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最近、私の将来について尋ねてくださる方に多く会う。 博士課程も修了に近づき、一つ人生考えどころなのを感じ取ってくださるのか。 有難い。 お尋ねいただけると、私も考えるきっかけになって色々なことを想う。 私は、ささやかでも自分の信念に叶う音楽人生、音楽創りをしていきたい。 勿論、華やかな演奏の場やキャリアがその結果ついてくればそれはそれで喜ばしいのですが、 それを目指して動くのは、空しい。 どんなに小さな演奏の機会でも、それぞれに真心を込めて自分を捧げられる姿勢を常に目指して、 これからも音楽の道の修行を続けられれば、と言うのが一番の願いです。 それからまた私は、今マス・メディアの浸透などでどんどん文化離れが進む中、 芸術を志す者は一致団結してお互いをサポートし合い、 一緒に工夫をして生き残りを試みることが一番だと思っています。 そうする事によって、「伝統芸術」になってしまいかねないクラシック音楽やバレーや舞台劇も また新しい息吹を得られ、 視聴者がより興味を持ち、日常的に身近に感じられる創作を提供できる、とも思っています。 そう言う風に投げかけると皆さん、一生懸命一緒に考えてくださる。 嬉しい。 先日、ヒューストンで活躍しているバレリーナの方とお会いしてお話しする機会を 地域の芸術支援に熱心なご夫婦にセットアップしていただいた。 自分たちの分野、自分の修行に専念しがちな私たちだが、 いったんお話しを始めると、共通点も多いのだが新しい視野もお互いぱーっと広がり、 どんどん刺激になって、話しが盛り上がる。 まだまだまだまだ。 音楽人生、これからどんどん!
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書いています! しかし、論文を書くと言うのは例えばこうしてブログを書くのとは随分違う。 一つ一つの言葉に裏づけを取らなければ行けず、非常二時間がかかる。 昨日一章目を書き終えた。 書いたり消したりの繰り返しで、結局今20ページ目。 まあ多少の達成感はあるが、まだまだまだまだ。 これから本題。 しかも途中で自動校正や注釈のソフトウェアをダウンロードしてみたり、 してから(やっぱり使えない)と2時間後に諦めたり、 「絶対読んだあの引用!どの本で見たかしら…!!」 と何冊も本をひっくり返してやたらめったら頁をめくってみたり、 実際の執筆とは全く関係ない作業が山ほど。 そして息抜きに車の保険のリサーチや、就職活動や、メールの応対や… いやはや。 しかし、取りあえず祝!一章書き上げ!!
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土曜日の朝6時42分。 月曜日はアメリカ大陸を『発見』したコロンバスを祝う「コロンバス・デー」で休日。 私の予定表は見事に空白。 車は修理場に出されていて、無い。 今までずっと後回しになっていた論文に、この3連休を捧げるぞ! 缶詰になります。 集中が散漫に成っていることを意識したら: 1.ヨーガのストレッチ 2.ラジオ体操。 3.就職活動 4.「やることリスト」(いつもどんどん増えている)を片付けていく。 5.一日30分(5日前から始めました)のフランス語会話 6.部屋にある電子ピアノで練習 7.最近始めた一日10分即興を小まめに 書くメールは山積み。 でもいつもそこから始めちゃって、そして「やることリスト」に移行しちゃって 結局、論文書く時間が無く成っちゃう。 これから3日間は何にも増して、論文優先! 贅沢な時間です。感謝。
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ノートパソコンの電池が死んでしまった。 電気プラグを引っこ抜くと即座にコンピューターがシャットダウンしてしまう。 困る。 ああ。 と思っていたら、 今度は私の愛車のクラッチ(マニュアルを運転しています)が利かなくなってしまった。 修理場に向かって恐る恐る運転中にギア・シフトが全く出来なくなって、赤信号でアウト。 帰宅ラッシュの交差点でにっちもさっちも行かなくなって もうすぐそこだった修理屋さんの若いお兄さんが二人、私のSOS電話に応答して飛んできてくれ、 暑い中私の車を押して修理場まで持っていってくれた。 修理に半週間。 ああ。 