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2005年8月26日のプログラム

 奈良から帰ってきました。とっても楽しかったです。 帰ってきたら随分と涼しくなっていたので、それもうれしかった。 昨日は父の友人のお宅でホームコンサートをしました。パイプオルガン造りが長年の夢で、今もせっせとパイプを毎日削っていらっしゃる方です。そのオルガンが出来上がったら備え付けられる予定の天井の高いお部屋で弾きました。ご近所の方々等30人ほどお集りいただき、バッハを中心に弾きました。   さて、随分ぎりぎりになってしまいましたが、26日のプログラムです。 J.S. Bach:前奏曲とフーガⅣ  嬰ハ短調  BWV849 Chopin:練習曲集 作品10より  4番 嬰ハ短調                 12番 ハ短調 「革命」 Rachmaninoff:練習曲集「音の絵」より 作品33-4 変ホ長調 「鐘」 Ravel:組曲 「鏡」より  道化の朝の歌 Chopin:ソナタ三番 ロ短調 作品58      一楽章 Allegro Maestoso (アレグロで、風格をもって)      二楽章 SCHERZO Molto Vivace (スケルツォ 非常に生き生きと)      三楽章 Largo ゆったり)      四楽章 FINALE Presto non tanto (フィナーレ速く速過ぎず)               ー 休  憩 - Beethoven:ソナタ三十番 ホ長調 作品109       一楽章 Vivace, ma non troppo (生き生きと、でも速過ぎず)       二楽章 Prestissimo (とっても速く)       三楽章 Andante molto cantabile ed espressivo                   (表現力と沢山の歌心を持って、歩く速度で) Schumann:幻想曲ハ長調 作品17       一楽章 Durchaus phantastisch und leidenschaftlich vorzutragen                   (ずっと幻想性、情熱性を保って弾く)       二楽章 Durchaus energisch (エネルギーを保って)       三楽章 Langsam gettragen (ゆったりと荘厳に)  見てお分かりと思いますが、大変な長丁場です。音楽だけで前半、後半、それぞれほぼ一時間あります。でも私にとってこれをやる事は大変意義のあることなので、やらせてください。トークと簡潔に、そして休憩を短くしましょう。

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コンサートのお礼

 アンケート読ませていただきました。コンサートの直後、受付にいた私に表現してくださった興奮振りと合わせて、本当に嬉しく拝見しました。ピアノが難しいのは、一人で弾く、と言うところにあると思います。音楽と言うのは弾き手と聞き手の間に成り立つもので、それにはお互い同調できるもの、例えばリズム、常識的な歌いまわしとい言うようなものを創り出さなければなりません。  共演者がいる場合はこういう「常識」(文字通り Common Sense)と言うのは比較的でき易いのですが、独奏で、特に本番にプレッシャーの中、一人でこれを築き上げて、お客様と一緒にのれるベースを作るのが先ず難しい。けれども同時に一人で弾くということで無限の創造的可能性も出てくるわけで同時に幾つもの音を出せるピアノは、一人で弾ける音のスケールも大きくなり、そこに魅力があるのでは、と思っています。奥の深い道です。  毎日の練習で常に小さな発見が無数にあり、その全てが私の音楽観、人生観にそのまま反映します。死ぬまで進んでいきたいです。そして道中、私の発見の喜びを分かち合ってくだされば本当に嬉しいです。  また是非聴きにいらしてください。

