• ずっと、このリサイタルを弾き終えたら一日ピアノから休息しよう、と決めていました。 手の疲労も心配だったし、久しぶりにピアノ一色の日々を送って頑張ったし。 本番の後の夜は眠れません。 寝入りはバタンキューなのですが、 丑三つ時に必ず目が覚めて数時間は起きている羽目になる。 久しぶりに読書をしました。 今朝は寝坊! 昨日の楽しい打ち上げで美味しいイタリアンと赤ワインを暴飲暴食してしまい、 満腹で目が覚め、落としたはずの体重は全く元の木阿弥! と、言う事で今日は健康な一日宣言! Galvestonと言うヒューストンから車で一時間南に行った海岸街で まず4キロほど海岸を走り、それからスタバでお勉強。 溜まり切っていたメールの返信に2時間ほどかかってしまいましたが、 その後久しぶりに論文用のリサーチをしました。 スタバで4時間ほど粘った後は、また軽く3キロ位走ります。 それでもお腹は空きません。 (お、このまま今日は絶食日か~)と思っていましたが、 夕刻の帰宅時にはやはりお腹が鳴り、お蕎麦と納豆で夕食。 その後は今週に備えて、食材の買い出しとぬか漬けの仕込みをして、今日は終わり! 今週は来週末の本番に向けてほぼ毎日リハーサルです。

  • 自分で自分の演奏会を「大成功‼」なんておこがましいかもしれませんが… でも、演奏会と言うのは決して一人で出来るものではないのです。 沢山の方のご支援ご協力があって初めて可能な「大成功」。 麻衣子さんはトーク用プレゼンテーションのためのイメージ投影のスクリーンを 文字通り睡眠時間を削ってぎりぎりまで頑張って作ってくれました。 日本人会の皆さんは本当に家族の様に受付や会計や広報や色々走り回ってくれて、 演奏後は本当に家族の様に一緒に大喜びして祝ってくれました。 ライス大学ののスタッフもしなければいけない仕事以上の色々な気配りや好意で 私を全面的にサポートしてくれました。 私は本当は今日の演奏は不安がいくつかありました。 右腕・右肩が疲労気味でリストが弾ききれるか心配だった。 ベルグもまだ十分練習してあるか、不安だった。 でも、お客様が熱心に聴いてくださって、 色々な方に応援していただいて、 ノリノリで楽しく弾ききることが出来ました。 本当に、本当にお陰様です。 ありがとうございました。

  • 月曜日:本番6日前。 ホールでピアノ選びと音響チェック。 久しぶりにフルコンで音響の素晴らしいリサイタルホールで弾くと、 練習室とは全然違う。驚愕。 この音響を自分の味方につけて、上手く共鳴するぞ~!! 夜は前半の演目解説を執筆。 疲労気味の右腕と肩に湿布。 火曜日:本番5日前。 朝は前日のホールの響きを復習するつもりで練習室でイメージトレーニングの様な練習。 午後は土曜日のリサイタルの次の週にあるトリオの本番の初合わせ。 これも大きな本番。14日(土)と15日(日)の二回。 初合わせがうまく行って一つホッと安心。 夜は後半の演目解説。 今夜も湿布。 水曜日:本番4日前。 朝は一人で練習。 ペース配分と脱力を心がけて、ゆっくり目にかみ砕くような練習。 正午には麻衣子さんに、通しげいこを聞いてもらって感想をもらう。 通しげいこの後は二人で日本食レストランでお弁当! とんかつがカリカリでおいしい。 4時から7時までは空港で演奏のアルバイト。 土曜日の演目を通す。 聴衆が聴きに来るのは音楽で在ってマキコでない、と言う当たり前の事に気が付く。 肩の力が抜けて、楽になる。 ジョップリンを弾くとき「誰が弾いても同じじゃないか」と不満・不安だったけど、 その普遍性が実はラグタイムの価値、そしてメッセージなのだと気が付いて、 ちょっと泣きたくなる。 今回のプログラム、後半の「ぎりぎりクラシック」は 黒人、ユダヤ人、そしてジプシーの音楽。 