10月の下旬にブータンに行きました。 色々見聞きし、感じ考え、涙も流し、帰って来て、この貴重な体験をどうこれからの私の人生・活動に役立てれば良いのか…言葉にできないもどかしさを、日常の忙しさで覆い隠しながら、悶々と3週間が過ぎようとしている時、運命的にあるエッセーに出会い、ブータンでの自分の想いと共鳴するのを感じました。 まず、自分の復習も兼ねて山極教授のエッセーを、下にまとめてみます。 人間の脳をゴリラの3倍の大きさにしたのは言語ではなく、共同体の大きさ。 霊長類は脳の大きさと生活共同体の大きさが比例している。例えばゴリラは10匹の共同体に適した脳の大きさ。人間の脳の大きさは約150人の共同体に匹敵する。 (『ダンバー数』説) 人間の脳が大きくなり始めたのは200万年前、現代人並みの脳の大きさになったのは40万年前。言語出現は7万年前。 人間の脳を大きくしたのは、多数の仲間の状況や事情や気持ちを理解する共感力。 (社会の複雑性に対応する能力。) 大きな脳と大きな生活共同体を必要とした背景の事情 二足歩行と共に霊長類が住む安全で食糧法府な熱帯雨林を離れ、危険が多いが遠くまで見渡せる草原で暮らし始めた。 草原は雨林と違って隠れる場所が少なく、危険性が高い。食肉獣に幼児が多数捕食され、子だくさんの必要性が出る。 離乳を早め、女性が出産後すぐ妊娠できるようにする。 人間の赤ちゃんは共同育児するようにできている。 泣いて自己主張(ゴリラの赤ちゃんの様に四六時中抱いてもらえるには人間の赤ちゃんは重過ぎる=ゴリラの赤ちゃんは泣かない) 親でなくとも人間が赤ちゃんに語りかける声は音楽的で、文化や言語の違いを超えて共通のトーンを持つ。絶対音感を持つ赤ちゃんはそれを聞いて、安心する。(出典が知りたい!) 近年の情報革命は、共感力や情緒を置き去りにし、人間社会をサル化している。 私がこの記事を何度も読んだりシェアしたりしたので、今度はグーグルのアルゴリズムが山極教授の別のエッセーを私に提示してきましたた。情報革命と人間らしさの矛盾について言及しています。 故・今西錦司による生物の定義──「生物とは時間と空間を同時に扱えるもの」 言葉の発明が人間と動物の間に一線を引いた 言葉は、時間と空間を超える抽象性を持つ。 他人とのつながりを拡張するポテンシャル 情報革命=情報を扱う脳と、五感で共鳴する体の分離。 体験を簡略化する情報(言語を含む)で脳の巨大化が止まった。 言葉を持たないネアンデルタール人の方が人間より大きな脳を持っていた。 言葉は記憶を外部化する。 AIは思考を外部化する。 人間はデータに動かされる存在になってしまう!? 情報技術は情緒を削いでいく。 情緒(『曖昧さ』)を曖昧なままで了解するのが異種間のコミュニケーション(=「音楽は世界の共通語」!?) 分かり切っている物には興味が湧かなくなる。 AIは西洋思考の到達点であり、臨界点。 「我思う、ゆえに我あり」ではなく「我感ずる、ゆえに我あり」(今西錦司や西田幾多郎) 頭だけでなく、身体性を持って考える存在。例) 人が汗をかく場合、暑いと思ったから汗をかくわけじゃなくて、身体が暑さに反応して汗をかくから、脳が暑いと思う。 西洋文化では客観を重んじるが(その典型が数学)主観と客観、知性と感性、脳と体、人間と外界は、2分化できるものではない。 2分化の結果が環境破壊!? 2分化の結果技術的進歩は在ったかも知れないが、それは「進化」だったのか?人間はゴリラより幸せとは言えない。 更に私は、Prof. Juichi Yamagiwaの世界的貢献を知りたく、英語で検索してこのTedExを見つけました。 この「人間の暴力性はどこから来るのか」を問うプレゼンでは、山極教授は人間の暴力性とは仲間意識の結果、仲間に対する共感と、仲間以外の同種に対する敵対心が生んだものだとしています。200万年前に狩猟のための武器の発展と共に共同体と共同体の間での戦が始まったと言う主流の考え方は間違えであり、50万年前に農耕が始まったのと同時期に武器が人間同士に使われ始めたと主張している。人間同士の暴力の歴史がこれだけ浅いのだから、人間の本質に暴力性はない、と言う主張です。 人間の暴力性はどこから来るのか...私が最近ずっと悩んでいることの一つです。音楽に関する脳神経科学の研究結果を見る限り、人間と言うのは理想的に社会的な生き物に見えます。体の動きや生態リズムをシンクすることに快感を覚え、声を合わせてハモルことで「愛情ホルモン(オキシトシン)」を分泌します。