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最近の私

 先日、夜遅くアパートに帰ってきてエレベーターを待ちながら、不思議な感覚を覚えた。月並みな言い方になるが、その朝早く出発したのが遠い昔の事に思え、同時に「今ここに帰ってきた私は今朝このビルを出て行った私からかなり発展しているな」と思ったのだ。なんだか傲慢な言い草に聞こえるかも知れないが、それは感覚的には、姿勢を正して謹みを覚えるような実感だった。  そういえば、この頃毎日非常に刺激に満ちた日々を送っている。  4月18日(月)2時にスペインの室内楽のプログラム(グラナドスのピアノ五重奏、テュリーナのピアノ・トリオ等)。 恩師サラ・ビュークナーが、私が毎シーズン1、2回載せてもらう室内楽のシリーズ、Jupiter Chamber Players で演奏した。  8時、カーネギーホールで私の大好きなポーランド人のピアニスト、クリスチャン・ツィメルマンのリサイタル(モーツァルトのソナタ、ハ長調、ラヴェルの「優美で感傷的なワルツ」、ショパンのバラード4番、4つのマズルカ集、作品24、ソナタ2番)。カーネギーホールの有名な音響を上手く利用して、鳴らしたり、静かに震わせたり楽しませてくれた。演奏の調子は、尻上がり、と言う感じで後半が特に素晴らしかった。葬送行進曲では、ピアノ一台でどうやったら可能なのか、と言うほど行進曲がゆっくり近づいて盛り上がり、そしてゆっくり遠ざかっていく様をまざまざと音だけで見せ付けた。そしてその葬送行進が見えなくなったかなと思ったら、すぐに魔法の様なつむじ風で、4楽章を弾き飛ばした。私の表現が大げさに聞こえるかもしれないが、あそこにいた人は皆、そう感じたと思う。コンサートの後、友達と興奮して一時間半ほど喋りまくった。見事だった。  4月17日(日) チェロのジュリアード教授、アンドレ・エメリアノフとニュージャージー州でリサイタルを弾いた。テーマは、「フランスかけるスペイン」で、ドボルジャーク(「静かな森」とスラビック舞曲から「ロンド」)、カサドの「レクイエブロス」、そして私のソロでラヴェルの鏡から「道化の朝の歌」、グラナドスのオペラ「ゴイェスカス」からの編曲で「インターメッゾ」そしてドビュッシーとフランクのチェロとピアノの為のソロを弾きました。16の時に室内楽のコーチングをしてもらってから、ずっと色々な縁で彼の生徒達のレッスンをさせてもらったり、共演させてもらったりしていたし、多分お互い興奮しやすいところとか、似た物同士という事もあるのかも知れないけど、気兼ねせずにお互いを引き出し合える感じで、本当に物凄く楽しく弾けた。お客さんも凄く乗ってくれて、ブラボーが沢山出た。幸せだった。午後のコンサートの後、彼の奥さん(フレンチ・ホルン奏者)、と奥さんのご両親に招かれて、家庭料理をご馳走になった。庭には枝垂桜、連翹、木蓮、全て満開で、演奏後のけだるいニヤニヤを意識しながら、美味しい魚とパスタの夕飯をご馳走になりながら、生きててよかったと思った。  4月16日(土)朝あわただしく練習した後、2時にジュリアードのプレカレッジのクラリネット専攻のイザベルの卒業リサイタルを弾いた(ドビュッシーのラプソディー、ブラームスのソナタ作品120-2)。このイザベルという女の子はとても上手いのだけど、音楽的にも実際もとてもつつましくて、歯がゆくなるくらい受身で、私とは正反対のタイプの演奏家だった。それがこのリサイタルの準備中、私がブラームスのソナタを、人魚姫の物語に例えて、好きな人と一緒になる為に自分の声と引き換えに足(性器)を手に入れ近づいた王子様と結局一緒になれない人魚姫の話を私なりに曲にこじつけて話したら、いきなりこっちが目をむくほどぐんぐんとこっちを引っ張るような演奏をし始めた。びっくりした。脱皮、と言う感じだった。リサイタルの後、プレカレッジの校長に褒められた。イザベルが初めて、ギュッとハグしてくれた。とても嬉しかった。  イザベルのリサイタル終了後、挨拶もそこそこに会場を走り去って、友達のドライブで、マンハッタン脱出。クリスチャン・ツィメルマンのマンハッタンから車で3時間ほどのところにある大学のキャンパスでのカーネギーリサイタル2日前の通しを聴きに行った。前半は、カーネギーよりこちらの方がよかった。バラードは、カーネギーでは唯一の欠点だったが、ここでは普通の演奏ではつかみ所の無いような構成が見事に描き出され、文句のつけようが無かった。完璧だった。 カーネギーでは、こういう人でもやはり緊張するんだ、という事がよく分かったし、緊張すると何がどうなるのか、という事が観察できたのも、面白かった。具体的には、一般的に緊張すると、人は全体像を見失うのだと思う。いくら、頭で把握していても、人に伝わる様にはっきりとそれを示せなくなる。しかし、逆に冷静に全体像を提示できても、感情的なものに欠けると、距離感ばかりで感情移入のしにくい演奏になってしまう。このバランスは本当に難しい。このリサイタルに連れて行ってくれたのは、私の録音エンジニアの、ジョー。 彼は、ピアノ・マニアで、本人いわく一度聴いたもの、演奏家は絶対忘れないそう。緻密なネットワークで、どこで誰が何を弾いているか、という事を常に把握し、好きなピアニストや、好きな曲の為には、何時間でもドライブして、聴きに行く。最近、私が音楽における自己の確立、という事や、キャリアにおける悩みなどを打ち明ける様になってからは、こういうドライブに私を連れて行ってくれるようになった。彼は、アドバイスを与えるより、良い演奏を聴かせようと思ってくれているんだろうと思う。普通には、買えない録音などをコピーしてプレゼントしてくれたりする。私よりずっと、ずっと年上で、15年来のピアニストの彼女に首っ丈なので、下心が云々、と言うわけでは、全く無い。 念のため。  刺激の多い毎日です。お勉強、させていただいてます。