泣きっ面に蜂と思っていたら、 私を「妹」と可愛がってくれていた 両親が帰国した16からこっちずっと「アメリカン・ファミリー」と慕っていたホストファミリーの息子、 スティーブンがジムで運動中に53歳で心臓発作で亡くなってしまった。 信じられれない。うそみたい。 ついこの間まで噂話しで盛り上がっていたのに。 思い出がどんどん込み上げてくる。 パリに行って3回休んで、もうこれ以上コミュニティーカレッジの授業を休めない。 でも木曜日の授業を終えて飛行場に直行しても、金曜日の朝どんなに早起きしても、 金曜日の朝一で行われるお葬式には間に合わない。 「てんてこ舞いの今よりも、落ち着いてから来て貰ってゆっくりおしゃべりできた方が嬉しい」 と私を気遣って言ってくれるホストマザーの言葉に甘えて、泣く泣く来週末の飛行機の予約をする。 あああああああ。 論文も、就活も、差し迫っているのだけれど、毎日取りあえず保留。 その間にも焦りが募り、しかし人生諸々の重圧も募り、息苦しくなっていた時、 お世話になっているヒューストン日本人コミュニティーの方々とお食事する機会に恵まれた。 「『やることが多すぎる』と言っている時は焦りばかりに集中して実は何もこなしていない時。 一つ一つ、する事をこなしていけば、いつか追いつく。 言い訳とか、愚痴とか言う暇があったら、 取りあえずやることリストの項目を一つ一つ消去することに集中する」 皆さん、それぞれの業界で物凄い活躍をなさっている凄腕のつわもの。 それなのに、(どうして?)(どうやったら?)と思えるほど 社交にも豆で、私にもいつもお声をおかけくださり、 周りへの気配りやコミュニティー還元に余念が無い。 「言い訳をする人は器の小さい人。言い訳をする前に行動する」 身につまされました。 そして、良い人々に囲まれてる幸せに感謝しました。 さあ、練習!そしてヨーガ! そして、する事リストを邁進!! 外は天気!中国茶が美味しい。 頑張るぞ!!! Steven, Rest in Peace. You were loved. 合掌。
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パリから帰ってきてしばらく、 音楽よりもピアノ技巧に集中することによって心頭滅却を試みている。 朝一で午前中、正午のヨーガのクラスまで練習することが多いのだが、 久しぶりにゆっくりスケールや練習曲をさらい、 自分の体と鍵盤と音のつながりを確認。 禅僧のような練習をしている。 最近自分に課しているチャレンジ。 午前中の練習にはペダルを使わない。 特に演奏会に向けて練習している時は、 本番に近い奏法で、本番をイメージしながら練習することが多くなる。 勿論ペダルも使い、音楽的に歌いまわしながら弾くことを、朝から晩まで試みる。 でも、最近気がついたのだが、そうすると死角が出てくるのである。 ペダルを使わない利点は: 1.すべての音を意識するようになる。 2.上の1.の結果今まで意識していなかった和声や装飾音の発見があり、新鮮。 3.地に足が着く。 この3.はヨーガの着想。 ヨーガでは「地面からエネルギーを得る」、と言う言い方をする。 地についた自分の足をしっかり意識することによって、自分の確認をする、と言う意味だと 私は理解している。 日本語の諺「地に足をつける」とか、英語では「be grounded」とかも ほぼ同じ意味だと思う。 ところが、ピアノを弾いていると大抵右足はサステイン・ペダル、左足はソフト・ペダルに乗っていて、 地に着いているのはかかとだけ、になってしまう。 そしてこのかかとがピンポイント・ヒールなどを履いているときはもう悲劇。 本番中、この状態で緊張のためひざが震えたらもうアウトだ。 ペダル無しで練習していると、足をしっかりと地に着けてピアノを弾くことになる。 そうすると、落ち着いて冷静に、色々な判断が出来てくるのである。 聞き方もより分析的に、客観的になって、全く違ってくる。 ペダルを用いて演奏することは、まるで酔っ払って演説するような物である。 酔っ払っていると、勢いが出てくるかもしれない。 声が大きくなり、顔が紅潮し、人をも一緒に酔わせやすくなるかもしれない。 しかし、酔っ払いながらの演説に筋を通し、説得力を持たせようと思ったら、 素面のときの演説内容の裏づけリサーチと、冷静な論理づくり、そして練習が必要だと思うのだ。 そうしなければ、単なる自己陶酔だ。 自己陶酔と、共感を呼ぶ情熱の違いは本当に紙一重だ。 そこが素人とプロの違い、とさえ、言えるのかも知れない。 そして、素面でペダル無しの練習は新鮮で楽しいし、 自分に厳しくなる、良い修行。 午前中は酔わない!
