音楽人生

最高な一日!

今日は本当に素晴らしい一日だった。 明日も盛りだくさんだし、早寝を目指しているのだが(現在夜10時50分)、この日の事を記録せずに寝てはもったいないくらい素晴らしい一日だったのだ。 まず、朝の指揮。 たかが4分ほどの曲を10分ほどリハーサルさせて頂いただけなのだが、もう指揮をしている最中から気持ち良くて鳥肌が立って、「至福」と言うのはこういうことを言うのか、と実感するような10分だった。オケが私を一生懸命見てくれている。一緒に音楽をしている。そして私はその真ん中に立って、音に包まれて、音を引っ張ったり伸ばしたり、なんだか宇宙をこね回しているような、物凄い感覚!本当に度肝を抜かれる様な体験だった。 その後の昼食。 「農園から食卓へ」と言ううたい文句の自然志向のレストランで、清潔感たっぷりの、真っ白いテーブルクロスが日光を反射してまぶしいような内装のところ。そこで、アヒルを頂いた。5つのハーブをすり込んで焼き、カレー風味のソースをかけて、焼き温野菜(かぼちゃ、たまねぎ、セロリ、など)の上に乗っけてあるメインと、デザートを頂いたのだが、このアヒルの焼き加減(肉汁が、ナイフを入れるたびにドッと出てくる感じの焼き具合)、温野菜の甘さ、全てが最高!そしてデザートも日本のケーキの様に甘さ控えめで上品で、しかも奇抜!バナナの上に飴をかけてそれを焼いて焦がし、チョコレート・ムースの上に乗っけた物を、カリカリのクッキー地で包んである物や、たっぷりの胡桃を入れて焼いた甘めのパンをフレンチ・トーストにして、その上にしょうがで固めたオレンジの皮をあつらったもの、さらにホワイト・チョコレートをウィップ・クリームの用にほわほわにして、それをラズベリーやブラックベリーと食べる物、の3点。日本語で多いに語りながら、ゆっくり時間をかけて頂きました。お肉も自然な環境で育ったお肉たちで、本当に美味しかった。 そして夜はゴールドベルグの通し。明日の正午にもやりますが、今日は本当に良かった。聴音のクラスの生徒が一人来てくれていたのですが、泣いて喜んで、ハグをしてくれました。自分でも気持ちよく弾く事が出来ました。 こんなに良い日に恵まれるなんて!

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進歩・進化

先週末のゴールドベルグの独奏会は、私としては不本意な出来だった。 この夏何回も演奏して、CD録音までした曲だから(もう大丈夫)と言う過信と気負いが在ったのかも知れない。 それでも喜んで下さっているお客様やお友達に言い訳や愚痴をくどくど言うのもプロ精神に反する、 と言うことで、頂く「おめでとう」や、褒め言葉に「ありがとう」と返すのがちょっと辛い位、 正直しょげていた。 でも、気を許した友達に打ち明けて励まされたり、先生にも 「主観と言うのは時としてあてに成らない。 君のゴールドベルグ・ヴィジョンはしっかり伝わったし、君の真摯な取り組みはやはり成果を挙げたよ。」 と言うお言葉にも勇気付けられ、 それに中世音楽の試験、他のクラスの宿題、などこのリサイタルのために後回しになっていた やらなきゃいけない事の数々に追われて、ここ数日が過ぎて行った。 そんな時。 今度の週末に「Round and Round」で出演する作曲家Charles Halkaのリサイタルのリハーサル中。 Round and Roundは今年の3月、一緒に選ばれたもう一人のピアニスト、ヴァイオリニスト、そしてチェリストと ワシントンD.C.の国会図書館で世界初演した曲である。 それ以来、譜面を見ることもしていなかったが、実は結構難しい曲なのである。 忙しくて譜を見返すことも無いまま、リハーサルに臨んだら、 3月には見えなかったその曲の色々な側面が生き生きと見えてきて、 難しかったパッセージも難なくこなせる。 私、成長していたんだなあ。 思いがけず、励まされた

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マキコが大事!

