Category: 音楽人生


  • 演奏の翌日

    演奏会はどういう結果でも非常な集中と凄いエネルギーを否応無く要します。 特に昨夜の演奏会の様な演奏会、ただ要領よく『仕事』 -正しい音を正しいタイミングでそれまでの音楽人生で培った音楽的センスを応用して演奏すること― するのでは無く、それまで培って来た自分の音楽的センスと正直に見直し、自分の音楽に対する理解を出来る限り事実確認し、一つの曲、一つのプログラム、一つの演奏会場に置いてもう一度音楽に置ける自己のセンスと言うものを確立し直すような演奏会の翌日は、くらげ状態です。 演奏会は成功だったのです。大成功と言っても良いかも知れません。教授が何人も来てくれた他、学校の友達、シェパード音楽学校に関心を持つ沢山のコミュニティーの方々、日本人コミュニティーの方々、教えているクラスの生徒、多くの方に聞きに来ていただき、最大級の祝福を頂いて、喜んでいただきました。この演奏会のために曲を書き下ろしてくれたクリスは、「自分の曲がこんな素晴らしい演奏と演奏家に恵まれるのを生で聞けるのは一生に一度かも知れない」とまで言ってくれました。一緒に打ち込んだ共演者も笑顔で抱擁を交わして、演奏後の楽しい食事会では笑い声が絶えませんでした。でも、まだまだ課題は残っているのです。私は本当に演奏に打ち込んでいる時、自意識に負けてポっこリと音をミスしてしまったりします。ここぞ!と思うところを上手くこなして一瞬気を抜き、その瞬間に音をミスしたり、タイミングを逃してしまったりすることもあります。その自責の念に駆られてくらげになってしまうのか、くらげになるくらい疲れているから、どうしてもネガティブ思考になってしまうのか… でも、「くらげ状態」に甘んじている時間は最小限にしなくては。明日はもう一つの世界初演があります。締め切りの迫るペーパー、この夏のプログラムの練習開始、税金申告は4月15日、そして勉強、勉強、勉強、練習、練習、練習! 人生が一つの演奏会ごとに終わっていたら大変です!演奏会は通過点、長い音楽人生の成長の過程の一ページでしかありません。さあ、朝は日光を浴びてキャッチボールをして、汗を書きました。このブログを書きながら、甘い物も食べました。さ、さ、さ!頑張るぞ!まだまだ、まだまだ人生は長いのです!これから色々楽しいことがあるのです。

  • 朝食を取りながら、このブログを書いている。 朝食は具の方が汁よりずっと多い味噌汁!ちゃんと煮干で出汁を取りました。 具にはは人参、玉ねぎ、長ネギ、えのき、干ししいたけ、マッシュルーム、サツマイモ、キムチ、ワカメ、そしてキムチと卵! この頃忙しくて一日2食が多いので、食事の時は努めて健康的にバランス良く頂くよう、心がけています。 今日は11時から1時まで、3月17日の世界初演のためのリハーサル。ヴァイオリンと、打楽器とハープシコードのための曲で芭蕉の4つの俳句に基づいた、4楽章の曲です。5と7をリズムと拍子に多分に用いているほかは特に日本的なところが在る曲ではありませんが、とても軽快な楽しい曲。私の学校の音楽理論の教授による作曲。この初演で共演させていただくヴァイオリン教授が委嘱したそうです。 1時から2時までは私自身の「非音楽専攻のための音楽理論」の授業の中間試験! 対位法の試験です。ルールがいっぱいあるので、生徒も大変。 2時から4時までは3月15日にある室内楽のリサイタルのためのリハーサル。クラリネットとチェロとピアノのためのトリオと言うのは、あまり多くないのですが、ベートーヴェンの若い作品11、晩年のブラームスの作品114がそれぞれピカイチです。約100年を隔てるこの2曲の比較検討を通じて、この二人への考察、さらにこの二つの時代の考察を深めるのは面白いです。そして、このリサイタルでは私の2年先輩の音楽博士、クリス・ウォルクザック氏によるクラリネットとチェロとピアノのための「Animusu non Regimusu」の世界初演もあります。3つ合わせて、1798年から2013年まで300年以上をカヴァーしているのです。感慨深いです。 その後はスケジュールは空いていますが、する事はどっさり!3月15日のプログラム・ノートは絶対書かなければいけません。生徒の試験の採点。練習も3月15日と3月17日の曲だけではなく、この夏のプログラムもそろそろ譜読みを始めています。3月29日に第一稿が締め切りのプロコフィエフのオペラ、「三つのオレンジへの恋」に置ける日本の影響のリサーチ(まだオペラそのものも見終えていない!)。そして勉強!来年の博士課程の最終試験への試験勉強が中々まとまって始められていないのが、そろそろ気にかかり始めています。さらに、博士課程の自由研究でYoutubeに載せるヴィデオを自分で録画・編集・公開することになっています。先週の日曜日に約8時間かけて15エピソードを録画、月曜日と火曜日で計8時間かけて編集したのですが、昨日の夜はじめてヘッドフォン無しで自分のノートパソコンのスピーカーで再生してみてびっくり!音がとても遠い。どうしたら良いのでしょう。多分、音声を画像と切り離し、なんらかのソフトウェアで加工してノイズを減少、音声を大きくした後、もう一度画像に合わせるのだと思いますが、そうするとしたら、8時間の編集の苦労は水の泡になってしまう可能性が… ここにサンプルを貼り付けます。読者の誰かで、こう言うことに詳しい方がいらしたら、アドヴァイス、お願いします。 音楽人生、冒険に満ち溢れています。今日も、頑張るぞ!