歴史上ずっと差別の対象だった彼らにとって 音楽とは「人間みな兄弟」の共感を促す、一種の防御法でもあったのでは? クラシック特有「自分にしか出来ない演奏」と言う気負いをしょい過ぎていた。 45分セットを3回。間に15分休憩が二回。 休憩中に腕の疲労を回復すべく、 イブニングドレスで空港のど真ん中で堂々とストレッチ体操をしていると、 道行く旅人たちに「腕を引っ張って手伝いましょうか?」とか 色々からかわれる。でも、気にしない。 道行く旅人は、私の熱演のベルグのソナタには見向きもしない。 でも、ジョップリンにはお尻をふりふりして踊ったり、 色々笑いかけてくれたり、沢山の反応がある。 リストのハンガリー狂詩曲は必ず拍手で迎えられる。 どんなに間違えても、だ。 面白い。 ああ、モーツァルトの「キラキラ星」変奏曲に反応する子供は面白い。 今日は5歳くらいの女の子が突然大きな声で歌いだした。 もう「歌うしかないでしょう、これは!」という感じ。 親は苦笑して見守るしかない。 女の子にはもう「キラキラ星」の世界しか存在しないから、一心不乱で歌う。 道行く人は大笑いか、微笑むか、兎に角和んでいる。 面白い。 夜、映画『3丁目の夕日』を観て、息が出来なくなるくらい泣く。 ティッシュ―4枚分鼻をかんでも詰まったまま。 子役の演技が上手くてびっくりする。 素晴らしい気分転換になった。映画を観るのも久しぶり。 木曜日:本番3日前。…

  • 毎日、演奏会のための練習と事務処理をし、 夜は昨日に続いて演目解説を書いています。 今日は二部を書き上げました! 書き立てホヤホヤ、お読みください。 ~~~第二部・『ぎりぎりクラシック!民族音楽に憧れて』~~~ スコット・ジョップリン(1867-1917)は元奴隷の父と自由黒人の母の間にテキサス州に生まれ、その才能を見込まれてドイツ移民の音楽教師に無料で音楽のレッスンを受けました。「ラグタイムの王」として主に有名ですが、オペラやバレーなどの作品も残しています。ラグタイムと言うのはRagged(ボロボロ)なリズム、つまりアフリカ系アメリカ人の音楽に特徴的なシンコペーションの事を指しています。1893年のシカゴの世界万博の際、ジョップリンを始めとする多くの黒人音楽家がラグタイムの演奏をし、流行に火を付けました。ジョップリンの出版社はジョップリンのラグタイムを「クラシック・ラグ」とし、その作曲技法の高度差を主張しました。 ジョージ・ガーシュウィン(1898-1937)ロシア系ユダヤ移民を親に持つ、ブロードウェーミュージカル、流行歌、そして『コンサート・ミュージック』の作曲家として成功を収めました。ユダヤ人とジャズの関係は、ユダヤ人と黒人が人種差別を受ける者同士として一種の同盟関係を結んでいた事と無縁ではありません。ガーシュウィンの最初のヒット曲『スワニー』(1920)を歌ったアル・ジョルソンも、『ラプソディー・イン・ブルー』(1924)をガーシュウィンのソロで初演したバンドのリーダー、ポール・ホワイトマンも、ユダヤ人でした。今日お聞き頂く『3つの前奏曲』はスワニーとラプソディーの丁度真ん中、1922年の作品です。 リストはドイツ語を第一か国語として喋り、フランス語で教育を受け、ハンガリア語は生涯一言もしゃべれませんでした。オーストリア・ハンガリー帝国でハンガリー側ではありながらオーストリアとの国境すれすれに生まれ、オーストリア人の母とドイツ人の父を持ったリストがなぜ生涯、自分をハンガリア人だと主張したがったのか。一つにはこの時代の反帝国主義的、個人主義・異国趣味があります。主流でないこと、エキゾチックな事は好ましい事である、と言う美学です。さらにルソーに始まった自然主義的な考え方の延長線で、リストはジプシーの音楽を「楽譜も無しに内から自然に湧き上がる」理想の音楽としました。今日お聴きいただく『ハンガリー狂詩曲No.2』(1847)もジプシーの即興演奏に触発されて書かれたものです。