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2005年夏のプログラム

 大変ご無沙汰してしまいました。皆さん、お変わりありませんか?  NYも大分暖かくなってまいりました。この頃よく雨が降りますが、去年の4月1日に雪が降ったのを思い出せば、今年のやわらかい雨(寒い時の雨は痛い)は、大歓迎です。  先週の土曜日、4月2日はジュリアードでチェロと室内楽の教授をしているチェリスト、アンドレ・エメリアノフとリサイタルをしました。シューマンのFantasystucke, ブラームスの歌の編曲と、ブラームスのチェロソナタ、一番を弾きました。16才で初めて室内楽を教わった時は、こんな日が来るとは思わなかった。ここ4年、彼の生徒達のレッスンを伴奏しているし、向こうも私の事をよく分かってくれているので、本当に楽しく弾けました。(こう来るかな)と思うとちゃんと来るし、(ついておいで)とこちらが揺らせば、本当についてきてくれるし、夢の様だった。今月半ばは、ドビュッシーのチェロソナタ、フランクのソナタ、そして小品の数々で又、リサイタルをします。本当に楽しみです。  私は今まで本当に暗中模索の無我夢中の我武者羅で、ただただ量を練習してきたけれど、この頃は一寸息を抜いて、距離を置いて、コンサートや美術館にたくさん行って、練習も鍵盤に向かって実際指を動かす練習を最低限に、楽譜や文献を読む時間を増やすようにしています。又、音楽が楽しくなってきました。  さて、締め切りを押してしまいましたが、今年の夏のプログラムです。「音楽に組み込まれた暗号」と言う題(そういう意味の題、もっと語呂が良いのがあったら、教えてください)。 このプログラムの中心は、シューマンの幻想曲になります。この曲はロバート(作曲家)とクララ(リストと並ぶ当時最高のピアニスト)が結婚する前、クララの父親の反対によって引き離されていた二人が曲に暗号を組み入れる事によってその愛を確かめ合っていた時期の究極的なロマン派の曲です。色々組み込まれているのですが、それをお客様に聞き分けていただく為には、まず、前半に簡単なモチーフを見つけていただく事だと思いました。ベートーベンは、私が弾きたいので弾きますが、ベートーベン以降、前半の全ての曲はソ#からド#への下降(舟歌だけは、ド#からソ#への上昇)を発展する事で成り立っています。これは、誰でも簡単に聞き分けられると思います。  それから、今年は前半はトーク無しでやってみようかとも思案中です。このモチーフは本当に簡単に見つけられると思うし、曲と曲の間に、私がピアノで「ポーン、ポーン」と弾けば、さらに間違いなく聞こえてくると思う。そうしておいて、後半の始まりで、モチーフの概念の簡単な紹介(前半の曲を引き合いに出して、説明する)、とそれがシューマンの幻想曲でどのように使われているかを説明する。「愛のテーマ」、「クララのテーマ」、「夜のテーマ」、「伝説のテーマ」など、こちらがてれてしまうくらい一杯あって、しかもその全てを手紙の引用などで立証できるのです。 あんまり一杯あるので、もしかして人手とスライドかプラカードがあれば、誰かに「クララのテーマ」、「愛のテーマ」などと、表示してもらうというのも、考えたのですが、これはどうかな。  リハーサルが必要になるし、それにお客さんの気が散っちゃうかもしれない。 ジョークになっても困るし(こっちは大真面目なので。 これを弾く事で、自分にも良縁が回ってくればいいと密かに思っている。)…それに、二つ以上のテーマが同時に出てくる時は、どうすればいいか、と言う問題もある。 前置きが非常に、非常に長くなりました。プログラムです。 ベートーベン    ソナタ(作品54、ヘ長調-11;56か              作品27-2嬰ハ短調「月光」-12;33              又は作品57へ単調「熱情」-23;59) バッハ       前奏曲とフーガ4番、嬰ハ短調、BWV849(10分くらい) ラフマニノフ    前奏曲作品3-2 (3分くらい) ショパン      幻想即興曲、作品66 (4;55) ショパン     舟歌、作品60 (8;27) ――――-――――休憩―――――――――――――――― シューマン     幻想曲、ハ長調、作品17 (32;49) どうでしょうか。 ご感想、お聞かせいただければ、幸いです。ぁ、それから、CD夏に間に合う様に創ってしまおうと思っていますが、ショパンのソナタとハイドンのソナタに、何を加えたらいいでしょう。案があれば、なるたけ早くお聞かせください。