  • 今日は予定がきれいに埋まっているとても多忙な日でした。 6時半に起床。身支度と簡単にメールチェック。 7時半登校。 8時にリハーサル開始。 8時半にリサイタルのPreview―これはこの学校特有なのですが、学位をとるための学校での演奏は3人の先生の前で本番前にプログラムを全曲通し、アドヴァイスを頂いて、お許しを得てからやっとリサイタルを正式に行う権利をもらえます。今日はそのプレヴューだったのです。皆のスケジュールやホールの空き具合から、朝8時半と言う音楽家にとっては非常な早朝になってしまいました。一緒に共演してくれる子、譜めくりをボランティアでしてくれる子、そして朝早い登校をして私のプレヴューを聞いてくださる先生方。せめてもの気持ちでベーグルとコーヒーの出前を取って振舞ったら、とても感謝されて、凄く雰囲気が和み、良い会となりました。演奏はまだまだ来週の本番まで課題を残す物で、先生方からも貴重なアドヴァイスを沢山頂きましたが、でもとても楽しく共演することが出来ました。 10時半にPreviewが終わり、許可を頂いたので、正式に来週末の本番を登録するための書類手続き。 10時50分からは、毎週火曜日と木曜日オペラのクラスがあります。今やっているのはリヒャルト・ストラウスの「エレクトラ」(1909年初演)。ギリシャ悲劇に基づくオペラですが、『サロメよりも残酷でえぐい』と言う批評家も居るほどのストーリーです。面白い。 12時からは、音楽理論の講義を聴講しました。この講義を行ったのは私と同い年くらいの若い女性。今、私の学校は楽典の教授を探していて、これから最終専攻に残った人たちが学校を訪れ、面接のほかにそれぞれのリサーチについて講義し、実際に教室で教え、時には演奏もし、自己アピールをする機会を与えられます。この女性は1930年代のウィーンで最初に音楽と心理学のつながりを提唱したクンストと言う人の書いた本に付いて講義をしました。 1時からは、他の3人の博士課程の学生と一緒にこの女性をお昼ご飯に招待(学校のおごり)。彼女に生徒代表と話をする機会を与えることで、学校について気兼ねなく生徒の言い分を知り、質問などが出来るようにしてあげる。さらに、これからこういう面接を受けるであろう私たちが、彼女の話しを聞いてこういう過程について学ぶことが出来る。そして最終判断をする学校の教授たちは私たちの彼女の印象を参考にする事ができる、と言うことで、学校のおごりで私たちはお昼にありついたわけです。インド料理を食べました。美味しかった! 2時半から5時までは図書館でのリサーチ。今年の夏用の日本の曲目、来週末のリサイタルのプログラム・ノート、3月末に第一稿が締め切りのリサーチぺーパー(プロコフィエフの「三つのオレンジへの恋」をやります。プロコフィエフはロシアからアメリカに移動中、2ヶ月間日本で船を待つために滞在しているのですが、この台本はこの旅行中に書かれ、作曲は日本滞在の直後に書き始めています。日本文化に触れた影響をこのオペラに見出すことは可能か、と言うのが私のリサーチトピックです) 5時からは毎週木曜日は私の7歳の生徒のレッスンです。サラと言う名前の赤毛の女の子でとても可愛い。 6時から8時までは3月17日に世界初演演奏をする曲のリハーサル。 家に帰って、シャワーを浴びて、軽食を取りながらこのブログを書き、これからバロック時代の鍵盤楽器のための曲の歴史(フレスコバルディからスカルラッティまで)をまとめます。私たち博士課程3年目の生徒は来秋、博士課程の最終試験があります。音楽理論4時間、音楽史4時間、そして専攻(私の場合ピアノ)4時間、系12時間の筆記試験が3日に渡って行われます。その準備のため、毎週一回有志で集まって勉強をします。それぞれ毎週トピックを決めてプレゼンテーションを行うのです。いつもこのスタディー・グループのための勉強は後回しになってしまいます。明日の12時に皆で会う予定です。あと14時間でどれだけの情報を消化して、まとめることができるか!よーい・ドン!