  • 演目解説。『クラシックって何⁉』 ~~~第一部『ばりばりクラシック=第一、第二ウィーン楽派』~~~ 「キラキラ星」として日本でも親しまれている童謡は、元々は18世紀初頭のフランスの流行歌「Ah! vous dirai-je, maman(あのね、お母さん)」(作曲者不明)でした。その浸透振りは当時から現在まで色々な言語・歌詞で歌われていることのみならず、クラシックでもハイドンの交響曲94番や、大バッハの息子J.C.F.バッハの変奏曲、リストのピアノ小品、サンサーンスの「動物の謝肉祭」など沢山起用されていることからもうかがわれます。モーツァルトの12の変奏曲は1781年に作曲されました。当時は宮廷のための楽曲、そして上流階級の婦女子のたしなみのための教則としての作曲が必要とされていました。対称性の美しさ、単純明快性がもたらす聴きやすさ、分かりやすい技術性などが評価された時代の曲です。 シューベルトの『楽興の時』は6つの小品から成りますが、今回のプログラムでは劇的な2番と一番有名な3番のみ、お聴きいただきます。3番は1823年ごろ作曲されたと言われています。2番は1828年、シューベルトが梅毒で亡くなる直前です。表面的にはモーツァルトとあまり変わらない、対称性や聴きやすさを重視した古典風な曲に聞こえますが、2番の第二テーマが復元される時の一瞬の激情、そして3番の民謡風な朴訥さにご注目ください。 ベートーヴェンは一般的に自分の作曲に題名を付けることを好みませんでしたが、32曲あるピアノソナタの内『告別』と、この『悲愴(”Grande Sonate pathétique,”)』のみベートーヴェン自身の命名です。この時代、『美』の通念とは相反する『崇高』と言う美意識が広まっていました。計算・測定・模倣の不可能な、何にも比較できない圧倒的な偉大さで、人間の知覚を超越し、畏怖の念を起こす、時には暗黒や悪や死と言った概念をも含む『崇高』です。理性に対する感情の優勢を主張した「Sturm und Drang (疾風怒涛)」とも通じる概念で、ロマン主義へとつながって行きます。『悲愴』はあまりにも有名になってしまったので、オープニングのショックバリューが減少してしまっていますが、1798年の初演での聴衆の驚愕と畏怖の念を想像しながら、今日はお聴きになってみてください。 第一ウィーン楽派がモーツァルト・ハイドン・ベートーヴェン・シューベルトと言うなじみ深い作曲家たちから成るのに対し、第二ウィーン楽派は《無調性音楽》を確立したことで有名なショーンベルグとその弟子二人、ベルグとヴェーベルンから成ります。理論的になりますが、調性と無調性について少しお話しさせてください。(ご心配なく。ピアノでもデモンストレーションいたします)調性のある音楽ではスケールの中の7つの音にヒエラルキーを見出し、その中でも『主音(スケールの最初の音。ハ長調ならドの音)』をホームベースにして、主音から出発して主音に戻るまでの道のりを音楽とします。対して無調性の音楽では一オクターブ(ドから一つ上のドまで)を均等に分けた12の半音階を全て平等に扱いホームベースがありません。ショーンベルグがユダヤ人だったことから「人種差別に反対する心が調性が付ける音のヒエラルキーに反抗させた」と言う説がありますが、そう言う事を言うならばユダヤ人と言う民族と同じく無調性の音楽にはホームベースが無い、と言う事にも同じく重要性を見いだせるのでは、と私は思います。ベルグはユダヤ人ではありませんでしたが「退廃芸術家」としてナチスに差別されました。1908年に自費出版した、彼の作曲の中では唯一作品番号を持つこのピアノ・ソナタ作品1は無調性の直前ですが、一番最初のロ短調と一番最後のロ短調以外は、ずっとさまざまな調整の淵をさまよい続ける、不穏な曲です。『崇高』の延長線上にこの第二ウィーン楽派がある、と言う事をお聴き確かめください。