戦争・和平交渉・結婚・葬式… なんのリストだと思いますか? 歴史上、色々な文明で音楽が利用されて来た場面の多くのリストです。 音楽と言うのは、大きな社会変動や個人の社会に於ける位置変動が起こる度に (大丈夫だよ~、大きなことは変わっていないよ~)と安心を醸し出したり、 (これは良いことだよ~、さあ、勇気を出そう~)と連帯感を醸し出すと言う効果があるそうです。 音楽を『高尚』、さらには『神聖』とさえ思うような西洋クラシックの世界で育ってきた私は この概念を紹介されたときには結構感じ入りました。 儀式化された音楽ではなく、人間の営みに必要性を持って組み込まれている音楽。 祖母や育ての父親や友人を今年に入って続けて失ったり、 生まれて初めての全身麻酔を伴う手術で大げさで怖がりな私は(死ぬかも)と本気でちょっとだけ思ったり(恥ずかしかったので誰にも言わなかったけれど、どんな薬にも大げさに反応する自分の体が全身麻酔に正常に反応するとは思えなかった。)、更には沢山のコミュニティーの方々や日本からわざわざ来てくれた家族に祝福されながら新しい名前で人生の門出を祝ったり、この半年間、さらに最近の数週間は心理的に本当に盛りだくさんだった。そんな時、音楽を専門にする私は、忙しさにかまけて少し音楽から遠ざかった。 やばい。 音楽から遠ざかった私が再発見するのが食である。 音楽と同じく食と言うのも冠婚葬祭には音楽と同時に人生の一大事に連帯感を醸し出し、人間の営みの普遍性を思い出させる大事な立役者。 最近「孤独のグルメ」と言うドラマにはまっている。 私と同じく門出を祝った相手と一緒に 祭りが空けた今日はアイスクリームをパクつきながら見てしまった。 練習と論文は週末が明けてから。 ひとまず疲労回復と生活リズムの回復を試みなければ。
今朝起きたら、日本からおばあちゃんが亡くなったと言うメールが届いていました。 下の写真は今年の2月、卒寿のお祝いの時の写真です。 おばあちゃんはいつもおしゃれっ気がありました。 ベレー帽が懐かしい。 おばあちゃんはお出かけの前には必ず鏡台の前に座ってお化粧をしました。 正午にヒューストンのメディカルセンター主催の演奏会シリーズに出演が決まっていました。 ヒューストン・メディカルセンターでも一番大きなMethodist Hospitalは Medical Center for Performing Artsと言う 演奏家の治療や、音楽セラピー、音楽と脳神経の研究などを主に行う部もあります。 音楽の治癒能力を宣伝し、その一環として 病院のロビーでは毎日月曜日から金曜日の1時から5時まで生のピアノ演奏があったり、 またそう言うBGMとは別に今日私が出演したようなちゃんとした演奏会形式の演奏を 月に10回ほど主催したりしています。 今日は私はブラームスのヴァイオリン・ソナタとクラリネットソナタと言うプログラムで ご存知私の心の友のクラリネット奏者の佐々木麻衣子さんと ヒューストン交響楽団でヴァイオリン奏者を務めている私の昔のルームメートのTinaと一緒。 演奏をしていると神経が研ぎ澄まされ、普段分からないことが分かるようになります。 例えばお客さんの息遣いが聞こえるようになったり、集中度や目線が肌で感じられたり。 吹き抜けの会場の二階から目線を感じて見上げたら、 お医者さまが沢山鈴なりになって聞いていらっしゃいました。 会場の横の廊下を通りすがりの患者さんや看護婦さんも立ち止まって聞いてくださいました。 音楽が受け入れられている、必要性を実感されている、と感じられる日でした。 最後にアンコールでスクリャービンの左手のためのノクターンを弾きました。 「第一次世界大戦からは右手を戦場で失ったピアニストが沢山帰ってきて、 その中の数人が左手のための曲を委嘱始めた。 人間は生きていると色々な物を失っていく。でも人間は強い。 この曲はいつも、私にその事を思い出させてくれます」 とスピーチをしてから弾き始めたら、聴衆が本当にかぶりつくように聞いてくれました。 今日のお客様の多くは医療関係のスタッフ、お医者様、看護婦さん、 そして患者さんや看病のご家族。 毎日生死に向き合っている方々と音楽を通じて一体感を味わう事が出来た事が嬉しかった。 病気がちだった私は母や家族、そしておばあちゃんやおじいちゃんや親戚のみんな そしてお医者様や看護婦さんやインターンの先生や色々な方々に見守られて 成長して来ました。 成人式の時に「生存率は50パーセントと思ってください」と言われて入院していた私。 「式に出席だけないだけじゃなくてもう2週間もお風呂に入っていない汚い身体で…」と 看護婦さんにこぼしたら 「体は拭けばきれいになります。着物はいつでも着られます」と強く励ましてくださった。 その時に、付きっ切りで私の治療法を工夫してくださったお医者様は 実はその時ご自分の奥様が分娩室に入られても私に付き添ってくださっていた、と 後からお聞きしました。 私、そして私が奏でる音楽はそう言う方々みんなの想いの結晶です。 …