でも、アメリカの音楽業界で人種差別を受ける非白人音楽家の数は63パーセント、セクハラの被害者になる女性音楽家は67パーセントと言う統計結果があります。毒親、いじめ、痴漢行為、強姦、幼児虐待、家庭内暴力...日常的な例だけでも、人間の非共感性、そして暴力性の例は後を絶ちません。更に歴史を見ていると人間は同じ宗教でも宗派が違うだけで戦争をし、想像力豊かな拷問をします。様々な拷問の方法を読んでいると心底情けなくなります。(どうやったらより相手が苦痛か)と言う非生産的で、悲しい想像力を発揮したクリエイティビティ―です。なぜ人間はそこまで残酷になれるのか? 山極教授は、人間が道具を人間同士の殺戮のために使い始めたのは非常に最近の事であり、霊長類や猿人類にそのような特性はないと主張しています。が、私が最近見たジェーン・グドールのドキュメンタリーではチンパンジーのグループ間での殺し合いに至る戦争が鮮明に映像化されていました。さらに、下のドキュメンタリーの抜粋ではチンパンジーの雄の9割が生涯に同種の殺害に携わるとした上で、やはりチンパンジーのグループ間での戦争をドキュメントし、共食いの画像も出しています。山極教授のご専門はゴリラと言うことで、チンパンジーやボノボ(下のドキュメンタリーでチンパンジーよりずっと温厚な霊長類の例として出されていますが、それでも3パーセントの雄が他のボノボを殺すそうです)はゴリラとは違うのかも知れませんが、山極教授の人間の暴力性の由来に関する一般的な論点には疑問が残ります。 暴力の由来の明確化はここでは無理ですが、私は山極教授の「人間らしさ」に関する発表が、自分の「Dr.ピアニスト」としての音楽でより幸せ・健康・仲良くなることを提唱する活動と多いに共鳴していて、大変勇気づけられました。更に、ブータンでの旅行に関して色々思いました。 ブータンは、経済発展や技術発展よりもGNH(Gross National Happiness 国内総幸福量)を国勢の指針とする、と打ち出して世界の注目を浴びている国です。ブータンでご一緒したガイドさんの話しによると一年に一度調査員が家庭訪問をして、一人一人に2時間半に及ぶ「幸福度チェック」インタビューを行うそうです。質問の内容は健康度(通院回数・精神疾患の有無、家族の介護など)、生活習慣(規則性、食事内容など。国民の平均睡眠時間が毎晩8時間以上と言われたのがとても印象的でした)、社交度(家族と一緒の食事の頻度、地域貢献にかける時間、など)、宗教活動、経済状態など広範囲に及ぶそうです。外国人相手のツアーガイドと言う、ブータンの生活習慣に全くそぐわない職業についていてるガイドさんは、親戚の集まりや祝日などに顔を出せない事が多く、「どうしてお前は家族や友情よりもキャリアを優先させるんだ」と不思議がられる、とこぼしていました。 ブータンでは損得勘定ではなく流転の哲学で色々な物ごとが動いていました。例えば、そこら中に色とりどりの旗にお経が書かれた旗の様なものが翻っています。谷底とか、川の上とか(どうやってあそこに?)と言う所に沢山かかって居るのです。旗がほつれていずれは風に吹かれて跡形もなくなった時、旗に込められた祈りやお経が天に届くと信じられているので、特に強風なところに好んで旗をかけるのです。 駄菓子屋さんで、色々な見慣れないお菓子に一々興味を持ってぺちゃくちゃ日本語でしゃべる私たちに、お店の人が無料サンプルをくれました。にこにこして、本当に気前が良いのです。 そして砂曼荼羅を川に流すと言う儀式も、私たちは見学させて頂きました。沢山のお坊さんが総動員で長い時間をかけて描きあげられた色鮮やかな砂曼荼羅は、完成したらすぐ、川に流されます。諸行無常の象徴と言うのは分かりますが、本当に惜しげもなく、捨てるように川にササ!ササ!と流していました。大切なのは、物や情報ではなく、体験や交信であるーまさに山極教授のおっしゃっていることを体現実行しているかのようなブータンです。 ブータンがGNHを打ち出したのは、国際政治のためだ、と言う側面についても伺いました。ブータンはインドと中国に面する弱小国です。更に宗教を同じくするチベットともライバルの様な複雑な過去があります。いつ乗っ取られるやも知れない。そこでGNHで知名度を上げ、世論を味方につけたのです。しかしこのGNHがここまで世界の注目を浴びるのは、やはり現代先進国社会の悩みに対する理想をGNHが掲げているからではないでしょうか? 技術的な進歩が人間をゴリラより幸せにしているか疑問視する山極教授。そして経済的発展が経済大国をブータンよりより優れた国家にしているか疑問視するから、私たちはブータンにここまで憧れるのではないでしょうか?
