• 今学年始業から3週間目が終わった。その3週間で脳が成長しているのを著しく感じる。 例えば、ルネッサンス音楽のクラスで最初の週に課された論文。これは中世後期からルネッサンス初期のモテットと言うジャンルの宗教音楽の書法について書かれている。リズムとメロディーの関係について書かれているのだが、50ページに及ぶ論文である上に、兎に角ややこしい。専門用語がバンバン出てくるし、それに詳細が本当に細かくて、読もうとしても、目が字を追っているだけで何にも頭に入って行かない。他のクラスメートに聞いても、皆同じような反応。「これは書き手が悪い。情報伝達をしようと態度が全く無い!」と文句の言い大会。先生に「難しすぎます、分かりません」とSOSを出しても、「何度も読んでいるうちに段々分かってくるから」と、ヒントもくれない。(何度も読みたくないんだけど。。。)と頭の中で口をへの字にしながら思っていたが、しかし授業中この論文がしばしば引き合いに出されるし、どうやら中間でもこの論文に関する質問がかなり出るらしい。先週、もう一度チャレンジしてみた。 そしたら、読めるのである!どうしたのだろう!ゆっくりとだが、ちゃんと内容が頭に入っていく。書き手が何を言おうとしているか、分かる! 凄い…人間の脳と言うのは、本当に凄い!! (まだ2ページしか読破してませんが)

  • 新居への引越しは中々完了せず、毎日一時間の往復を余技無くされている。 さらに、引越し、中古車の購入に伴う雑用のもろもろに登校前と帰宅後の主な時間を持っていかれてしまう。そんな中、それまで何気なくすごしていた時間がとても貴重になり始めた。 例えば、登校・下校途中。私はまずライス大学からメトロレールと呼ばれる路面電車まで10分ほど歩き、それから電車に揺られて17分。さらに、バスで約20分、そしてバス停から約15分運転して帰宅している。この電車での17分とバス上の20分がものすごく貴重になってきた。教えている音楽理論のクラスの宿題の採点や、ルネッサンスのクラスのための読み物。時間制限があるから、必死になって集中する。ものすごく効率が上がる。さらに早起きして行う宿題や、教えるクラスの準備。夜にやると、疲れているしいつまでも夜なべしてしまうが、朝にやると何しろ締め切りが迫っている。背水の陣である。終わらなければ、遅刻するか、準備不足である。どちらもいやだ。必死になる。練習も同じく。一時間しかない、となると、「一日中練習日」と言うのと違って、どうしても優先順位を明確に、はっきりと目標を持って、効率よく練習するようになる。芸術的・精神的ではないかも知れないが、とりあえず今は効率第一、である。 昨日は新居の排水パイプを修理するためのパイプと道具、さらに掃除・選択に必要な道具や洗剤や、シャワーカーテン、電球などを大量に購入することに帰宅後の3時間を費やした。さらに、お金も大量に使ってしまった。「世捨て人の音楽修行人」から「人並みの生活をするピアニスト」に昇格するのは、中々大変である。

  • ロサンジェルスでの生活を4年経たあと、ヒューストンでの3年目を始めている私が 今まで一度も車を所有したことが無いことを知ると人は大抵驚愕する。 生活範囲の狭さ、そして質素さがそれだけで明らかになってしまうからだ。 私は確かに自宅と練習室、そしてクラスと図書館で主に生活して来た。 遊びに行くことは必然的に主導的になれない。 誘われたら便乗させていただくことになる。 収入が少ない学生・音楽家人生に経費を徹底的に抑えることで対応して来た現われの一つだ。 でも、ついに車を買った。 車が無いゆえに演奏活動さえにも支障が出始めたからだ。 車を買うと、保険、値段高騰中のガソリン、そしてメンテナンスと中々出費と手間がかかる。 さらに引越しに伴うインターネットの手配、家具の購入、などなど。。 練習と勉強が、グンと減る。 「こんなことは巣立って一年目の学部生の時に学ぶことなんだよ!今までこういうことを経験せずに来たってことが信じられない!良い勉強だと思って!音楽バカになりたくないでしょ!」 と、友達に叱咤激励されると、耳が痛い。 私は確かにピーターパンで今まで来てしまった。 しかしそう言うことを始めると中々色々面白いのである。 オートマとマニュアルの違い、とか調べ始めるとルネッサンス音楽よりも興味をそそられてしまう。 ルネッサンス音楽の教科書、明日までに60ページ読まなきゃいけないんだけど、 そんなことをそっちのけに、マニュアル運転法のYoutubeのヴィデオを見ほうけたり、 スペア・キーの購入の仕方をグーグルしたりして時間が過ぎてしまう。 明日から又がんばれば良いかな?

