ブログ

ニューヨークのインフレ

 ニューヨークでとても有名な ”Gray’s Papaya” というホットドッグ屋さんがあります。ウィンナーは少し小さめだけれど、玉ねぎのケチャップ煮とキャベツの酢漬け(ザワークラウト)をどっさりのっけてパンにはさんでくれます。ある映画ではホームシックな恋人の為に誕生日にそのホットドッグを中西部まで宅急便で送らせる、と言うシーンが出てくるほどのニューヨーク名物です。その理由はやはり美味しくてしかも安いからです。2000年にこのホットドッグは50セント(約60円)でした。しかし2002年に75セントになり、今年日本から戻って昨日はじめてこのホットドッグを買い求めたら、何と95セント(114円)になっていたのです!!これは4年にして倍の値上がり!  これは極端な例としても、ニューヨークの地下鉄1回の乗車料金も、私がニューヨークに住み始めた1993年に1ドル25セント(145円)だったのが2004年現在2ドル(240円)になっています。それに比べジュリアード音楽院から伴奏者に払われる時給は2000年の14ドル25セント(1710円)から値上がりはしたけれど、2004年現在16ドル(1920円)です。何か割に合わない、インフレを肌で実感する今日この頃です。  でも、私は今ジュリアードでとても楽しく毎日過ごしています。ここで正式に伴奏者として雇われた2000年、私は兎に角練習室が使いたかっただけで仕事は欲しくなかったので隠れてこそこそ一日中練習室にいました。でも段々と自信と気持ちの余裕が出てきて、ジュリアードにいることを大いに楽しもうと思い始めて、今本当に楽しいです。お友達も沢山できたし、上手い子と一緒に弾くと本当に刺激を得られるし、レッスンでも教授が生徒もピアニストも同じようにしごいてくれます。ヴィオラの先生に「もっとブラームスっぽい音を出して!」とヴィオラで手本を示されたりします。図書館も宝庫と言う感じで、練習中ちょっと疑問が湧いたら階段を一階駆け上れば何でもすぐ調べられるし、録音も一杯あるし、、、、、とっても幸せだなあ!

ニューヨークのインフレ Read More »

私のコンサート

 皆さん、お元気でいらっしゃいますか。  私は日本での計7回のコンサートをおかげさまで好評の内に終える事が出来ました。今年4年目、だんだん恒例となってきて、毎年楽しみにしてくださるお客様も増えてきました。  今年は、新しい試みとして、2回ほど親子コンサートを開きました。身近な友人が子供を置いて外出できない為、コンサートにいかれないと嘆いている実態を見て、小さなお子さんのいらっしゃる親御さんへの単なる試みとしてやってみたのですが、需要の大きさもさることながら、泣き出されてしまうお母さんの多かった事に非常に考えさせられました。  これは、私の演奏がどうこうと言うよりも、泣く場所を必要とされている若いお母様が多いのだと思います。こういう場の必要性を感じ、今後の参考にしようと思いました。  又新たなエネルギーと課題を持ってニューヨークでの新しいシーズンを始めています。18日にジュピターでの室内楽コンサートは既にリハーサルを開始しました。いい感じです。  サン・サ―ンスの動物の謝肉祭は、二台のピアノを弦楽四重と木管のアンサンブルが支えます。ナレーターがそれぞれの曲の動物の音楽的描写を面白おかしく解説しながら進行します。白鳥、象、水族館、などに混じって、なぜか「ピアニスト」と言う曲も入っています…!ん?  ドビュッシーの「白と黒」という曲は、1915年に書かれた、ドビュッシーの個人的な戦争に対する反応です。 フランス国歌に似たファンファーレや、ドイツ軍のテーマ、そしてそれらがぶつかり合う戦闘の場面など、かなり直接的に描写が進みます。  ドビュッシーは、第一次大戦開始後、しばらく作曲をする事が不可能なほど鬱状態に陥りました。この曲は、鬱脱出直後に書かれ、二楽章は、戦死した友人に捧げられています。素晴らしい曲です。 18日月曜日の2pm、7;30pmと二回のコンサート 場所は 152 West 66th St. 詳しくは、www.jupitersymphony.com まで。 ご都合がよろしければ、是非いらしてください。  18日の直後の21日から、ポーランドから来米するポーランドのオーケストラとショパンの協奏曲1番で全米ツアーを一ヶ月ほど行います。 去年は、ショパンの2番でツアーに参加させていただきました。ポーランドのオーケストラや指揮者とショパンを弾ける仕合せを満喫しながら、貪欲にポーランドっぽさを吸収して、触発されて、演奏したいと思っています。  これから、紅葉の素晴らしい季節になりますね。皆様、気候の変化の最中お体にお気をつけられて、秋を満喫してください。

