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昨日は夕刻から就寝まで、かなり集中して博士論文にかかり切った。 結構満足な仕事が出来た。 NYの旅の疲れと時差(一時間だけですけど)もあったのか、 仕事のペースダウンが著しくなってきた9時半に潔く就寝。 こういう風に自分の調子の良いときに仕事に専念できて、 疲れてきたらすぐ眠れる自由って幸せ 今朝は5時45分に目覚め、即仕事開始。 まず12月に予定されているクリスマスコンサート。 私がリーダーなので、奏者のプロフィールや曲目などをまとめて送信。約一時間の作業。 我ながら、強力なつわものを共演者にそろえることができて、今から楽しみ。 楽しみにできる演奏の機会があって幸せ 朝ごはんはいつもと一緒: 黒ゴマ黄な粉と麻の実をそれぞれ大匙山盛り一杯。 麻の実は菜食主義の私のために、 菜食の先輩が高たんぱく食品を色々紹介してくれた時に知った、 非常にオツな一品。 ちょっと高値だけれど、プチプチの食感がお気に入り。 これにプルーン3個とバナナ半本と豆乳を加えて、 いただきま~す ちょっと高値でも、かなり珍しくても、 気に入っている健康・自然食品を買い求められるって幸せ。 毎朝日課で、朝ごはんを頂きながら、中国茶を頂き、 同時に食器乾燥機を片付け、お弁当の用意をする。 今日のお弁当はマイクロウェーブで蒸した紫芋のぶつ切りと、 洗ったシュガーピー(さやごと食べられる青エンドウ)とパプリカ。 そしてオレンジ丸ごと2個。 美味しい生野菜や果物を種類豊富に食べられるって幸せ 朝ごはんのあとは コミュニティーカレッジで担当している 音楽非専攻の学部生のための音楽理論入門、 Music Fundamentalsのクラスの中間の採点。 このクラスには兄妹がいる。 始めは二卵性双生児かと思った。凄く仲が良いし。似た雰囲気だし。 でも、実はお兄さんの方が2歳上で、なのに妹の方が少なくとも音楽に於いては器用。 (これはお兄ちゃんは苦しいなあ)と思い、チャンスを見ては手放しで褒めるようにしていた。 そしたら今回の中間ではおにいちゃんがクラスでトップ! 採点し終わって(でかした!)と踊りだしたいような気分だった。 見るからに頑張って、良い点を確保した生徒がいるかと思いきや、 もうどう工夫しても落第点にしかならない答案用紙もある。 提出してくるたびにヒントを出し続け、何とか及第させたかったのだが どう逆立ちしても、無理。 落第した生徒は、クラシックの『ク』の字にも今まで触れてこなかったような生徒たち。 同じような状況でも、ちゃんと勉強してまあまあの点を取っている生徒もいるのだが、 中間で落第した生徒だって、クラスで放棄していた態度かと言えばそんな事は全く無い。 特に必修の課目の話しからずれて、一般的な音楽の話しとかすると かぶりつくように聞いている。 私に「YouTubeで見つけたこの曲、凄いからMakiko聞くべき!」と大騒ぎをして その曲がクラシックともショパンとも知らずに私に幻想即興曲を聞かせたりする。 私は教えることがやっぱり好きだ。 教える場があって幸せ。 今学期、このクラスを教えられて、本当に良かった。 しかし、来学期、そして来学年度と、教え続けるべきだろうか? 学校からは、光栄なことに教え続けることを乞われている。 しかし、給料は本当に安い。…
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友達の占い師さんがフェースブックにポストした長~い逸話です。 フェースブックで話題の逸話なんだそうです。 今日のブログのイントロに使わせていただきます。 『ある大学教授が哲学科の教室で生徒達の前に立っていました。いくつかの品物を前に置いて。 授業の初めに教授は無言で、大きな空っぽのマヨネーズの瓶を取り上げ その中にゴルフボールを入れ始めました。 瓶が一杯になった時、教授は学生達に、この瓶は一杯だと思うかと尋ねました。 学生たちは、そう思うと答えました。 次に教授は小石の入った箱を取り出して、 小石を瓶に移し、瓶を軽くゆすりました。 小石はゴルフボールとゴルフボールの隙間にはいりこみました。 そこでまた教授は学生達に、「瓶は一杯か?」とたずね、学生たちは、「そうです。」と答えました。 続いて教授は砂の入った箱を取り出し、砂を瓶の中に入れました。 当然、砂は瓶の中の残っている隙間にはいりこみました。 教授はまた、「瓶は一杯か?」と尋ねました。 学生たちは異口同音に、「はい。」と答えました。 さらに、教授はコーヒーの入ったカップを二つ持ち出して、マヨネーズの瓶にそれを注ぎ込みました。 コーヒーは、砂の中に浸み込んで行きました。 学生たちは笑い出しました。 「さて、」笑いが収まるのを待って教授は話し始めました。 