私はケチである。 学生時代は学生ヴィザで、アルバイトが自由にできなかった。 それに、アルバイトに割く時間があるなら練習を、と言う気持ちも在った。 兎に角出費を出来る限り抑える事で忍ぼうとした。 多分、普通に日本で生活している人からは考えられない節約をしていたと思う。 今ではアメリカの永住権も手に入れ、晴れて学校から生活費まで支給していただける身分になり、 それからありがたいことに演奏からの収入もあり、もうそんなにカツカツしなくても良いのだが… 生活習慣、だろうか。 あるいはこれはもう生活態度の問題、なのだろうか。 病的なまでの節約が中々抜けない。 出費の際はいつも、その投資に対する相応な見返りがあるか、しばし考えてしまう。 今、朝食の準備中、ドライ・フルーツとナッツのミックスの 買ったばかりのちょっとした贅沢と健康のための投資をひっくり返してしまった。 ナッツは値段が上昇中だ。 キッチンの床に派手に散らばったナッツを私は一つずつチリをよけながら拾い始めた。 箱に戻して食べるつもりだったのである。 でも、ナッツは多く、時間がかかり、色々な考えが頭に及んだ。 私はこれから毎日、これを食べながら何を思うだろう。 そしてこのチマチマとナッツを拾っている時間はなんだろう。 さらに、ゴキブリ退治用の薬がところどころに置かれている床から拾った物を食べる 肉体的、そして心理的副作用は…? 腹をくくって、「マキコが一番大事、マキコが一番大事」と唱えながら ザッ、ザッ、とナッツをかき集め、バッとゴミ箱に全部捨ててしまった。 自分に対する、ちょっとした変化の宣言である。

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画家のためのモデル体験について

私がいつもその積極的な好奇心と精力的な活動に感銘を受けている画家のO。K。さん 「描かせて」と前からお申し出を頂いていたのですが、 今回CDのカヴァーイメージの候補に描いて頂くことになりました。 マンハッタンを見渡す大きな窓を構えた、素晴らしいアトリエでのお仕事です。 色々なポーズをとって色々な位置で座りなおして見て、やっと決まりました。 高い、高い壇上の上にすえられた肘掛け椅子に 私が白黒のドレスを着て両足を右向きに組み、上体を真正面、そして首を左側に向けて 流した様に座っているポーズです。 ちょっとワシントン・D.Cにあるリンカーン・メモリアルの彫刻に似たポーズです。 でも、もう少し体の線を意識し、首の線を強調するためにひねりを入れた、と言う感じ。 一回のセッションが25分、合間の休憩が5分、全てタイマーで計ってやります。 私がヒューストンに帰ってしまうまでに時間が限られていたこともあって とても緊張感の漂う、密度の濃いセッションとなりました。 閑談をしながら、と言う雰囲気ではまったくありません。 かかっていた歌謡曲のアレンジが可笑しくて私がくすくす笑ったらば 「笑わない!」としかられてしまいました。 そして描きながら大きなキャンバスと絵の具のあるパレットの間を O.K.さんが踊るように忙しく行き来し、 キャンバスの下から見える足が踊る様に屈伸します。 しかし、動かない、と言うのは不思議な感覚です。 段々体から意識がどんどん離れていきます。 始めは「綺麗に書いていただこう、どうしたら綺麗に見えるだろう」と それなりに息や姿勢などを意識して、ヨーガのポーズでもとっているつもりでしたが、 そのうち段々、意識がまったく今の自分の肉体的状況を離れる様に成りました。 哲学的な事を久しぶりに延々と考えて見たり、子供時代の思い出にふけったり、 何だか不思議とこの「動かない」と言う状態が色々な象徴に思えてきます。 「時間」と言うことについても、「肉体と意識の関係」と言うことについても考えます。 そして、25分と言うのが段々短く感じられるようになり。 そのうち、このひねったポーズが少しずつ苦しくなってきました。 首が痛い! こうなってくると今度は「だるまさんころんだ」です。 キャンバス前にO.K。さんが隠れているときは、出来るだけ一生懸命筋肉を動かします。 しかしO.K。さんは時々、本当に「だるまさんころんだ」の鬼を彷彿させるやり方で、 ひょこっとキャンバスの後ろから状態をかしげて顔を出すのです。 その時は「ぱっ!」と大急ぎで気づかれない様に元の位置に戻ります。 顔面体操、首回し、肩回し、背筋のストレッチ、思いつく限りやりました。 時々O.K.さんはキャンバスから後ずさって、絵と私をジーっと見比べます。 それから物凄く接近してきて、私の顔の一部をまじまじと見られるときもあります。 見られる、と言うのは不思議な物です。 「見守られる」とか「見つめられる」と言うのとは、違います。 反応も許されないわけですから、何だか物になった気持ちがします。 写真機が発明される前は、 みんな自分のイメージを記録したい人はこうやって絵描きさんに書いてもらったんだなあ。 私はシンガー・サージェントが好きなのですが、 彼の描いた貴婦人がみんなこうやって描いて頂いていたんだ、 と言うのが不思議とセンチメンタルに思い起こされます。 生憎私がヒューストンに今日発ってしまうので、 完成は写真を参考に、しばらく経ってからになります。 今のところ、凄みのある、雰囲気のある絵になってきていますが、 ちょっと芸術性が高く、私のCDカヴァー、と言うのとは、ちょっと違うイメージですが、 「O.K.さんの作品として、『綺麗に書こう』とか邪念を入れずに、正直にお書き頂く」 と言うことで合意し、完成を楽しみ待っています。 タイムスリップした様な、とても興味深い体験でした。

