人生の優先順位

秋晴れの・朝のブログは・美しく・ヒューストンでは・師走は秋。

充実した毎日を元気に楽しく送っています。 練習、演奏、論文執筆、クリスマス関係の色々な社交… そんな中、ブログ更新が中々間遠になってしまったりします。 書いておきたいトピックは多々あるのですが… そんな中、最近のブログに書いた「美しい」を全ての選択に於いて追及する、と言う事。 http://ameblo.jp/makikochan6/entry-12103543794.html これは中々有効です。 小さい事では言葉遣い、言葉の選択、立ち居振る舞い。 もっと大きなことでは、時間、一日、一週間をどのように使うのか。 誰と、どのように時間を過ごすのか。 例えば私には思慮深い積極性は受動的な姿勢よりも美しく思えます。 それで「美しくあろう」と思うことで行動的になることができる。 正直に愚痴をこぼせる友情と言うのは美しいと思いますが、 行動や思考の伴わない愚痴に甘んじる事は、私は美しいとは思わない。 それで、愚痴をこぼしてしまった次の日は対処法を行動に移す! 食べるものの選択、食べる量の選択も、「美しさ」を追及すると簡単です。 これで、どんどん贅肉が落ちてきたのには、自分でもびっくりしています。 今までいかに、惰性で不必要に、考えなく食べて来ていたか。 ちゃんと味わって、意識して物を食べてあげる、と言う行為は美しいと思います。 最近、私のストーカー現状を気遣って 「いやな思いをしていないか」 と聞いてくださる方がありました。 この質問にどう応えるか、私はしばし熟考しました。 何を「いや」と思うかは、自分の態度次第だと思います。 態度と何にフォーカスするかと言う選択一つで、 ちょっとした困難は「いやな経験」にも「チャレンジ」にもなり得る。 私を心配してくださる気持ちは美しい。 そこを尊重・重視して、私成りに美しいと思える返事をすることで、 自分もより勇気づけられました。 私がこういう風に考えられるのは、 美しい人々に囲まれ、ストーカーと言う非常事態にありながら 沢山の友達と素晴らしいコミュニティーにサポートしてもらって、 優しい気持ちでいられるから、です。 私は本当にラッキーです。

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私の人生の覚書。人間みな兄弟。

生きていて実感したことがいくつかあります。 僭越に聞こえるかもしれませんが、 書き出すことで今の私の自分のための覚書にさせてください。 人は、どんな状況の人でも、多少は寂しい。 自分の寂しさは自分では解消できないことがあるけれど、 周りの人の寂しさには手を差し伸べてあげることができる。 多くの人は「助けて欲しい」「救われたい」と思っているけれど、 実は救いと言うのは、 自分が他の人を助けさせて頂くことで見出せることが多いと言うことを忘れやすい。 考えて分かることには限りがある。 分からなくても行動していれば、見えてくるものがある。 考えることは行動しながらでも、できる。 人が本当に何を考えているかは自分には絶対に知り得ない。 だから、一番楽観的な、一番優しい見方をするのが、 自分のためにも相手のためにも、そしてお互いの関係のためにも一番良い。 自分に何が起こるか、と言うことは自分にコントロールできないこともあるけれど、 起こったことにどう反応するか、何をどう記憶するか、と言うことは自分で決められる。 自分にコントロール出来ない事は考えてもしょうがない。 自分にコントロール出来ることに集中して、心を込めて自分のベストを尽くす。 私の最近のお気に入りは、周りの人を褒めることです。 道で通りすがりの人とか、トイレで並んで手を洗っている間とかに 「スカート、素敵ですね」 とか「その色合い、周りが明るくなりますね、ありがとう」 とか、言ってみるのです。 皆顔がぱっと明るくなり、たいていの人はお礼を言ってくれます。 私もとっても嬉しい気分になります。 今日の午後もそうですが、 11月の毎週水曜日はヒューストンから南にちょっと行ったHobby空港でピアノを弾いています。 通りすがる人の多くが難しい顔をしてセカセカと歩いています。 その人たちの顔を一人ひとり(笑顔になったらどんな顔の人だろう)と想像しながら 音を発信するつもりで心を込めて、皆の顔を見ています。 そうすると、必然的に多くの人と目が合います。 私がにっこりすると、たいていの人がほほ笑み返してくれます。 そうすると皆驚くほど顔が変わります。 とっても嬉しい気持ちになります。 昨日の朝はどう言う訳か物凄い倦怠感で、自分にどう対処したら良いか分からなかった。 そしたら学校からSOSのメールが来ました。 今度のオーケストラの演奏会でピアノ・パートを担当の子が 難しいパートに苦難して、指揮者にリハーサル中怒られてしまった。 私が代わりに弾いてやってくれないか。 難しくて、速くて、そしてすごく目立つことで有名なピアノ・パートです。 私は弾いた事がある、でも私が代行したらその子のメンツは? 「私が代行するよりも、私に指導させてください!」 と言って、学校に直行しました。 練習室で1時間。 リハーサル中に名指しで指揮者に色々言われたその子は 心理的にも凝り固まっていました。 (宮沢賢治の『チェロ弾きのゴーシュ』を思い出してください) その子と指揮者やオケパートに関する冗談を言って笑いあって、 それで指使いや練習法など細かく指導して行きました。 気が付いたら、その子を上達させることに一生懸命になって 自分の問題は完全に忘れていました。 (助けさせてくれて本当にありがとう!)という感じでした。

