音楽人生

素晴らしい、対照的な夜景

昨日と今日で、とても対照的な、でも両方とも印象的に素晴らしい夜景を体験した。 昨日の夜はマンハッタンで、高層マンションから見下ろす夜景、 高校時代から大変お世話になっている先輩の新居から見た夜景だ。 私は家族が日本に帰ってしまった16歳以降、留学生としてNYに来ていた日本人の先輩たちに本当に可愛がってもらった。手作りの日本食をご馳走して頂いたり、おみそで色々な会合に参加させて頂いたり、つたない愚痴を延々と聞いて頂いたり。その時からずっとお世話になっている先輩の一人が、ご結婚なさって赤ちゃんも生まれて、最近引っ越したハドソン川沿いのマンションにお招き下さった。そこでまぶしいくらいの夜景を見下ろしながら、昔話を思いっきりして、大笑いして再開を喜び合った。ハドソン川ににじむ夜景が本当に綺麗だった。 今日の夜景は、家族が帰ってから身を寄せたホームステイ先、私のアメリカの実家で見た夜景だ。そこの居間の大きな窓から見る裏庭は、かなり広い。その裏庭には信じられない数の蛍が光っては消え、光っては消えして、飛び交って、光の模様を描き出している。あまりの蛍の多さにびっくりしてしばらく見とれていたらば、そこに静に美しい鹿が登場し、ゆっくりと裏庭を横切っていったのだ。まだ真っ暗になる前、自然の色が段々モノクロになっていく時間だった。夢のような光景だった。 幸せを感じてしまう。

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ピアノフェストでの一日

私は朝方人間…のはずだった。 でも、ピアノフェストに来てからは、朝いくらでも眠れてしまう。 相部屋のオルガ(ベルルース出身、私と同じくイーストマン音楽院で博士課程一年目を終了したところ)の目覚ましが7時45分になってから、彼女がシャワーを浴び終えて私の順番になるまでしっかり2度寝をしてしまう。 私がシャワーを浴びている間しっかり30分、オルガは髪を整え、お化粧をする。 私はシャワーを浴び終えたら、服をパッパ、と着て、目をサッサ、と書いて、準備終了である。 ピアノフェストの参加者の一人は朝の化粧のためにルームメートよりも2時間早起きをするそうである。 人生優先順位の違いである。 そのことについてたまに考えるが、私はやはり朝ゆっくり眠れる方が、 眠くない時は、練習する方が良い。 準備完了の段階で同じ家に同じく下宿している中国人の男性ピアニスト二人と、計4人で便乗して オルガの車でピアノフェストの本部へとドライブする。 運転行程15分、歩いて1時間15分。 私は歩くのが好きなので、一人の時間が欲しいときや、天気が特別気持ちいいとき、運動したい時は、 この行程を歩く。 ピアノフェストについたら台所に直行。 たいてい前夜の飲み会の残骸で、台所は悲惨な状況である。 その中から清潔そうな調理器具や食器を掘り出し、 台所に山とある食材からそれぞれ思い思いに好きな朝食を用意する。 オムレツを作る子、パンを焼きもせずにくわえ、練習室に向かう子、コーヒーだけの子。。。 私の最近の定番はオートミールに卵をかき混ぜて作るしょうゆ味の卵粥のようなものである。 台所にもピアノがあって、そこでも誰かがいつも練習している。 人の練習を聞いているのは面白い。 色々な工夫、練習法、そして解釈がある。 台所で練習していると、色々な人が色々な時間におやつや食事や、つまみ食いに来る。 無意識のうちにいつも誰かが練習している曲を一緒にハミングする子、 「え!そこの指使い、教えて!」などと無邪気に話しかけてくる子。 無視している様に見えながら気配で明らかに聞いているのが分かる子。 まったく我関せずの子。 みんなさまざまである。 あまり練習に乗り気でない時は、台所に陣取って、 来る子とおしゃべりしながらその合間にチョコチョコ練習すると 思いがけずはかどったりする。 でも、私は「ピアノフェストは人生の休暇!」と決めているので、 朝一番で練習にがっつくことはせずに準備した朝食を持って、庭を見渡すポーチに行く。 たいていオルガと一緒に色々しゃべりながらゆっくり朝食をとった後、 その日の練習が始まる。 朝方の子や、コンクールに向けて準備中の子は、もうバリバリ練習しているが、 逆に毎晩飲み会の子はまだお見えにならない、そういう時間である。 その後はたいてい夕飯まで思い思いに練習しながら時間を過ごす。 午後はレッスンがあったり、演奏会前の通し稽古があったりする。 昼食を外で食べたり、多くの日はみんなで連れ立って砂浜に向かい、海で波遊びをしたりする。 昨日の海は荒かった。 寄せる波を足を踏ん張ってやり過ごしたと思ったら、返す波に足をすくわれ、 転がされて髪から水着の中まで砂だらけになってしまった。 水着を忘れてズボンで入水した男の子は両ポケットに信じられない量の砂が入り込み それをかきだし、かきだし、苦心していた。 寄せる波と返す波の間の一瞬の海水は信じられないほど透明である。 海底だけでなく、他の色々なものを反映してくれるような、吸い込まれる様な透明だ。 私はふと、東北でみた津波の爪あとを思い出して、非常に複雑な気分になってしまう。 のどと鼻の奥に、海水が苦い。 今日の波は大きかったが勢いが少なく、ゆったりとしていた。 浮いてやり過ごせる波ではないが、 波が来た時、下をくぐる様にもぐって進んでいけば、楽にかなり沖までいける。 足が届かないところまで、波がまだ水しぶきを上げない、うねりの状態の所まで泳ぎ出せば もう波は関係ない。