私のコンサート Read More »

55歳以上の人だけの街 サン・シティー

 今、私は西海岸に近いアリゾナ州からニューヨークに戻る飛行機の中です。昨晩、アリゾナ州のサン・シティーというところで私の大学時代に室内楽の教授だったK.氏の伴奏をしました。  K氏は大変多才な方で、ジャズ、クレズマー(東ヨーロッパのユダヤ人の伝統音楽、おめでたい時に演奏され、即興を沢山含む。リズムは123、123,12,123,123,12、スケールは中近東風)それにクラシックとこなし、今回のプログラムもこの3つのジャンルを交えて、私はブラームスのソナタ、ドビッシーのラプソディー、そしてカルーザックの小品を共演しました。打ち上げのときはジャズのパートを共演した人たちや、K氏のお父様でチャーリー・バーカーやビリー・ホリデーなど沢山の歴史的ジャズ奏者達の治療にあたった元精神科医に色々ジャズのエピソードを教えてもらい、私は今大変触発されています。  それにしても昨晩コンサートをしたサン・シティーというところはとても変わったところでした。アリゾナ州の首都フェニックスから車で一時間弱と砂漠の中にあるのですが、住民はすべて55歳以上でなければならないのです。夫婦の片方が55歳であればその伴侶も住民になれるのですが、仮に55歳以上の方が亡くなった場合、55歳以下の伴侶はすぐに家を売って引き払わなければなりません。  アリゾナは夏は40℃とか50℃とか、体温をはるかに超える非常に暑いところですが、冬が温暖で雨が少ないため退職した人たちが多く隠居してくるそうです。サン・シティーの他にもそういう「55歳以上に限る」という街が後2つあるということでした。話を聞いたときには暗いイメージを抱いてしまいましたが、一日だけにしろお邪魔してちょっと納得したかも、、、、  勿論、街の外からその街に働きに来ている人も沢山いるのですが、サン・シティーの住民で働きたい人はサン・シティーで働くわけです。一番印象に残ったのはコンサート会場となった高級レストランで働いていた女性です。たぶん70歳は超えていたと思いますが、タキシードを着こなしてきびきびと本当に楽しそうに働いていました。この人が仮にサン・シティー以外の場所で同じような職を得ようとしても、年齢のために差別を受けて難しいだろうなと思いました。その他に気がついたのはコンサートの聴衆、特に女性が驚く位華やかにドレスアップしていたことです。頭のてっぺんから靴の先まで真紅の羽飾りだったり、キラキラ光るドレス、アクセサリーどっさり、、、、等々実に堂々と華やかさを楽しんでいらっしゃいました。  日本を始めとする東洋とか、ちょっと話を聞いたところではアフリカ等でもお年寄りを敬う文化や習慣がまだ健在だと思いますが、アメリカではまずハリウッド映画界、テレビ、化粧品の宣伝等で年配者は美的感覚の対象からはずされ、次に資本主義では生産性の劣る人材となり、消費者としての価値も財産を沢山持たなければ落ちるし、、、ということでお年寄りが余生を楽しむというのが難しいのかもしれない。「年寄り」のレッテルを貼られて肩身の狭い思いをするよりは、同年代同士で楽しく、華やかに、賑やかに暮らしたいのかもしれない、と色々考えてしまいました。医学が発達して長生きが当たり前のようになりましたが、世代間の関係とか、どうやって始めから終わりまで充実した人生を送れるか、とか、その「充実」も個人的満足、幸せも勿論ですが,社会的貢献をどうできるか、等色々課題が残っているなあ、と思いました。  一泊二日の短い旅行でしたが、色々見て、聞いて、感じて、音楽共同制作して、とても楽しかった。

