• 17日間のヒューストン滞在は実に刺激に溢れる、充実したものとなりました。 2月4日(土)のAsia Society Texas Centerが終わるまでは気が抜けませんでした。 1月26日(金)の午後、飛行場からAsia Societyに直行して会場の責任者とミーティングをしました。一階にあるいかにも演奏会場の舞台と客席がある講堂ではなく、二階にあるEducation Centerにしたのは、もともとの計画。音響が2階の方が良いのと「伝統的な儀式よりも、音楽を通じた交流を大事にした型破りな音楽会」をイメージしたから。側面はガラス張りで竹やぶが見える。ただし、パーティーなどにも使われる多目的スペースなので、椅子は会の趣旨に合わせて並べられる。「75席くらいを用意しましょうか。」と責任者にこの段階では言われていたのが、今となっては懐かしい。 それからは演奏会まで、関係者への連絡や打ち合わせ、お茶のお稽古、リハーサルや自分の練習、そしてヒューストン時代の生徒たちへのレッスンなどで兎に角4日までかなり忙しく過ごした。そうこうしている内にチケットは勢いを増して売れ始め、「100以上席を並べると視界が遮られるお客さまが出て来られる...」と渋る責任者を「ぎりぎり一杯150席まで出してください!」と説得。 2月4日(土)はもうブログでもご報告しましたが、沢山の方々のご協力を得て満員御礼、立ち見オンリー、演奏後は観客総立ち!すべてに於いて申し分ない大成功でした。  会計が終わった今は、ご来場くださったお客様は142人、さらにヴォランティアが30人以上いたことが分かっています。会場満杯も無理なし! 下の写真では私が、会場日本人との「さくら」の斉唱の後、ブラームスが非常に似ているメロディーを用いている作品116-2の間奏曲を演奏しているところです。 次に、貧困家庭の成績優秀者の大学進学をサポートするNPO、EMERGEへのファンドレーズに関して話しているところ。日本でも最近、生活保護を否定された母子家庭での餓死被害などをニュースで読みますが、アメリカの貧富の差はもっと蔓延していて、そして極端です。大学に出す願書と一緒に出す100ドルが払えない家庭があると聞いてびっくりしました。 そしてこちらが演奏後のレセプションの歓談の様子です。ラーメン、たこ焼き、お寿司、お酒や焼酎の試飲、など皆さま本当に楽しそうに、うれしそうにしていらっしゃいました。 2月4日が終わった後は一日外出もせずに本を執筆しながらぼーっと過ごしました。 その後、お友達に会ったりしながらジョジョに回復。お友達のきんじょーさんと言う写真家に写真撮影もしていただきました。ちなみにMATIMAの写真もきんじょーさんの作品です。ヒューストンでの私の演奏活動を支援してくれて、私のホストを務めてくれているRaeさんの素敵なアパートでの撮影です。 「音楽博士御用達!」で演奏会もしました! 2月4日のAsia Societyでのイベントに「子連れでも大丈夫か」と言うお問い合わせを多くいただいたのです。「2時間、他のお客様のご迷惑にならないくらい静かに座っていただけるのなら...」とお答えしていてのですが、そうすると「じゃあ、やはり無理です...」とお答えする残念そうなお母さまたち。それをお受けして、私の生徒のお母さまが一念発起をしてくださり、中心になって企画・運営を引き受けてくださいました。 できるだけ子供たちの意見を取り込んで、楽しい!と思ってもらえる、音楽を体感できるコンサートに...と言う思いで臨みました。が、子供は手ごわい。「キラキラ星!」「イーアイ―イーアイオー!」と希望曲が次々と飛び出し、対応に天手古舞。何とかみんなを鎮めようと「横になって目を閉じて、音楽に合わせて息をしてみよう」とバッハの前奏曲を弾いたら、この通り。 (やった~、大成功!)と、「次はじゃあ、月の曲を弾きます」とドビュッシーの「月の光」を弾いて「お月様が見えたかな~。」と問いかけたら「大きなお月様が本当に大きくて、大きくて、大きくて、そして私を連れて行ってビュ~ンと飛んで行って...」とどうしても興奮の感想を私に伝えたい子が右にも左にも。感動を分かち合いたい、その熱意は素晴らしい!うれしい!対応してあげたい!しかし、待っている子もいる!しかもこれ、英語と日本語と両方でやってるんです!日本語がしゃべれない子も、英語が分からない子もいるので、そしてみんな自分の言葉で一生懸命私に話しかけてくるので、天手古舞が約2倍... う~ん、次回はもっと作戦を練って挑もう。 今回はさらに、ホストのRaeさんのネットワークで沢山の面白い方々とお会いしました。 ヒューストンの都市発展計画に深く携わった大地主の93歳の方はその豪邸を私の練習やレッスンに気前よくいつでも開放してくれました。 「どんな言葉でも訳せます」と言う謳い文句の翻訳下請け会社を経営するばりばりやり手のロシア人女性は禅仏教の信徒で、面白いお話しを沢山伺いました。 落書きアーティストとしてFerrariなど大口スポンサーを付けて派手な活躍をしているSebastianは、最近亡くなったお父さまがピアノ愛好家だったそうで、そのため最近の作品はピアノに関するものが多いそうです。「ぜひコラボを」と言われました。いつでもやりますよ~。 行動心理学者としての席を最近引退されたオペラ愛好家の方は、ご自分が相談役を務めるヒューストン美術館のアジア・コレクションの専門家に私をご紹介くださいました。 世の中は面白い人が多い!私はこれからどんどんネットワークを広げてでっかいことをするぞ~。 帰りの飛行機の中では爆睡しました。  