最近、なんかすごい事が多い。 一週間前は副大統領のJoe Biden氏とその妻のJill Bidenがライス大学に来て、癌激減対策「Cancer Moonshot」についてのスピーチを行った。開会宣言とJoe Bidenの紹介でブッシュ大統領とレーガン大統領の国防長官だったJames Bakerもスピーチをした。2015年の5月30日に長男を亡くしたJoe Bidenは大統領選に出馬するのではなく、このCancer Moonshotのプロジェクト・リーダーになることを選んだ、とスピーチで説明。しかし、その理由はただセンチメンタルな物では無い事を、緻密な計画を発表することで明らかにした。末期がんの宣告を受けた息子の闘病に伴って学んだ事の多くに、医学研究の一般的な不透明さ、発表までの手続きの大変さ、等を上げ、政府介入が不可避、と感じた、と言う。まず進行中の研究でも日ごとにその経過報告を公開することを義務付ける事。さらに、儲け優先の薬品会社には隠す理由が多い試供薬品のトライアル結果(成功している結果は市場調査などをしてから、失敗した場合は会社のブランド名が落ちるなど)を、すべて公表することを義務付ける。Joe Bidenは熱情的で、そして本当に父親としての心痛を人類愛に置き換えたような感じで、本当に心を打たれた。 さらに9月6日になんか変ないきさつで変な映画に出演してしまったポスターが私に断り無くFacebookに挙がったのを発見したのも今週。どうしたら良いのか…まあ、大して害はなさそうですが。 私の名前が「映画音楽」の所に出ているのも、変。 まあ、気にしないのが一番かも。 そんな事は小さなことで、次に大きいハプニングは昨日の朝。 自身が継父による家庭内暴力の経験者として育ち、そのあまりのひどさに13歳の若さで兄と殺人さえ試みたと言う凄い経験を持ちながら、その後警察のキャリアを通じて家庭内暴力撲滅に務め、数々の勲章をもらい、ついには大統領のアドヴァイザーにまでなったMark Wynnと言う人がライス大学にレクチャーに来て、これも聞きに行った。これも非常にパワフルだった。昔はレイプされた人が「ウソの通報をした」として逮捕されてしまったり、彼自身が被害者の時代(1960年代)には家庭内暴力を受けて通報したら「これ以上夫婦喧嘩で通報して来たら、逮捕しますよ」と言われてしまったりしたらしい。『女性は感情的で証言があてにならない」とか「家庭内暴力は殺人や強盗に比べて軽犯罪」と言う偏見が強かったのが原因だったが、実は統計を取ると、家庭内暴力は通報の大部分を占め、殉職する警察は家庭内暴力の通報で死ぬことが多く、さらに家庭内暴力を振るう人は外でも犯罪を犯す可能性が多い事が最近明らかになった。また最近、十何年も放っておかれた何千と溜まったレープキットが倉庫にある事が明らかになり、それを調べ始めたら、80人の連続レープ犯が一挙に検挙された、とか。いかに昔は被害者に対する偏見が強かったか、しかしいかに政府・法廷・警察・コミュニティー共に改善の努力を続けているか、と言うお話しを早口で情熱を持って語り、こちらも胸が熱くなった。 そして今日と明日は演奏会! アジア人女性の指揮者。この人は本当に好感度が高い。腰が低いのだけれど、しっかりと自分の意思と思いが伝わり、みんなニコニコで楽しく連帯感を高く持って演奏できる。この人を見ていると(指揮者になるのだったらこういう指揮者になりたかったな~)とすごく思う。 ! 私が弾くのはショスタコーヴィッチのバレー組曲4番。ピアノとチェレスタの間を行ったり来たり素早く、時には激しく移動しながら、結構弾きまくり。 今夜8時は野外コンサート(Miller Outdoor Theater at Hermann Park)。 明日はシーズンオープニングのガラが5時から。 その後すごいゴージャスなカントリークラブでドーナーとの夕食会! 楽しみ。 音楽人生万歳!