55歳以上の人だけの街 サン・シティー Read More »

コンサート旅行

 昨晩、マサチューセッツのチカピー市という所の中学校(生徒数1200人、非常に大きな建物ですぐに迷子になってしまった。)の900席の講堂で、ポーランドのオーケストラとショパンのコンチェルトを弾きました。今ニューヨークへ帰る電車を待っています。  小さな町だったせいか、それともポープ(日本語では教皇様というのかな、ローマのバチカンで全世界のカトリックの一番上の人です)の在位25周年を祝してという名目のせいか、なんだかテレビカメラが入ってインタビューがあって、かなりイベント化してあるコンサートでした。  ところが、ピアノはフルコンだったものの、メーソン・アンド・ハムリンという、私の割と好きでない種で、しかも主催者が「今朝、ちゃんと調律してもらった」と胸を張っているのが本当かと疑いたくなるほど狂っていて、それから本番で弾き始めるまで気がつかなかったのですが(不覚だ、、、)、ペダルを踏んでもちゃんと上まで上がりきらないダンパーが真ん中の音域で沢山あり、ペダルを踏ん張っても音がプツプツ切れてしまうのです。  私は割とチャレンジ精神が旺盛で、逆境がきつければきついほど張り切ってしまう様なところがあるのですが、昨晩は弾きながら苦笑してしまう自分との戦いでした。体調が疲れ気味で最高でなかった事、ショパンのこのコンチェルトはもう何回も何回も弾いているし、最近の練習は他の曲を中心にしていた事、現地に着いた途端誰と勘違いしているのか(内田光子も五嶋みどりも英語にすると全部同じに聞こえやすい)私の事を大変有名な人と思っている様でコンサートの会場前からロピーにぎっしりの人からサインを頼まれたり、弾く前なのにCDが売れたりで、うあーとゲンナリしてしまったことなどで、演奏中ピアノと戦い、白けそうになる自分と戦い、悪戦苦闘といってもまあいいかな、という感じでした。  ところが、それでかえって冷静に弾く事が出来たのか、オーケストラとのアンサンブルは最高にうまくいったのです。私はオケが和音やフォルテッシモで一瞬遅れると頭では分かっていても演奏中熱くなってしまうと待ちきれなくていつもオケの一瞬前に出てしまうのですが、昨晩はやっとそのタイミングがつかめてオケの息づかいに乗る事が出来て、それはとても嬉しかった。 この冷静に聴き、分析/学習する自分と、音楽に入り込んで自分を忘れるという事を両立させるのは可能なのだろうか。  そんな訳でコンサートは私は割とシニカルに弾いてしまったのですが、コンサートの後お客様が「泣いてしまった」とか「今日、あなたはこの町をいつもより幸せな町にしてくれました」とか言って下さるのを聞いて反省しました。私が何回弾いた曲であろうと、いかなる悪条件下で演奏しているとしても、私にお客様が音楽に求めるものを奪う権利は無い。私にとって音楽は日常だけれども、大半の聴衆は非日常的な何かを求めて音楽会場まで来て下さっている。私はそれを分析しようとする権利はないし、それに対する価値判断をする権利も無い。私はただ与えられた条件の中で自分が出せる最高のものを出す努力を一生懸命するだけだ。  コンサートの後、「自分もショパンのコンチェルトを勉強中だ」というアマチュアのピアニストの人が自己紹介してきたので、この人になら言っても良いだろうと、「ダンパーペダルが壊れていたでしょう?」と相槌を求めたら、「気がつかなかった」と夢が破れた様な顔を一瞬されてしまいました。日頃コンサートの結果をピアノのせいにしない、ピアノの文句は言わない、というのを自分の方針にしていたのに、その禁を犯してしまったのでそれももう絶対しません。確かにダンパーペダルも完全に壊れていたわけではなく、全くダンパーが上がらないのは1、2音で、そこはなるべく指で押え切ってカバーしたし、他のところは残響が普通のペダルよりとても少ないけれど、全く無い訳ではなかったし、そもそもステージ上できこえる音と客席で聞こえる音は違ったかもしれない。とにかく私にとって凄く悪質に見える事が、聴衆にとって同じ程度で悪質に見える/聞こえる事があったとしたら、それはピアニストの努力の欠如だ。  私は「弾けて嬉しい、弾かせて下さって有り難い」という気持ちをもう一度確認しなくては。 ずっと風邪をこじらせて、スケジュールがごったになって、向上心と弾く機会がぶつかり合う様になっても自分がなれる限り最高のピアニストになりたいけれど、それは人間と音楽をより通じ合える様になりたいからで、有名になりたいとか、エゴを満たしたいからではない、という事を忘れてはいけない。  このマサチューセッツの街へはニューヨークから電車で3時間半程なのですが、今ちょうど紅葉がピークで本当に気持ちが良い。白樺の葉が本当に黄金に見える。ゆったりと見渡していると顔の筋肉の緊張が緩む気がする。私は本当に旅が好きです。  電車の中で窓の外を眺めていると、ピアニストでも、女性でも、27歳でも、日本人でも、東洋人でも、アメリカ人でも無い、ただの自分になれる気がする。

