• お茶の世界では、すべてがご馳走だ、と言うことは「日日是好日」で学んだ。 それは、お点前の工程で発生する音にも通じる: お湯の沸く音、ひしゃくから窯にお湯のしずくが落ちる音、注がれる音、お茶が点てられる音… 昨日は実際にこれらの音に浸り、新しい世界が広がった。 来る2月3日(土)の17時からAsia Society Texas Centerで開催されるMATIMA主催の「Beauty (美)is Universal」。 音楽会のオープニングはお点前である。 ヒューストン裏千家のボランティアの皆様が亭主と半東、主客と次客をお勤めくださってリハーサルをお見せくださった。 美しい。 全ての動きに心とこだわりがこもっていて、無駄がない。 さらにお道具を選び、お菓子を選ぶ工程にも関わらせていただいた。 京都から直接お買い求めいただいたお菓子は私には見たこともないほど美しかった。 究極のこだわり。 寒天の中に金粉や梅の片りんなどで梅や、ハート(ヴァレンタインにちなんで)などの3D イメージが! ふのやきと言うお麩に甘いお味噌をほのかに練りこんである焼き菓子も、美味だった。 そしてこういうお席で点てられる薄茶のほかに、 お茶に経験がない私たちの見分を深めるため濃茶も点てていただいた。 ポタージュより濃い!なんと!びっくり!これがお茶!!!!???? 刺激多い経験をさせていただいた。 土曜日がとっても楽しみ! https://asiasociety.org/texas/events/performing-asia-beauty-mei-universal-matima  

  • 旅行の必要

    家が必要、お金が必要、安定が必要…みんなそれぞれ必要なものがあると思う。 私には旅行が必要なようだ。 飛行場・飛行機・電車・バス…手段が何であれ移動時間と言うのは私の魂の洗濯の時間。 読書・睡眠・執筆・夢想、日常生活ではなぜか不可能な時間の贅沢が私には移動中に実感できる。   昨日は久しぶりに飛行機に乗り、久しぶりにヒューストンに来た。 それぞれの都市に独特の空気と香りがある。 ヒューストンの空気は湿気を含んで肌に優しい。 引っ越してから4か月なのに、懐かしいにおいがする。   カウボーイのテキサス、NASAのヒューストン。 ヒューストンの国際空港には宇宙服の牛がいる。 空港まで私を迎えに来てくれたRaeは、踊り子のキャリアを引退後、不動産で富を築いた大物。 今後の私のヒューストンでの演奏活動を支援してくれる他、 私の起業や将来を、彼女のネットワークを巻き込んで、一緒に協議してくれることになっている。   これから私のヒューストンの基地はRaeの客室。 20階からの眺めはヒューストンを見下ろした絶景。 新しい環境は五感を刺激し、思考を活性化する。 一分・一時間・一日…時間の単位がいつもよりも長く充実して感じられる。 一言・一言の言葉の意味が、新鮮に感じられる。 全てが味わい深い。興味深い。   奮い立つ。 頑張るぞ~!

  • ブラームスは「サクラ」を知っていたか!?

    もうすぐヒューストンのAsia Societyで「Beauty (美) is Universal」と言う音楽イベントで演奏をします。 第二部は「歌心は共通語」と言うテーマで、ブラームスの作品をご紹介します。 この曲、お聞きになって見てください! 似てると思いませんか? アメリカ人の音楽愛好家にこの二つの曲を並べて演奏差し上げたところ 「ブラームスは日本の曲を知っていたのか?」と実にごもっともなご質問を受けました。 プッチーニは「蝶々夫人」を書くとき「君が代」や「サクラ」を起用しています。 「蝶々夫人」は1903年の作品で、ブラームスの作品116は1892年なので、ブラームスが蝶々夫人を聞いて...と言う可能性はないのですが、プッチーニの出典先をブラームスが知っていたと言う可能性は...? 調べてみました。 Rudolf Dittrich(1861-1919)と言うオーストリア人が明治幕府に元でヴァイオリンとピアノの教師として1888年から1894年まで日本で活動しています。彼がオーストリアに帰還した後、1894年と1895年に出版した日本の歌のコレクションがあります。この出版物を参考にプッチーニはサクラを「蝶々夫人」で起用しています。しかしブラームスの作品116は1892年!!ニアミス! やはりブラームスは、少なくとも作品116を書いた段階でサクラを知りうる可能性はほぼ皆無だった、と言うことです。チャンチャン♪ ちなみに1892年に日本で、日本在住の外国人向けと、西洋の楽譜を学びたい日本人のために、日本の民謡などを集めた出版がありますが、これがブラームスの手元に、しかも作品116を書く直前に届く可能性も微小です。あとでもう少しちゃんと調べる(かも知れない)ので、一応下に、この出版物の情報を載せます。 Nagai, Y., and Kobatake, K., Japanese Popular Music, A Collection of the Popular Music of Japan Rendered in to the Staff Notation, S. Miki & Co., Nos. 106 and 107 Shinsaibashi Road, Osaka, 1892.

