、今でなければできないことだけをして、 後は焦燥感の無い、リラックスした休日を自分にご褒美してあげよう、と思う。 来週はまたロスに戻って、充実した学校生活が始められるように。

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佐渡裕さん「僕はいかにして指揮者になったのか」

久し振りで日本語の本を読んだ。 指揮者、佐渡裕さんが1995年に34歳の時に書かれた「僕はいかにして指揮者になったのか」と言う本だ。 この本は2年ほどまえ、友達に譲り受けて、すでに読んでいた。 もう一回読んだ理由は二つある。 一つは佐渡さんの指揮者としてのブレークがタングルウッドの研修生として87年度に参加中に 小澤征爾さんと、レナード・バーンスタインに見込まれたからだが、 そのタングルウッドでの経験を、読み返してみたかったからだ。 もう一つはタングルウッドで出会ったアメリカ人のホルン奏者の一人が 現在佐渡さんが音楽監督を務める兵庫のオケのオーディションに受かり 9月からそこで仕事をするため、一生懸命日本語を勉強していたからだ。 兵庫芸術文化センター管弦楽団と言うグループは (このホルン奏者の説明で知り、今ネットで確かめたのだが) 積極的に外国人奏者を多数入団させ、とてもインターナショナルなグループになっている。 外国人団員には特別な寮が設けられ、日本語が喋れなくても不自由無いよう、 色々な気配りがされていると言う。 それでもこのホルン奏者は感心なことに毎日色々な言い回しを覚えていき 「これは日本語で何と言いますか」とか 「ごめんなさい、わかりません」 とか、事あるごとに嬉しそうに、私に日本語で発音の確認をしに来てくれた。 音楽と言うのはコミュニケーションだ、と私は信じているし、 こういう風に文化交流ができるのは素晴らしいと思う。 この本は二度目でもとても面白く読めた。 音楽にあまり関心が無い人でも、佐渡さんのおおざっぱで楽観的な生きざまは読んでて楽しいと思う。 多いに進めておきたい。 私は一日で、隅から隅まで一気に読み切ってしまった。

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タングルウッドの思い出

タングルウッド音楽祭(Tanglewood Music Center)で7週間半を研修生として過ごして、 沢山の音楽会に行き、沢山の友達を作って、10回演奏をし、5回くらい公開レッスンで演奏し、 エマニュエル・アックスや、ギャリック・オールソンや、クローデ・フランクや、ジェームス・レヴァインや、 ドーン・アップショーや、アンドレ・プレヴィンなど、今まで雲の上の人達だった人たちに 演奏を聴いて、意見してもらい、いろいろ教わった。 今は、最後の演奏会で聴いたブラームスの交響曲の2番や、 2週目に自分が演奏した自分のメンデルスゾーンの三重奏2番などが頭の中でぐるぐるなっている。 とても疲れている。 色々忘れたくないことがある。 例えば、私のタングルウッドでのあだ名が「molto espressivo」だったこと。 作曲家が「非常に表現豊かに」と指示する時に使うイタリア語の音楽用語だが、 私が音楽や食べ物の話をする時、すぐに興奮して声が大きくなり身振り手振りが入るので、 そういう風に呼ばれるようになった。ちょっと嬉しかった。 それから、打楽器の研修生でまだとても若々しい風貌の男の子がいて、 この子の前髪は鬼太郎くらい長く、ほわほわの金髪で、 彼がシンバルを叩くと、シンバルの風で前髪が「ふわっ」と真上に浮き、 それがゆっくりと元の位置にたどり着くまでに2秒位かかった。 なんだかすごく感心したイメージだった。 この子が「じゃーん、じゃーん、じゃーん」と立て続けにシンバルを叩くところでは 髪の毛も「ほわーり、ほわーり、ほわーり」ととめどなく上がったり、降りてきたりするのだけど、 その動きが、髪の毛がほわほわの為、とても優雅で、面白くて、可笑しかった。 それから「schwung」の事。 schuwungと言うのはドイツ語で、 音楽的には「(感情的に)高まる」とか、「(テンポ的に)押す」と言った感じで使われるらしい。 英語では"Swing"と訳されるようだが、ただ単に「ノル」と言う意味だけでもなく、 ノルだけよりももう少し興奮が加わった状態を表現するらしい。 ストラウスの歌曲のクラスでこの"Schwung"についての詳しい講義が在ったのだが この講義をした教授自身が「Schwung」をそのまま人間にしたようなキャラクターで 本人もそれを自覚し、誇りに思い、彼のメールアドレスも「シュヴング・マイスター」になっている。 このクラスが面白可笑しくて、大受けで、以来ピアニストの間では すべての面白可笑しいことは「schwung」になった。 例えば「I need to go schwung」と言えば「トイレ(大の方)に行ってきます」とか。。。 なんで、こんな小学生みたいなことが可笑しかったのか。 今はちょっと書くのもためらわられるが、とにかく可笑しかったのだ。 良い思い出。 楽しかった。 きつい時もあったけど、雄大な自然に囲まれて、友達と支え合って、 沢山、沢山、音楽に触れ、感じ、考え、前進しようと 皆で一生懸命暴れた。 今日は静かに過ごそうと思う。

