人生の優先順位

実感の大切さ

私は自分の人生に於ける優先順位に関して熟考する贅沢がある。 熟考した結果を実践してみる自由もある。 その結果、私が自分にとって大事だと思うことは、 今の社会では見過ごされがちな事なんじゃないか、と思い始めている。 まず、打ち込める対象。 芸術でも、肉体鍛錬でも、哲学的探求とか、社会貢献や、真理究明とか、 他人に害を及ぼす事以外なら何でも良いと思うけれど、 本当に情熱と信念を持って打ち込める対象。 それからそれまでの習慣とか考え方にとらわれないで 新しい事を「面白い」「美しい」と思える柔軟さと健康さ。 それから、実感する、と言うこと。 「我を忘れる」とか「息を呑む」とか「時間の経つのも忘れて」とか そう言うチャンスを多く持つ、と言うこと。 食べた事を忘れるような食事はしない方が良い。 空腹感を実感してから、食べた方が良い。 何を達成したか忘れてしまうような練習はしない方が良い。 その肉体的、聴覚的、思考的な探求を面白がって喜んで満喫できるような練習が最高。 そして実感は、信頼できる仲間と一緒に喜び合う方がしやすい。 私は、全てに於いてとっても恵まれている。

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2016年の抱負:美を探求する姿勢

遅ればせながら、今年の抱負を書いてみようと思う。 前にもちょっとブログで触れたが、最近考えている「美を探求する」と言う姿勢。 自分の言動や態度も勿論、より美しくなることを基準に向上心を持って挑んでいくのだが 同時に回りに美を見出す、と言うこと。 最近こういうヴィデオがFacebookで多くシェアされている。 ある高校生が手掛けたプロジェクトなのだが 自分の学校の生徒や先生の多くの動画を撮らせてもらいながら 「自分が美しいと思うものを撮るプロジェクトを手掛けている」 と伝え、撮っている相手の表情が変わるところを観察するプロジェクトだ。 このヴィデオに撮られた人の多くを自分は直接は知らなかった、と言っている。 「美しい」と言われる前と後での表情の変化の大きさにびっくりする。 まるで、花が開くのを見ているようだ。 「To bring out the best in (対象)」と言う言い方が英語にある。 対象となる状況や人間の最善・最高を引き出す能力の事を言う。 優しく、楽観的に、信念を持って人に接すると、 多くの人は信頼に応えてくれる。 勿論対象は選ばなければいけないし、信念は誠実さに基づいていなければいけない。 でも、一般的に「信念を持って美を見出す」と言う姿勢に徹することで、 世界と自分は、より美しくなる、と思うのだ。 凄く直接的な例がある。 。 この人の前ではいつも最高の演奏ができる、と言うタイプの人がいる。 その人の私の演奏に対する聞き方、そして私の音楽性に対する信頼と素直な期待、 そう言ったものが奏者としての私と、私の音楽を触発してくれるのだ。 逆にこの人の前ではいつもどうも思うように弾けない、と言う人も居る。 自分の演奏の不出来を責任転嫁しているように聞こえてしまうけれども、 でも結果が驚くほど一貫しているのでまあそういう要素もある、と思ってください。 そういうタイプの人は私自身にはとても褒めて下さったりしても 他の演奏家などをすごく辛口で批評したり、 あるいは世の中の観方があまり優しくない人だったりする。 私がその人の事をある程度知っていて、関係に歴史がある時には 勿論因果関係が分かる形で現れるけれど、 あまりよく知らない人でも、(なぜか今日は上手く弾けたな~)とか そういう演奏の理由が聞き手の発する「気」のせいだ、と言うことを、 私は結構信じている。 私は、周りの人のベストを引き出せるような存在になりたい。 そう言う希望とそれに伴う心がけもまた、美しい在り方だ、と思う。