  • ヒューストンの夏は日本よりも暑い!と言うのが一般知識。 私はこれまで大抵夏は、月から6月中旬の一番良いときを日本で過ごし、それから避暑地的な場所で行われる夏の音楽祭に参加し、そして学校が始まるぎりぎりのだんだん暑さがおさまってきた頃ヒューストンに戻る、と言うすごし方をしていたので、夏バテとは無縁で来た。が、今年珍しく6月の中旬から8月中旬まで日本で過ごし、やっぱり日本の並大抵では無い暑さに感じ入った。そんな後、覚悟して帰ってきたヒューストンは以外にも涼しく感じられた。それは多分室内の完全冷房が徹底していて、だから屋外の暑さが日本ほど苦にならないからなのだが、(むしろ日本より涼しい!?)と思えるほどである。それでも木曜日は37.8度だったし、まだまだ暑いのだが、でも空はすでに秋模様。日本はこの頃どんなだろうか? そんな中、新学期が順調に進んでいっている。 私は博士課程の3年目。この学年度でクラスの義務が終わる。全てが博士課程4年目の秋に行われるComprehensive Examに向けて行っている。これは専門分野に置ける知識を全般的に幅広く問われる物。博士論文の執筆を始める前にどの分野でも行われるテストだ。ライス大学の音楽の博士課程の場合、音楽理論、音楽史、そして専課(私の場合ピアノ演奏)それぞれの分野で4時間ずつ、計12時間の筆記試験がまず3日間にわたって行われる。この試験はそれぞれの博士課程の学生のため、一人一人教授が会議を開いて作成する。その生徒がその博士課程に置いて取ったクラスや得意・不得意分野、全てを考慮した上で、である。それに合格して始めて、今度は口答試験を受ける資格が得られる。口答試験では、筆記試験で間違えた質問に関していろいろな角度から問われ、自分の言葉でもう一度間違えを正し、名誉挽回をする機会を与えられる。筆記試験の採点が終わった段階でどの質問を間違えて答えたか知らされるし、口答試験の前には1週間ほど時間の猶予があるので、口答試験で落ちることはまず無い。Comprehensive Examは非常に難関で、毎年半分の学生が落ちてしまう。落ちたら後もう一度だけ、半年後に受けられるのだが、そこで落としたらもう博士号は取れない。と、言うわけで皆必死で勉強する。 博士課程1年目で取るクラスは一般養的なものや、割りと趣味的なものがあったりするが、3年目はもうほぼ完全にこのComprehensive Examに直接的に有利なもの、と言う風に選ぶ。中世やルネッサンスの音楽は、普通の西洋音楽の専門家は演奏で触れる機会が無い分野。そして、音楽史の起点という意味ではとても大事な分野である。私は中世の授業は去年取ったので、今年はルネッサンス音楽の授業である。それから色々な音楽理論を応用して色々な曲を分析するクラス。バッハから超近代まで。「コンプではこういう聞かれ方をするから、こういう風に答えると良い」とか、もうまさに試験勉強である。 私の一年先輩がまさにあと2週間で行われる「コンプ」に向けて、試験勉強の総まとめを今しているところだ。目の色変えて、図書館に詰めている人も居れば、それでも一日3~4時間の勉強を欠かしていない人、さらにここまで来て、なぜか博士課程3年生の授業を聴講しに来ている人も居る。みんなそれぞれ自分のやり方で真剣に取り組んでいるのだろうが、そのやり方があまりにお互い違っていて、面白い。皆合格するといいけどな~ 私は、と言えばまだまだのんきな物である。本当はもう今から計画経てて、地道に勉強を始めていた方が良いのだろうが、それよりも最近購入したマツダのProtege5と言う中古車がなんとマニュアルで、スティックシフトでの運転の仕方をどきどきしながら勉強中。それから、まだ新居への引越しも住んでいないし… 博士課程においても、人生色々、である。

  • まだ新居への引越しが住んでおらず、 私は毎日片道一時間強、公共交通機関に揺られて登校している。 面白い社会勉強だ。 いつもは席を確保するのに全く問題ないのだが、今日のバスは例外的に混んでいた。 立ち席だけ。 列はまだまだ長かったのだが、私が乗ることを許された最後の乗客だった。 たかが20分である。 なんということは無いし、座れないと言っても日本の通勤電車とは比べ物にならないゆったりさ。 でも、人々は結構苦しそうにしている。 バスが出発すると同時に、運転手さんがこれも例外的にスピーチを始めた。 「このバスの立っている乗客の中には沢山のご婦人が居られます。ご婦人がたも皆さんと同じ料金を払われて乗っています。あなた方紳士の中で、ご婦人に席を譲られたい方は、どうぞ」 この運転手さんが善意からこのスピーチをしたことは間違えないのだけれど、私にはちょっと疑問符が飛び交うスピーチだった。「ご婦人がたも男性と同じ乗車料金を払っている」から、より席に対する権利がある、とはどういう論理なのだろう?これは、女性の平均賃金がいまだに男性のそれより安いことに言及しているのか?そして、年齢、肉体的障害、などよりもまず性別で、席への優先を決めるのは、どういうものか? 乗客も同じ気持ちなのか、一人立った男性が居たほかは皆「しら~ん!」と言う感じ。 でも、最初の停車駅で、ちょっと疑問が判明した感じがした。 立っている乗客の一人にとても、とても太っている女性が居たのである。 お相撲さん、とかそう言う太り方ではない、ハンプティー・ダンプティーなのである。 どうやって通路に立っていたのか、不思議なくらい。 彼女が転びデモしたら、彼女が怪我をするだけではない、 周囲が全員巻き込まれて、大怪我をしてしまう。 ただ、ここで疑問なのは、席を譲られたら、彼女はその席にきちんと座れたか、と言うことである。 それくらい太っていらっしゃったのだ。 遊園地のジェットコースターでシートベルトの様な安全装置が閉められないほど太っている人が、 ジェットコースターから降ろされるところを見たことがある。 何十分も立って並んだ後、である。 友達の目の前、他に待っているお客さんが全員見守る中、 係りの人がシートベルトと格闘した後に、懇願されて、一人だけ降ろされるのである。 意地悪で行っているのではない。 不自然、不健康、そして非効率的な、この社会的肥満現象はどうして起こっているのか? NYのジュリアーニ市長は、マクドナルドで販売されるソーダの「特大」を違法にしようとしている。 しかし、そう言う問題なのか。 もっと根本的に何かが間違っていて、この肥満現象は単なる副作用なのでは? (ところでまだ、「ご婦人もあなた方と同じ料金…云々」は分からない。)