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7時半 起床、運動、身支度、朝食 9時 勉強 12時 練習 2時 レッスン (ベートーヴェン「告別」と、シューベルト、3、4楽章) 3時半 録音(プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲の伴奏~アルバイト) 5時 夕飯・練習 6時 ピアノ・クラス(ベルグのソナタを弾いた) 8時 マレイ・ペライア(Murray Perahia)のリサイタル 今日は大変充実していた。 特に凄かったのが6時からのピアノ・クラス。 国際コンクールに向けて準備をしている中国人の子がアルベニズのイベリア一巻全部と プロコフィエフのソナタの7番を弾き、 それからヴェネズエラで弾くリサイタルのプログラムを準備中のスペイン人の子が モンポーと、やはりアルベニズのイベリアから一曲弾いた。 このスペイン人の子は主にスペイン物を中心に演奏する子で、 今までその子の専売特許だったアルベニズを今日中国人の子が弾いたので、面白かったのだ。 スペイン人がスペイン物を弾くと、何をやっても「ああ、スペイン風だなあ」と思ってしまう。 特に、この子はとても雰囲気のあるピアノを弾く子なので、皆凄く納得してしまう。 ところが、今日全く違ったアルベニズを中国人の演奏で聴いて、これが互角に面白かったのだ。 今まで何度もスペイン人の演奏で聴いていて、 (こういうものなんだ)とずっとクラス中で思っていた曲を 全く違う人種の人間が全く違う解釈で弾いて納得させるのは物凄いことだ。 そして今日、この中国人の子の直後に同じアルベニズを弾く羽目になったにも関わらず、 全然動揺無く、自分の視点を失わず、自分のアルベニズを弾き切ったスペイン人も物凄い。 二人とも、あっぱれ。 皆、このごろ特に上手い。お互い触発し合っているのか。
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将来対策の一環として、ある資格試験(内緒)を受けるべく勉強している。 今までも少しずつやっていたけど、テストが約一週間後に迫り、今日は5時間ほどぶっ続けでやった。 その後、練習、リハーサルなど、今日は割とぎっちりのスケジュールで、今、夜の8時半。 本当はもっと勉強したり、返信の必要があるメール、他の将来対策など、 今夜決行する予定だったことがまだ結構ある。 でも、頭の中で脳が充血して、腫れたようになった感じで、 何を読んでもすんなり入っていかないし、決断力も瞬発力も、ついでに楽観力(!?)まで、お留守状態。 こういうときは、皆どうするのだろう。 チョコレートを食べてみた。 ~全然変わらない。 久しぶりの友達と電話で喋ってみた。 ~楽しかったけど、脳みそはおんなじ状態。 なんだか今無理をしても、帰って逆効果なような気がするが、 それは私の逃げ?ここで踏ん張って頑張るべき? それとも、この「脳みその状態は、今日のインプットを消化中のサイン」と なるたけ楽に気分転換するべきだろうか? コルバーンに来て、ちょっと天才的な人たちを多く目の当たりにして、 そういう人たちの遊び人ぶりや、飲みっぷりや、怠け者っぷりにびっくりした。 私は特に4年前来たばかりの時は、本当に朝から晩までがむしゃらに練習して自己満足していたから、 本番の前夜に飲み会開いてどんちゃん騒ぎをして、本番直前に起床して 「二日酔い~」とか言いながら、凄い演奏する人たちを見て信じられなかった。 こういう人たちが本当に努力したらどうなるんだろう、と思っていたが今はちょっと考えが変わった。 皆、練習していない時間に、練習中に学んだことを反芻しているんだと思う。 だから今以上練習したからと言って、必ずしも今以上上手くなるわけじゃ無い。 そしてこの頃は、私も反芻するようになった。もとい、「反芻できるようになった」というべきか。 窓の外をボーっと見たりする。 気がつくと頭の中で、今日練習した曲が理想的に鳴っている。 (ああ、あそこはこういうイメージなんだ。)(ああ、ここはこの隠れた旋律がきれいなんだ。) そう、今の私は資格試験の反芻をしているんです。 怠けてるんじゃありません、断じて。 これでいいのです。 (-^□^-)
