6月20日(木)ギリシャのスペツェス島。5日間の機械学習の学会の最後の晩に演奏させて頂きました。海辺から徒歩5分の素晴らしい環境で、同じ釜の飯を食い、同じ屋根の下で生活して、自分たちの研究や将来への夢や野望を語り合った仲間たちの前での演奏。ピアノは理想的とは言い難いとても古いピアノ。調律師はスペツェス島には居らず、演奏会のために調律師の手配…と言う手配はされてはおらず、兎に角最善を尽くすのみ。でも、毎日一緒に海辺を散歩や海水浴をした後でしたので、ショパンの舟歌やリストのエステ荘の噴水は、格別に意味深く感じられ、本当に奏者も聴衆も会場全体が一体となって「ピアノに聴く水」を堪能できた、素敵な演奏会となりました。アンコールの後も、お客様がいつまでも名残惜しそうに質問やコメントを投げかけてくれ、時間がしばし経って荷物をまとめて会場を出ると、出しておいたCDが一枚残らず完売されていました。「もっと持ってきてくれても良かったのに…」と、数人からちょっぴり残念そうに言っていただけて嬉しかったです。(CDはオンラインでもご購入いただけますよ~。) 6月29日(土)実に36時間くらい前にヨーロッパからカリフォルニアに帰宅しばかりの本番。でも本番!となるとやっぱり音楽家は張り切ってしまうものなのですね。時差ぼけなんて何のその。「第二次世界大戦中日本で活躍したユダヤ人音楽家」のトピックでレクチャーコンサートをするのは実に6回目だったのですが、やはり「音楽は人類愛」と語っていると熱くなってしまいます。レオ・シロタやレオニード・クロイツァーや、逆境の中で音楽魂を燃やし続けた日本人やユダヤ人の音楽家の話しが、涙を持って迎えられたりすると本当に充実感を覚えます。今回も打てば響くような素晴らしい聴衆に恵まれました!感謝! 6月30日(日)ホームコンサートで「ピアノに聴く水」を通させて頂きました。実はこれまでの「ピアノに聴く水」の演奏はすべて、30分とか、45分とか、1時間の抜粋で、初めから終わりまで「ピアノに聴く水」を通させて頂いたのは初めて。マークの家にあるヤマハのC7のピアノは特に低音の響きが素晴らしく、楽しみにしていましたが…この日は結構苦闘しました。お客様には喜んでいただけ、ホストのマークと奥様のエスター、そして最近私のエージェントの候補となっているラリーなどは手放しで褒めてくれ、涙を流さんばかりでしたが、毎日私の練習の耳辺りにしている野の君は一言「なんか危うかったような…」マークが熱狂的に3つのカメラと二つのマイクを使って録音・録画してくれたので、じっくりと一人反省会を翌日しました。一言で言って、この日の私は聴けていなかった。これから弾こうとする音や音楽も頭の中で聴けていなかったし、その瞬間瞬間自分が出している音を冷静に判断して将来に役立てると言う聴き方も3曲目くらいから放棄してしまっていたし、余韻を楽しむ余裕も無くなっていた。疲労・マークの家の残響の多さと音量、など言い訳はできるけれど、この日は課題を多く見出させて頂いた演奏経験でした。 7月2日(火)大事なお友達ご夫妻の人生の節目のパーティ―に立ち会わせて頂き、音楽をご提供させて頂きました。彼らの家のK. Kawaiは10日前に調律した調律師さんの腕もさることながら、元々のピアノも、ピアノとお部屋の相性も最高だったのだと思います。音楽愛好家が多いお客様の前で、奥様がお好きなゴールドベルグ変奏曲のアリアや、モンポ―の「一滴の水について」、シューベルトの即興曲や、ショパンのエチュードなど、小品をいくつか披露させて頂きました。あまりに美味しいおご馳走に合わせて少し日本酒とワインを頂いてしまっていたのですが、落ち着いて、余韻を楽しみながら弾くことが出来ました。日曜日の自身回復が少しできたかな? 7月3日(水)Music at Noonと言うパサデナの街に古くから続くコンサートシリーズで「ピアノに聴く水」の抜粋を演奏させて頂きました。演奏会場にお集まりくださった聴衆はざっと100人ほど。赤ちゃん。車いすに乗って看護婦さんの付き添いと来られているご老人。毎週来ていると言う近所の男性。夏休みなので子供を連れて来ているお母さんたち。この人たち全員に、まず私の合図で一緒に息をしてもらい、次に簡単な発声をしてもらい、会場に笑いと安心と一体感を醸し出してから、シューベルト、ショパン、リスト、と弾き進みました。