時間の感覚は主観的です。「時間の芸術」と言われる音楽の醍醐味の多くはそこにある。でもメトロノームの商品化で、音楽の速度を定量化するという概念が広まりました。メトロノームの弊害はそのまま産業革命がもたらした価値観の社会的弊害の象徴として語れるのでは?今朝練習しながらふと、そんな壮大な考えが頭に浮かんでしまいました。 時間の感覚が主観的なのは、過去は記憶、将来は想像、そして現在は瞬間的かつ感覚的だからです。印象が強い体験をした時間は長く感じる。逆に退屈な時間は記憶には残らないでしょう。音楽で言えば、2分間しか無い曲の最後の音が消え入るのを聞き入るとき、あたかも旅から帰ってきたような、夢から覚めるような感覚を味わうこともあれば、30分の曲を固唾をのむように聞き入ってまるで一瞬の出来事だったような気がするときもあります。 ホールの音響でも、テンポの感覚は変わります。残響の多いホールでは、速いパッセージは音が濁って「速い」ではなく「聞こえにくい・分からない=記憶に残らない」になりがち。なので、かみ砕くように弾かなくてはいけません。逆に残響が少ないホールでは、リズムが非常に重要です。奏者も聴衆も一体になって乗れるリズムと言うのは、奏者の弾ける一番速いテンポでは、概してありません。なんにせよ、音楽に於いて大事なのはBPM(Beats Per Minute=一秒間に何拍あるか=メトロノームの単位)ではない、と言うことです。大事なのは、メロディーの流れ、リズムの躍動感、曲の構築、感動、そして最終的に何が記憶に残るか、です。 私は音楽は人生だと思っているので、飛躍に思えるかもしれませんが、ここで一つ大きな表明をさせてください。 長寿は目的ではない。 BPMが奏者の目標であってはならない様に、私に言わせれば長寿は人生のゴールであるべきではない。大事なのは、我を忘れる没頭ができる瞬間。微笑んだり笑ったりしながら浸れる思い出をいかに多く周りの人と共有できるか。自分の創作・発信。そう言った事ではないでしょうか?人生で大事なのは計測できるものではない。音楽・創造性・共感・愛情...私が、自分の音楽人生を賭けて世に訴えようとしているのは、そういう価値観の転換です。
ここ数日、朝から晩まで練習に没頭している。 兎に角何をするにもどうしたら一番練習の効率が上がるか、と言うことを最優先に考えている。スケジュールも運動も食べ物も睡眠も「どうやって自分をベストコンディションにして練習に臨むか」と言うことを念頭に決める。全てが単純明快・一目瞭然になる。 昨日は精一杯運動したので、今日は朝のジョギングをウォーキングに変える。いつもと同じコースなのだけれど、ペースが変わっただけで世界が変わる。今まで鳥の鳴き声が聞こえていなかった。こんなに多様な鳥が色々な鳴き声を出している。柑橘類のおいしそうな果物がたわわになっている木を見逃していた。いつも、通りすがる人には必ず挨拶をしていたけれど、今日はその人の顔や表情が声の調子が見えている。「Good morning!」 練習をしながらも全く同じことを考えている。テンポが違うと曲が変わる。指示の半分のテンポで初めて聞こえてくる和声進行や内声が在る。逆に速く弾いてみて初めて分かる構築もある。(勿体ない)と思う。私の演奏でこの曲を一回、普通のテンポでしか聞かないお客さんは、勿体ない!いっそ、一曲だけの演奏会と言うのはどうだろう?同じ曲を違うテンポや違う解釈で、何回も聴いていただくのである。実際シェーンベルグら新ウィーン楽派の演奏会では(一回の演奏で理解していただくのは無理)と言う前提のもと、演目はいつも2度繰り返して演奏された。この場合は何も変えずに同じ曲を同じように2回演奏するのだけれど。 (でも...)と、いつものジョギングコースを今日はてくてく歩きながら、考え続ける。(そういう沢山の曲の層とか可能性を全て含んだ演奏をするのが、演奏と言う芸術なのでは?そういう演奏が「美しい」のでは?『美』と言うのは、私たちの感性や物語では2次元的になってしまう真実の全ての側面を反映しうるものなのでは?) そして、こういう私の朝の哲学も、演奏に込めて発信したい。シェアしたい。このブログを書きながら朝食を食べてて出会った驚愕的に美味しいアヴォガドの味も。粒がプチプチはじけるようなグレープフルーツの愛おしさも。ウォーキングしながら感嘆して見とれた雪化粧をした近所の山脈も。 人生は豊かだ。可能性に満ちている。音楽人生万歳!