  • 盗んだオレンジ

    体験があまりに強烈で、すぐ誰かに言わずには居れない…そう言う気持ちはみんなあると思う。 今朝の私はやる事のリストがたくさんだったけれど、朝食を食べて(ブログに書こう!)と思った。 誰かに言わずには居れなかったのだ。 大抵の朝、私は外に出る。ゆっくり歩きながらストレッチだけの時もあるし、早歩き、軽いジョギングから、結構遠征まで、その日の気分や都合によってマチマチだけれど、まあ主義的に「朝は日光を浴びて、出来れば一汗!」と思っている。 今朝、オレンジの木に出会った。ここら辺は柑橘類に適しているらしい。レモン、ライム、オレンジ、時には金柑まで、色々な庭にあるこれらの木に枝がしなるほどたわわになっている。この木は高い塀の向こうから枝を伸ばして、周りに熟したオレンジがいっぱい落ちていた。勿体ない…普段は(欲しい!)と思っても行動に移したことは無いけれど、この木の主はどうやらオレンジを持て余しているらしいし、早朝でまだ人が回りにいないし、その上「公共道路に伸びている枝になった実は公共」と聞いたことがある。(これって日本の法律ですか?) えいや!と2つ失敬してしまった。 そして、朝ごはんに頂いて、完全にノックアウト! 鮮烈!酸っぱいけれど、味が、なんというか、生きている! なんか栄養が体の隅々に染みわたっていく感じ! 覚醒!   最近、食安全問題について調べていて、リンゴが収穫されてから店頭に並ぶまでに平均11か月と言う話しを聞いた(アメリカの話しです)。老化とか腐敗の過程を遅くするために、放射能を浴びさせるそうな。そうすると、リンゴに元々備わっている、抗酸化性とか、栄養素の90パーセントが失われてしまうらしい。 そういう話しが頭にあったからだろうか、このオレンジがこんなにおいしく感じたのは…?   アメリカに越してきたばかりの頃、家族中で庭の手入れを週末ごとに行っていた。広大な庭にはいろいろ未知なる植物が備わっていて、父がある日、キイチゴを発見。私たちに食べさせようとした。父は木曽育ちで、そういう事に詳しい。「汚い…」と言ってしり込みする私たちを説得しようとした父の一言が「大丈夫だよ、こんなの。蝶のうんことか、セミのおしっこがかかっているくらいだよ!」父の頭の中では「蝶のうんこ」や「セミのおしっこ」と言うのは、魅力的なものだったらしいが、私たち姉妹はそんな父を大笑いして、結局食べずじまいだった。 今の私は「蝶のうんこ」や「セミのおしっこ」をいとおしい、かけがえがない、と思う。そして、そういうものが沢山くっついたものを毎日食べたい(洗いますけど)。どんなに「無農薬」を選んで買っても、成長過程を終え、出荷された生産物が、今度は流通産業に放射線とか、ワックスとか、色々かけられていたら、私たちは何をどうやって食べたらよいのだろう…? 最近、世界的に蝶の数が減少してきている、と言う記事を読んだ。私たちは何をやっているのだろう?

  • 私の妹の送ってくれた小包がちょうどクリスマスイブに届いた。 妹は本当に私の心を暖かくしてくれる名人だ。 「こだわりました!」と言う感じのお餅やあんこ、 そして「あやが好きなの!」と言う感じのお菓子や飴と一緒に スペシャル包装に包まれてきたのが、この本「日日是好日」。 「なんか爽やかな気持ちになれるの~」と言う感想付き。 茶道の本だった。 いや、違うな、これは茶道に反映させた、奥ゆかしい自叙伝だ。 何と言うか、茶道を20何年やっていくことで、だんだんと磨かれてくる感性に素直に感動して、 そして卒業、就活、失恋、などと言った人生のビッグイベントに照らし合わせて どんどんと茶道を心の拠り所にすることを生きる術にしていく様が描かれている。 利休とか、私にはよく分からないお道具の固有名詞とかも出てくることは出てくるけれど、 大事なことは、茶道を通じて筆者の森下典子さんが、五感の全てで世界に向き合うことを学ぶ、 その過程なんだと思う。 そう言う風に一般的にまとめると、私が今書こうとしている本もまったく同じかも。 自分が舞台恐怖症を克服する過程で勝ち得た人生観と自信について書こうとしているのだけれど、 でも、苦しい。私は苦しんでいる。 森下典子さんも、例えばお父さんの急死の事や、結婚を2か月に控えたタイミングでの破談など、 そう言う絶対個人的には苦しい話しを、茶道の話しをするのに必要な逸話の様に書いているのだけれど、 自分の胸をえぐるようなエピソードを詳細を一切割愛して小出しにするとき、 自分の中に残るえぐいダシガラの様なものをどう処理して良いか、分からない。 誰かに分かち合ってほしい。 森下典子さんや、Black Boxの伊東詩織さんや、みんなどうやったんだろう。 どうやって気持ちに片を付けたんだろう。 知りたい。 この本には慰められた。 もう一度最初から、今度は音読してみよう。   あや、ありがとう。