美笑日記10.29:音楽の平穏

「喜びの時も悲しみの時も、富める時も貧しき時も、健やかの時も病める時も…」通常新郎新婦が結婚式の誓いに交わす言葉ですが、私は音楽家としてこの誓いにある様に聴き手に寄り添えるピアニストを目指しています。 不穏なご時世。(私に何ができるのだろうか)と弱気になることもあります。でも私は色々なところで様々な方々のために演奏して、世界の広さと多様性を体感しています。モンタナではその街初の演奏会を披露し、アラバマでは1000人の小学生に質問攻めにあいました。重度障碍者とそのご家族や、ホームレスの方々などにも演奏した一方、有名会社の創立者ご家族や映画業界の著名人などの豪邸で演奏させて頂いた事もあります。音楽はどんな人々の間にも橋渡しができると信じて活動しています。 音楽というのは食事と同じだと思うのです。どんなに正反対の固定観念を持っていても、どんなに生まれ育った状況や受けてきた教育が違っても、空腹時にご馳走のテーブルを一緒に囲めば笑顔になります。寒い日に暖かいシチューを振舞われれば優しい感謝が生まれます。 こんな寓話をご存知ですか?地獄に行くと細長いテーブルを挟んで人々が向かい合って座っています。それぞれの前においしそうなスープが湯気を立てていますが、みんな飢えて痩せこけています。スプーンが長すぎて自分の前のスープ皿にも自分の口にも入れられないのです。天国に行くと全く同じ状況ですが、みんな丸々と太ってニコニコしてます。違いはただ一つ。天国では長いスプーンでテーブル向かいの隣人にスープを食べさせてあげてたのです。 否が応でも我々は地球人として、運命共同体です。一人の痛みはみんなの痛み。あなたの喜びは私の喜び。自分の幸福度は周囲の幸福感に影響されるのは研究でも立証されています。最大数の人々が最大の効果を得るために、一人ひとりが今できることはなんでしょうか。 この記事は日刊サンに隔週で連載中のコラム「ピアノの道」♯140(11月3日付け)を基にしています。

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美笑日記10.16:核兵器廃絶への世界の願い

「忘れたいと思えば思うほどよみがえってくる。忘れてはいけないことなんだ、無かったことにしてはいけないんだとやっと気が付いた。」15歳の時に広島で被爆し、亡くなった下級生たちを火葬までした体験を語り続けてきた切明千枝子さん(94)の言葉です。 先日「日本原水爆被害者団体協議会」(日本被団協)のノーベル平和賞受賞は被爆の悲惨を世界に訴え続けた被爆者たちへの評価であると同時に、核兵器拡散や使用はこれら被爆者の努力をないがしろにする非人道だという警告でもあります。かくいう私も被爆者を祖父に持ちながら、2023年にランド研究所の「現世の最大の危機は環境汚染よりも核兵器だ」との発表を知るまで核兵器の脅威を歴史とSFのお話と感じていました。 Doomsday Clock(終末時計)をご存知ですか?核戦争などによる人類滅亡を「午前0時」とし、滅亡までの危険性を残り時間として表現する「原子力科学者会報」の表紙絵です。第二次世界大戦中、核兵器を完成させたアメリカの「マンハッタン計画」に携わった科学者たちが自らの社会的責任の認識の体現として1947年に始めて以来、現在まで続いています。原子爆弾を上回る破壊力の水素爆弾が開発された1953年には2分前まで近づくも1991年の冷戦終結で17分前まで回復した、その時計の針は今どこだと思いますか? …90秒前なんです。 世界唯一の被爆国に生まれた日本人として我々ができること、なすべきことは何なのでしょうか。日本は被爆国であると同時に、人間の強さの象徴でもあります。原爆投下直後は「75年は草木も生えぬ」と言われた広島は、1949年には平和記念公園の整備を始め、奇跡と言われた戦後の日本高度経済成長と共に復興し、去年はG7 の主催都市にもなりました。人間は過去の過ちの反省を基に成長する知性と人道をもっています。「無かったことにしていけない」のは過去の被爆の悲惨な記憶だけではなく、未来の核爆弾による破滅の可能性も同じです。 この記事の英訳はこちらでお読みいただけます。https://musicalmakiko.com/en/nikkan-san-the-way-of-the-pianist/3334  このブログエントリーは、日刊サンに隔週で掲載中のコラム「ピアノの道」のエントリー139(10月20日付け)を基にしています。