武士道を英語で「The Way of the Samurai」と訳します。これをもじって、「The Way of the云々」とか「何々’sWay」と言うのは多いです。その一つに「The Artist’s Way」と言う本があり、その中で推奨されているのが、このモーニングページです。起床直後に、手書きで思いつくままに言葉を書いていくことで意識下の自分の想いにアクセスし、自分の本領を発揮できるようにする、と言うものです。毎日やると言うのが基本ですが、私はもやもやしている時だけ、やります。数日続けるともやもやはいつもなぜだかどこかへ消滅。朝型の私はベッドから飛び起きてすぐ練習やジョギングやメールや執筆などの色々にかかりたくなってしまい、モーニングページはそっちのけになってしまうのです。 でもこの数日、早すぎる時間に不穏な気持ちで目が覚めるのです。理由としては大きなものから小さなものまで箇条書きにして行くと… 世界情勢の不安(関税戦争、世界経済、日韓関係、など) アマゾンと北極圏の火事による二酸化炭素の大量放出とその結果の温暖化の急進化。さらに大地震の予測。 自分の将来。自分の経済状態。自分の音楽友人たちの生活安定 時差。(6月以降の二か月間で8回違う時間圏を行き来した。) 時差を言い訳にコーヒー飲みすぎ。 運動不足。 自分の将来に関してにわかに不安になるのは、旅先ではその滞在中の事だけを考えているのですが、家に帰って来るともっといろいろ責任をもって考えなければ…と言う思いに駆られる、と言うことがあるかも知れません。旅行中や演奏中は、会場の大きさやお客様の数や収入に関係なく、自分のベストを尽くす事だけに専念します。でもひとたび家に帰ってみると、(こういう刹那的な生き方で良いのか…)と不安になるのです。 (これも音楽人生の現実!正直に書いてみよう!)と思って起き上がってコンピューターを開けたら… 一年くらい連絡を取り合っていなかった知り合いが突然「一年半前に演奏会場で買ったあなたのCDを何度も何度も聴いている。特にラフマニノフのエレジーをリピートして聴いている。素晴らしいCDを、そして私にこの曲を紹介してくれたことに、ありがとう。」とメッセージを入れてくれています。そして昨日久しぶりに書いたブログには、横須賀の演奏会に来てくださった方が「初めて聞かせて頂きました。びっくり仰天でした。音量、音域の体積、面積に圧倒されました…」と涙が出るようなコメントを付けてくださっているのです。 今朝のこのタイミングでこういうメッセージをもらえたのは、もしかして運命!? 本当に大事な事ってなんだろう。世界の終焉はもしかしたら私たちの寿命が来る前に来てしまうかも知れない。世界の終焉は来なくても、少なくとも私の命の終焉は絶対に来る。限りある時間の中で、私は何をするべきなのだろう。きっと安全・安定に固執することじゃない。私が求めるべきことはきっと我を忘れて何かに没頭できる瞬間をより多く持つこと。思い返す度に幸せになれる思い出を一つでも多く作る事。大事な人と笑い合ったり、共感したりする時間を少しでも多く持つこと。そして世のため、人のために尽くす事が出来ていると言う実感。大事なのはやっていること自体の効果の規模ではなく、その信念。一人でも多くの人に共感や笑顔や思い出になる瞬間や没頭できる時間を提供できた、と言う自信。 ありがとうございます。今朝は本当に励まされました。音楽人生万歳!