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タングルウッド最終日と、3つのピアノ協奏曲

永遠に来ないかと思うときもあった、タングルウッド最終日になってしまった。 信じられない気持で、みんな何となく夜いつまでもぐずぐずと寝ないでおしゃべりをしてしまった。 明日は10時までに寮を出なければいけないのに。 お洗濯も、荷造りも、まだの人が多いのに。 それはそうと、一昨日、昨日、今日とつづけてものすごい演奏会が立て続けにあった。 8月14日:ボストン交響楽団、指揮マイケル・ティルソン・トーマス。 ラフマニノフのピアノ協奏曲3番(独奏、ブロンフマン)、ショスタコーヴィッチの交響曲5番 8月15日:ボストン交響楽団、指揮アンドレ・プレヴィン ベートーヴェンの交響曲4番、リストピアノ協奏曲2番(独奏、Jean-Yves Thibaudet)、ラヴェル「ラ・ヴァルス」 8月16日:研修生によるオーケストラ、指揮クルト・マズア ブラームスのピアノ協奏曲2番、(独奏ギャリック・オールソン)、ブラームスの交響曲2番 まず、凄いのはピアノ協奏曲の中でも特にヴァーチュオシックな3曲が 3日続けて超有名なピアニストによって演奏されたこと。 皆凄かったが、ブロンフマンは巨体によってピアノを制覇し、聴衆を圧倒した感じ。 ティボデはテントの演奏会場の音響を計算に入れ、できるだけ明確に、はっきりと弾こうとした。 ブロンフマンに比べると、理性的で、計算が聞いた演奏に思えたが、熱情と言う意味では欠けたかも。 それは曲の性格による所でもあるのだが。 でも、ブロンフマンが体で弾いている感じだったのに対し、 ティボデは対局的に、指の細かい動きでコントロールするきらいが在った。 そして3日目のオールソンはこれは文句が付けようがない。 この人もかなり体が大きいのだが、(鍵盤の下に膝が入りにくそう)、 ブロンフマンが良くお尻を浮かせて重心をピアノに欠けていたのに比べ、 オールソンは常にがっしりとお尻が安定して、 おおらかに、自然に弾いていた。 それなのに(だから!?)音が詰まることなく、おおらかに響いて、本当に気持ちよく聴けた。 この3夜の演奏を比べるだけでも、物凄い勉強になった。 もう一つ凄いのは、15日に振ったプレヴィンと、16日のマズアが二人とも80歳だったことだ。 年の取り方、と言うのは随分個人差があるようだが、 プレヴィンは物凄くゆっくりとしか、歩けなくなっている。 機智の富んだ会話をするし、足腰以外は若若しく見えるが、 舞台の袖から指揮台に上がるまで、付添に一緒にあるいてもらい、 指揮台上がるのに、支えてもらっている。 そして、彼の指揮はすべてが耐えがたくゆっくりだった。 なぜそうなるのか。 年のせいか、意識的解釈か。 彼の知名度と、歴史から、オケの奏者は彼の指示に従うが、信じられないテンポであった。 マズアはパーキンソン病から、手の震えが止まらない。 でも、それが全く演奏の妨げにならない、物凄いエネルギーで、物凄い演奏をオケにさせてくれた。 クレンプラーは晩年、脳溢血を患い右半身が麻痺しても、 左手だけで物凄く存在感と主張のある指揮をしたそうである。 年はみんな取っていくし、それにつれて肉体的限界が出てくる。 でも、年をとればとるほど、歴史とのつながりは濃くなるし、経験は豊富になり、 自分の視点と言うのもどんどん確率されていくだろう。 自分の成長の深さによって、どれだけ肉体の衰えを超越できるか。 なんだか究極のレースである。

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タングルウッドでの(最後の)演奏、その10

今日はとってもいい天気だった。 まぶしいような陽気で、木の葉がきらきら光っている感じで、 風は涼しいけれど、肌は日差しにあたってちりちりする感じで、 湖まで泳ぎに行った。 メンデルスゾーンのトリオの準備中、悩みながらお散歩して偶然見つけた湖は、 実はタングルウッドでは代々研修生の遊び場になっている湖で、 私もあれからちょくちょくお散歩とかで行っていたけど、 何しろ忙しかったし、雨も多かったので泳ぐのは今日が初めてだった。 水がきれいで、魚も泳いでいるし、水草も沢山育っていて、青トンボがいっぱい飛んでいた。 何となく流れが在って、プールで泳ぐよりもずっと簡単にぐいぐい泳げた。 タングルウッドに来てから運動らしい運動は全くしていなかったので、本当に気持ちよかった。 そのあと、6時からアンドレ・プレヴィンの歌曲のコンサートが在った。 私は"Sallie Chisum Remembers Billy the Kid"と言う9分の曲を、共演した。 これでタングルウッドの演奏はすべて終わり。 皆でお祭り騒ぎをした。 今、2時半です。 明日の朝早く、名残惜しみに最後にもう一度皆で湖に泳ぎに行く約束をしているので、もう寝ます。

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