• 毎日、演奏会のための練習と事務処理をし、 夜は昨日に続いて演目解説を書いています。 今日は二部を書き上げました! 書き立てホヤホヤ、お読みください。 ~~~第二部・『ぎりぎりクラシック!民族音楽に憧れて』~~~ スコット・ジョップリン(1867-1917)は元奴隷の父と自由黒人の母の間にテキサス州に生まれ、その才能を見込まれてドイツ移民の音楽教師に無料で音楽のレッスンを受けました。「ラグタイムの王」として主に有名ですが、オペラやバレーなどの作品も残しています。ラグタイムと言うのはRagged(ボロボロ)なリズム、つまりアフリカ系アメリカ人の音楽に特徴的なシンコペーションの事を指しています。1893年のシカゴの世界万博の際、ジョップリンを始めとする多くの黒人音楽家がラグタイムの演奏をし、流行に火を付けました。ジョップリンの出版社はジョップリンのラグタイムを「クラシック・ラグ」とし、その作曲技法の高度差を主張しました。 ジョージ・ガーシュウィン(1898-1937)ロシア系ユダヤ移民を親に持つ、ブロードウェーミュージカル、流行歌、そして『コンサート・ミュージック』の作曲家として成功を収めました。ユダヤ人とジャズの関係は、ユダヤ人と黒人が人種差別を受ける者同士として一種の同盟関係を結んでいた事と無縁ではありません。ガーシュウィンの最初のヒット曲『スワニー』(1920)を歌ったアル・ジョルソンも、『ラプソディー・イン・ブルー』(1924)をガーシュウィンのソロで初演したバンドのリーダー、ポール・ホワイトマンも、ユダヤ人でした。今日お聞き頂く『3つの前奏曲』はスワニーとラプソディーの丁度真ん中、1922年の作品です。 リストはドイツ語を第一か国語として喋り、フランス語で教育を受け、ハンガリア語は生涯一言もしゃべれませんでした。オーストリア・ハンガリー帝国でハンガリー側ではありながらオーストリアとの国境すれすれに生まれ、オーストリア人の母とドイツ人の父を持ったリストがなぜ生涯、自分をハンガリア人だと主張したがったのか。一つにはこの時代の反帝国主義的、個人主義・異国趣味があります。主流でないこと、エキゾチックな事は好ましい事である、と言う美学です。さらにルソーに始まった自然主義的な考え方の延長線で、リストはジプシーの音楽を「楽譜も無しに内から自然に湧き上がる」理想の音楽としました。今日お聴きいただく『ハンガリー狂詩曲No.2』(1847)もジプシーの即興演奏に触発されて書かれたものです。

  • 演目解説。『クラシックって何⁉』 ~~~第一部『ばりばりクラシック=第一、第二ウィーン楽派』~~~ 「キラキラ星」として日本でも親しまれている童謡は、元々は18世紀初頭のフランスの流行歌「Ah! vous dirai-je, maman(あのね、お母さん)」(作曲者不明)でした。その浸透振りは当時から現在まで色々な言語・歌詞で歌われていることのみならず、クラシックでもハイドンの交響曲94番や、大バッハの息子J.C.F.バッハの変奏曲、リストのピアノ小品、サンサーンスの「動物の謝肉祭」など沢山起用されていることからもうかがわれます。モーツァルトの12の変奏曲は1781年に作曲されました。当時は宮廷のための楽曲、そして上流階級の婦女子のたしなみのための教則としての作曲が必要とされていました。対称性の美しさ、単純明快性がもたらす聴きやすさ、分かりやすい技術性などが評価された時代の曲です。 シューベルトの『楽興の時』は6つの小品から成りますが、今回のプログラムでは劇的な2番と一番有名な3番のみ、お聴きいただきます。3番は1823年ごろ作曲されたと言われています。2番は1828年、シューベルトが梅毒で亡くなる直前です。表面的にはモーツァルトとあまり変わらない、対称性や聴きやすさを重視した古典風な曲に聞こえますが、2番の第二テーマが復元される時の一瞬の激情、そして3番の民謡風な朴訥さにご注目ください。 ベートーヴェンは一般的に自分の作曲に題名を付けることを好みませんでしたが、32曲あるピアノソナタの内『告別』と、この『悲愴(”Grande Sonate pathétique,”)』のみベートーヴェン自身の命名です。この時代、『美』の通念とは相反する『崇高』と言う美意識が広まっていました。計算・測定・模倣の不可能な、何にも比較できない圧倒的な偉大さで、人間の知覚を超越し、畏怖の念を起こす、時には暗黒や悪や死と言った概念をも含む『崇高』です。理性に対する感情の優勢を主張した「Sturm und Drang (疾風怒涛)」とも通じる概念で、ロマン主義へとつながって行きます。『悲愴』はあまりにも有名になってしまったので、オープニングのショックバリューが減少してしまっていますが、1798年の初演での聴衆の驚愕と畏怖の念を想像しながら、今日はお聴きになってみてください。 第一ウィーン楽派がモーツァルト・ハイドン・ベートーヴェン・シューベルトと言うなじみ深い作曲家たちから成るのに対し、第二ウィーン楽派は《無調性音楽》を確立したことで有名なショーンベルグとその弟子二人、ベルグとヴェーベルンから成ります。理論的になりますが、調性と無調性について少しお話しさせてください。(ご心配なく。ピアノでもデモンストレーションいたします)調性のある音楽ではスケールの中の7つの音にヒエラルキーを見出し、その中でも『主音(スケールの最初の音。ハ長調ならドの音)』をホームベースにして、主音から出発して主音に戻るまでの道のりを音楽とします。