寝る前にルーティーンがあるとよく眠れる、と言う話しを聞いた。 それを意識してでは無いが、どんなに忙しくても就寝後朝の連ドラを2エピソード見てから寝ている。 この習慣を始めてからなるほど、よく眠れている。 まず「ゲゲゲの女房」を見た。色々興味深く、非常に面白かった。 今は「あまちゃん」。 今週は、震災後北三陸に戻ってきたあきちゃんが 「海女ガフェをだでなおすっぺ!」と言っている辺り。 この「あきちゃん」にすっかりはまってしまった。 私は硬派。 自他ともに認める、汚点になるくらいの『真面目』。 ミーハーとかファン心理なんて言うものは、在っても宣言しない。 ...と言うかしにくい。 その私がブログで「天野アキ」ファンだ!と言い切ってしまうのだから、多分すごい。 新曲の練習していても(アキちゃんだったらどう表現するだろう?)と思うと、想像力に羽が生える。 感情移入がしやすい。いつの間にか「アキちゃん」に自己投影している。 監督の嗜好だと思うが、舞台芝居的で非現実的な演技が貫かれている。 それがあっている役者といない役者が居る。 やよいを演じる渡辺えりとか、あんべちゃんを演じる片桐はいりなどはすごい。 更に薬師丸ひろ子さんや、宮本信子さんは私が勝手に持っていた彼らのイメージを全く覆して役作りがあっぱれ。 種一先輩演じる福士蒼汰さんも好演だと思う。 しかし、その中で、少なくとも私にとって、アキちゃんはダントツ。 何しろ、演技が自然。 (これは地で行ってこうなったんだろう)(普段もきっとこうなんだろう)と思ってしまう。 しかしインタビュー画像などを見ると、全然違う。 ちなみに私はこの稀なる自分のファン心理現象を解析すべく、能年玲奈(現在芸名「のん」)について調べ、 私はのんのファンではなく、天野アキのファンなんだと、確信した。 じゃあなぜ、私はアキちゃんが非常に好きなのか。 『あまちゃん』は非常な高視聴率を獲得し、人々の心を捉えたのか。 「朝ドラ」と言う現象、そして『あまちゃん』と言う番組を、「天野アキ」と切り離して解析するのは難しい。 が、敢えて一言で言うなら、ノン演じるあきちゃんの一貫性、と言うことではないか、と思う。 ノンの演技力だと思うが、ちらりとも役者の顔が見えない。最初から最後まで同じキャラで貫かれている。 これは集中力とか、コミットメント、と言う言葉でも表現できると思う。 これを目指そう! これから私は自分の認知度を上げていきたいと思っている。 音楽の良さや効用と言うのを広める活動をしたい、と言う強い願望が在るからだ。 その為には私と言うキャラの固定観念を確立しなければいけない。 私は今まで固定観念は偏見と同じで悪いものだと思っていた。 そうではないんだ、と気づかせてくれた「あまちゃん」とのんの演技に感謝!
NYに来ています。 NYは私が13歳から20年近く過ごした、私の故郷の一つですが、今回の「帰郷」は一年ぶり。 8日の滞在を精一杯楽しむ!意識的に思っているだけでないのかもしれない。どうしても夜遅くまで目がさえ、朝早く目が覚めてしまう。 ワクワクしています。 体験型シアター「スリープノーモア」に行ってきました。 LAで同じく起業をしようとしているピアニストが「お願い!ぜひ行って来て!人生観変わるから」と強く勧めてくれたので、 かなり高額でしたがチケット購入。 「怖いからいかない」と同伴を断ったNYの友達の言葉にちょっとドキドキしながら、行きました。 シェークスピアのマクベスを基に、6階建ての1939年建築のホテルを改造して、役者を部屋から部屋へと追いかけながら体験する、と言う前知識と、「動きやすい服装と靴で来てください」「お客様には仮面をかぶっていただきます」などと言う観劇前日に来た劇場からの注意書き、そして私に熱狂的に勧めたLAの友達の言葉から大体の予備知識はありました。 体験型シアターと言うのは、私は他でも体験していました。 例えば、公園で行われたシェークスピアは、舞台転換ではなく、それぞれの場面にふさわしい公園の場所に移動して劇が展開され、観客はその間、役者について行って立ちっぱなしで観劇します。出番でない役者が必要に応じて、懐中電灯で進行中の劇を照らしたり、小道具をササっと出したりしていました。これは工夫が結構楽しかった。 ダンテの「神典」の時は何と、マンハッタンの一か所で落ち合って、役者について地下鉄の駅にぞろぞろ行きます。これが「地獄」への降下。そして地下鉄に乗って、他の何も知らない乗客も居る中、役者がとうとうとモノローグを演じて、目的地でみんなでぞろぞろと役者について行って、使われていない倉庫のようなところで、ヴィデオ・インストレーションとか、ライヴの音楽とか、などが「地獄」を演出する、と言う試み。この時は間延びがして、ちょっと観客同志で気まずい感じがしました。 