音楽人生

「ピアノで奏でる東洋」を弾き終えて

去年の「音で描く絵」で ドビュッシーのイメージを彷彿とさせる音楽と ムソルグスキーの「展覧会の絵」を並べて演奏した時も反響が大きかったです。 「展覧会の絵」の叙情に圧倒された感情的な感想が多く、 今年も多くの聴衆の方に「あれをCDにして下さい」と言うリクエストを受けました。 私は実は「展覧会」に関しては、ライヴで聴衆と一体となって盛り上がることには意義を感じるものの、 一人で淋しくスタジオ録音するのにはあまりにも向かない曲だ、と思っているのですが… しかし、今年の「ピアノで奏でる東洋」には全く違った反響がありました。 数日経ってから私の毎年恒例の演奏活動にずっといらしてくださっている聴衆の方々から 長い、熟考の後をうかがわせるメールを何本か頂いているのです。 日本人の、特に戦後育った団塊の世代の、アイデンティティーと言うものを 真摯に問いかけるメールもありました。 私に「束の間の日本を味わってください」とほうずきと風鈴を送ってくださったご夫婦もいらっしゃいます。 (嬉しくて、感激いたしました) 逆に「音楽を聴くときはその理論や歴史的背景の裏付けよりもその日のその時の自分の「心」で何が聞こえるか、を大事にしたい。その為には演奏前の解説は講義的なものではなく、聴く人のイメージを膨らませるものが良いのでは」と言うメールも頂きました。(こう言う辛口の感想と言うのはとっても言いにくいもの。それを敢えて言ってくださったのは、本当に私のこと、そして音楽のことを考えてくださっているからだ、ととても感謝しています。) 私はリサイタルのプログラムを決める場合、大体弾きたい曲が何曲かあって (これは『これを食べたい!』と思う気持ちと同じようなもので、 説明のつかない、強い欲求である場合が多いです) その数曲に共通するポイントでテーマを見出し、それにまつわる曲をさらに足して 二時間のプログラムをデザインします。 しかし今回は自分の長年のテーマで在った 「東洋人として弾く西洋音楽&西洋音楽の描く東洋」の意義と美学を問いかける、 と言うコンセプトが先立ちして、それから曲を決め始めました。 従って、選曲を始める前には知らなかった曲の方が多いですし、 自分が特に今弾きたいと思わない曲でも、プログラムの主旨に必要と判断して入れた曲もありました。 私は普段は余り論理的な人間では在りません。 理性より感性で動くことが多いし、必然的に私の演奏もそうなります。 そう言う自分を良しとしたからこそ、音楽と言う専門を選んだ、とも言えます。 その私がこう言うプログラムを行ったのには幾つか理由があります。 1. 博士課程に置ける私の勉強が集大成を迎えている。 2. 「東洋人の自分が何故西洋音楽を専門にしているのか」と言う問題に真正面から向き合い、ある程度方を付ける良い機会だと思った。 3. 今はまだ大学院生の身分。図書館などに無限のアクセスがある。そう言うときに珍しいものを弾いておかないと、これからの人生がどういう展開になるか分からない。 だから選曲の上で私は今までより数倍、もしかしたら数十倍の時間とエネルギーをかけて 色々な時代の作曲家の色々な東洋に関する曲を勉強し、 さらに「Orientalism」、「Exoticism」と言った社会学・文化学にも少し足を踏み入れました。 その結果選んだ今回の曲たちは、私にとってはどれも一つの「代表」であり、 それぞれの曲が何を代表しているのか語らずには居られない、 そうしなければ割愛した曲たち、作曲家たちに申し訳ない、と言う強迫観念もありました。 そしてそう言う大きなテーマを2時間で完結させる、と言う無理。 私のトークはいつもにも増して、凝縮された「講義的」なものになったと思います。 私は「ピアニスト」としては勉強しすぎたのかも知れません。 でも私は僭越でも敢えて 「ピアノは私に取ってはあくまでも手段。 私が目指しているのはピアノの練習、音楽の勉強を通じて人間として向上すること」 と言い切ってみたいと思います。 運動選手のように練習に専念して(作曲家の伝記や時代背景には詳しくなくても) 完璧に近い演奏をする若手が多く進出する中、 勉強、研究、そして考えることに多大な時間とエネルギーを費やすやり方が 遠回りでは無いか、と焦ることも在ります。 特に今年は学会での研究発表の準備や、 9月下旬に控えた博士課程総合試験の受験勉強も同時進行で進めており、 本番では不本意なミスも多発させてしまいました。 でも私は、大きなことに目を据えて前進した時、 それぞれの曲を完璧に弾きこなすこと、と言う小さな目標の積み重ねで前進した時より 最終的にはより大きな成長を遂げられ、 […]

