オバマ大統領の健康保険改革のスピーチについて

今日、オバマ大統領のスピーチの生放送を見た。 アメリカのhealth care system reformに関してのスピーチである。 アメリカの保険には色々問題があり、それは私の様な人間にも直接関係してくる。 facebookと言う、日本で言うmixiの様な、ソーシャル・ネットワーク・サイトでは、 最近こんなメッセージが出回っている。 80%of the uninsured have full-time jobs. 62% of all bankruptcies in theU.S. are because of unpaid medical bills. 75% of those actually havehealth insurance. Enough is enough: time for reform. If you agree,please post this as your status for the next 24 hours.(現在保険に加入していない人の80%はfull-timeの仕事を持っている。アメリカで申請される破産の62%は病院への支払いができない人からで、その中の75%の人々は保険に加入している。もう十分です。改革の時の今です。賛成する人は自分の「今日の気分」のところに貼り付けて、24時間そのままにしてください。) この統計がどこから来ているか私にはちょっと分からないが、 今まで聞いてきたアメリカの保険にまつわる醜聞を考えると、本当では無いかと思えてくる。 オバマのスピーチを聞いていると、4年後には全く違ったアメリカになるような気がしてくる。 彼の声音はとても真摯に、希望に満ちて聞こえる。 […]

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「聴く」と言うこと

タングルウッド音楽祭にいる時はほぼ毎日、時には一日に二回以上、演奏会に行っていた。 しかし、タングルウッドの最終日、8月16日以来、音楽会には一度も行っていない。 始めは少し食傷気味だったし、移動や、引っ越しや、学校が始まって友達との再会とか、 色々在って演奏会に行きたい、とも思わなかった。 それに演奏会シーズンは9月下旬まで始まらないので、まだあんまり演奏会も無い。 でも、この数日、なんだか「演奏会に行かなきゃ」と言う焦燥感の様な気持がしてきた。 こんなこと、生まれて初めてである。 練習していると、自分の音楽が外からのインプットを必要としているのが分かる、そんな感じ。 図書館に行って、今学期演奏するブラームスのピアノ四重奏第二番の録音を借りて聴いた。 リヒテルと、ボロディン四重奏のメンバーによる演奏である。 生演奏の録音で、一楽章はリヒテルの演奏にちょっと不安定な所もあったが、 全体には圧倒的な演奏だった。引き込まれた。 弦がほとんどヴィブラート無しの完璧な音程で、ピアノの反映、エコー役を務める。 ピアノは、弦に溶け込むような音を出す。 夜は、今学期最初のピアノの「Playing Class」が在った。 コルバーンのピアノ科の生徒がみんな集まって、先生と一緒にその週に仕上がった曲を聴く。 昨日のクラスでは、サンサーンスの協奏曲2番、ショパンのアンダンテ・スピナート、 アルベニスの「テュリアーナ」と「コーパス・クリスティ」、ショパンのソナタ2番、 そしてラヴェルとシューベルトの三重奏を聴いた。 皆確実にうまくなっている。 リヒテルの録音とはまた全く違った意味で、非常に感動した。 私は、幸せな環境にいるなあ、と思う。

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シューベルトについて

今度のリサイタルで弾くべく今練習しているシューベルトのソナタ19番、D. 958ハ短調は シューベルトが梅毒で、若干31歳で亡くなったその年に書かれている。 当時梅毒は治療法が無く、梅毒は死刑宣告だった。 26歳で梅毒の診断を下されたシューベルトはそのあと、 歌曲の詩に多く、死を唯一の逃げ道、あるいは友達、あるいは美しいものとして描写する物を選ぶ。 そのシューベルト死後一年経って、シューマンがこんなことを言っている。 「Where other people keep diaries in which they record their momentary feelings, etc, Schubert simply kept sheets of music by him and confided his changing moods to them; and his soul being steeped in music, he put down notes when another man would resort to words (普通の人が日記にそれぞれ、その時の感情などを記録するように、シューベルトは五線紙に移り変わる自分の感情を書きつけ、打ち明けます;彼の魂は音楽にどっぷり浸かっているので、普通の人が言葉に頼るところを、シューベルトは音符に託すのです。)」 何が、シューベルトのどの曲が、シューマンにこう言わせたのだろう。 「A happy