私が一週間過ごしたお城の外装・内装、 そして40エーカー(東京ドーム3.5個分)の敷地内に点在する プール、劇場、野外劇場、4面テニスコート、バレースタジオ、アートスタジオ、など その豊かさが、下のリンクでご覧いただけます。 https://www.google.com/search?q=belvoir+terrace&biw=1280&bih=598&source=lnms&tbm=isch&sa=X&sqi=2&ved=0ahUKEwi8_t3Vyt_OAhUFOCYKHepEBDgQ_AUIBygC 夏の8週間、女の子用のキャンプとして開放されるこの豪邸は、 女の子のキャンプが終わってから一週間はアマチュア用の室内楽音楽祭に変身。 私はここで一週間、講師としてアンサンブルのコーチングや演奏などをしたのです。 http://www.artsahimsa.org/events/fest/index.htm その別世界の様な環境よりさらに感銘を受けたことをいくつか、 今日は回想させてください。 まず、参加者全員の音楽を愛する気持ち。 全員楽器奏者で、レヴェルは全くまちまち。 中にはセミプロ級の人も居ます。 例えば鈴木メソードに感銘を受け、 研究歯科医として活躍していたキャリアを30台半ばで辞めて ヴィオラの教師として何十年も地域貢献をした女性も生徒として参加して7年目。 ピアノは幼少から弾いていたものの、40代半ばで室内楽の面白さに目覚め、 離婚の危機に瀕するまでにも寸暇を惜しんでのめり込んだと言う 初見ばりばりで音楽性も豊かなセミプロ級の腕を持つ女性も居ます。 その一方では数えることも音程を取ることにも一々苦労している、 でも目をキラキラさせて一生懸命頑張る人達も堂々と演奏を披露します。 最後の2日間は午後と夜に発表会があります。 参加演奏は義務では無いのですが、弾きたい人が多すぎて演奏会は3時間を超すことも。 よたよたと今にも止まってしまいそうな演奏には会場が一体となって (頑張れ!)(もう少しで終わりにたどり着く!)と手に汗を握ります。 何故か、全然飽きません。 なぜ飽きないのか。 なぜこれらの音楽会が私にこんなにも新鮮だったのか。 この音楽祭に着いた翌々日、 一晩抜け出して聞きに行ったタングルウッド音楽祭での演奏会が対照的に思い出されます。 世界終焉をテーマにしたメシアンの「時の終わりのための四重奏」を完璧に、 でも無表情に弾きこなしたボストン交響楽団の奏者たち。 燃え尽き症候群は、オーケストラ奏者の間で蔓延する問題の一つです。 もう一つ、このマラソンアマチュア演奏会で思った事。 18・19世紀のサロン演奏では、いわゆるアマチュアがプロに混ざって演奏や共演しました。 音楽を愛でると言う典雅な時間。 それは時空を超越するものなのだ、と実感しました。 多分意図的に、この豪邸では無線インターネットが使える場所が限られていた。 居間では使えるのですが、ここでメールチェックなどをしていると 色々な方との社交を無視して作業に集中することはほぼ不可能。 と、言う事でブログ更新もままならず、メール返信も遅れたのですが、 でもそのためにこの「音楽を愛でる」と言う典雅な姿勢が取り戻せた様な気持ちもします。 最後に。 この音楽祭に参加していたアマチュアの音楽愛好家たちは実に面白い方々が多かった。 特に私が触発されたのは、アカデミアで活躍する女性たち。 芸術に関する法律を専門に教えているヴァイオリン奏者。 貧困層に手軽に歯科衛生を保ってもらえるために活躍する歯科医。…