ただ、こういう場合、どうしてもプロダクションや演技その物の質が失われる感が否めない。 今回は「儲け度外視でセットデザインも衣装も非常な投資をして製作され、役者も最高級」と言うLAの友達の言葉で更に好奇心が刺激されていました。「儲け度外視」!...このご時世で?私は今、起業をしようとしている中、利益を出しつつ、提供する音楽の質を妥協しない、と言うことの難しさに七転八倒しています。だから、ここが一番の見どころだった。 (警告:要注意!もうすでにチケットをご購入の方、またこれからスリープノーモアに行くのを楽しみにしている方々はお読みになられない方が良いかもしれません) 結論から言うと...ちょっと悲しい気持ち。まず、「儲け度外視」ではなかった。セットが「歴史的背景を重要視した調度品」で、芝居抜きでもインストレーションとしても博物館の様に楽しめる、と言う謳い文句だったのに対し、すべてが薄暗く、何もよく見えず、しかし数多くある剥製も触ってみると偽物。そして「儲け度外視」でお客様の体験を最優先にさせるのであれば、絶対入場数を半減すべき。仮面を被ったお客は傍若無人となり、役者を囲んでお互いを押しのけ、少しでもよく見ようとほとんどけんか腰。役者は接近してくる聴衆をかき分けながらなんとか演技を続行しようとして、お客にぶつかったりしている。 そしてシェークスピアなのに、役者は無言でパントマイムと踊りのみ。しかも演技も踊りもどっちつかずで、結果(私の意見では)どちらも最高級ではない。踊りやパントマイムだけでシェークスピアの新解釈を提示できないとは思わないけれど、このスリープノーモアではセックスと暴力シーンだけがハイライトされ、血まみれになった役者が殺し合いの組み合いを延々と続けたり、半裸・全裸の役者が茫然といつまでも踊り続けたりする。(しかし、素晴らしい体つきだった。女性はみんな、きれいだったけれどおっぱいが無くてびっくりしたが、男性は筋肉粒々で彫刻みたいだった。) 興行の難しさ。なぜ本物には正当な対価が払われると言う確信が無いのか?お客が悪いのか、資本主義が悪いのか? どちらも悪いのかも。仮面を被ることを義務付けられる3時間は無言でいること義務付けられるが、それが終わった後、周りのお客に聞いてみた。「どうでしたか?」そしたら「すごい!素晴らしかった!」と言う意見ばかり。「14回もスリープノーモアを見に来た友達に強制的に連れてこられたが、その訳が分かった!」などと。 エ~~ン(涙)
最近友人に聞いた話しです。 大笑いした後に、ちょっと考えさせられた良い話だったのでシェアします。 彼の職場にはすごく癖の強い上司がいるそうです。第一印象がとても良い。またお客さんには非常に評判が良い。お客さんとみんなお友達になってしまう。職場の部下たちも最初は皆すごく仲良く、お友達の様にやっている。でも段々みんな口を聞かなくなって、ついには辞めてしまう人も続出。その原因は彼が癇癪持ちだからです。「お前にはこの会社に居る資格も無い!」とか「本当の能力なしとはお前の様な奴の事だな!」とか言ってしまうのです。私の友達は凄く人の好い、誰とでもうまくやっていく人なのですが、でもこの上司とは出来るだけ顔を合わせ無い様に避けるようになってしまったそうです。 でも、そんな上司と一人だけいつまでも仲良くやっている人が居ました。この彼も皆と同じようにどなり散らされているのですが…私の友達はこのXさんに聞いてみたそうです。「秘訣は何ですか?」。 「まず」、と教えてもらったXさんからの秘伝が「ゴキブリ」説だそうです。 レストランにゴキブリが飛び込んできた。その時「キャ~~!!」と言って逃げ回り、店に大文句を垂れた客「もう食事が台無しよ!どうしてくれるの?」。逆に全く動じずに食事を終えた客。この二人の客を比べて、質問は最初の客の食事を台無しにしたのは、ゴキブリだったのか、それともお客自身だったのか? Xさんの秘訣はとにかく受け流す、と言う事だったそうです。相手がどんなに感情的になっても馬耳東風で言わせておく。そして少し収まったところで「じゃあ、どうすれば良いんですか?」と聞いてみる。相手も(本当はちょっと悪かったな)と思っているので、結構手鳥足取り親切に教えてくれる。 この話しを聴いて、このヴィデオを思い出しました。 23年間妻に口を聞かない夫を、子供の依頼で原因探求した「探偵ナイトスクープ」のエピソードです。このエピソードで本当にすごいのは、完全にシカトされてもお母さんがお父さんに愛情を持って接しているところです。すごい!このヴィデオは感動します。ネタバレしたくないので、この辺で辞めておきますが、この妻は「ゴキブリ説」を23年間実行したのだな、と尊敬します。 英語ですがこの「ゴキブリ説」のURLをここに付けます。 Cockroach Theory- A beautiful speech by Sundar Pichai.