対して無調性の音楽では一オクターブ(ドから一つ上のドまで)を均等に分けた12の半音階を全て平等に扱いホームベースがありません。ショーンベルグがユダヤ人だったことから「人種差別に反対する心が調性が付ける音のヒエラルキーに反抗させた」と言う説がありますが、そう言う事を言うならばユダヤ人と言う民族と同じく無調性の音楽にはホームベースが無い、と言う事にも同じく重要性を見いだせるのでは、と私は思います。ベルグはユダヤ人ではありませんでしたが「退廃芸術家」としてナチスに差別されました。1908年に自費出版した、彼の作曲の中では唯一作品番号を持つこのピアノ・ソナタ作品1は無調性の直前ですが、一番最初のロ短調と一番最後のロ短調以外は、ずっとさまざまな調整の淵をさまよい続ける、不穏な曲です。『崇高』の延長線上にこの第二ウィーン楽派がある、と言う事をお聴き確かめください。

  • 16年目になる私の日本での独奏会シリーズ。 今年のテーマは「『クラシック』って何!?」 その心は… 『クラシック』と言う言葉は文字通り訳すと古典。 ではクラシック音楽は古くて歴史的影響力がある音楽か、と思いきや、 古代メソポタミアの音楽や、古代ローマ、ギリシャの音楽をクラシック音楽とは言わない。 逆に、今日初演がある出来たてホヤホヤの曲でも クラシック音楽の勉強をした作曲家の曲ならば「クラシック音楽」となる。 それでは『クラシック音楽』とは、なんなのか? 西洋音楽の歴史に於いて、ある時点までは 曲は新しければ新しいほど良い、と考えられていました。 音楽は常に進化している。 古いものに歴史的興味が多少あっても、新しい物の方が良いに決まっている! 例えばポップスとかなら、今でもこういう考え方がありますよね。 懐メロはおじいちゃん・おばあちゃんが聴くもので、 最新流行で「ナウい」物が一番良い。 この頃の演奏会ではお客さんは凄いと思ったら曲の途中でも拍車喝采。 楽章の途中の拍手は当たり前だし、大体全楽章演奏すること自体がまれ。 そして好きな楽章や曲の終わりには立ち上がって「アンコール」の要求。 ところが、これが変わるのが19世紀。 死んだ作曲家のリヴァイヴァルが始まります。 1782年には演目に組まれる死んだ演奏家は全体の演目の11パーセント。 それが1830年には50パーセントになり、1862年には70パーセント。 最近のクラシック演奏会では何パーセントですか? この移行の時期に、Canonと呼ばれる作曲家のリストが設立します。 Canonとは何か?今ググったら、 「教会法、教会法令集、(倫理・芸術上の)規範、規準、(聖書外典 に対して)正典、真作品、正典表、(ミサ)典文、カノン、聖人名列」です。 バッハ、ヘンデル、モーツァルト、ハイドン、シューベルト、ベートーヴェン。 なぜこんなにドイツ系が多いんだ、おかしいんじゃないか? これはアーリア人優勢主義のたくらみでは? …と言う趣旨で書かれたのが石井宏の『反音楽史』。 そういう一面も在るかも知れませんが、 このCanonの設立に躍起になったのがドイツ人だった、 そしてそれはアーリア人優勢主義と言うよりも、 ただ単にくそ真面目なドイツ文化は歴史を振り返って やっぱりくそ真面目なドイツ物が一番好きだった、とそれだけなような気もします。 そして『クラシック』は、私に言わせると、くそ真面目。 くそ真面目とは何か。くそ真面目=自己陶酔。 自己陶酔とはいけないのか、と言わると、いけなくはない。 自己陶酔があるから、一生懸命・一所懸命になれる。発展性の可能性が生まれる。 唯一、自己陶酔の危険性は排他的になること。 この排他的が度を超すと、発展性まで殺してしまいかねなくなる。 スコット・ジョップリンを練習しながら思うのは、 彼の人生はおそらくベートーヴェンの物よりずっと過酷だっただろう、と言う事。 ベートーヴェンだって難聴、数々の失恋、甥の自殺未遂など 数々の難関を潜り抜けた、辛い人生だったけれど、 それらを「悲劇」と認識し、自己陶酔する特権が白人の男性として許されていた。 ベートーヴェンの悲劇に自分の悲観を投影し、共感してくれる人々に囲まれていた。 ジョップリンの時代は黒人のリンチの数がピークに達した時代。 リンチされた黒人の死体の前で群衆が笑って記念写真を撮る時代。 ジョップリンやジョップリンの様にラグタイムを作曲・演奏したピアニストたちに 自己陶酔の贅沢は許されていない。 兎に角気に入られなければ、好かれなければ、楽しませなければ。 極論、殺されてしまうかも知れない。…

  • 有難い事に、ヒューストンでやる3回シリーズ「What is ‘Classical’Music?!」は Japanese Association of Greater Houstonの多大なご協力を得ることが出来、 3回シリーズの2回目は熊本復興支援のチャリティーコンサートになること、 総領事館にもご協力いただけることなどが決定。 さらに、博士論文も教授やアドヴァイザーとの面談などを通し、 新しい視点を編み出して、今後の課題を明確にして行っています。 演目解説も書かなきゃ… リサイタル進行表の作成などもあります。 さらに、昨日の夜はヴィデオ・カメラとプロジェクターを使って プレゼンの時のパワーポイントや、演奏中の手の動きをお見せし、 視覚的要素を取り上げることで聴衆の皆様によりお楽しみいただけないか、 会場で2時間ほど実験。 そういう間を縫って、練習を進めます。 毎分が貴重。 今日も頑張ります! 集中するぞ~!!!!