タングルウッド音楽祭が開催されるBirkshireにあるお城、Belvoire Terrace. ここで開催されるArtsAhimsaに演奏と室内楽のコーチングをしに来ています。 着いた日には、口があんぐり…お城~なのです。 このホームページで写真が見れますが…来てみないと分からない。 http://www.belvoirterrace.com/history.php まずそのメイン・ビルディングがまさにお城。 女の子が良く「お城」の絵を描く時に必ずある屋根のギザギザがある! そして中はステイン・グラスや、壁のいたるところに木の掘り込みのデザインや、 パイプオルガンや、大理石の暖炉や、ティファニー?と思うようなランプシェードや… そして40エーカー(東京ドーム3.5個分)ある敷地内には アート用のアトリエ、ダンス・スタジオ、グリーンハウス、など計18の建物。 そのほぼ全ての部屋にピアノが居れてあります。 ここで行われているのはアマチュア音楽家のための音楽祭。 レヴェルはピンからキリ。 子供の頃は音楽家を目指して勉強したと言う、初見もばりばりのツワモノから 65歳になってずっとやりたかったチェロのレッスンを始めたと言う81歳の女性まで。 講師として来ている人は「生徒」として来ている人の数とほぼ同じですが、 そのレヴェルもピンキリ。 学部を終えたばかりと言う初々しいヴィオラ奏者も居れば、 かなり名前のある音楽学校の教授も、すでに引退しているオケ奏者も居ます。 ここで「プロとアマとの音楽共演」と言うのがこの音楽祭の謳い文句。 何故かアマチュアの人には医者、弁護士、大学教授と言ったいわゆるエリートが多く、 思いがけなく私の博士論文のトピックに興味を持ってもらって論議になったりもします。 音程がおぼつかないチェリストはでも、メンデルスゾーンの三重奏を感激しながら私と弾いて 「I feel like I died and went to heaven」と涙を浮かべながら言ってくれました。 日本では「天国に上った心地」と言いますが、 英語では「死んで天国に行った気持ち」となります。 これは81歳の方に美しい青い目でじっと見つめられて言われると、 何と返したら良いか分からなくなります。 音楽とは何か、富とは何か、考えさせられます。 お城を持っていても、夏の数か月しか使えない。 なぜなら、厳しい冬の光熱費が膨大な経費となるからです。 しかし、夏の数か月のために建物のメンテ、広大な庭の手入れ、 そして税金の支払い…光熱費が無くても膨大な経費になります。 これを効率よく使いこなすにはどうすれば良いのか? そう思って考えはじめると、使いこなされていない財産と言うのは世界にいくらでもある。 片方では家を追われ、難民やホームレスとしてコンクリで眠る家族がいるのに、 もう片方では一年に数か月しか使われない豪邸がある。 そしてこの近所はこういう別荘として使われている豪邸が非常に多く、 この様に音楽祭や何等かのコミュニティー開放をしているところは非常に少ない。 こういう何十エーカーの土地に家族だけ住む人々も居る。 その寂しさ、虚しさ。 私だったら、悲しくなってしまう。 今夜は演奏会があります。 私はガーシュウィンの前奏曲を弾きます。 他にはピアノトリオ、メンデルスゾーンの8重奏、モーツァルトのクラリネット五重奏など。…