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冒険中の沈着実行

昨日の真夜中近く、高速道路を走っていたら、突然車が減速した。 運転一年生の私だが、ちゃんとあわてずに路肩まで車を転がして、ハザード・ランプを付ける。 そして、保険のサーヴィスの一部である「ロードサイド・アシスタント」に電話をし、レッカー車の依頼。 路肩は車一台がぎりぎり止まれる幅。 幸い私のマツダは小さいけれど、トラックだったら、はみ出しちゃう。 しかも、そこは文字通りの高速。 町の上を駆け巡る、銀河鉄道の用な道路で、車がビュービュー通るたびに心細げにフラフラゆれる。 トラックは真夜中特有の豪快さで、バンバン飛ばしている。 すれすれ。 でも、私に何ができると言うのだ。 取りあえず、道路側の運転席から路肩側の助手席に移り、シートベルトを締め、そして車に鍵をかける。 その後はレッカー車を待つ間、静かにコンピューターで勉強用のファイルの整理を始めてみた。 ずっと(しなきゃ)と思っていて、手が回っていなかった用件である。 出来ることを、出来るように確実にする。 そう言う自分をひそかに誇らしく思いながら、カシャカシャ高速の路肩でコンピューター操作。 30分で来るはずだった保険会社のレッカー車は結局来なかった。 1時間半待っていた間に止まって私の様子伺いと御用聞きをしに来たレッカー車は4台。 その中には、いかにも違法の危しげなドライヴァーも、本当に親身な州のサーヴィスドライヴァーも居た。 保険会社と契約していたレッカー車会社の「我々のサーヴィスは無料だが、彼等はお金を取るぞ!」 と言う脅しに乗ってしまい、「そう言うわけなので…」と断ったら 「分かった。でも、じゃあ、そのレッカー車が来るまで一緒に居てあげよう」と言って、 レッカー車特有の警報ライトをギンギン灯して30分一緒に居てくれたドライヴァーも居た。 最終的に、私の携帯パソコンの電源が尽きてしまい、 真夜中を過ぎ、携帯電話の電源も残りわずかとなり、 私は最後に止まったレッカー車にお願いして家まで引っ張ってもらった。 そして今日は修理工場巡り。 レッカー車三台に依頼して、3つの修理工場に査定してもらい、値段の違いにびっくりしつつ、 結局一日かかって、最終的な修理をお願い。 タイミング・ベルトなるものが切れてしまっていて、多分エンジンに破損が来ているそうである。 思いがけない経費だが、しかし思いもしなかった社会勉強をし、 スリルに満ちた一晩と、それにも動じずにちゃんとそれなりに行動を進められる自分に満足。 人生一瞬先は闇である。 しかし何があろうとも、 私の音楽人生に置けるゴールは一つ一つの演奏会を懇親こめて一所懸命弾くこと、 そして音楽の修行・勉強をじりじりと進めて行くことである。 それにしても、車を持つと本当に生活が大きく変わるものである。 一言で言えば、社会との接点が増える、であろう。

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寒い!です。

ヒューストンは暑い、と言うのが常識です。 LAからヒューストンに越す前、沢山の方々に夏の暑さについてご注意いただきました。 実際は湿度も気温も日本の真夏日とトントンですし、 むしろこちらは建物の中は全て完全冷暖房(クーラーが寒いくらい)、 それに私の様な音楽家は夏は音楽祭や演奏のために旅行が多く、 今まで夏の暑さをそれほど苦に思ったことは無かったのですが… ところが今年は完全に異常気象! 昨日、26度、27度まで気温が上がったかと思ったら、雨と強風をきっかけに気温が急下降。 今朝起きてみたら何と温度計は8度!一桁台です。 学校が一段落してから日課にしている起きてすぐの早歩きは今日はきっぱりあきらめ、 そろそろ必要の迫ってきたアパート内の自分の所有物の整理。 今年の夏はNY,日本、そしてパリと計2ヶ月強ヒューストンを留守にする間、 夏休みを利用しての病院でのインターンを10週間やる女の子に部屋を短期貸し出しします。 短期貸し出しをインターネットで公募したところ、沢山の応募がありびっくり! メールのやり取りの後、軽くふるいにかけて残った6人とスカイプで面談。 同時に携帯パソコンを持ってアパートを歩き回り、アパートを見てもらって、気に入ってもらったことを確認。 それで最終的に選んだ、フロリダ出身の医学生です。 色々な経歴の色々な女の子の人生を垣間見ることになり、非常に興味深い作業でした。 早歩きの代わりにモーツァルトを聞きながら、書類や勉強のノートの整理。 今日は練習の合間に夏のレパートリーの楽譜のコピーをして、フォルダーに整理する作業。 今年の演奏会は3つのプログラムの用意が必要です。 自分の「ピアノで奏でる東洋」と名打った独奏会が5回ほどある他、 去年に引き続きブルガリア人チェリスト、ラチェザール・コストフとのリサイタル。 さらに、今年3年目になる横須賀ゆかりのピアニスト・グループ『スカぴあ』による ソロ、一台4手、一台6手、一台8手、2台4手、2台8手、そして最後は2台16手の演奏会! 詳しくはHPにて http://makiko.music.coocan.jp/2013.html どれも、とても楽しみな演奏会、しかし、楽譜の量は相当になります。 さらに今年は相当量の教科書も持ち運ぶ予定。 そして飛行機の荷物の数、そして重量制限はどんどん厳しくなってきています。 いかに楽譜を一番効率よく持ち歩くか…ページの組み合わせにも工夫が必要です。