  • 考えてみたら、写真も何も無い。 でも興奮が冷めないまま寝て、翌朝目が覚めても昨日の演奏会の思い出で胸も頭も五感も幸せいっぱいである。 Asia Society Texas Centerから、企画の段階では100席で満席と言われていたのを、無理やり会場に160席作ってもらい、それでも最後は満席で立ち見が出る状態になってしまった。その160人+の観客が、一体となって裏千家淡交会ヒューストン支部の皆さまのお点前のデモンストレーションに見入り、私たちのトークには笑いで沸き、音楽に共感してうなったりうなずいたりし、そして最後に全員総立ちで、会の成功を喜んでくださった。 演奏後のレセプションでは、ラーメン、たこ焼き、お寿司、お酒試飲、焼酎試飲、お点てだしと、色々なものがふるまわれる中、みんな2時間近く歓談し、私たちに自己紹介や感謝の気持ちや感想などを、親しげに分かち合ってくださった。 お着物姿でお点てだしを配られるShowing Japanの皆さまや裏千家淡交会ヒューストン支部さまの皆さまを質問攻めにしているアメリカ人たちも沢山見られた。匿名ご希望の有志の方がわざわざ京都からお持ち帰りくださったお菓子がきれいで、高校生の女の子たちが「見て!芸術みたい。どれくらいの時間をかけてどうやって作っているか想像もできない」と私に感動を分かち合ってくれた。 麻衣子さんと私の演奏活動を2011年のチャリティーコンサートからずっと応援して来てくれているヒューストン日本人会(JAGH)の皆さまが音頭を取って、素晴らしいレセプションも今回の成功に大きく加担してくれた。 AGUラーメンさまのラーメンをいかにもテキサス!と言った風のきらびやかなドレスのアメリカ人がすすっているのを見るのは楽しかった。こだわりの豚骨スープが本当においしくって、気前よく焼き豚が2枚も3枚も入っていた。 岩谷産業さまのたこ焼きもとても好評だった。「タコが入った甘くない球状のパンケーキ」と言う私の説明に「?」と言う感じの方もいらしたが、今回たぶん最高齢で来られた93歳のテキサス男性も喜んでいくつも食べていらした。 居酒屋和さまの社長自らお持ちくださった沢山のお寿司も、具が沢山入った色々な楽しい創作巻きと言った感じのお寿司たちで、子供たちが何度もお代わりに走って行っていた。日本人の家族が輪になって座って「おいしい!」と言っている姿が印象的だった。 SakeOne様の試飲会は「実はこれが目当てで…」と、企画の段階から「お酒の試飲ができるのなら来る!」と言っている友達も居たほど。濁り酒を始め、色々な種類のお酒がふるまわれ、皆さま楽しそうに飲んでいらした。 焼酎はお酒ほどアメリカでの認知度が高くないのだけれど、いいちこ様のブースはたくさんのアメリカ人でにぎわっていた。焼酎を始めて飲んだ私の友達は「おいしい!」と何度もお代わりに行き、「どこで買えるのか?」と私に聞いてきてくれた。 心理学者、ライス大学の博士課程の学生、音楽愛好家の看護婦さん、日本に住んだことのある映画監督、お点前について書いたことはあるけれど実際に見るのは初めてと言うアメリカ人小説家...みんなが自分の日本との接点や、会への感想を一生懸命私たちに伝えてくれた。本当に会場が熱気に包まれて、みんながきらきらと良い笑顔で、この思い出があればいつまでもどんな事でも頑張れる!と思わせてくれるような一晩だった。 コンサートと言う言葉の語源は16世紀のフランス語「力を合わせる」と言う意味。昨日は本当に沢山の方々と一緒に力を合わせて素晴らしい一晩を共同製作できた。 音楽をやっていて、良かった。私は本当に幸せものである。  

