ブログ

帰宅

一か月半ぶりに私の現在住所、コルバーンに戻って来ました。 やはり自分のスペースは、ホッとします。 Houstonは生憎の気候で、着いて次の日は冷たい雨、そして二日目はどんよりとした曇り空でかなり肌寒く、そのせいか残念ながら印象が余り良くありませんでした。タクシーの運転手さんに聞いたのですが(そして今、インターネットで裏をとったのですが)、アメリカ国勢調査によると、ヒューストンはアメリカ国内でニューヨーク、ロサンジェルス、シカゴに続いて4つ目に人口の多い都市で、次の国勢調査の結果では多分3位になるだろう、と言うことでした。2005年にニューオーリーンズを襲ったハリケーン・カトリーナを避難した人たちの多くがヒューストンに移り、その後定住したことが人口急増の一つの原因の様ですが、他にもやはり景気が良いので、特に国全体が不景気の中、人が寄ってくるのでしょう。 この前のブログでは「テキサス州は初めて」と書きましたが、実は私の記憶違いで私は2004年にテキサス州のサン・アントニオを訪れています。ヒューストンよりずっと小さな都市ですが、その時の印象からか、私は南部や、特にテキサスは皆とてもフレンドリーで、初対面でも満面の笑みで迎えてくれるような印象があったのですが、大都市のせいかl、それとも最近の新入居者による人口急増のせいか、私はヒューストンの住民が予想外によそよそしい感じを受けてしまいました。 2日間の、しかも予定の一杯詰まった滞在で一都市に関する判断を下そうとは思いませんし、良いところも沢山あったのですが、(例えば優秀な音楽学部で知られるライス・総合大学の素晴らしいコンサート・ホールや、オーケストラ)、 とりあえず期待が大きすぎたのかな?   久しぶりのお友達とじっくりお話をする機会を得たり、色々な音楽関係者と対面出来たり、とても実りの多い旅でした。 今はゆっくり寝て、思い出を自分の中で消化したいと思います。

帰宅 Read More »

将来探しの旅―Houson, Texas

今、荷造りの最中です。明日からちょっとテキサス州に二泊してきます。 テキサス州と言うと、前大統領Geroge W. Bushの出身地でもあり、それだけで私なぞはちょっとイメージが悪いのですが、実は石油産業のお陰で経済が潤っており、芸術や文化活動への関心と支援が高く、ひそかな穴場らしいのです。もう何年も前からそういう噂は聞いていたのですが、今回ちょっと確認してきます。私はアメリカはかなり旅行しましたが、テキサスは全く初めてです。カウボーイ・ハットにカウボーイ・ブーツの人が沢山歩いているんかなあ、と言う感じですが、私の学部生時代の歌科のルームメートもその後ヒューストンで活躍しましたし、コルバーンの卒業生も何人かヒューストンを始め、テキサス州各地に移住しており、なかなか評判が良いのです。 と、言うわけで行って参ります。

将来探しの旅―Houson, Texas Read More »

休みの取り方

今、勉強と練習とを交互にする毎日を送っている。本番と、資格試験がほぼ同時に迫っているのだ。 始めは「朝練習、午後勉強、夜練習」と言うような計画を立てていたが、久しぶりに勉強するせいか、すぐに脳みそが「容量一杯です」とサインを出してくるような気がする。だから、気ままにすることにしてみた。細切れに勉強、練習、息抜き、とくるくる変えてみる。時には5分間ピアノを弾いているうちに、さっき勉強したところで疑問点が湧いてきて、それを調べて、また練習、とかやっている。はたから見ていたら「何やってるんだろう」と言う感じだろうが、これが結構身に成っているようなのである。読んだことのかなりを覚えている。満足感である。効果が上がれば、勉強も練習もやりがいがある、と云うものである。 とりあえず、中間報告でした。

休みの取り方 Read More »