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一日一食は座って食べよう

昨日は3食とも何かをしながら食べた。 朝ごはんは、昼食のサンドイッチと夕食用の果物とお菓子を用意しながら立って食べた。 昼食と夕食は今かかりきりになっている、博士課程自由研究のビデオの編集しながら食べた。 ダイエットの目論見もあって(あと荷物が重くなるのがいやだった) ちょっと大目の一食分くらいしか準備しなかったら案の定夕刻おなかが空いてしまった。 ちょうど良く、最後の2曲にちょっと顔を出した下級生の演奏会のあと、 聴衆のための軽食が振舞われ、でも何だか沢山の生徒とか先生とかとお話しながら、 やっぱり立食してしまった。 9時にビデオ編集をしているDigital Media Centerが開く。 その前、7時半に音楽学校が開く。 この1時間半が貴重な練習時間。 それが勿体無くて、今日も昼・夜の準備しながら台所で食べようかと思って、 でも、きちんときれいな器に持って、ブログを書きながら味噌汁と炊き込みご飯を食べました。 毎晩、10時まで編集している。 その間にまだ色々学校関係のミーティングや、教えている授業の補習授業、そして期末などなど。 今日も頑張るぞ!

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心の余裕、時間の余裕

金曜日に、最後の授業を終えた。 まだまだ学期が終わったわけでは決して無い。 教えている授業の期末試験は来週の水曜日。 火曜日は補習授業も行う。 この授業のプロジェクト採点、期末の採点、そして演奏会批評の採点。 そして最終の成績をつける。 さらに、博士課程自由研究はまだまだこれから。 収録したヴィデオの編集がこれから始まるのである。 そして、今年東京とパリの学会で行う自分の研究発表の仕上げ。 ヒューストンを経つ予定の5月中旬までに形を付けておきたい。 研究を手伝ってくださる教授も、文献も全てヒューストンにあるから、である。 それから今年のリサイタル・プログラムの準備。 練習も勿論なのだが、招待状に付帯する手紙とか、プログラム・ノートとか、 チラシに関するメールのやり取りとか、中々大変。 今年の日本帰国は6月下旬。 東京大学での研究発表が6月28日。 そして去年に引き続き6月30日にはブルガリア人チェリスト、 ラチェザール・コストフ氏との共演が静岡の金屋である。 今年は自分の独奏会は7月6日にみなとみらい、7月26日に千葉の美浜文化ホール。 その他、今年3年目になる横須賀ゆかりのピアニスト・グループ、スカぴあの ピアニストたちの共演、ピアノの祭典の参加が7月13日。 さらに、スカぴあ直後からパリに出発、パリでの演奏会が17日、そして研究発表が21日くらい。 そしてぎりぎりまでパリに居て学会に参加し、帰ってきて直後に美浜文化ホールでの独奏会。 さらに、不在中のアパートを短期入居者に貸し出す。その手続き。 そしてその間の自分の荷物の始末。倉庫を借りるのか、友達の家に運び込むのか。 そして、9月23日、25日、27日に行われる博士課程最終試験のための試験勉強。 落ち着いて、一つ一つこなす。 それぞれの時間、やっていることに集中して、効率よくこなして行く。 今までにも、こういうスケジュールは良く在った。 その度に乗り切ってきた。 周りの友達も本当に目が回るくらい世界中を飛び回りながら練習と演奏と勉強をこなしている。 大丈夫、大丈夫。深呼吸。

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