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音楽を信仰する気持ち。

音楽万歳!友情万歳! 昨日はマンハッタンのUpper West Sideにある2001年来の友人の家でホームコンサートをした。 Aさんと最初に会ったのは2001年。 私を非常に可愛がって、抜擢して毎年一度以上協奏曲を弾かせてくれたり 指揮の手ほどきをしてくれたJens Nygaardと言う指揮者を通じて出会った友人である。 (ちなみに、この指揮者に関するドキュメンタリーはエミー賞を取りました。 こちらで予告編が見れます。 Jensは骨髄癌だった。 Aさんはジュリアードのピアノ科で学部と修士をやったピアニストなのだが、 薬品会社に勤めており、骨髄癌に有効とされるサリドマイドのサンプルを持っていた。 音楽家としてJensの活動に興味を持っていた彼女はその薬をJensに届けていた。 お見舞いに行った私はそこでAさんと初めて出会ったのだった。 でもその行きずりの最初の出会いがどうしてこんなに大切な友情に発展したのか、 そこが思い出せない。 本当に沢山お世話になったし、一杯色々お話しをした。 私は彼女の息子と7つしか年が違わない。 特に会いたてのころは(生意気)と思われてもしょうがない、若造だったと思う。 でも、そんな私と同等に会話をしてくれて、友情を育ててくれたArleneの器に脱帽。 旅行好きな彼女は、旅行の度に私を彼女の家に呼んで泊まらせてくれた。 広々とした素敵な住まいにある、素敵な景色を臨むアパートで、 私は思う存分練習させてもらったのだった。 猫に餌をやり、郵便物を取りに行く、それだけが引き換え条件だった。 そして、私が大きな本番を控えている時は家に沢山の友達を招待して、 私の演目を通させてくれるのだった。 Aさんも、Aさんと同じように私に練習場所や演奏場所を提供してくれた多くの方々、皆 皆私の『育て親』なのだと思う。 そしてAさんやJensが私の育て親ならば、 昨日共演した麻衣子さんとTちゃんみたいな同志は私の兄弟姉妹。 麻衣子さんは私のブログにちょくちょく登場する私の心の友。 最近では「麻衣子姉」にまで昇格した。 Tちゃんは、昔の私のルームメート。 あまり詳細にまでは入り込めないのだが、 この二人実は、ストーカー退治に物凄く強力な助っ人となって私を救出してくれたのである。 今回のNYでの演奏会に二人を呼んだのは私の感謝の表明も在った。 しかしそう思った事がおこがましく思われるほど、二人共素晴らしい演奏を披露してくれた。 特に麻衣子さんとはもう色々な場面で共演しているけれど、 二人共燃えまくってブラームスを演奏してしまった。 それぞれの楽章が一生分の時間に思えるほど濃い時間だった。 そして来てくださったお客様も本当に私を感動させてくれた。 ジュリアード予備校生だった高校時代から憧れていた大先輩の素敵なピアニスト夫婦。 同じくジュリアード・プレカレッジ時代から私を可愛がってくれている恩師。 修士時代のルームメートで、今は正義感燃える弁護士の友人。 19歳の時の私の最初の彼氏で、今も仲が良い現在パリ在住のピアニストの叔母さん。 修士を終えた後、伴奏スタッフとしてジュリアードで働いていたときの同僚。 皆、ラグタイムでは手拍子で一緒にノリノリになってくれたり、 ブラームスでは息をのんで一緒に集中してくれたり、 私のトークに大笑いしてくれたり、 演奏後にいつまでも、いつまでも拍手してくれたり、 演奏後、Aさんの準備してくれた立食パーティーで 私に沢山のハグをくれたり、 私を本当に幸せにしてくれた。 そして、演奏後の立食バーティーを忙しく準備しながら

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秋晴れの・朝のブログは・美しく・ヒューストンでは・師走は秋。

