音楽人生

画家のためのモデル体験について

私がいつもその積極的な好奇心と精力的な活動に感銘を受けている画家のO。K。さん 「描かせて」と前からお申し出を頂いていたのですが、 今回CDのカヴァーイメージの候補に描いて頂くことになりました。 マンハッタンを見渡す大きな窓を構えた、素晴らしいアトリエでのお仕事です。 色々なポーズをとって色々な位置で座りなおして見て、やっと決まりました。 高い、高い壇上の上にすえられた肘掛け椅子に 私が白黒のドレスを着て両足を右向きに組み、上体を真正面、そして首を左側に向けて 流した様に座っているポーズです。 ちょっとワシントン・D.Cにあるリンカーン・メモリアルの彫刻に似たポーズです。 でも、もう少し体の線を意識し、首の線を強調するためにひねりを入れた、と言う感じ。 一回のセッションが25分、合間の休憩が5分、全てタイマーで計ってやります。 私がヒューストンに帰ってしまうまでに時間が限られていたこともあって とても緊張感の漂う、密度の濃いセッションとなりました。 閑談をしながら、と言う雰囲気ではまったくありません。 かかっていた歌謡曲のアレンジが可笑しくて私がくすくす笑ったらば 「笑わない!」としかられてしまいました。 そして描きながら大きなキャンバスと絵の具のあるパレットの間を O.K.さんが踊るように忙しく行き来し、 キャンバスの下から見える足が踊る様に屈伸します。 しかし、動かない、と言うのは不思議な感覚です。 段々体から意識がどんどん離れていきます。 始めは「綺麗に書いていただこう、どうしたら綺麗に見えるだろう」と それなりに息や姿勢などを意識して、ヨーガのポーズでもとっているつもりでしたが、 そのうち段々、意識がまったく今の自分の肉体的状況を離れる様に成りました。 哲学的な事を久しぶりに延々と考えて見たり、子供時代の思い出にふけったり、 何だか不思議とこの「動かない」と言う状態が色々な象徴に思えてきます。 「時間」と言うことについても、「肉体と意識の関係」と言うことについても考えます。 そして、25分と言うのが段々短く感じられるようになり。 そのうち、このひねったポーズが少しずつ苦しくなってきました。 首が痛い! こうなってくると今度は「だるまさんころんだ」です。 キャンバス前にO.K。さんが隠れているときは、出来るだけ一生懸命筋肉を動かします。 しかしO.K。さんは時々、本当に「だるまさんころんだ」の鬼を彷彿させるやり方で、 ひょこっとキャンバスの後ろから状態をかしげて顔を出すのです。 その時は「ぱっ!」と大急ぎで気づかれない様に元の位置に戻ります。 顔面体操、首回し、肩回し、背筋のストレッチ、思いつく限りやりました。 時々O.K.さんはキャンバスから後ずさって、絵と私をジーっと見比べます。 それから物凄く接近してきて、私の顔の一部をまじまじと見られるときもあります。 見られる、と言うのは不思議な物です。 「見守られる」とか「見つめられる」と言うのとは、違います。 反応も許されないわけですから、何だか物になった気持ちがします。 写真機が発明される前は、 みんな自分のイメージを記録したい人はこうやって絵描きさんに書いてもらったんだなあ。 私はシンガー・サージェントが好きなのですが、 彼の描いた貴婦人がみんなこうやって描いて頂いていたんだ、 と言うのが不思議とセンチメンタルに思い起こされます。 生憎私がヒューストンに今日発ってしまうので、 完成は写真を参考に、しばらく経ってからになります。 今のところ、凄みのある、雰囲気のある絵になってきていますが、 ちょっと芸術性が高く、私のCDカヴァー、と言うのとは、ちょっと違うイメージですが、 「O.K.さんの作品として、『綺麗に書こう』とか邪念を入れずに、正直にお書き頂く」 と言うことで合意し、完成を楽しみ待っています。 タイムスリップした様な、とても興味深い体験でした。