「この瓶を人生だと思ってごらん? ゴルフボールが表わしているのは、大切なものだ。 家族とか、子供たち; 健康; 友達; 夢中になれるもの―― もし仮に、他のものが全部なくなっても、これさえあれば良いと言えるものだ。 小石はその外の比較的大事なもの、仕事とか、家、車などのようなものだ。 砂は、その他のいろんな物事―どうでもいいものだ。 もし、最初に砂をこの瓶にいれてしまったら、小石やゴルフボールの入る余地は無くなってしまう。 人生も同じことだ。 もし、どうでも良いような事に時間や労力をつぎ込めば 大事な物事の入る場所はなくなってしまう。 だから・・・ 君たちは、自分にとって掛替えのないものに注意をしなさい。 子供たちと遊び 健康診断のために時間を作り 奥さんを連れて食事に出かけなさい。 家の掃除や、ゴミの始末は後で出来るさ。 先ず第一に、ゴルフボールをいれること つまり、本当に大事なものを先にするのさ。 それさえちゃんとしておけば、後の物事は砂みたいに何所にでもはいるのさ。 一人の学生が手をあげて、コーヒーは何を表わしているのかと、尋ねました 教授は「良い質問だ」と、笑顔で答えました。 どんなに忙しくても 友達と一緒にコーヒーの一杯や二杯飲む時間ぐらい、その気になれば見つかると云う事さ。 ゴルフボールを先に入れる。 これがなかなかできません。 砂ばかり入れているような気がします。 これからコーヒーでも飲みますか?』 私は今、人生分岐点にあって、この話しのようなことを随分と考えています。 私にとってのゴルフボールはなんだろう。 博士課程終了間近の私を思って、色々な方が色々なお話しを持って来て下さいます。 大小様々な演奏の機会からから継続的な教えの仕事まで、色々在ります。 その度に悩んでしまうのは、自分の指針、つまりゴルフボールがはっきりしていないから。…
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実は今、NY. 10年以上の旧友が沢山。 街のいたるところに思い出が沢山。 NYとヒューストンは飛行機で三時間。 安いティケットで乗り換えが在ってもまあ5,6時間。 パーティーに行くと、ずっと昔沢山共演した友達に 「え~、NYはしょっちゅう来るの?来月コンサートがあるんだけど、一緒に弾かない!?」 とか、すごく、凄く嬉しいことを言ってもらえたりする。 対してヒューストンは5年目。 新しくてわくわくする友情が沢山芽生え始めている。 そしてNYやLAの平均家賃の半分以下で10倍のスペース、 プラス固有のトイレと風呂、そして洗濯機付きのヴェランダが借りられる。 ヒューストンの経済はアメリカ全土の経済からは独立して、石油で非常に潤っている。 芸術に対する関心お金も沢山。 南部の劣等感もあるのか、特に西洋音楽に対する関心は意外に高いように思える。 生徒を公募していなくても、 ライス大学で博士課程を始めた最初の年から教えて欲しいと個人レッスンの問い合わせがあった。 NYはアメリカ大陸ではヨーロッパ側だから、ヨーロッパ文化に近いし、そう言う誇りもある。 クラシック音楽のマネージメントの約90パーセントがNYにあるそうだ。 そのせいもあるのだろうか? 若手の多くがNYに集中している。 そこに居ないと、遅れをとるかのような錯覚を覚える。 しかし。 あまりの競争率の激しさに、ちょっとしたアルバイトでもゲットするのが大変だったり。 何か興行の企画を立ち上げても、演奏会も文化企画もありすぎて、 地域へのインパクトが少なく、自己満足で、赤字で終わる場合が多い。 でも、だから良い物が際立ってくるし、 そこで生き延びることを目標に皆がしのぎを削って頑張る。 対してヒューストンは文化都市としてはまだ若く、知名度も少なく、 従ってそう言う芸術家や文化イベントの密集率が低い。 何かをやれば有難がってもらえる割合が高いし、 直コミュニティー還元に繋がる。 資金集めもNYやLAのような、ちょっと文化食傷気味の都市よりもし易いし、 インパクトも与えやすい。 しかも、ヒューストン・シンフォニー、ヒューストン・バレー、ヒューストン・グランド・オペラを始め、 美術館、博物館、現代音楽シリーズ、など、刺激は求めれば必ずある。 競争率が低い分、プレッシャーでコチコチになること無く、自由に自己表現ができる。 どっちも大変魅力的。 私はまだどちらかと言うとNYびいきなのだが、 それはただ単にNYの方が年数が長く、従って十年来の友達が多く、 しかも今現在住んでいないから美化している、と言う事もあるかも知れない。 ヒューストンはまだ5年目。 呼んでもらえる時はちょっと無理してもNYに行って、 今あるコネや機会を大切に育て続け、 ヒューストンで新しい根っこを育て続ける。 取りあえず、そう言う感じ、ですか?