会場はモダンな教会で、ステンドグラスが素敵なのですが、響きが5階建て分くらいある吹き抜けの天上に抜けてしまう感がややあり、残響が長めです。さらにピアノは普段は教会の礼拝中のポップス系の演奏に使われているピアノ。いかにもそういう音がします。ハンマーが固く、輪郭がはっきりしている代わりに軽くて深みが無い音で、陰影がつけにくいのです。だから私は兎に角「間」「ため」「タイミング」で勝負をすることに決めました。これがうまく行ったのだと思います。自分でも与えられた状況の中でベストを尽くせたと言う満足感がありましたし、確かにお客様と心を通わせることが出来た!と言う手ごたえがありました。CDも沢山売れましたし、何しろお客様からの質問やリクエストや反応が素晴らしかった。演奏終了後もお客様がずっと帰りたがらない様子が嬉しかったです。 7月3日の午後、演奏を終えて帰宅して来た私はそのままベッドに直行してしまいました。読書に耽り(練習しなきゃ…反省会をやらなきゃ…)と気持ちは焦るのですが、どうしても体が動かず(自分は何という怠けものなんだ…どうして意思がこんなに弱いんだ…)と自己嫌悪に陥っている中、野の君帰宅。「体が熱いよ!」とすぐ気が付いてくれました。そうと決まれば堂々とごろごろベッドでヴィデオを見て、感動して大量の涙と鼻水を流し、さっさと早寝をしてしまい、至福の時を過ごしました。でも、どうして私は疲れるとすぐ発熱をするのでしょう?そしてどうしていつも発熱を自分で気が付けないのでしょう?どうして発熱する前に、自分の体力管理をきちんとできないのでしょう?まだまだ課題は多いです。 7月4日の独立記念日は久しぶりにイベントの無い、中日。野の君がレバニラと餃子づくりを提唱してくれ、この二つを二人で楽しく料理してがっしり食べたら、自分でもあきれるほど元気になりました。 7月5日(金)の夜は近くのシニア・コミュニティーで「ピアノに聴く水」を通させて頂きました。この日のピアノはBaldwin。少し音が固く、完璧に調律されているとは言えないけれど、定期的にメンテが施されている家庭用としては上等くらいのピアノです。会場は少し余韻が足りない感がありますが、自分の音が良く聞こえる、通し稽古にはちょうど良い環境です。この日はなぜかお客様の食らいつき具合が半端ではなく、私もそれに乗ってとても気持ちよく弾くことが出来ました。この日のプログラムを紹介してくれたアリスが「Makikoは日本へのツアーの前の準備の一環として、今日私たちに演奏してくれるのです。だから応援しましょう!」と言ってくれたのが良かったのかも知れません。兎に角お客さんの反応が良かった。私も集中して音楽に入り込むことが出来ました。演奏中、二回地震があったのですが、むしろそういう予期せぬハプニングもこの演奏会場の結束を強める効果が在ったと思います。演奏終了後、車いすの方がわざわざ時間をかけて私の所に来てくれて「地震にも全く動じずに音楽に徹している姿に感動しました」と言ってくれたのには、こちらが感動しました。 7月6日(土)の午前11時から、家から一時間程運転したところにある会場で「メロディーは世界の共通語」と言うレクチャーコンサートをしました。お客さんは少なかったのですが、6月30日のホームコンサートで初対面だった聴衆の方々が何人かいらして下さったり、歩行困難(一メートル歩くのに歩行器具を使って2分くらいかかっていらっしゃいました。)の女性がおしゃれをして来てくださっていたり…そして皆さん、とても熱心に私のレクチャーに熱心にうなずいたり質問やコメントで応えてくださり、レクチャーの合間に小品を演奏する度に「ブラボー」とため息と拍手で感謝を表明してくださいました。 7月7日(日)の午後2時。今このブログを書いている7月6日からは明日にあたります。もう一度「第二次世界大戦中に日本で活躍したユダヤ人」のレクチャーをします。 (後日談:この日のお客様は今までにも増して超満員ー立ち見が出る上体で、質問やコメントも活発に出て、終了後はお客様の長蛇の列が辛抱強く30分以上もずっと私との会話を待ってくれ、日本出発前最後の会にして、非常に思い出深い特別な会となりました。) 明日が終わると、日本に出発するまでは演奏は一段落。日本に向けての準備と練習と、日本から帰って来てからの曲目(ヒンデミットのクラリネット・ヴァイオリン・チェロ・ピアノのための四重奏、ラヴェルのトリオ、ブラームスのピアノ五重奏、など)を集中して練習します!