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読書

 風邪の具合はいかがですか? 今風邪をひいている人がとても多いようですね。  私は今本をたくさん読んでいます。今は、同時進行で3冊読んでいます。英語、日本語、小説、短編、エッセイ、などなど全てちゃんぽんです。一時大流行した、”Da Vinci Code”(ダ ヴィンチのコード)と言う本を遅ればせながら、何所へ行くときも手放さずに夢中で読んでいたらば、地下鉄で”That`s a good book!” と通りがかりの人に大声で云われました。何所までが事実で、何所からがフィクションか分からないのが一寸曲者だけど、要するに、カトリック教会が自分の都合の為に歴史をどう、どれくらい捏造したか、さらにそれに対抗するため秘教が色々出来て、真実を象徴として語りついで行こうという、(大声で言うと、殺されてしまったりするらしい)彼らのメッセージを推理小説的に解いていく、と言う本(小説)です。確かにこの本が大流行した1年ほど前、タイムズ誌や、ニューヨークタイムズなどが、こぞって、秘教や、聖書に取り入れられなかった人の書いたキリストの話等を大きな記事にしていたし、この本に書いてある事の多くが事実である、という事は前書きにも書いてある。そして、それが本当なら、かなり愉快です。  しかし私が面白いと思ったのは、この本がベストセラーになったという現象です。この本は、それぞれの章が、とても短い。ハードカバーで読んでいるので、一頁が大きいのも事実だが、時には一頁に満たなかったりする。長くてもせいぜい4、5ページ。さらに秘教を守ろうとして殺された祖父が、死ぬ直前に自らの血で書いたメッセージを解いて祖父の無念を晴らそうと、ブロンドの美しい暗号解読者と、かっこいい中年の学者が、なぞを解きながら恋に落ちると言う、いかにも陳腐なストーリーに基づいていたりする。推理小説としても、とても思わせぶりなことを色々書いておいてから、トリックの種明かしをするので、謎解きがとても簡単で(もしかして、自分は平均よりも頭がいいんだろうか)、といい気持ちになってしまうが、きっとそれもマーケット戦法のうちで、皆がそうやって、気持ちよく読むから、売れるんだと思う。  しかし、「謎解き」いう事では、もう一つ読んだ”アムステルダム”と言う小説でも私は易々と解いてしまった。この小説では、ロンドンで首相候補の大きなスキャンダルを握った人が、そのスキャンダルを利用していいものかどうかに悩む、と言う小説だが、このスキャンダルが実際どういう類なのかは、かなり長い事明かされない。しかし私は二章くらい先読みして、(へへ、こんなの簡単だ、これは「女装」です)と分かってしまった。しかし、これは優越感を感じるよりも、なんだか自分の周囲の生活環境や、人間関係の超多様さを反映している様で、もしや自分は普通ではないのかも、と一寸あせったりもした。  久しぶりに子供の時のように夢中で本を読んでいる。とても面白い。練習も毎日しているので、ご心配なく。今日の大きなトピックは、運転免許の書き換え。待ち時間が長そうなので、読書が楽しみです。

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