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「Sportsmanship(スポーツマンシップ)」と言った場合、 スポーツマンが目指すべき態度、精神、友好関係などを指すが 「Musicianship(ミュージシャンシップ)」と言った場合 単に音楽家としての技術、音楽的な心を意味して、 それ以上の精神や仲間意識や精神に関して指すことは無い。 私は「スポーツマンシップ」的精神をミュージシャンシップにもくっつけたい、と思っている。 スポーツマンもそうだけれど、 クラシック音楽家になるためには幼少からの沢山の人の時間、指導、そして支持と 最良の訓練をするための環境、道具、場所などが必要になる。 音楽家として成人できる者は才能だけではなく、色々な外的要素に恵まれているのである。 確かに音楽を生業とするゆえのユニークな苦労もある。 でも、私は自分の音楽家としての社会の位置を本当に特権的、と思って常々感謝している。 私が何にも変えがたいと思うのは、 音楽を通じて一生真剣に自己探求をする、そしてその結果を表現する、場がある身である言うこと。 私は、音楽は私を常に浄化してきてくれた、と思っている。 そして、音楽人生を歩んできたからこそ到達できた幸せを実感している。 これを前面に打ち出して、 一番良い音楽で世界に繫栄することをゴールとして音楽家同士が一致団結できるような、 そう言う戦友と言うか、姉妹兄弟と言うか、 音楽家同士がお互いをライヴァルとしてみるのではなく、 志を共にした、お互い支えあうべき家族、と見ることができたら、と心から願う。 音楽家に限らず、舞台芸術関係者も、一般芸術も、すべて。 そうして初めて、利益追求に盲目になっている社会に、芸術が立ち向かって バランスを取り直すように働きかけることが可能になるのでは、と思うのだ。 ナイーブに聞こえるかもしれないけれど、私はナイーブなつもりは無い。 冷静で、客観的な現状批判のつもりです。
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実に土曜日から火曜日まで、缶詰になって論文を執筆していました。 日曜日の夕食に美味しいインド料理を会食で頂きましたが、 そしてゴミ捨てには一回外に行きましたが、 それ以外はずっと部屋にこもってカタカタカタカタやっておりました。 火曜日の朝、久しぶりに登校するため外に出たとき空気の美味しかったこと! 失笑されるでしょうが、そしてアンネ・フランクには失礼かもしれませんが、 本当に(ああ、隠れ家生活は辛かっただろうな~)と心底思いました。 缶詰中は結構楽しく書いていたのですが、 外に出たら急に(ああ、外に出たかった~!!!)と言う感じなのです。 そして今、ヒューストンの気候は本当に最高! からっと晴れ上がり、薄手の長袖をちょっと腕まくりしたその露出した手首に風が気持ちよい! 道端の植木の花の香りが本当に甘くて、立ち止まってにおいを嗅ぎ、 そう言うことをしていること自体が幸せで、もうニコニコしっぱなし! そして思い出したのです。 随分昔、LA時代のお話しですが、私はあの頃まだ本番恐怖症と戦っていました。 大丈夫な時もあるのですが、 いったん緊張に襲われるともう手足が震え、何をどう弾いているか分からなくなってしまいます。 そんな私がLAの郊外の教会でリサイタルをするその日。 車を持っていなかった私のために、R君がドライブしてくれることになりました。 本番前のリハーサルもあり、午後のリサイタルのため、朝の出発です。 練習が一段落した私を、R君がお散歩に誘ってくれました。 LAは北米大陸で一番気候がよいところです。 映画のメッカの場所を決める時、 雨の日が一番少なく、日照時間が一番長いところ と、統計を取った結果ハリウッドがLAに成ったそうです。 しかもいつも晴れているだけではない。 カラリと空気が乾燥して、気温も真夏と真冬を除けば大体いつも15度から25度前後。 一年中花が咲き乱れて、本当に天国のような気候です。 R君とお散歩していると、色々な花が道沿いに沢山咲き乱れています。 「この花、におい嗅いで」「次は、これを嗅いで」 R君がいつもと違って妙に指図して来て、次々と花のにおいを嗅がせてきます。 でも、そんな天気の中、花を嗅ぎながらの散歩は楽しく、 ゲームのように花を見るたびににおいを嗅ぎながら散歩を続けました。 昨日、缶詰のあと道端の花を嗅いで、ふと思い当たったのです。 あの時、R君は私の上がり症を察していて、 何とか私をリラックスさせようとけなげに頑張っていてくれたのでは。 R君はグ~ンと私の後輩であの時まだ10代だったのですが、 でもそう言う気遣いをする子でした。 ヨーガをやりながら、呼吸の大切さ、 そして自分の呼吸を意識することで気持ちを落ち着ける方法を学んでいるる最中で、 初めて思いついた、もう何年も前のR君の優しさ。 「Stop and Smell the Roses」と言うのは英語の諺で 人生何があろうとも、道端の花のにおいを立ち止まって嗅ぐ心の余裕を持とう、と言う意味です。 R君、ありがとう。 道端のお花たち、ありがとう。