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今週末は、結局何も買わなかったが、色々な面白いお店に行った。 まず、LAオペラが過去の衣装や、小道具などをバザーで売り出す、と言うので見に行った。 10時に始まって3時に終わる、と言うので私たちは2時ごろ行ったのだが、 そのころには凄く高いものか、凄くぼろいものしか残っていなかった。 でも10時ちょっと過ぎに行った友達は列が長すぎて入れなかったそうだ。 一番面白かったのは先シーズンLAオペラが初演を行った、 LAオペラ委託作品(Howard Shore作曲)「ハエ」の衣装。 ジョルジュ・ランジュランの小説「蝿」を映画化した、「蝿男の恐怖」をご存じだろうか? あれの、オペラ版である。 このオペラは私は見なかったが、見に行った友達は「あれはコメディー?」と首をかしげていた。 自分に生体実験を施した科学者が、段々蝿と人間の合いの子に変身していき、 最後に本当にハエになってしまう、というお話(だったかな?)。 その途中の「蝿人間」の着ぐるみがサイレント・オークションにかかっていた。 皆自分が払いたい額を表に書きつけていって、一番高く書いた人が競り落とす、という奴。 五千ドルからの競りだったが、かなり大きな着ぐるみで、あんなの買って、どうするんだろう。 他に、どっしり重そうな、中世のようなドレスとか、メキシコの帽子とか、色々あった。 それからびっくりしたのは靴のサイズ。 女性用の靴がズラリと並んでいるところがあって、行ってみたら一番小さいのが26cmで、 28cmとかが一杯あった。 もっと普通のサイズはもう売れてしまっていたのかもしれないけれど、それにしても大きい。 オペラ歌手が太っている、と云うのは一昔前の話で、 このごろの若いオペラ歌手は見た目も重視されるし、きれいな人が多いけれど、 それでもやっぱり背が高いほうが舞台映えするから、大きい人が多いのかも知れない。 そういえば、ドレスも大きいサイズが多かった。 その後、テレビの制作用の小道具の廃棄品を売るお店に行った。 墓石(の模型)とか、死体のマネキン(手とか、足とかがちぎれていて、血が出ている)とか、 映画「天使と悪魔」で使われた教会のセットとか、店頭に飾ってあるものは面白かったけど、 お店の中は結構普通の古道具のようなものが多かった。 ちょっとくたびれたソファー(いっぱいあった)とか、絵とか、家具とか、古着とか。 キャンセルされたシリーズ・ドラマのロゴが入った帽子やTシャツや椅子なんかが 山積みになって売り出されているところもあって、ちょっと物悲しかった。 でも、タンスだと思いきや、引き出しが開かない、要するに箱とかもあって、 一々結構面白かった。 やっぱりハリウッドが近所にあると、色々面白いなあ、と思った。
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昨日、今日と続けてレッスンがあった。火曜日に、またある。 コルバーンを卒業する、という事で、先生が一生懸命伝授しようとしてくれるのが、分かる。 嬉しい。 昨日のベルグのソナタはべた褒めされた。 「完璧だ。直すところが無い」 ~こんな事を言われたのは全く初めてである。 ところがその後、「結局日本のプログラムの演目は最終的に何になったの?」と聞かれ、 「新ウィーン学派が音楽史の必然的な流れとして出てきた、と言うテーマで、 モーツァルト、ベートーヴェンの「告別」、ベルグのソナタ、 そして休憩をはさんでシューベルトのハ短調のソナタを弾こうかと。。。」 と答えたところ、顔を真っ赤にして怒り始めたのだ。 「どうして君のプログラムはいつも音楽学者の講義みたいなプログラムなんだ! 君はいつも知的に音楽を修めようとする。これが君について僕が一番心配していることだ。 どうして、音楽を素直に音楽として感じることに満足しないのか? 知性は感情に相反するものだ。僕は君が勉強ばかりしているのが本当に心配だ。」 先生はちょっと太り気味で、多分血圧が高い。 もう高齢だし、本当に心配になる位真っ赤になって本当に大きな声を出して怒っている。 「わかりました。考えさせてください。」 と言って、次にショパンのポロネーズを弾いた。 でも、やっぱり私も少しびっくりして、普段しないような間違えを沢山してしまった。 それで、私の隠そうとしている動揺が、多分ばれてしまったのだと思う。 弾き終わったところで先生が 「ごめんね。気を悪くしたよね。 でも、僕はここまで進歩してくれた君がまたこの後元に戻っちゃうんじゃないかと本当に心配なの。」 と、言ってくれたのだ。 泣きたいほど、嬉しかった。 