  • 今日はこんな日でした。 朝はずっとコンピューターに向って仕事です。 メールや午後に教える「非音楽専攻のための音楽理論」のクラスの準備の他に、 今年の日本での演奏曲目をリサーチしたりもしています。 今年のプログラムは「東洋を夢見る西洋音楽」と言う題です。 有名どころではモーツァルトのトルコ行進曲が最終楽章のKV331のソナタや、 ドビュッシーの「黄金の魚」「多重の塔」。 それから山田耕作や武満徹のピアノ曲も弾こうと思っています。 それからラモー、スカルラッティ、バルトーク、ラヴェル、アルベニース、ラフマニノフ、など 色々な作曲家が東洋に触発されて曲を書いています。 でも、このリサーチは奥が深く、中々時間がかかります。 フェースブックで「東洋に触発された鍵盤楽器の独奏のための曲を教えて!」 と呼びかけたところ、一時間で10人が応答してくれました。 びっくり!その他にも昔の音楽史の先生や色々な人にアドヴァイスをもらっています。 でも一曲教えてもらうたびにインターネットで楽譜や音源を探し それがこのプロジェクトに適しているか、自分が演奏したい曲か、吟味しなければいけません。 そんな訳で時間がかかってしまうのです。 1時から2時まではクラスを教えます。生徒は可愛い! 今日は対位法の作曲プロジェクトの締め切りでした。 当日の早朝3時着信のメールで「この音形はルールに叶っているでしょうか?」とか メールを送ってきた子も居ました。 生徒も一生懸命ですが、私も一生懸命です。 19人がそれぞれ二、三曲書いているのを、全部採点するのです。 ルールに叶っていない対位法を書いてしまった子にはいちいち赤ペンでどのルールを犯しているか説明。 午後の2時間はその採点に費やしました。でもまだ半分しか終わっていません。 それから修士の勉強をしているユーゴスラビア人のミナの「展覧会の絵」を聞いてあげました。 彼女は来週末のリサイタルでこの曲を弾くのですが、私がこの曲を去年弾いたのを知っていて、 アドヴァイスを求めてきたのです。 私にもとても良い復習になり、彼女は多いに感謝してくれ、とても楽しい2時間でした。 そして自分の練習2時間。 私自身が今度の15日、室内楽のリサイタルをやります。 クラリネット・チェロとピアノのための3重奏と言うのは 典型的なピアノ・トリオよりレパートリーは少ない物の、 管楽器と弦楽器とピアノの絶妙な取り合わせで私は大好きです。 地震のときのチャリティー・コンサート企画・実行をきっかけに仲良くなって何度も楽しい共演をして来た 佐々木麻衣子さんというクラリネット奏者と、 ブルガリア人チェリストで、去年一緒に王子ホールや静岡で共演したラチェザール・コストフとの共演。 ベートーヴェンのクラリネット・トリオ作品11と、ブラームスのクラリネット・トリオ作品114と言う この楽器編成の最高傑作を二つ並べて、その間に新しくこの演奏会のために委嘱した曲を 世界初演します。 その練習と、それから17日にヒューストンの現代音楽シリーズ「Syzygy」で行う もう一つの世界初演(ヴァイオリンと打楽器とチェンバロのための3重奏)が 今の私の練習メニューです。 その後、15日のためのリハーサルが在りました。 明日は朝の8時からリハーサル、その後の予定もびっちりです。

  • 今週末はオスカー賞。 その年の映画に色々な賞が与えられる毎年恒例のビッグイベントで、 好きな人は集まって「オスカー賞パーティー」なるものを開き、 参加する候補者などのファッションを批評したり、 どの映画がどの賞を取るか予測しあったりして楽しむ。 私はロサンジェルスに4年間住んでたにも関わらず、 そしてNYでもLAでも映画関係の仕事をしたり夢を追ったりしている人たちと多く知り合ったにも関わらず、 あまりこう言うのには興味が無いのだが、 今回主演女優賞(オスカー史上最高齢!)を始め色々候補に挙がった『Amour』には興味があった。 理由の一つにはNY Timesの音楽評論家、Anthony Tommasiniの結構話題になった12月31日付けの記事「Playing by Heart, with or without the Score」が在る。