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歌うが勝ち!

最近、カラオケをしている。 カラオケはやればいっつも凄く楽しかったのだけれど 「クラシックピアニストがカラオケなんて…」と言うイメージの問題とか、 なんでかな~、もう何年もやっていなかった。 しかし、ヒューストンの日本人社会ではカラオケが大流行! そして、皆びっくりするくらい上手い! 「NHKのど自慢、ヒューストンに来てください!」と思うくらい。 素人とは思えない。 そして、在外何十年とか、そういう人ばかりなのに、 「なんで?」と言うくらい皆、曲を良く知っている。 始めは恥ずかしかったし、遠慮もあって、 キャンディーキャンディーとかアニメの短い歌を歌っていた。 (と言うか,キャンディーキャンディーは短いと思っていたら歌詞が3番まであった)。 でも、段々すごく楽しくなってきて 「ぎんぎら銀」とか「ルビーの指輪」とか「ギザギザハートの子守歌」とか 思い出し始めると、ぞろぞろ思い出す! そして声もどんどん出てくる! 楽しい。歌を大声で歌うってなんて気持ちが良いんだ! それで思い出した。 私はいっつも本に読みふけるか、歌っている子だった。 と、言うか大人になっても歌っていた。 道を歩きながら鼻歌でも、シャワーで大声でも、 一人で留守番の時なんて、家じゅうを飛び跳ねて、踊りながら歌ったりした。 お風呂に入る時はいつも妹と二重唱をした。 学校で習ってきた合唱の曲とか、そう言うのを私が妹に教えて、 それで私が下のパートを受け持つのだった。 時々音程確認とかも、ちゃんとやった。 いつ、歌うのやめちゃったんだろう? 昔の人も良く歌ったらしい。 音楽史とか読んでいるとたまに、中世とかのそういう風景の記述があったりする。 仕事しながら、道を歩きながら、子供をあやしながら、 合唱したり、一人だったり、斉唱だったり、 兎に角どこでも歌っていたらしい。 後、踊るのも。 貴族も平民も、手をつないで輪になって踊り狂ったりしたらしい。 楽しそう… まあ、現在のアメリカではねえ。 色々な文化・宗教・言葉の人がそれぞれの歌をもっているから 電車が止まっちゃって、運転再開を待ちながらみんなが合唱なんてできないけれど。 でも、回し歌とか、したら楽しいのに。 そう言えば、ロサンジェルスの学友とは良く歌った。 台湾人と、アメリカ人と、日本人の私でハイキングした時、 中国語と日本語でそれぞれ歌を歌って、 歌詞の内容を想像してあてっこをする、と言うゲームをした。 皆でキャンプに行ったときは山道で車座になって 皆で和音を作りながら、一人ひとり音を一つずつ変えていって和声を進行させる、 そんなゲームを悪気もなく皆で大声でやっていたら 道行く人に「これは何かの儀式ですか?」と聞かれて、皆で大笑いした。 もう随分昔しの話しだが、私は合唱が趣味の弁護士さんと演奏を通じて知り合いになった。 マタイの受難曲とか、そういう古典を歌うグループに入っていらして、 とても張り切って、リハーサル風景の逸話とかを時々聞かせてくださった。 そんなある日、演奏会の一週間前に非常に優秀な女医さんでいらした奥様が 出勤途中に救急車に跳ねられて即死されてしまわれた。 噂になるくらい美男美女で、しかも二人共人望が高く、優秀で素敵なカップルだったのに。 その一週間後のマタイ受難曲の演奏会に、この弁護士さんは出演されたのだった。