良い練習と言うのは、脳が活性化し、曲がどんどん好きになる。 新しいことがどんどん習得でき、面白い。やればやるほど意欲的になる。 悪い練習と言うのは、曲に飽きるし、音楽に近視になり焦点がぼけてくる。 曲が多すぎたり、ラストミネットの本番が立て続けに入ったりすると「自動長期練習モード」に入り勝ちだ。 これは概して「悪い練習」になることが多い。 私は今まさに、ラストミネットの本番が立て続けに入り、新曲が多く、「悪い練習」で悲壮感漂わせながらただ長時間実りの少ない練習をする羽目になる危険性のある心理状態にある。 そんな自分の覚書も兼ねて、今日は「良い練習」をするために必要な事を書き出してみようと思う。 1.小まめに充実した小休憩を取る。我武者羅に弾き続けない。 ー無目的に兎に角ピアノの音を鳴らし、指を動かす、と言う状態を避ける。音は疲れる。弾くと言う行為も疲れる。無神経に弾いて自己満足だけを得るよりは、良い休憩を取り、脳みそにインプットした情報をプロセスする時間を与える。小休憩と言うのは、例えばペダルを抜かして一瞬ずつ「無音」の状態を作る、と言うことろから、弾くのを辞めて楽譜にある情報を言葉にして考えてみるとか、ピアノの蓋を占めてその上で運指だけしてみるとか、そういうのも「小休止」。休む時はストレッチとか、水を飲むとか。でも休みすぎない。タイマーをかけたり(これをしたら練習に戻る)と自分と約束して、守る。 2. どのチャレンジにどう対応するための練習か、ゴールをいつも明確にしておく。 困難なパッセージを簡単に弾けるための分析練習とか、声部を弾き分けるための声部を一つずつ弾いて耳で覚えていく練習、あるいはハーモニーを理解するための練習、など。新曲を兎に角理解して指に入れるための練習の時も、最初から一音一音学んでいくのではなく、ユニット(小節とか、フレーズとか、セクションとか)自分が正直に理解できている範囲だけに集中して、そのユニットをクリアしてから次のユニットへ行く。 3.弱音での練習、弾かずに歌う練習、楽譜に在る音を頭の中ではっきり聴けるようにする練習。 兎に角長時間練習をする際はピアノの音に疲れてしまう(慣れてしまう)ことを避けるために色々工夫が必要。いつもピアノの音が新鮮に喜びと驚きを持って聞ける状態を保つ。 4.自分に正直に。 出来ないこと、分からないことを追求。出来ていること、弾けている個所は「練習」しない。 5.時間割(時間配分表)を作り、一つの曲に時間をかけすぎない。 修得すべき曲のリストを書き出し、難度、演奏の日時、重要度、などを把握。 そしてその日にかけられる練習時間から逆算して重要度によって割合で最終的に何分かけられるのか、決める。 必要ならタイマーをかけて、時間を厳守する。 何より大事なのは(楽しい!)と思って練習すること。好きこそものの上手なれ。 こんなところかな? 明日は一日練習日。朝一で曲のリストを作り出します。
皆さまのお役に立ちたい。 社会貢献がしたい。 世界平和へ向けてのお手伝いがしたい... 私は音楽家としてユニークな特権にあやかって人生の前半を歩んできました。 13歳から渡米して世界一流の教育機関や音楽家と勉強する幸運と、音楽人生に専念する贅沢を許され、 何十年も日々精進して、美や人生、精神性や現世界について考察を重ねて参りました。 お蔭様で南米から東欧まで世界各地を演奏旅行をして自分なりの見分を深める機会にも恵まれました。 そんな私が培ってきた人生観を皆さまのお役に立てるためにはどうすればよいのか? 皆さまの日常や状況に寄り添った、より社会に関連性がある活動をするために、どのような活動展開していけばよいのか? 博士課程を取得、新天地への引っ越し、と言ういくつかの人生の転機をきっかけに これからの人生プランの考察とリサーチを数か月行いました。 沢山の本を読み、色々な方のご意見や経験談を伺いました。 そして段々見えてきていたものをここにまとめてみます。 1.持続性(Sustainability)がなければいけない。 ー 自分が好きで得意な事を、楽しみながら一生懸命やる。 ー 無理は長続きしない。経費を軽く上回る収入を確保して、初めて持続性が設立する。 