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クローデ・フランクの素晴らしさ

クローデ・フランクと言う伝説的なピアニストにモーツァルトの協奏曲KV488を聞いていただきました。 彼はもう87歳と言うご高齢で、奥さんがなくなられた頃から始まった健忘症が進行しており、 心配した娘さんから、刺激のためにも、と行ってレッスンして頂く計らいに成ったのです。 昨日は一緒におやつを頂いてからのレッスンとなりました。 食堂とピアノのある居間は続いています。 おやつを食べ終わって、「それでは始めましょう」と私がピアノの前に移動しても、 彼は食堂のいすに座ったままです。 ヘルパーさんが「ピアノの方に行かないのですか」と促しても、 「ここでいい」と堂々と座っておられます。 私は「?」と思いながら弾き始めました。 すると、その日のレッスンは「大きなホールでどのように自分の音と音楽性を響かせるか」 と言うことだったのです。 ピアノから離れて座られていたわけが分かりました。 「はっきりと自分の音楽性を発音しなさい。こまごま小細工しても、遠くでは失われてしまう!」 「16分音符が続くパッセージでも一つ一つの音に大きな方向性を持たせて。 二音と同じに弾いてはいけない!」 「小さくまとめないで!Don’t be timid!(これはレッスン中繰り返し言われました)」 そしてオーケストラ・パートをたっぷりと歌って下さいます。 彼が歌っているオケ・パートに合わせて ダイニングルームから叫ばれる指示に従いながら弾くと、 不思議と黄金時代のピアニストの様式に似てきます。 あの頃は録音技術が発達しておらず、生演奏を聞くことが主流でした。 しかも今の様に「音響設計」なるものが建築の一部になっておらず、 演奏会場と一口に言っても音響も多様だったはずです。 ラジオ放送にもLP再生にも雑音が混じる時代でした。 そういう時に、空間、聴衆の数などに比例して、 音楽やスピーチの抑揚を大きくすることは必要不可欠だったのでしょう。 昔のラジオのアナウンサーのしゃべり方は今では大げさに聞こえますよね。 ただ、Mr。Frankが私に伝授して下さろうとしたことは、 音楽を分かち合おうと言う姿勢にも繋がる物だと思うのです。 自分のために弾かない、世界のために弾く、と言う姿勢。 何だか素晴らしい体験をした気持ちでした。 リュウマチで痛いらしく、歩くのを嫌う方なのですが、昨日は外までお見送りに来てくださいました。