コンサート旅行 Read More »

ノルウェイの音楽

新年明けましておめでとうございます  ニューヨークはとても寒いです。-15°C位になると、どういう現象なのか。川や池や水溜まりから湯気の様なモヤが立ちのぼって、とても幻想的です。ついでに犬のウンコからも湯気が立って、これはなかなか助かります。何故かというと私は毎朝犬をセントラルパークに散歩に連れて行っているのですが、鎖をはずして遊んでやる時、犬が遠くに走って行ってウンコをしてしまうと探して始末するのに苦労するからです。湯気が立っているとすぐ見つかるので嬉しい。  寒さに負けず、私は宮本武蔵の様に修行に励んでいます。12月27日にはジュリアードの教授で私の尊敬しているチェリストとフランクのソナタを弾いて大満足でした。1月2日にはエチュード3曲、バッハの前奏曲とフーガ、そしてフランクのプレリュード、コラールとフーガを録音しました。新しい先生とのレッスンは、毎月約2回のペースで続けて行って、毎回「開眼」という感じで大きな刺激です。来週の水曜日と金曜日はマンハッタン島の北端で友達の行っているコンサートシリーズでノルウェイ人の作曲家のプログラムをやります。 グリーグのバイオリンソナタと後は現代曲です。(ホルン・ソナタとホルン、ヴァイオリン、ピアノのトリオ) このトリオは由来が大変面白いのでちょっと書きます。  11世紀、ノルウェイの宗教音楽はどんどん奇抜に表現が豊かになっていく傾向にあった様で、13世紀にローマ法王(?)がこの時代のノルウェイの楽譜を破棄する様に命令を下したそうです。あまりに感情的で、宗教のメッセージの妨げになると思われた為で、この種の音楽は幻となったと思いきや、昨今古書の研究をしている人達の手によって、この種の楽譜の一部が細長く切られて他の本を綴じるために使われていた事が分かり、そこからこれらの曲がよみがえったそうです。このトリオはそれらの曲のメロディーを使って書かれています。  ちょっとワクワクしませんか?  例えば、短調は健康に良くないので短調で曲を終えてはいけないとか(だからバロック以前の音楽は短調の曲でも最後の和音だけ長調だったりするでしょう。)私もあんまりよく知らないけれど、共産主義が芸術は危険思想を広める可能性があるとして厳しく管理したとか、そういう芸術体系への歴史の反映というのは、非常に面白いと同時に、そういう色々な条件、美的感覚、価値観を経て一曲一曲が生まれ、現在演奏されるにいたっているんだと思うと、とても愛しくなる。    今自分が前進しているのが実感出来るのでとても幸せです。毎晩次の日に起きて、新しい練習、新しい発見をするのが楽しみで本当にワクワクします。

ノルウェイの音楽 Read More »