マンハッタンの不思議

マンハッタンを歩いていると、いつも思いがけない人に出くわす。 お互い忙しく闊歩して通りすがってから一瞬止まって振り返り、しばらく立ち話しをしたり、ハグしたり。 マンハッタンに来る醍醐味の一つだ。 聞くところによると、アメリカ全土のクラシック音楽マネージメント会社の90%はNYに在るそうな。 演奏会の数も多いし、オーディションやコンクールなどもNYで多く開かれる。 NYに住んでいなくても、音楽家ならしょっちゅうここに来ることになる。 そういうわけで音楽家密度が高いのだから当たり前の様な気もするけれど、でも毎日びっくり。 昨日は地下鉄の駅でもう10何年ぶりの先輩に出くわした。 まだ高校生で、ちょうど家族が日本に帰国した直後、 ホームステー先で寂しい思いをしていた時凄く面倒を見てもらった日本からの留学生の一人だ。 私はまだ高校生で、彼らは大半が日本で大学を卒業して来た大学院生たちだった。 あの頃はまだバブルがはじける前だったこともあり、今より日本からの留学生が多かったような気がするが、 実際の統計はどうなのだろう。 私は年下だったこともあり、色々な人に随分と面倒を見てもらった気がする。 その後、学校が別々になったり、共通の友人の帰国など、連絡が途絶えるきっかけが幾つかあり、 昨日出くわした先輩とはもう本当に久しぶりだった。 子供の時の自分を知っている人に出くわすのはちょっと恥ずかしかったけど、やっぱり嬉しかった。 お元気そうでご活躍のご様子、何よりです。

マンハッタンの不思議 Read More »

私の好きなもの

私の家系は凄い近視である。家族全員眼鏡やコンタクトなしでは生活できないし、妹と私に至っては小学校に上がるか上がらないか位ですでに毎日眼鏡をかけていた。そう言う私たちの目を少しでも守ろうと、子供のころはテレビは一日一時間のルールが厳しく守られていた。でもだから、ときどきの例外は凄く嬉しかった。特にビデオが我が家に登場する前は、両親推薦の映画がテレビで放映される時は、夜遅くまで起きることが特別許可され、ミカンやお菓子や飲み物などが前もってテレビの前に用意され、家族皆で息をのんで映画に集中した。そうやって何回も見たのが、「サウンド・オブ・ミュージック」である。何回も見るうちに、妹も私も歌をすっかり覚えてしまい、最後のころは一緒に歌いながら鑑賞するようになった。10歳の時一か月入院した時は、サウンド・オブ・ミュージックのカセット・テープを両親に持ってきてもらって、同室の子たちと手をつないで病室を踊り回って、看護婦さんに叱られた。 そのサウンド・オブ・ミュージックの歌の中に「私の好きなもの」と言う歌がある。「泣きっ面に蜂」の時は、好きなものを思い出して元気を出しましょう、と言う歌だ。私は今別に「泣きっ面に蜂」状態のわけでは決してないけれど、今日は一杯練習して、少し疲れてしまい、ブログのトピックを考えるのがちょっと面倒だったので、(そうだ!考えたら元気が出るような楽しいことについて書いてみよう!)とちょっと思ったのだ。 私の妹は私と同じ誕生日で、ちょうど3歳違いである。今でもとっても可愛い妹だが、特にちっちゃい頃は私にとって本当に目に入れても痛くないくらい可愛い妹だった。まだ妹が3歳くらいのころ、初めてのお夕飯のしたくのお手伝いで、和えものを混ぜたことがあった。その晩、妹は「いただきます」を言ってから皆がはしを取って食べ始めても、自分は食べることをせずに家族の顔を一人一人じっと見て、「おいしい?おいしい?それ、あやがまぜたんだよ、あやがまぜたの、おいしい?」と聞いて回るのである。今でも思い出しては、笑ってしまう。 妹の思い出は、書き始めたら尽きないのだが、きっとこのブログも読むし、恥ずかしがらせてもいけないから、今日はここでやめて、早めに寝ることにします。

私の好きなもの Read More »