  • お茶の世界では、すべてがご馳走だ、と言うことは「日日是好日」で学んだ。 それは、お点前の工程で発生する音にも通じる: お湯の沸く音、ひしゃくから窯にお湯のしずくが落ちる音、注がれる音、お茶が点てられる音… 昨日は実際にこれらの音に浸り、新しい世界が広がった。 来る2月3日(土)の17時からAsia Society Texas Centerで開催されるMATIMA主催の「Beauty (美)is Universal」。 音楽会のオープニングはお点前である。 ヒューストン裏千家のボランティアの皆様が亭主と半東、主客と次客をお勤めくださってリハーサルをお見せくださった。 美しい。 全ての動きに心とこだわりがこもっていて、無駄がない。 さらにお道具を選び、お菓子を選ぶ工程にも関わらせていただいた。 京都から直接お買い求めいただいたお菓子は私には見たこともないほど美しかった。 究極のこだわり。 寒天の中に金粉や梅の片りんなどで梅や、ハート(ヴァレンタインにちなんで)などの3D イメージが! ふのやきと言うお麩に甘いお味噌をほのかに練りこんである焼き菓子も、美味だった。 そしてこういうお席で点てられる薄茶のほかに、 お茶に経験がない私たちの見分を深めるため濃茶も点てていただいた。 ポタージュより濃い!なんと!びっくり!これがお茶!!!!???? 刺激多い経験をさせていただいた。 土曜日がとっても楽しみ! https://asiasociety.org/texas/events/performing-asia-beauty-mei-universal-matima  

  • 旅行の必要

    家が必要、お金が必要、安定が必要…みんなそれぞれ必要なものがあると思う。 私には旅行が必要なようだ。 飛行場・飛行機・電車・バス…手段が何であれ移動時間と言うのは私の魂の洗濯の時間。 読書・睡眠・執筆・夢想、日常生活ではなぜか不可能な時間の贅沢が私には移動中に実感できる。   昨日は久しぶりに飛行機に乗り、久しぶりにヒューストンに来た。 それぞれの都市に独特の空気と香りがある。 ヒューストンの空気は湿気を含んで肌に優しい。 引っ越してから4か月なのに、懐かしいにおいがする。   カウボーイのテキサス、NASAのヒューストン。 ヒューストンの国際空港には宇宙服の牛がいる。 空港まで私を迎えに来てくれたRaeは、踊り子のキャリアを引退後、不動産で富を築いた大物。 今後の私のヒューストンでの演奏活動を支援してくれる他、 私の起業や将来を、彼女のネットワークを巻き込んで、一緒に協議してくれることになっている。   これから私のヒューストンの基地はRaeの客室。 20階からの眺めはヒューストンを見下ろした絶景。 新しい環境は五感を刺激し、思考を活性化する。 一分・一時間・一日…時間の単位がいつもよりも長く充実して感じられる。 一言・一言の言葉の意味が、新鮮に感じられる。 全てが味わい深い。興味深い。   奮い立つ。 頑張るぞ~!

  • ブラームスは「サクラ」を知っていたか!?

    もうすぐヒューストンのAsia Societyで「Beauty (美) is Universal」と言う音楽イベントで演奏をします。 第二部は「歌心は共通語」と言うテーマで、ブラームスの作品をご紹介します。 この曲、お聞きになって見てください! 似てると思いませんか? アメリカ人の音楽愛好家にこの二つの曲を並べて演奏差し上げたところ 「ブラームスは日本の曲を知っていたのか?」と実にごもっともなご質問を受けました。 プッチーニは「蝶々夫人」を書くとき「君が代」や「サクラ」を起用しています。 「蝶々夫人」は1903年の作品で、ブラームスの作品116は1892年なので、ブラームスが蝶々夫人を聞いて...と言う可能性はないのですが、プッチーニの出典先をブラームスが知っていたと言う可能性は...? 調べてみました。 Rudolf Dittrich(1861-1919)と言うオーストリア人が明治幕府に元でヴァイオリンとピアノの教師として1888年から1894年まで日本で活動しています。彼がオーストリアに帰還した後、1894年と1895年に出版した日本の歌のコレクションがあります。この出版物を参考にプッチーニはサクラを「蝶々夫人」で起用しています。しかしブラームスの作品116は1892年!!ニアミス! やはりブラームスは、少なくとも作品116を書いた段階でサクラを知りうる可能性はほぼ皆無だった、と言うことです。チャンチャン♪ ちなみに1892年に日本で、日本在住の外国人向けと、西洋の楽譜を学びたい日本人のために、日本の民謡などを集めた出版がありますが、これがブラームスの手元に、しかも作品116を書く直前に届く可能性も微小です。あとでもう少しちゃんと調べる(かも知れない)ので、一応下に、この出版物の情報を載せます。 Nagai, Y., and Kobatake, K., Japanese Popular Music, A Collection of the Popular Music of Japan Rendered in to the Staff Notation, S. Miki & Co., Nos. 106 and 107 Shinsaibashi Road, Osaka, 1892.