練習しながら哲学・歩きながら美学
ここ数日、朝から晩まで練習に没頭している。 兎に角何をするにもどうしたら一番練習の効率が上がるか、と言うことを最優先に考えている。スケジュールも運動も食べ物も睡眠も「どうやって自分をベストコンディションにして練習に臨むか」と言うことを念頭に決める。全てが単純明快・一目瞭然になる。 昨日は精一杯運動したので、今日は朝のジョギングをウォーキングに変える。いつもと同じコースなのだけれど、ペースが変わっただけで世界が変わる。今まで鳥の鳴き声が聞こえていなかった。こんなに多様な鳥が色々な鳴き声を出している。柑橘類のおいしそうな果物がたわわになっている木を見逃していた。いつも、通りすがる人には必ず挨拶をしていたけれど、今日はその人の顔や表情が声の調子が見えている。「Good morning!」 練習をしながらも全く同じことを考えている。テンポが違うと曲が変わる。指示の半分のテンポで初めて聞こえてくる和声進行や内声が在る。逆に速く弾いてみて初めて分かる構築もある。(勿体ない)と思う。私の演奏でこの曲を一回、普通のテンポでしか聞かないお客さんは、勿体ない!いっそ、一曲だけの演奏会と言うのはどうだろう?同じ曲を違うテンポや違う解釈で、何回も聴いていただくのである。実際シェーンベルグら新ウィーン楽派の演奏会では(一回の演奏で理解していただくのは無理)と言う前提のもと、演目はいつも2度繰り返して演奏された。この場合は何も変えずに同じ曲を同じように2回演奏するのだけれど。 (でも...)と、いつものジョギングコースを今日はてくてく歩きながら、考え続ける。(そういう沢山の曲の層とか可能性を全て含んだ演奏をするのが、演奏と言う芸術なのでは?そういう演奏が「美しい」のでは?『美』と言うのは、私たちの感性や物語では2次元的になってしまう真実の全ての側面を反映しうるものなのでは?) そして、こういう私の朝の哲学も、演奏に込めて発信したい。シェアしたい。このブログを書きながら朝食を食べてて出会った驚愕的に美味しいアヴォガドの味も。粒がプチプチはじけるようなグレープフルーツの愛おしさも。ウォーキングしながら感嘆して見とれた雪化粧をした近所の山脈も。 人生は豊かだ。可能性に満ちている。音楽人生万歳!