  • あと一週間半で、「『クラシック』って何⁉」を初演する。 練習に拍車がかかっている。 しかし演奏会が迫っているからと言って演奏準備のみに生活が染まる訳では無い。 博士論文のためのリサーチや指導教授との交信、 日本での公演の広報やその他もろもろ準備、 5月7日を皮切りにヒューストンである色々ある他の演奏会の準備・練習、 生徒さんの指導とそれにまつわる交信、 健康管理のためのほぼ毎朝のジョギング、食生活管理、など。 練習できる時間は貴重である。 いかに効率よく、短時間で最大の向上を遂げるか。 速い曲をゆっくり練習し、技術的な難関を分析・理解し、弾けるようにする。 ゆっくりな曲を2倍、3倍のテンポで練習し、曲の方向性や構築・全体像をつかむ。 音量の大きな曲や部分を弱音で練習し、イメージトレーニングの様な事をする。 こうすることで、肉体的疲労を防ぎ、強音の箇所を長く練習できる他、 音量を落とすことによって違った視点からその曲を考察できる。 実際には弾かないで、楽譜を勉強する。 などなど。 背水の陣で頑張っていると、時々思いがけないインスピレーションを受けることがある。 ゴールをはっきりと設定し、それをクリアするような練習をしているのに不思議だ。 昨日はスコット・ジョップリンのラグタイムを練習している時、 突然(他の曲と同じ弾き方じゃダメだ)と悟った。 スコット・ジョップリン自身は11歳から16歳まで ドイツ出身の音楽教師にその才能を見込まれて無料でレッスンをしてもらっている。 音楽を娯楽だけでなく芸術として教わり、 クラシック、オペラ、民族音楽と色々なジャンルを教わったらしい。 だから彼の音楽教育、ピアノに於ける基礎技術は、結構きちんとしていただろう。 でも、ジョップリンのラグタイムを一世風靡した背景には クラシックの様なヨーロッパ風エリート主義・歴史崇拝に対する反抗心、 アメリカ独自の文化、純粋に楽しい音楽を求める心があったのではないか。 19世紀の終わりと言うとJohn Philip Sousaもアメリカ全土を魅了していた頃だ。 そしてラグタイムを演奏するドサ周りの黒人の多くは独学でピアノを学び、 耳で弾く、楽譜が読めずに「正規」の奏法を教わらずに来たピアニストが多かったのでは? 少なくとも、幼少にハノンやツェルニーを何時間も練習したようなピアニストでは無い。 大体ラグタイムの書き方自体が指主体ではなく、手首・腕主体だ。 どうやったらクラシックと対象的な奏法・音色・スタイルを編み出せるだろう。 ピアノで座る姿勢をまず変える。 重心を下げ、力を抜き、勢いと重さで弾くことに重点を置く。 この人達はクラブやお祭りや世界万博で何時間もBGMを弾き続けた。 何時間も、騒がしい環境の中で弾き続けるためには、楽に弾けなければいけない。 渾身を込めてはいけない。 この音楽は深いメッセージや募る思いを表現するのではなく、 むしろそう言う物を押しやるような強い生活力、意志的な明るさ、 ある意味ドイツ流クラシックの自己陶酔的な真面目さと対局する意地を持つ。 軽くて良いのだ。 ピアノに自己投影をする教育を受けてきたクラシック奏者としては 「軽く弾き流す」と言う事には違和感を感じる。 でも、それを敢えてすることで、新しい人生観が得られるような気もする。 こう言う事を、15分の練習で考えたりするのです。 練習ってすごい!