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刺激的なNYでの一泊二日

一昨日の夕方から昨日の深夜にかけて、マンハッタンで非常に盛りだくさんな一泊二日をして来た。忘れてしまうのには忍びないような、貴重な体験を沢山したので、反芻するつもりで書き出してみたいと思う。 まず一昨日、マンハッタンのイーストサイドのモダンな感じの教会で行われた、木管五重奏、Imani Windsによる演奏会に行ってきた。Imani Windsのオーボエ奏者とバスーン奏者は私の学部生時代の先輩で、共演したり、同じ音楽祭に一緒に参加したりした仲間である。彼らは5人とも黒人だ。クラシック音楽界において黒人はまだ少数だ。クラシックの世界そのものが、黒人社会や文化とは少し異質だ、と言う雰囲気も否めない。私も過去に住民が半数以上黒人の町で演奏会をした時に、聴衆は真っ白で、しかし演奏会後街中を歩くと黒人の方がずっと多くて、その落差が印象深かった思い出がある。ハーレム弦楽四重など、今は黒人メンバーから成る室内楽グループと言うのは他にもある(このハーレム弦楽四重のヴィオラ奏者は私の友達で、Youtubeでブラームスのソナタなどを共演しているミゲールです)が、Imani Windsはその先駆けで、今年で結成14年目になる。このグループのホルン奏者とフルート奏者は作曲家でも在り、彼らの人種的背景を面に出した曲の書いたり、委嘱したりしてプログラムに入れたり、また黒人やラテン系の子供が多い学校での出張演奏などの積極的な活動を通じて、かなり注目を浴びている。アルバムもすでに5枚収録しており、その一枚「The Classical Underground」(2006年)は、グラミー賞候補にも挙がっている。 プログラムの最初の二曲は「Afro Blues」と言うMongo Santamariaの作曲をこのグループのフルート奏者が編曲した曲と、ホルン奏者の作曲した「Homage to Duke(デューク・エリントンに敬意)」と言う、非常に人種アイデンティティーを意識した選曲だった。彼らはそれぞれ一人一人奏者としても技術的にも音楽的にも非常に上手く、アンサンブルとしての呼吸、音のブレンドも最高で、最近ピアノやピアノ曲ばかりを聴くことに偏っていた私の耳は飢えていたかのようにこの音を喜び勇んでむさぼった。が、しばらくして落ち着くと私の理性はこういう風に人種的ステレオタイプに甘んじて利用するのに抵抗を感じたりもした。その後の二曲は現代曲でも普通のクラシックが二曲。特にその二曲目のストラヴィンスキーの「春の祭典」を木管五重奏用にJonathan Russellが編曲した物は、技術的難度も高い、長くてスタミナも要する曲で「あっぱれ!」と言う感じで会場全体が拍手喝采で盛り上がった。しかし、私が泣いたのは最後に彼らが演奏したKlezmer Dancesである。日本でどれだけ浸透しているジャンルの音楽か知らないが、私自身が長いこと知らなかったので少し説明させて頂くと、クレズマーと言うのは東欧ユダヤ系の民族音楽である。彼らがクレズマーを、しかも私が聴く限りかなり正確にスタイルに乗っ取ったクレズマーを演奏し始めた時、私は涙がこぼれてしまった。黒人の彼らが少しアフリカ音楽やジャズの影響を作風に取り入れた曲を演奏することに抵抗を感じるのに、白人であれば19世紀の西洋音楽を演奏することを何の問題意識も無く容認する私、そして東洋人であり西洋音楽のピアニストで在る私は一体何なんだ!彼らの美しい、物悲しい、そしてノリノリのクレズマーに向かって、私は涙するしかなかった。そしてさらに私を感動させたのは、そういう問題意識を超越して彼らが実に楽しそうに、自由に、そして本当にお互いを気遣いながら、音楽を作り、会場全体に一体感を投影させたことである。ああいう風に楽しく演奏する、楽しいから音楽をする、と言う姿勢を何だか忘れていたのではないかと、自戒した。 彼らがプログラムのトリに敢えてクレズマーを起用した理由の一つには、聴衆の中にクレズマークラリネットでは今や第一人者であり、彼らの恩師でもある、David Krakauer が居たからでも在る。このDavid Krakauer は学部生時代の私の恩師でもある。非常にエネルギッシュで、純粋に情熱的なこの教授は、色々な生徒に積極的に目をかけ、応援してくれる熱血先生だ。私はまだ若干1年生だった時に、彼にメシアンの「世の終わりのための四重奏曲」をコーチング頂いたのがきっかけで、私の色々な演奏会にありがたくも駆けつけて頂いたり、彼の生徒の伴奏にアルバイトとして起用して頂いたりしてお世話になり、卒業直後に、リサイタルでの共演と言う身に余る光栄を受けてから、何年か一度は共演して来た。私が彼と共演するのはブラームスのソナタなどの普通のクラシックだが、彼はなんと言ってもクレズマーで名前が通っているのでアンコールなどでクレズマーの伴奏も少しはする。そして私はそういうのが、本当に恥ずかしいほど、へたくそなのだ。自分でも、(どうして?)と思うくらい、ノリが悪い。何にせよ、私は彼と昨日の午後、久しぶりにお食事をして、積もる話を沢山交歓した。彼の情熱的生き方はその幼少時代の環境から形付けられている、と思う。彼の母はヴァイオリニストで、父は当時の伝説的ジャズ奏者の治療に多くあたり、ビリーホリデイとも交流のあった心理学者で、Davidはそのころからジャズ、クレズマー、クラシックと多様な音楽や文化に囲まれて育っている。その結果だと思うが、彼は今1940年代の黒人ジャズ奏者とユダヤ人クレズマー奏者の交流を描いた短編小説を手掛けていて、その背景となる、非常に興味深い話を沢山聴いた。主に、1920年代から60年代までの、ユダヤ人と黒人の抑圧された物同士の結束に関する話である。例えば、ビリーホリデイの有名な曲「奇妙な果実」と言う歌がある。 Southern trees bear strange fruit (南部の木になる奇妙な果実)  Blood on the leaves and blood at the root (葉には血、根には血)  Black bodies swinging in the southern breeze (黒い体を揺らす南部の風)  Strange fruit hanging from the poplar trees. (ポプラの木にぶらさがる奇妙な果実)  Pastoral scene of the gallant south (素敵な南部の田園風景)  The bulging eyes and the