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冷たい手で弾くゴールドベルグ

いまだに変わっていなければ、公立学校の夏休みは毎年7月21日に始まるはずだと記憶しています。 こんなにはっきり記憶しているのは、子供ながらに待ち遠しかったからでしょう。 しかしまだまだその日まで2週間もあるというのに、日本は30度を越しているそうですね。 昨夜日本に電話したら、暑さの悲鳴が聞こえてきました。 私が今居るイースト・ハンプトンは避暑地と言うこともあり、現地入りした先月は肌寒い日もある程でしたが、 7月に入ってようやく入道雲が見られ、夏らしい気候になってきました。 それでも30度には到底手が届かず、湿度も低く、日陰の風が気持ちいいです。 それなのになぜか、冷房がガンガンかかっている建物があるのです! 先週月曜日にゴールドベルグの抜粋を演奏したAvram Hallが寒かった! 私はゴールドベルグなのに、トリの前に持ってこられ、待ち時間が長く、 出来るだけ温まっていようと待ち時間はなるたけ日向で過ごしていたにも関わらず、 ステージに出るまでには手がギンギンに凍えていました。 (これだけ弾きこんだ曲でよかった~。ちょっと不安な曲だったらこんなに冷たい手で弾けないよ) と思ったのもつかの間、ゆっくりで技巧的には簡単なアリアでさえも音を引っ掛けてしまったくらい 指が言うことを利かない!かじかんでしまっているのです。 抜粋だったため、壇上で急遽、弾くはずだった速い変奏曲を遅い物に変えたりして何とかしのぎましたが、 それでも不本意なミスを沢山してしまい、ちょっと残念で、悲しく、そして申し訳なかった。 曲にも、聴衆にも、ピアノフェストの主催者や、募金者、ボランティアー達にも、謝りたい気持ちでした。 こんなに入れ込んだ曲なのに。。。 ところが、お客さんたちの反応が私には信じがたいほど良かったのです。 「涙が出てしまいました」 「私は今までゴールドベルグは正直、退屈な曲だと思っていましたが、今日一気に考えが覆されました」 「今まで聞いた色々な人のゴールドベルグの中で一番良かった」 「本当に美しい演奏でした」 演奏者本人の評価と、聴衆の反応にギャップが出ることは良くあることです。 でも、私自身こんなに正反対だった体験はまったく初めてで、正直面食らってしまいました。 録音は一応あるのですが、怖くてそれを聞く気にもなれないほど、私にとっては不本意な演奏だったのです。 ピアノフェストの総監督でもあり、私たちの先生でもあるポール・シェンリーに謝りにいきました。 「手が凍えて、まったくコントロールが聞かなかったのです。不本意な演奏をしてしまいました。申し訳ない」 そしたら、ティベット風に私の頭を引き寄せて、自分のおでこと合わせて 「最高に美しい演奏だったよ。謝る必要なんてまったく無いんだ」 と言ってくださいました。 普段、誰とでも少し距離を置く様な人なので、余計に感動しました。 いまだに信じられないけれど、でもとりあえず、喜んで頂けた様で良かったです。