アメリカは昨日は感謝祭でした。 アメリカ感謝祭の定番は七面鳥の丸焼き。内臓を抜いたお腹の中に詰め物をしてオーブンで焼きます。詰め物は主にパン粉や根野菜など、肉汁を吸って美味しくなるものに、ガーリックや香草など肉をより香ばしくするものを混ぜます。色々なレシピがありますが、私が大好きな詰め物のレシピは栗を使うんですよ!それからパンプキンパイ。カボチャの実をつぶしてバターやシナモンなどを混ぜ、パイ生地で囲んでこんがり焼きます。 感謝祭のご馳走を頂く前に、良くテーブルを囲んで一人ずつ、今現在特に感謝していることを順番に言う、と言う習慣があります。皆さんは何に感謝をしていますか? 私が感謝していることはいっぱいあります。 音楽人生を通じて成長を続けられていること 私の成長や発見を喜び、応援してくれる仲間に恵まれていること。 US-Japan Leadership Programを通じて交友関係や世界観を大きく広がって行っていること。 一日に何度も手放しで笑う日常生活がある、と言うこと。 自分が大事だと思うことにじっくり時間をかける贅沢。 シェアする喜びを楽しめること。 今年の感謝祭は西海岸では珍しく大雨で冷え込み、山のてっぺんが雪模様になりました。静かに家で沢山お料理をして、お料理の合間に練習と読書の一日になりました。そう言えば20代~30代を通じてずっと学校の練習室で練習せざるを得なかった私の将来の夢の一つに、「練習しながら隣のキッチンのお鍋でぐつぐつ美味しい物を煮込んでいる」と言うのがあったなあ。昨日は煮込むだけでなく、オーブンも使ったし、一杯良いにおいの美味しいものを作ったなあ。夢が叶っているんだなあ。感謝でいっぱいの感謝祭でした。
誕生日を迎えました。 音楽家として、私は物質的豊かさよりも体験を優先したいと思って生きています。思い出と言うのは重要性が高い。記念日はしたことの無い経験や非日常性で、思い出深いことをしたいと思っています。いくつになってもお誕生日や祝日を手放しでお祝いしたい、と思います。 ...と言うわけで、Descanso GardensでEnchanted Forest of Lightsと言うホリデースペシャル期間限定の光のお祭りに行ってきました。行った事のある人から「映画『Avatar』のシーンの様にハイテクの照明効果が楽しめる。」と聞いていましたが、想像を超える大規模なものでした。普段は植物公園なのですが、11月の感謝祭の前から新年まで、毎年恒例でやっています。ライトショーや、触れたり乗っかったりすると反応する発光器具が、音響や霧など他の特別効果と一緒に広い公園中に工夫とテクノロジーを尽くして、配置してあります。Hot ciderと呼ばれる、これもアメリカホリデーシーズン特有のアップルジュースにシナモンなどを加える熱い飲み物で手と体を温めながら一時間じっくりと楽しみました。 本当に凄かったのですが、帰りに野の君と交わした会話が一番面白かったかな?「もう一度したいと思える体験と、一度で満足する体験の違い」と言う題目です。ライトショーは確かに感心したのですが、数日後に外国から来るお客様をお連れしようかと言う話しが出た時(もう行きたくない)と思ってしまったのです。物珍しいし、サービスとしてはお悦びいただけると思うのですが、私たち自身が二度と観たいとは思わなかったのです。 こだわりや芸術性が無い訳では決してない。例えば様々な模様のランプシェードが3D の影を広げていく趣向は、奇抜な世界観が提示され「良い仕事してますね~」と言う感じでした。 何度でも食べたいお料理や味が在る一方、楽しく美味しく食べても二度と思い出さない食体験もあります。音楽や読書体験でも同じく。この違いは何か?なんでこのライトショーは二度と観たいと思えないのか? ライトの中で楽しくはしゃいだ後、思いがけず深~い美学の会話をしてしまいました。素敵な誕生日でした。
春先から公共図書館との契約でレクチャーシリーズを提供している。支部によっては電子ピアノだったり、グランドがあったり...臨機応変に電子ピアノの場合は説明の補助に音を出し、簡単な短い曲や曲の抜粋を弾く程度。グランドの時は講義内容に沿った曲を披露したりもする。お客様も一番少ない時は10名に満たない時もあったし、多い時には立ち見が壁に引っ付く状態で60名とか入る。非常に貧しい地域も、非常に豊かな地域もある。CDがバンバン売れる時もあるし、帰ってみるとインスタグラムのフォロワーがバッと増えている時もある。「自分は90歳を超しています」と自己紹介してくれる方もあられるし、昨日は2年生(8歳)の男の子がお父さんに連れられて来てくれた。 昨日の支部は運転して一時間弱。「天上の音楽:聞こえない音楽」と言う題目で電子ピアノとパワポでのプレゼン。 途中で音楽が人間の生態に及ぼす影響などの言及でセラピー効果なども説明中に、眼鏡を取って泣き出した年輩の女性が居た。本人がうずくまって顔を隠したので取り合えず見て見ぬふりをしたが、終了後彼女が最近弟さんを亡くされたこと、音楽の治癒効果に感極まってしまった事などをお話ししてくださった。「そうだったんですか…涙されているのは気が付きましたが…」と返したら、隣にいた彼女の友達が「私だって泣きましたよ!」と唇をとんがらかす感じで訴えてきた。なんだか幼女の様で愛らしくて、ちょっと笑ってしまった。嬉しかった。 昨日、目覚めがけに夢見心地に突然「余命が後一年だったら...」と思い始めた。そしたら思いがけないことに、ものすごい解放感を感じる自分が居たのである。今実は執筆中の本で「自分の事を書いたら名誉棄損で訴える」と言ってきている重要人物がいる。余命一年ならそんなことを心配せずに何でも書ける。しかも絶筆のPR効果でもっとたくさんの人に読んでもらえるのでは...と思ったのである。そして余命一年なら人生の優先順位が否応なしにはっきりしてくる。素晴らしい!色々な悩みが一挙に解決! 今朝は起き掛けの夢でスーツケース一杯の現金をもらった。ここでもまたお金の心配が無かったら執筆と好きな曲の練習に集中できる...と人生の優先順位の明確化に頭が行った。 明日は誕生日。人生の節目。色々考えています。