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ベートーヴェンの26番、作品81a「告別」

このソナタは、1809年にフランス軍のウィーン攻撃を逃れて5月4日に田舎に避難した、ベートーヴェンの理解者でありパトロン、そして唯一の作曲の弟子でもあったルドルフ大公の出発、不在そして再会に触発されて、1810年に完成した作品である。そのまま、 一楽章~「さようなら(Das Lebewohl(独)、Les Adieux(仏))」、 二楽章~「不在(Abwesenheit (独)、L’Absence (仏))」 三楽章~「再会(Das Wiedersehen (独)、Le Routour(仏)」 のタイトルが付いていて、1810年一月の大公の帰還の際、献呈されている。 1808年の暮れにウィーンで、交響曲の第5番「運命」と、第六番「田園」、そして合唱幻想曲(作品80)の3大作品の初演を含む、4時間に及ぶオール・ベートーヴェン・プログラムの演奏会が在った。しかし、リハーサル中にあまりに熱狂的なベートーヴェン(耳もかなり遠くなり始めていた頃である)を「この男は指揮をするべきではない」とオーケストラ奏者がボイコットし、ベートーヴェンは控え室でリハーサルを聴く羽目になったのはこのコンサートでは無く、その一つ前、11月15日の演奏会だが、この12月22日の演奏会も、さんざんな結果だったようだ。オケ奏者は間違えを立て続けに犯し、ベートーヴェンは演奏を途中で一旦止めて、弾きなおしを要求したり、聴衆も完璧では無い演奏で提示された、当時にすれば非常に斬新的な交響曲をどう受け止めたらいいのか、戸惑ったであろう。 このようなハプニングを経て、それまでは歴史上珍しくフリーランスで成功していたベートーヴェンは、ナポレオンの弟であるヴェストーハーレン国王の雇われ楽長になる、と突然宣言をする。ウィーン音楽愛好家有志達は慌てふためき、ベートーヴェンをウィーンに引き留めるべく、3人の貴族がお金を出し合って、ヴェストハーレン国王の提示する金額の7倍以上の終身年金を約束する。その3人の貴族の一人にも、「告別」のルドルフ大公が在った。 この曲はベートーヴェンには珍しく、物語性がある。 ベートーヴェンはこの当時の作曲家には珍しく、オペラは「フィデリオ」一つしか書いていないし、その製作には非常に苦労して校正に校正を重ね、10年以上かける難産となっている。一般に有名な、題名のあるピアノソナタの数々、例えば「悲愴」、「月光」、「熱情」、「テンペスト」等も、ベートーヴェン本人が付けたわけでは無く、またタイトルがあるからと言ってこのソナタの様にはっきりとしたストーリー性があるわけではない。もしかしたら、ベートーヴェンは音楽と文学要素を混ぜることは苦手なのかも知れない。このピアノ・ソナタも、他のソナタに比べて、造りが一見単純に見えるが、しかしだから演奏家にかかってくる部分が多くなってくる。前にブログでこの曲の事を書いたときに、「劇的要素が多いことを発見した」と書いたが、練習するにつれて、だからじゃあどう演奏すればいいのか、と言うのがだんだん見えてくる。それは、語尾、あるいは文章の最後をどう抑揚をつけるか、と言うことだと思う。 セリフを言うとき、一番最初の発音、と言うのはとても大事だと思う。 どういう声音を使うか、声量はどれくらいか、どれくらいはっきりした発音にするか、全てが発音の最初の瞬間にいろいろな情報を観客に伝える。しかし、文章をどう終わらせるか、と言うことはより大事だと思う。文章の終わり方によって、質問なのか、はっきりとしたアイディアを提示している文章なのか、自信があるのか、無いのか、いろいろな性格付けができる。ぶっきらぼうなのか、照れ屋なのか、という違いはしゃべり始めでは絶対言い分けられないが、文章の終わりでならはっきりと匂わせることができる。 等など、考察しながら練習中。お楽しみに。

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この頃

この頃ブログに音楽とは関係ない事ばかり書いているので、心配になる読者の方がいるかと思い、 今日はこの頃の生活について、書くことにします。 タングルウッドでは、弾く曲も、リハーサルのスケジュールも、すべて音楽祭が決めていました。 その決められた時間割はとても密度が高く、音楽以外の事、自主的に何かをする余地は少なかった。 練習だって、今何を弾きたい、ではなく、20分後のリハーサルの為に今練習しなきゃ顔がつぶれる、 と言った、いつも切羽詰まった、自由の無い状況が多かった。 演奏会も非常に多く、聴きに行く演奏会が無い日の方が少なかった。 研修生の多くは、疲れの為、音楽会を休む人が多かったが、私はできるだけ行った。 多分研修生の中では一番多く演奏会を聴きに行ったほうだと思う。 こういうことは全て、本当に貴重なありがたい経験だったけれど、 2か月の限定期間だったからこなせた、と言うこともある。 コルバーンでは逆に生徒の自主性、個性がとても重要視されている。 学部生は人文学、音楽誌、音楽理論などのクラスをとることが義務付けられるが それ以外の生徒は基本的に必修は4つだけ。 1)学期毎に一曲室内楽の公開演奏に参加すること、 2)週一回レッスンを受けること 3)週一回自分の楽器の専攻の人達がみんな集まる"Playing Class"に出席し、弾きあいっこに参加 4)週一回選ばれた生徒が全校生徒・教授陣の前で演奏する“フォーラム”に出席すること。 2)、3)、4)、はロスにいる時だけの課題で、演奏旅行、コンクールなどでロスにいない生徒は免除。 選曲も、演奏スタイルも、個性や自主性と言うものがとても大事にされる。 ロサンゼルス・フィルハーモニーなど、近くで行われる演奏会の無料券がしょっちゅう提供されるが これも提供されるだけで、強制ではない。 でも、生徒たちはとても積極的にこの機会を利用している。 私はコルバーンに来てから、指揮の勉強を始めた。 バンドを持って、クラヴなどを回っている子たちも居る。 私も聞きに行ったことがあるが、やはりとても上手だ。 室内楽のグループを作って演奏活動を始める子たちも居る。 また、知らない間に近くの大学の日本語のクラスに入門して、いきなり日本語の質問をしてくる子もいる。 インターネットで取れる大学の講座でエッセーの書き方などを学んでいる子もいる。 音楽以外の勉強、あるいは練習以外の音楽の勉強が無駄に思えた時期もあったけれど この頃は本当に必要だと思う。 演奏はいつもその人の人間を正確に反映すると思うし、 人間が薄っぺらければ、どんなに技術的に上手でも薄っぺらい演奏になると思う。 と、言うことで、いろいろ探索中です。

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