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クローデ・フランクの素晴らしさ

クローデ・フランクと言う伝説的なピアニストにモーツァルトの協奏曲KV488を聞いていただきました。 彼はもう87歳と言うご高齢で、奥さんがなくなられた頃から始まった健忘症が進行しており、 心配した娘さんから、刺激のためにも、と行ってレッスンして頂く計らいに成ったのです。 昨日は一緒におやつを頂いてからのレッスンとなりました。 食堂とピアノのある居間は続いています。 おやつを食べ終わって、「それでは始めましょう」と私がピアノの前に移動しても、 彼は食堂のいすに座ったままです。 ヘルパーさんが「ピアノの方に行かないのですか」と促しても、 「ここでいい」と堂々と座っておられます。 私は「?」と思いながら弾き始めました。 すると、その日のレッスンは「大きなホールでどのように自分の音と音楽性を響かせるか」 と言うことだったのです。 ピアノから離れて座られていたわけが分かりました。 「はっきりと自分の音楽性を発音しなさい。こまごま小細工しても、遠くでは失われてしまう!」 「16分音符が続くパッセージでも一つ一つの音に大きな方向性を持たせて。 二音と同じに弾いてはいけない!」 「小さくまとめないで!Don’t be timid!(これはレッスン中繰り返し言われました)」 そしてオーケストラ・パートをたっぷりと歌って下さいます。 彼が歌っているオケ・パートに合わせて ダイニングルームから叫ばれる指示に従いながら弾くと、 不思議と黄金時代のピアニストの様式に似てきます。 あの頃は録音技術が発達しておらず、生演奏を聞くことが主流でした。 しかも今の様に「音響設計」なるものが建築の一部になっておらず、 演奏会場と一口に言っても音響も多様だったはずです。 ラジオ放送にもLP再生にも雑音が混じる時代でした。 そういう時に、空間、聴衆の数などに比例して、 音楽やスピーチの抑揚を大きくすることは必要不可欠だったのでしょう。 昔のラジオのアナウンサーのしゃべり方は今では大げさに聞こえますよね。 ただ、Mr。Frankが私に伝授して下さろうとしたことは、 音楽を分かち合おうと言う姿勢にも繋がる物だと思うのです。 自分のために弾かない、世界のために弾く、と言う姿勢。 何だか素晴らしい体験をした気持ちでした。 リュウマチで痛いらしく、歩くのを嫌う方なのですが、昨日は外までお見送りに来てくださいました。

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