コロナ日記㉓:非常時だからこそ味わう・愛でる
こんな時だからこそ一瞬の喜びを、美を、愛でる。そして分かち合う。それが音楽家、そして表現者のの使命だと思う。
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ここ数週間色々な方からメールなどで「この助演金に申請しては…?」という類の助言を沢山もらっている。また、「少なくて申し訳ないけれど…」と言って寄付を申し出てくれた演奏会主催者もいる。皆、本当に優しい。これはやはり、自称「Dr.ピアニスト」の提唱する音楽の癒し効果の価値を買ってくれている人が多いと、ポジティブに受け取る事にして、頑張る!受け取ったやさしさを、どんどん倍増していく!
時間の感覚は主観的です。「時間の芸術」と言われる音楽の醍醐味の多くはそこにある。でもメトロノームの商品化で、音楽の速度を定量化するという概念が広まりました。メトロノームの弊害はそのまま産業革命がもたらした価値観の社会的弊害の象徴として語れるのでは?今朝練習しながらふと、そんな壮大な考えが頭に浮かんでしまいました。 時間の感覚が主観的なのは、過去は記憶、将来は想像、そして現在は瞬間的かつ感覚的だからです。印象が強い体験をした時間は長く感じる。逆に退屈な時間は記憶には残らないでしょう。音楽で言えば、2分間しか無い曲の最後の音が消え入るのを聞き入るとき、あたかも旅から帰ってきたような、夢から覚めるような感覚を味わうこともあれば、30分の曲を固唾をのむように聞き入ってまるで一瞬の出来事だったような気がするときもあります。 ホールの音響でも、テンポの感覚は変わります。残響の多いホールでは、速いパッセージは音が濁って「速い」ではなく「聞こえにくい・分からない=記憶に残らない」になりがち。なので、かみ砕くように弾かなくてはいけません。逆に残響が少ないホールでは、リズムが非常に重要です。奏者も聴衆も一体になって乗れるリズムと言うのは、奏者の弾ける一番速いテンポでは、概してありません。なんにせよ、音楽に於いて大事なのはBPM(Beats Per Minute=一秒間に何拍あるか=メトロノームの単位)ではない、と言うことです。大事なのは、メロディーの流れ、リズムの躍動感、曲の構築、感動、そして最終的に何が記憶に残るか、です。 私は音楽は人生だと思っているので、飛躍に思えるかもしれませんが、ここで一つ大きな表明をさせてください。 長寿は目的ではない。 BPMが奏者の目標であってはならない様に、私に言わせれば長寿は人生のゴールであるべきではない。大事なのは、我を忘れる没頭ができる瞬間。微笑んだり笑ったりしながら浸れる思い出をいかに多く周りの人と共有できるか。自分の創作・発信。そう言った事ではないでしょうか?人生で大事なのは計測できるものではない。音楽・創造性・共感・愛情...私が、自分の音楽人生を賭けて世に訴えようとしているのは、そういう価値観の転換です。
ここ数日、朝から晩まで練習に没頭している。 兎に角何をするにもどうしたら一番練習の効率が上がるか、と言うことを最優先に考えている。スケジュールも運動も食べ物も睡眠も「どうやって自分をベストコンディションにして練習に臨むか」と言うことを念頭に決める。全てが単純明快・一目瞭然になる。 昨日は精一杯運動したので、今日は朝のジョギングをウォーキングに変える。いつもと同じコースなのだけれど、ペースが変わっただけで世界が変わる。今まで鳥の鳴き声が聞こえていなかった。こんなに多様な鳥が色々な鳴き声を出している。柑橘類のおいしそうな果物がたわわになっている木を見逃していた。いつも、通りすがる人には必ず挨拶をしていたけれど、今日はその人の顔や表情が声の調子が見えている。「Good morning!」 練習をしながらも全く同じことを考えている。テンポが違うと曲が変わる。指示の半分のテンポで初めて聞こえてくる和声進行や内声が在る。逆に速く弾いてみて初めて分かる構築もある。(勿体ない)と思う。私の演奏でこの曲を一回、普通のテンポでしか聞かないお客さんは、勿体ない!いっそ、一曲だけの演奏会と言うのはどうだろう?同じ曲を違うテンポや違う解釈で、何回も聴いていただくのである。実際シェーンベルグら新ウィーン楽派の演奏会では(一回の演奏で理解していただくのは無理)と言う前提のもと、演目はいつも2度繰り返して演奏された。この場合は何も変えずに同じ曲を同じように2回演奏するのだけれど。 (でも...)と、いつものジョギングコースを今日はてくてく歩きながら、考え続ける。(そういう沢山の曲の層とか可能性を全て含んだ演奏をするのが、演奏と言う芸術なのでは?そういう演奏が「美しい」のでは?『美』と言うのは、私たちの感性や物語では2次元的になってしまう真実の全ての側面を反映しうるものなのでは?) そして、こういう私の朝の哲学も、演奏に込めて発信したい。シェアしたい。このブログを書きながら朝食を食べてて出会った驚愕的に美味しいアヴォガドの味も。粒がプチプチはじけるようなグレープフルーツの愛おしさも。ウォーキングしながら感嘆して見とれた雪化粧をした近所の山脈も。 人生は豊かだ。可能性に満ちている。音楽人生万歳!
アメリカは昨日は感謝祭でした。 アメリカ感謝祭の定番は七面鳥の丸焼き。内臓を抜いたお腹の中に詰め物をしてオーブンで焼きます。詰め物は主にパン粉や根野菜など、肉汁を吸って美味しくなるものに、ガーリックや香草など肉をより香ばしくするものを混ぜます。色々なレシピがありますが、私が大好きな詰め物のレシピは栗を使うんですよ!それからパンプキンパイ。カボチャの実をつぶしてバターやシナモンなどを混ぜ、パイ生地で囲んでこんがり焼きます。 感謝祭のご馳走を頂く前に、良くテーブルを囲んで一人ずつ、今現在特に感謝していることを順番に言う、と言う習慣があります。皆さんは何に感謝をしていますか? 私が感謝していることはいっぱいあります。 音楽人生を通じて成長を続けられていること 私の成長や発見を喜び、応援してくれる仲間に恵まれていること。 US-Japan Leadership Programを通じて交友関係や世界観を大きく広がって行っていること。 一日に何度も手放しで笑う日常生活がある、と言うこと。 自分が大事だと思うことにじっくり時間をかける贅沢。 シェアする喜びを楽しめること。 今年の感謝祭は西海岸では珍しく大雨で冷え込み、山のてっぺんが雪模様になりました。静かに家で沢山お料理をして、お料理の合間に練習と読書の一日になりました。そう言えば20代~30代を通じてずっと学校の練習室で練習せざるを得なかった私の将来の夢の一つに、「練習しながら隣のキッチンのお鍋でぐつぐつ美味しい物を煮込んでいる」と言うのがあったなあ。昨日は煮込むだけでなく、オーブンも使ったし、一杯良いにおいの美味しいものを作ったなあ。夢が叶っているんだなあ。感謝でいっぱいの感謝祭でした。