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美笑日記10.4:インディアナ州ゲーリーに行きます

ゲーリーという街について 北米最大の製鉄所があるゲーリーという街に行ってきます。マイケル・ジャクソンやジャネット・ジャクソンの出身地。ミシガン湖の最南端に位置し、シカゴの中心街から50キロほどのところにあるインディアナ州の街です。 1906年、USスチールがここに「Gary Works」と命名された製鉄所を設立したことで始まったゲーリー市。製鉄業の繁栄と共に著しい成長を遂げ、1950年には20万人以上の人口を誇りました。しかし、第二次世界大戦中に空襲を受けた世界の都市の再建が進むにつれ、最新技術を取り入れた外国の製鉄所にアメリカの製鉄業が押され始めます。1970年代には3万人の雇用を誇った「Gary Works」は1990年代にはわずか6千人、そして現在では約4000人の雇用人がいるのみ。製鉄業の衰退と共に経済低迷状態となったゲーリー市から移住する人が続出し、2022年の国勢調査時の人口は6万8千人をやや下回ります。三軒に一軒が空き家。貧困率は米国平均の3倍です。 なぜゲーリーに行くのか 直接のきっかけはこの夏に遡ります。US-ジャパン・リーダーシップ・プログラムで2017年に同期だった起業家のEze Redwoodが、Economic Recovery Corps(経済復興部隊)のフェローの一人として経済疲弊している街を30か月で復興させよとEconomic Development Adniministration(アメリカ合衆国商務省経済開発局)から仰せつかったと話してくれたのです。彼が担当することになったのがGary INとMichigan City INです。今年の夏に在ったUS-ジャパン・リーダーシップ・プログラムの同窓会で私が「音楽で達成する共感・共存・協力の未来」というプレゼンを行ったあと、周りが「マキコがゲーリーに行ってEzeを助ければよい!」という感じになったのです。 最初は戸惑いました。ゲーリーの人口は約8割が黒人、残りの一割はヒスパニック系です。一方、私が専門とするのはクラシック音楽ー歴史的に白人富裕層の音楽です。ぬくぬくと経済大国に生まれ落ちた恩恵に任せて思う存分音楽人生を満喫してきた私のような苦労知らずが、アメリカの不平等の抑圧の苦労を背負わされてきた人々に何が言えるというのか…? 考えを変えたのには日本製鉄の買収への非論理的な抵抗の背景に東洋人に対する無知と差別がある、とEzeに説明されたからです。この地域に住む人には東洋人の知り合いがいないのです。住民の多くにとって日本と中国は同じで、その上「中国政府は信用できない」という常識はある。そして日米同盟の歴史や情勢については知らない。 それではマキコが行きましょう! 世間知らずのままでいては申し訳もないし、進展性もないし、面白くもない。こういう好機でもないといけないゲーリーの様な街に出かけて行って、少しでも私が受けてきた恩恵の結果である音楽や専門知識や経験で貢献できることがあれば…そして、握手をして、笑顔や言葉を交わして、一緒にお食事をして、どんなに背景や肌の色が違っても同じ人間だと実感し合えれば… そういう訳で10月10日から15日までゲーリーに行ってきます。 Kawai USA(河合楽器のアメリカ本社)が電子ピアノを貸してくださいます。行くからにはできる限りのことをしたいと思って張り切っています。

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美笑日記9.30:時の花

南カリフォルニアならではの楽しみは色々ありますが、公園や庭に鈴なりになる果実の種類の多さもその一つではないでしょうか。レモンや金柑などの柑橘類は勿論、日本では聞いた事すら無かったサボテンの実の数々や、イチジクやザクロ…鑑賞するだけでも楽しいです。 今朝庭仕事をしていたら、お隣から枝を伸ばすグアバの小さな実がいくつか転がっているのを発見。(もう今年もそんな時期か…)残暑の中の思いがけない秋の予告です。見上げると、緑色のまだ固い果実が一つ、また一つと段々見え始め、気が付くと星の数ほどもあるんです。その中で控えめな黄色に染まった数個に手を伸ばすと、引っ張ってもまだ枝にしがみつく実と、触っただけで手の中に落ちてくる実があります。 「時」という語を含むことわざは多い中、熟れた実がホロリと落ちる感触で「時の花」という言葉を思い出したのには訳があります。ミヒャエル・エンデ作「モモ」は「時間とは何か」というテーマと向き合う、スマホとAIに侵された現代人に読んでほしい作品です。そのクライマックスで時間の司祭「マイスターホラ」がモモに見せる時間とは、大きな振り子の揺れに合わせて咲いては消える壮大な花です。 「時間の芸術」と言われる音楽の道を歩む私は、よく「モモ」のこのシーンを思い出します。それぞれの音が「咲く」か否かはタイミングの問題で、それを極めるのが音楽性だと思うのです。メトロノームに合わせて弾くのはまだ枝にしがみつく実をもぎ取るのと同じです。時計やカレンダーに縛られて生きるのも同じく。 コロナまでは次の演奏会や演奏旅行までが私の時間の単位でした。でも「ステイホーム対策」で季節の移り変わりを初めて一か所で体験し、私の時間の感覚や音楽観が一皮剥けた気がします。「速く・正確に」を目指して練習を重ねたピアニストが、余韻に耳を澄ますようになりました。 この記事の英訳はこちらでお読みいただけます。https://musicalmakiko.com/en/healing-power-of-music/3324  今日のブログは日刊サンに隔週で掲載中のコラム「ピアノの道」エントリー138(10月6日出版)を基にしています。

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