私は先生の論理には、少し疑問を持つ。 本当に知性は感情に相反するものなのか? 確かに、感情に基づかない論理は、誠実さの正反対の結果を生み出すこともあると思う。 でも私は、自分の感性で感じ取るものを感情以上の確固たるものとして、 聴衆と、自信を持って分かち合いたい。 先生の考え方、演奏家は受け継がれた伝統や伝授されて培った音楽的直観、正直さを信頼して弾く、 と言う考え方は、少し古いと思う。 音楽を伝統芸術として研究する、と言う動きは最近のもので、私の世代には普通の考え方だ。 でも、先生が心配するように、 私には説明のつかない感情というのを論理で丸く収める、という傾向も確かにある。 先生のメッセージは胸にしっかりと留めて、でもやっぱり私は私の道を行く。 それしか、できない。
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先週、夜中に目が覚めてそのままずっと寝付けない日が続いた。 眠れない時悩み始めるのは、最近読んだ本の内容についてだ。 "Mozart in the Jungle – Sex, Drugs, and Classical Music" と言う本で 作者はBlair Tindallと言う女流オーボエ奏者、NYのフリーランサーを何十年もやっている。 私も2006年にロスに来るまではNYでずっとフリーランスをしていたし、 「知り合いが沢山出てくるよ。皆、怒っている」と昔のフリーランスの仲間から教えられ、 暴露本を読むような、軽い気持ちで読み始めた。 しかし、そこに詳しく引き出される統計が、私にはショックだったのだ。 例えば、音楽大学の年間学費(マンハッタン・スクールは2004年は$24,500、約240万円)は アイヴィ―リーグの年間学費(ハーバードは同年$27,448、約270万円)とほぼ変わらないが、 音楽大学では音楽以外の一般教養の授業はほとんど全く行わられず、 したがって音楽大学を卒業しても、音楽以外の職に就くことは難しい。 なのに毎年アメリカでは約5千6百人の音楽学生(修士・博士を含む)が演奏課程を卒業し、職を求める。 けれども定収入を得られる数少ない選択肢の一つである、オーケストラの募集は毎年約250。 そのオケだって、多くは負債をため込み、倒産寸前のところが多い。 教職はこの本には統計が出ていなかったが、大学生レヴェルを教えようと思ったら、 一人の募集に何百人もの応募者が集まる、と言う話はよく聞く。 そしてこういう定職の多くは年間収入が$3万ドル(約300万円)か、それ以下。 フリーランスで食べて行くことを余議なくされる音楽家はたくさんいるので、競争率が激しい。 そして、その需要もバブル崩壊後、経済の影響と、音楽におけるテクノロジーの進出、 さらにより安価でほぼ同じレヴェルの録音を提供する東欧オケの進出で、縮小。 しかもアメリカで定職が無い、と言うことは、健康保険が無い、と言うことである。 一回の病気、一回の事故で、人生は風前の灯になってしまうのだ。 このような統計を今まで全く知らなかった訳では、勿論無い。 身近に実際ホームレスになってしまった先輩もいる。 しかしコルバーン在籍中の今まで4年間、 生活費から学費まで全部支給される温室的な環境でぬくぬくしてきた私には全くの 「寝耳に冷や水」だったわけだ。 そして、コルバーンは今年で卒業。 これから、私はどうなるんだろう。。。 ここで私が思い出すのは、剣が実際に戦闘に使われなくなってから書かれた、「兵法家伝書」。 それまでにも、剣を使う者はいただろうが、「剣の為の剣の修行」と言うのは、戦国時代半ばに始まり、 さらに1543年、火縄銃が日本に入り、戦闘に使われるようになると 武士より歩兵の方が重視されるようになった。 その時、自己存在の意義を精神面に求めるため、 武士道のもととなった兵法家伝書や五輪書が戦国時代後に書かれ、普及したようだ。 その心はまさに現代世の中におけるピアニストの私にまっすぐ通じる。 録音された音楽が蔓延し、シンセサイザーたった一台がオーケストラに取って代わる世の中で、 職を失って路頭に迷い、あるいは果てしない旅に出る、何万人の音楽家たちは、 まさしく現代世の中における浪人! でも浪人ひとりひとりの人生は時に物悲しく、時に惨めだったとしても その集大成は日本人の精神力の元となり、さらに現在では世界中の憧れである。 剣道、武士道、茶道、華道、全ては悟りへの「道」である。 と、すればピアノだって「道」でいいのだ。…