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在外の日本人コミュニティー

戦争は反対だけれでも、でも戦友の絆の強さに憧れを抱く、と言う人は多いのでは? 音楽人生は挑戦が多い。だから、音楽仲間は一種の戦友である。 そして、外国生活もやはり同じく。 だから在外の日本人コミュニティーと言うのは素晴らしい結束だったりする。 両親が「ショートヒルズ会」なるものに週末参加したようである。 私たちがマンハッタン郊外はニュージャージー州のショートヒルズに住んだのは 90年代の話市である。 しかもショートヒルズは特に日本人がものすごく多いコミュニティーでは無かった。 一番多かった駐在組のほかにも、永住組も、国際結婚組もいたし。 でも、数が少なかったから余計、だったのかも。 週末にお互いの家に行き来してバーベキューなどのパーティーをしたり、 一緒に家族旅行に行ったりもした。 そして、帰国した元・ショートヒルズ在住の日本人たちは会を作って ゴルフやったり、お食事会やったり、楽しんでいるのである。 私も、NJ,NY,LA,そして今ヒューストンと色々と移り住んで、 それぞれの日本人会に色々関わらせていただいた。 しかし、ヒューストンの日本人会が特に素晴らしく、ありがたく思われるのは、 2010年に越してきてすぐの東日本大地震があったからかも。 ヒューストン日本人は本当に寄付金を集めるべく、頑張ったのである。 それが、私にとってはヒューストン日本人コミュニティーと協力・結託したきっかけだった。 ヒューストンの日本人コミュニティーは特に、 私たちのような芸術や、学問など、 一般的に資材に苦しむ分野の人々を特に積極的に応援してくれる。 良い仲間に巡り合えて、困難な時はサポートしあえて、 人生の節目は一緒に祝えて、 人生の苦しみも喜びも分かち合える。 家族が遠く海を隔てた人間にとっては、もう家族のようなものです。 引っ越しの時も手伝っていただきました。 ストーカー対処には、本当に勇気百倍の応援をいただきました。 眠れない夜の翌朝、電話で愚痴をこぼせして、心配していただいています。。 寂しいときは、一緒にご飯を食べていただいています。 そしてパーティーでは、大笑いしながらラインダンスしたり、 お酒を飲んでカラオケをして、お互いの熱唱をからかいあったり、上手くてびっくりしたり。 来週末は、美しいカントリークラブで 『ブランチ・ビュッフェとクラシックを楽しもう会』を開催していただきます。 詳しくはこちらで。 http://jagh.org/category/events/ 仲間がいるから、何があっても元気です。

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優しさ=想像力

大好きな人とのコミュニケーションは、いろいろ考えさせてくれるきっかけになる。 最近『優しさと言うのは、相手の立場を想像して気遣う、想像力の問題なんだなあ』と ふと思い当って、この考え方が気に入っている。 例えば私の日本の在住の方々に私のアメリカでの生活・日常は想像しにくい。 私は13歳まで日本で暮らしたし、 日本で演奏の機会を頂く度に、実家で一緒に生活して 日本での日常の様子や慣習はある程度分かっているつもりだけれど、 特に独り身から婚約者と、立場が代わった私の日常を日本の知人・友人は全く知らない。 だから不安になってしまうのかも。 特に『結婚』と言うすべての人がなんらかの想いを抱えている 人生一大行事を目前にしては、文化・慣習・考え方の違いが如実に現れる。 相手の心配を想像して、安心をしてもらえるよう情報を提供する心配りが私の責任。 そして心配してくれる人には、私を信頼して、納得するまで質問してね。 分からないことは、情報がゲットできるまで取りあえず最善の想像をしてね、 と優しく頼もう。 皆、近しい人に幸せになってもらいたい、と思っていると思う。 皆、最善の影響を自分の周囲に及ぼしたい、と思っていると思う。 それが人間でしょ? でもそれがスムーズに行かなくてコミュニケ―ション・ギャップが生じるのは、 自分の現実に目がくらんで、 相手の状況に想像力を働かせることを忘れてしまうときだと思う。 覚書。

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