『Amour』は老いたピアノ教師とその夫の話なのだが、Alexandre Tharaudと言う若いフランス人ピアニストが実名で主人公の生徒を演じている。実際にもそうなのだが、この主人公の生徒もデビューしたてだがすでに前途有望なキャリアで忙しく活躍中。脳梗塞で半身麻痺となった昔の教師を訪ねるシーンで、「12の時に教わったベートーヴェンのバガテルを弾いて」とせがまれて「もうあの曲は随分長いこと弾いていないし、ちゃんと覚えているか…」と躊躇するも、老いの激しい恩師の頼みを断りきれず、結局完璧な演奏をする。Tommasiniはここで疑問を提示する。「元ピアノ教師で、背景の本棚にも楽譜がぎっしり。なぜこの状況設定でで暗譜なのか」。Tommasiniの記事はこの後、このAlexadre Tharaudと言うピアニストがNYでのカーネギーホールデビューの際、楽譜を使ったこと(暗譜で演奏しなかった)。しかも、そのことが批評に全く書かれなかったことに発展し、さらにEmanuel Ax,Richard Goodeと言った、高名なピアニストがこの頃大きな舞台で次々と楽譜を使って演奏していることに言及し、暗譜の効用を疑問視している。 映画は思ったよりもさらに重い物だった。女主人公が元ピアノ教師だったことは映画の流れにはほとんど関係ない位の詳細で、テーマは老いと、人生を寄り添った夫婦がいかに尊厳を持ってその夫婦関係の幕を閉じるか、と言う問題。女主人公は脳梗塞を患い、半身不随になり、それがきっかけで痴呆、そして段々弱っていく。彼女の夫は最初の脳梗塞の手術から退院して来た女主人公の「もう絶対入院させないで」と言う主人公の頼みを最後まで守り、通いの看護婦の助けを借りながら、全ての看護を自分で請け負う。まだ意識がはっきりしている時、病態の発展を悲観して主人公が尊厳死をほのめかしても、「君は私に気遣っているだけだ。でも、立場が逆だったら、君は絶対私を同じように看護した」と、はねつける。看護も忍耐強く、隣人に賞賛されるほど。表面的にはだから、「Amour」なのだ、と思う。でも、夫は主人公が夫の生活の一部始終の助けを必要とするのと同じ比例で、彼女から必要とされることを必要としていたのでは無いか。看護の苦労を知らないから言える戯言かも知れない。 極限まで音楽の使用を最小限に抑えてある映画だった。淡々と日常の詳細を丁寧に反映し続けるのだけれど、時々全く音声を切って完全な静寂を演出したり、そんな中に映画のスクリーンいっぱいに絵画を何枚も数秒ずつ映し出したりする。一シーンでは、夫が元気だった頃の妻がピアノでシューベルト(即興曲作品90-3)を弾いているところをソファに腰掛けて一人回想している。その不動の夫がそのシーンで初めて動いて、彼の後ろに位置しているステレオを止めるとき、回想していたシューベルトは実は思い出の妻の演奏では無く、生徒が送ってきた新しいデビューCDの演奏だったことを知る。そして夫のステレオの切り方は曲の途中で、ブツリと切る。シューベルトが聞こえなくなった後の静寂に、夫と共に視聴者は取り残される。 私の後ろに腰掛けていた人は泣いていたけど、私は涙がにじむ程度で、涙もろい私には珍しく泣かなかった。でも今朝起きて、まだ考えていた。壇一雄の「リツ子、その愛・その死」を思い出した。あれは私小説だし、書き手の視点から書かれているから、そう言う意味でこの映画とは全く違う。でも、この映画を見たことで「リツ子、その愛・その死」の新しい見方が出来る気がする。壇一雄は物書きとして満州に送られ、終戦後帰国して結核に冒されているリツ子と長男太郎を見出すのだった。彼があそこまで我武者羅に妻の看病と子育てに投じたのは、そうしなければ終戦の混乱と貧困の中で、自分が自分の存在価値を見失ってしまう危機を無意識の内に感じたからではないか? 相手に必要とされていることをしてあげる愛と言うのは、分かりやすい。 でも、相手を必要とすることを自分に課す愛、と言うのもあるのだと思う。