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クローデ・フランクのレッスン

年末年始にNYに帰ってきた際にも見て頂いたのだが、今回もクローデ・フランク氏にレッスンをして頂く幸いに恵まれている。 クローデ・フランク氏というのは、伝説的なピアニストである。http://ml.naxos.jp/artist/81795(日本語では「クロード・フランクだった。。。でも、今までいつもクローデと書いてきたので、このまま一貫して続けます。スペルはClaude Frank)。 兎に角、クローデ史はもう86歳と言うかなりのご高齢で、特に愛妻のリリアンを亡くされてから、少しずつ記憶に障害が見られるようになってしまった。私は始めてレッスンを受けさせて頂いてからもう4年くらいになるが、それでもお会いするたびに私のことを本当に覚えていらっしゃるのかおぼつかない。ところが凄いのが、彼は事実や出来事に対する記憶が曖昧でも、音楽に対する記憶はとてもしっかりしているのである。例えばおととしの夏お会いした時、彼は私の顔をまじまじと見て、こう言った。「私は、君を知っているね。確か君の演奏を聞いたことがあると思う」。私はとても嬉しくて、喜び勇んで言った。「はい!去年の夏に、ベートーヴェンのバガテル、作品127をお聴き頂きました」。ところが彼は不満げなのだ。「いや、バガテルではなかったはずだ。。。」。この年、私はドイツ作曲家の晩年の作品を集めて弾いていた。バガテルはベートーヴェンのピアノ作品の最後だ。でも、私の記憶違いだったか?もしかしたら聞いて頂いたのはブラームスの最後のピアノ作品、作品番号119だったかも。。。「もしかしたら、ブラームスの119をお聴き頂きましたっけ?」その途端、彼の顔がパッと晴れた!「そうだ!そうだよ。君のブラームスの119を聴いたんだった」。。。すごくないですか? クローデ史はとても明るい。音楽が好きで、好きで、たまらない!と言う感じである。私がゴールドベルグを持っていくと、まずリピート付きで全部聴かれて(1時間10分)、それからアリアからそれぞれの変奏曲全てを一つ一つレッスンつけて下さったりする。有に3時間かかる。こちらはくたくたである。それなのに、それが終わってから「それで?今日は他に何の曲を持ってきたの?」と言う。「申し訳ありませんが、もう疲れてしまって弾けません!」とは言わないが、丁寧にお礼を言って、お暇して、その後こちらはバタンキューである。 昨日のレッスンでは、ゴールドベルグは「言うこと無し!」と褒めて頂いたので、まだ暗譜のおぼつかない、モーツァルトの協奏曲KV488をお聴きいただいた。そしたら、とても細かい、とても素晴らしいレッスンをつけて下さったのである。「4小節、一フレーズを一息に、一つの流れで!」「連続16分音符のパッセージ、音の粒をそろえて良しとしないで、それぞれの音に意味を持たせて、ちゃんとフレーズに形をつけて!」オケパートを、「歌う」と言うより音程無しでしゃべる様にリズムと息で、伴奏つけてくれ、時々音楽が前倒しになりがちな私の音楽をしゃんと姿勢を立て直させてくれる。2楽章を弾き終えたら「Beautiful! Beautiful! Don’t expect it to always go that well – that was special! (美しい!すばらしい!いつもこんなに上手く行くと期待しちゃあ、ダメだよ。今のは本当に特別だったんだから)」と手を打たんばかりに手放しに喜んで褒めてくれる。一緒に歌って下さったからあんなに綺麗に弾けたんですけど。。。でも、本当に素敵な瞬間でした。 クローデ史は本当に音楽の天使のような人です。私もああいう人になれたら、と思います。

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素晴らしい、対照的な夜景

昨日と今日で、とても対照的な、でも両方とも印象的に素晴らしい夜景を体験した。 昨日の夜はマンハッタンで、高層マンションから見下ろす夜景、 高校時代から大変お世話になっている先輩の新居から見た夜景だ。 私は家族が日本に帰ってしまった16歳以降、留学生としてNYに来ていた日本人の先輩たちに本当に可愛がってもらった。手作りの日本食をご馳走して頂いたり、おみそで色々な会合に参加させて頂いたり、つたない愚痴を延々と聞いて頂いたり。その時からずっとお世話になっている先輩の一人が、ご結婚なさって赤ちゃんも生まれて、最近引っ越したハドソン川沿いのマンションにお招き下さった。そこでまぶしいくらいの夜景を見下ろしながら、昔話を思いっきりして、大笑いして再開を喜び合った。ハドソン川ににじむ夜景が本当に綺麗だった。 今日の夜景は、家族が帰ってから身を寄せたホームステイ先、私のアメリカの実家で見た夜景だ。そこの居間の大きな窓から見る裏庭は、かなり広い。その裏庭には信じられない数の蛍が光っては消え、光っては消えして、飛び交って、光の模様を描き出している。あまりの蛍の多さにびっくりしてしばらく見とれていたらば、そこに静に美しい鹿が登場し、ゆっくりと裏庭を横切っていったのだ。まだ真っ暗になる前、自然の色が段々モノクロになっていく時間だった。夢のような光景だった。 幸せを感じてしまう。

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