2.お客様のニーズに寄り添ったサーヴィスや商品を提供する。その為のマーケットリサーチは直接お客様に尋ねるのが一番。 ー 人の悩みや問題を解決して夢や希望を叶える明確な方法を提示する 3.商品やサーヴィスの内容に一時間かけるとしたら、その広報に3時間かける。 ー そうしないといくら立派なサーヴィスや内容を創設しても、誰もそのことについて知り得ない。 簡単な様で明確に具体化し、実現にこぎつけるまでにはいろいろと努力が必要な事です。 特に3番は、クラシック音楽家として「良いものを提供していればお客様は絶対あなたを発見します。」と言われ続けて育ったピアニストとしては中々受け入れるのが難しい概念です。「スター的な売れ方をしないのは、私の選曲や演奏に問題があるからでは...」と自分自身ではもちろん思いますし、周りからも言われ続け、それを修行の燃料にもして参りました。が、調べてみれば演奏と言うのは元々お金にならない商売なんです。パガニーニは自らビラ配りをし、演奏途中の休憩時間にはチケット窓口で半額でチケットを売ったそうです。リストも自分の親友に好評を書かせました。そうしなきゃスターにはならなかったし、興行としても成功しなかったんです。 そしてそれは、演奏会と言う形態では、お客様のニーズに寄り添っていないと言うことの結果に他なりません。 でも、音楽が人間の脳の活性化や健康促進に非常な効果があることは、最近の研究で明らかになってきています。更に、私自身が音楽人生を歩んできて、音楽は私のポジティブ思考に多大な影響を及ぼしていることを証言できます。 じゃあ、どうすれば音楽の効果を皆さまに提供して喜んでいただくことができるのか? 具体的な方法はまだ模索中ですが、とりあえず私の存在を確立するために、オンラインでの活動をこれから繰り広げます。Facebookでお友達申請、「いいね!」、インスタグラムやツイッターのフォロー、さらにこのブログへのコメントなどで応援いただければ、大変心強いです。 ご質問、ご提言、お問い合わせ、なんでも大歓迎です。 よろしくお願いいたします。
日本に帰って来る度の楽しみには色々(食!)あるが、乱読もその一つである。平田家はみんな本が好きなので、帰ってくるとすでに両親からの「推薦読書」が結構ある。妹が漫画をシリーズで図書館から借りておいてくれてある時もある。今年は特にUS-Japan リーダーシップ・プログラムへの参加を来月に控えて、みんなの推薦読書がより硬派になっている。私の音楽馬鹿さ加減を一か月で解消しよう、と言う野望には無理があるが、でも面白く・ありがたく読み進んでいる。 今日のブログには今年の直木賞受賞で話題になった、国際ピアノコンクールを描いた小説「蜜蜂と遠雷」について書きます。この本は私の演奏会に来たお客様にも意見を求められるほどだった。今朝読破。小説の中心になる4人の登場人物がコンクールに勝ち残れるのかどうか、気になってぐいぐい読んでしまう。まず第一印象から言うと、この小説はバレーを題材にした少女漫画(例えば有吉京子の「スワン」)によく似ているな~、と思った。そしてピアニストとしてピアノ・レパートリーの描写をどう思うかと聞かれると、私は筋を追う事に専念して、特に小説の終わりの方はそう言う所は読み飛ばしている自分を発見した。一般のお客さんには「ピアニストは演奏中何を考えているのか」と言う興味に夢が出て、この小説のお陰でクラシックの人気が高まるのかも知れない。そうすれば私もうれしい。今回の帰国で、家族の気遣いが例年より細やかなのも、もしかしたらこの小説のお陰なのかもしれない。私がこの小説で一番共感したのは、「練習と言うのは掃除に似ている」と言う所である。曲(家)が小さければ、掃除も簡単。でも曲(家)が大きくて、構造が複雑であればあるほど、その家をきれいな状態に保っておくことが難しくなってくる。一か所をきれいに保つことを集中すると、他がいつの間にか汚くなっている。でも、段々効率よくその家をきれいにすることをマスターするとやがて、花を飾ったり、特別にぴかぴかに磨いたりして、自分らしさを演出することが出来るようになる。この描写は(そう言う云い方もできる!)