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Pianofest―リアリティー番組になる

ピアノフェストの卒業生で30代ロシア人男性のコンスタンティンは、クラシック音楽に一般人の興味をもっと向かせる為の作戦アイディアが色々在る。その一つがリアリティー番組。ピアノフェストと言う、14人の若いピアニストを密集させた空間にカメラとカメラマンを持ち込んで、これからピアノフェストが終わるまで張り込んで、ドキュメンタリー映画を作るのだそうだ。彼は良くしゃべる。いかにクラシック業界がこのままでは滅びてしまうか、クラシック音楽家としてこの業界を活性化するために私たちが今するべきことは何か、その独白を逃げられずに聞いていたら1時間半もしゃべり続けていた。制作後はこのドキュメンタリーはとりあえずYoutubeに載せられるそうだ。そして色々なテレビ局に持ち込まれ、上手く行けば来年からピアノフェストの日常を撮ったリアリティー番組が放映されることになるそう。 このコンスタンティンを含むピアノフェストの大半のピアニストと海岸に行った。今日は波が荒くなく、簡単にかなり沖まですいすい気持ちよく泳いでいける。天気も最高。泳ぎ疲れたらみんなで砂浜でゲームだ。この頃ほぼ毎日海岸に行っている。波が荒いときは波に転がされて水着の中が砂だらけになってしまったが、夜の海岸は星空が信じられないほど深くまで見えるし、今日の様に波が穏やかな時は本当に楽に泳げるので楽しい。そして子供の様にキャーキャーはしゃいでゲームをしていると、他の事を全て忘れてしまう。

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共同生活の意義

2010年の9月から始まった博士課程一年目は、兎に角物凄く充実していた。 ロサンジェルスから、ヒューストンと言う新天地に移って、その土地や文化になじむ、と言うこと在ったし、 私にとっっては物凄く久しぶりの学位に向けてのカリキュラムに添った勉強・宿題・試験。 その間に、学校代表としてのワシントンD.C.の国会図書館でのリサーチと演奏のプロジェクトが在り、 それが終わったらすぐ東北の大震災があり、チャリティーコンサートの企画・演奏で忙しくなった。 そして学校が終わったら急ピッチで練習をして5月・6月の日本での演奏会。 このEast HamptonでのPianofestの参加を決めたのは、 決まったスケジュールの無い、あくまで本人本位の海岸近くの音楽祭と聞いて、 正直、有給休暇をするつもりだったからだ。 そしてここに来て、本当にちょうど良かった。 私にしては珍しく、正午近く寝坊してみたり、2時間もぐっすり午睡をしたり、 海岸で一時間海を横目に貝を拾いながら一人で散歩したり… でも、一人だったらそのうち寂しくなっていたと思うし、ピアノとの距離感もつかみにくかったと思うけど、 ここではいつでも、人と居たければ、喜んで一緒に遊んでくれるピアニストが12人も居るし、 音楽もピアノもいつでもそこにある。 Pianofestの始まる前、『ピアノはしばらく弾くまい』と決心していた私は真夜中に起きて驚愕した。 枕の上で狂おしく指を動かしている自分に、目が覚めたのである。 本当に「狂おしく」と言う感じだった。手が疼いて、いたたまれない気持ちだったのである。 一人と言うのは、特に私のような性格だと、極端に走りやすい。 その分、共同生活だと『今日は休む!』と頑なに決心していても 「ここの所、あなただったらどういう指使いで弾く?」 と声をかけられて、それがきっかけで気がつくと楽しく4手を弾いていたり、 夕食前の10分、なんとなくちょっとパッセージをさらったり… そして、昨日の夜の様にみんなで遊んで大声を立てて笑っている自分を発見したりする。 どんなに『休もう』と頑固に決心していても、一人だったらあんなに手放しに笑わないもんなあ。

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