充実した毎日を元気に楽しく送っています。 練習、演奏、論文執筆、クリスマス関係の色々な社交… そんな中、ブログ更新が中々間遠になってしまったりします。 書いておきたいトピックは多々あるのですが… そんな中、最近のブログに書いた「美しい」を全ての選択に於いて追及する、と言う事。 http://ameblo.jp/makikochan6/entry-12103543794.html これは中々有効です。 小さい事では言葉遣い、言葉の選択、立ち居振る舞い。 もっと大きなことでは、時間、一日、一週間をどのように使うのか。 誰と、どのように時間を過ごすのか。 例えば私には思慮深い積極性は受動的な姿勢よりも美しく思えます。 それで「美しくあろう」と思うことで行動的になることができる。 正直に愚痴をこぼせる友情と言うのは美しいと思いますが、 行動や思考の伴わない愚痴に甘んじる事は、私は美しいとは思わない。 それで、愚痴をこぼしてしまった次の日は対処法を行動に移す! 食べるものの選択、食べる量の選択も、「美しさ」を追及すると簡単です。 これで、どんどん贅肉が落ちてきたのには、自分でもびっくりしています。 今までいかに、惰性で不必要に、考えなく食べて来ていたか。 ちゃんと味わって、意識して物を食べてあげる、と言う行為は美しいと思います。 最近、私のストーカー現状を気遣って 「いやな思いをしていないか」 と聞いてくださる方がありました。 この質問にどう応えるか、私はしばし熟考しました。 何を「いや」と思うかは、自分の態度次第だと思います。 態度と何にフォーカスするかと言う選択一つで、 ちょっとした困難は「いやな経験」にも「チャレンジ」にもなり得る。 私を心配してくださる気持ちは美しい。 そこを尊重・重視して、私成りに美しいと思える返事をすることで、 自分もより勇気づけられました。 私がこういう風に考えられるのは、 美しい人々に囲まれ、ストーカーと言う非常事態にありながら 沢山の友達と素晴らしいコミュニティーにサポートしてもらって、 優しい気持ちでいられるから、です。 私は本当にラッキーです。

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私の人生の覚書。人間みな兄弟。

生きていて実感したことがいくつかあります。 僭越に聞こえるかもしれませんが、 書き出すことで今の私の自分のための覚書にさせてください。 人は、どんな状況の人でも、多少は寂しい。 自分の寂しさは自分では解消できないことがあるけれど、 周りの人の寂しさには手を差し伸べてあげることができる。 多くの人は「助けて欲しい」「救われたい」と思っているけれど、 実は救いと言うのは、 自分が他の人を助けさせて頂くことで見出せることが多いと言うことを忘れやすい。 考えて分かることには限りがある。 分からなくても行動していれば、見えてくるものがある。 考えることは行動しながらでも、できる。 人が本当に何を考えているかは自分には絶対に知り得ない。 だから、一番楽観的な、一番優しい見方をするのが、 自分のためにも相手のためにも、そしてお互いの関係のためにも一番良い。 自分に何が起こるか、と言うことは自分にコントロールできないこともあるけれど、 起こったことにどう反応するか、何をどう記憶するか、と言うことは自分で決められる。 自分にコントロール出来ない事は考えてもしょうがない。 自分にコントロール出来ることに集中して、心を込めて自分のベストを尽くす。 私の最近のお気に入りは、周りの人を褒めることです。 道で通りすがりの人とか、トイレで並んで手を洗っている間とかに 「スカート、素敵ですね」 とか「その色合い、周りが明るくなりますね、ありがとう」 とか、言ってみるのです。 皆顔がぱっと明るくなり、たいていの人はお礼を言ってくれます。 私もとっても嬉しい気分になります。 今日の午後もそうですが、 11月の毎週水曜日はヒューストンから南にちょっと行ったHobby空港でピアノを弾いています。 通りすがる人の多くが難しい顔をしてセカセカと歩いています。 その人たちの顔を一人ひとり(笑顔になったらどんな顔の人だろう)と想像しながら 音を発信するつもりで心を込めて、皆の顔を見ています。 そうすると、必然的に多くの人と目が合います。 私がにっこりすると、たいていの人がほほ笑み返してくれます。 そうすると皆驚くほど顔が変わります。 とっても嬉しい気持ちになります。 昨日の朝はどう言う訳か物凄い倦怠感で、自分にどう対処したら良いか分からなかった。 そしたら学校からSOSのメールが来ました。 今度のオーケストラの演奏会でピアノ・パートを担当の子が 難しいパートに苦難して、指揮者にリハーサル中怒られてしまった。 私が代わりに弾いてやってくれないか。 難しくて、速くて、そしてすごく目立つことで有名なピアノ・パートです。 私は弾いた事がある、でも私が代行したらその子のメンツは? 「私が代行するよりも、私に指導させてください!」 と言って、学校に直行しました。 練習室で1時間。 リハーサル中に名指しで指揮者に色々言われたその子は 心理的にも凝り固まっていました。 (宮沢賢治の『チェロ弾きのゴーシュ』を思い出してください) その子と指揮者やオケパートに関する冗談を言って笑いあって、 それで指使いや練習法など細かく指導して行きました。 気が付いたら、その子を上達させることに一生懸命になって 自分の問題は完全に忘れていました。 (助けさせてくれて本当にありがとう!)という感じでした。

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