と深く共感した。それから本番前と演奏中の緊張の描写。特に三次予選トップバッターがプレッシャー負けして暴走する部分は、凄い洞察力・描写力だと思った。恩田陸は幼少からピアノを習い、大学時代にはビッグバンドでのサックス演奏経験などもあるようだが、それにしてもすごい。 でもやっぱり、少なくともピアニストとしての私の実感とは違うな~と言う所もある。そして風間塵と言うキャラクターはかなり現実離れした状況設定。曲に対する奏者の事細かなイメージ描写も、う~ん、やっぱり音楽とか音楽体験を言語化することの限界を感じてしまう。それから小説に於いて注目されるコンテスタントの二人が日本人、もう二人が日本人とのハーフと言うのも、この小説は国際的にはベストセラーにならないな、と私が思う理由である。あと、もう少し違う国の教育とか音楽観とかピアノ技術へのアプローチの違いを浮き彫りにした方が、舞台を国際コンクールにした理由がもっと生きるな、と思った。 同じく音楽を題材にこれから色々執筆しようと思っている私が一番うれしかったのが、ナクソス・ジャパンとの提携で小説で出てくる曲全てを、著者のイメージと合った演奏で聴ける、と言うサービスがあること。http://www.gentosha.jp/articles/-/7081 私も自分の著書にはCDを付録して出版したいと思っている。私の場合は自著自演になるけれど。
昨日は千葉美浜文化ホールでの「『天上の音楽』vs.地上の音楽」でした。音響もピアノも素晴らしいホールで前々から今年も楽しみでしたが、本番前の練習の時、あまりにも音がきれいで練習し過ぎ無い様に、本番のために体力温存するため自分を制するのが難しい感じでした。こういう時、本番前は結構苦しいです。素晴らしいごちそうを目前に、お預けを食らっている感じです。 今、昨日の録音を聴きながらブログを書いていますが、素晴らしいピアノや音響と言うのは奏者を勇気百倍にし、また実際の助っ人にもなってくれます。私も昨日は本当に気持ちよく弾けました。まだまだ課題は多いのですが、でもきゅりあんよりも自分本位の演奏が出来た、と自負しています。 でも、ゴールドベルグを演奏する前にちょっとしたハプニングが… このブログを読む方の中には「寝耳に水」の方も多いかと存じますが、私実は毎年恒例で17年間行ってきた日本での演奏活動に一つのピリオドを打とうと思って今年は来日しています。今の形ではあまりにも家族や応援の会・応援団の皆さまへの負担が大きいと言う事、そして私ももう音楽博士の学位を頂き、長かった学生生活に終止符を打ち、ボランティアの方々に頼らなければ出来ない活動は辞めようと思ったのです。品川きゅりあんの際には、嬉しい演奏会の場で、その事をお客様にご披露するのも水を差すようで気が引けしなかったのですが、千葉の方では主催者をずっとしてくれていた叔母から「話しをしてくれ」と言われていましたので、ゴールドベルグの紹介の最後にちょっと言い始めたのです。 「私が今年特にこのゴールドベルグ変奏曲を弾きたかった理由は長~いこの曲の最初と最後にそっくり同じ形で提示される美しいアリアに、時間の不思議さと感慨深さを感じたからです。17年間、私も多大なご支援を得て演奏をしてまいりました。長いようでも短いようでもありました。色々な事がありました。私自身も色々経験・成長しましたが、お客様も皆さま色々おありでした。長い介護の末親御さんを亡くされた方も居ます。生涯の伴侶を亡くされた方も居ます。ご自身がずっと闘病生活を送りながら『来年も真希子ちゃんの演奏が聴けるように一年また頑張ります』と毎年おっしゃってくださった方も亡くなってしまいました…」ここで、ウっとなってしまったのです。自分でも全く予想していなかったことでした。でも本当に沢山の方のお顔が思い出されて感無量になってしまったのです。感謝と、『愛』としか言いようのない気持ちに襲われてしまったのです。 私は本当に幸せ者だと思います。これからは、音楽を通じた社会貢献・国際親善を積極的に模索・実行して行きます!また、ご招待いただければ日本でもどこでも、聴衆が居ればどこでも飛んでいきますので、是非ご相談ください:)