音楽人生

クローデ・フランクの素晴らしさ

クローデ・フランクと言う伝説的なピアニストにモーツァルトの協奏曲KV488を聞いていただきました。 彼はもう87歳と言うご高齢で、奥さんがなくなられた頃から始まった健忘症が進行しており、 心配した娘さんから、刺激のためにも、と行ってレッスンして頂く計らいに成ったのです。 昨日は一緒におやつを頂いてからのレッスンとなりました。 食堂とピアノのある居間は続いています。 おやつを食べ終わって、「それでは始めましょう」と私がピアノの前に移動しても、 彼は食堂のいすに座ったままです。 ヘルパーさんが「ピアノの方に行かないのですか」と促しても、 「ここでいい」と堂々と座っておられます。 私は「?」と思いながら弾き始めました。 すると、その日のレッスンは「大きなホールでどのように自分の音と音楽性を響かせるか」 と言うことだったのです。 ピアノから離れて座られていたわけが分かりました。 「はっきりと自分の音楽性を発音しなさい。こまごま小細工しても、遠くでは失われてしまう!」 「16分音符が続くパッセージでも一つ一つの音に大きな方向性を持たせて。 二音と同じに弾いてはいけない!」 「小さくまとめないで!Don’t be timid!(これはレッスン中繰り返し言われました)」 そしてオーケストラ・パートをたっぷりと歌って下さいます。 彼が歌っているオケ・パートに合わせて ダイニングルームから叫ばれる指示に従いながら弾くと、 不思議と黄金時代のピアニストの様式に似てきます。 あの頃は録音技術が発達しておらず、生演奏を聞くことが主流でした。 しかも今の様に「音響設計」なるものが建築の一部になっておらず、 演奏会場と一口に言っても音響も多様だったはずです。 ラジオ放送にもLP再生にも雑音が混じる時代でした。 そういう時に、空間、聴衆の数などに比例して、 音楽やスピーチの抑揚を大きくすることは必要不可欠だったのでしょう。 昔のラジオのアナウンサーのしゃべり方は今では大げさに聞こえますよね。 ただ、Mr。Frankが私に伝授して下さろうとしたことは、 音楽を分かち合おうと言う姿勢にも繋がる物だと思うのです。 自分のために弾かない、世界のために弾く、と言う姿勢。 何だか素晴らしい体験をした気持ちでした。 リュウマチで痛いらしく、歩くのを嫌う方なのですが、昨日は外までお見送りに来てくださいました。

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刺激的なNYでの一泊二日

一昨日の夕方から昨日の深夜にかけて、マンハッタンで非常に盛りだくさんな一泊二日をして来た。忘れてしまうのには忍びないような、貴重な体験を沢山したので、反芻するつもりで書き出してみたいと思う。 まず一昨日、マンハッタンのイーストサイドのモダンな感じの教会で行われた、木管五重奏、Imani Windsによる演奏会に行ってきた。Imani Windsのオーボエ奏者とバスーン奏者は私の学部生時代の先輩で、共演したり、同じ音楽祭に一緒に参加したりした仲間である。彼らは5人とも黒人だ。クラシック音楽界において黒人はまだ少数だ。クラシックの世界そのものが、黒人社会や文化とは少し異質だ、と言う雰囲気も否めない。私も過去に住民が半数以上黒人の町で演奏会をした時に、聴衆は真っ白で、しかし演奏会後街中を歩くと黒人の方がずっと多くて、その落差が印象深かった思い出がある。ハーレム弦楽四重など、今は黒人メンバーから成る室内楽グループと言うのは他にもある(このハーレム弦楽四重のヴィオラ奏者は私の友達で、Youtubeでブラームスのソナタなどを共演しているミゲールです)が、Imani Windsはその先駆けで、今年で結成14年目になる。このグループのホルン奏者とフルート奏者は作曲家でも在り、彼らの人種的背景を面に出した曲の書いたり、委嘱したりしてプログラムに入れたり、また黒人やラテン系の子供が多い学校での出張演奏などの積極的な活動を通じて、かなり注目を浴びている。アルバムもすでに5枚収録しており、その一枚「The Classical Underground」(2006年)は、グラミー賞候補にも挙がっている。 プログラムの最初の二曲は「Afro Blues」と言うMongo Santamariaの作曲をこのグループのフルート奏者が編曲した曲と、ホルン奏者の作曲した「Homage to Duke(デューク・エリントンに敬意)」と言う、非常に人種アイデンティティーを意識した選曲だった。彼らはそれぞれ一人一人奏者としても技術的にも音楽的にも非常に上手く、アンサンブルとしての呼吸、音のブレンドも最高で、最近ピアノやピアノ曲ばかりを聴くことに偏っていた私の耳は飢えていたかのようにこの音を喜び勇んでむさぼった。が、しばらくして落ち着くと私の理性はこういう風に人種的ステレオタイプに甘んじて利用するのに抵抗を感じたりもした。その後の二曲は現代曲でも普通のクラシックが二曲。特にその二曲目のストラヴィンスキーの「春の祭典」を木管五重奏用にJonathan Russellが編曲した物は、技術的難度も高い、長くてスタミナも要する曲で「あっぱれ!」と言う感じで会場全体が拍手喝采で盛り上がった。しかし、私が泣いたのは最後に彼らが演奏したKlezmer Dancesである。日本でどれだけ浸透しているジャンルの音楽か知らないが、私自身が長いこと知らなかったので少し説明させて頂くと、クレズマーと言うのは東欧ユダヤ系の民族音楽である。彼らがクレズマーを、しかも私が聴く限りかなり正確にスタイルに乗っ取ったクレズマーを演奏し始めた時、私は涙がこぼれてしまった。黒人の彼らが少しアフリカ音楽やジャズの影響を作風に取り入れた曲を演奏することに抵抗を感じるのに、白人であれば19世紀の西洋音楽を演奏することを何の問題意識も無く容認する私、そして東洋人であり西洋音楽のピアニストで在る私は一体何なんだ!彼らの美しい、物悲しい、そしてノリノリのクレズマーに向かって、私は涙するしかなかった。そしてさらに私を感動させたのは、そういう問題意識を超越して彼らが実に楽しそうに、自由に、そして本当にお互いを気遣いながら、音楽を作り、会場全体に一体感を投影させたことである。ああいう風に楽しく演奏する、楽しいから音楽をする、と言う姿勢を何だか忘れていたのではないかと、自戒した。 彼らがプログラムのトリに敢えてクレズマーを起用した理由の一つには、聴衆の中にクレズマークラリネットでは今や第一人者であり、彼らの恩師でもある、David Krakauer が居たからでも在る。このDavid Krakauer は学部生時代の私の恩師でもある。非常にエネルギッシュで、純粋に情熱的なこの教授は、色々な生徒に積極的に目をかけ、応援してくれる熱血先生だ。私はまだ若干1年生だった時に、彼にメシアンの「世の終わりのための四重奏曲」をコーチング頂いたのがきっかけで、私の色々な演奏会にありがたくも駆けつけて頂いたり、彼の生徒の伴奏にアルバイトとして起用して頂いたりしてお世話になり、卒業直後に、リサイタルでの共演と言う身に余る光栄を受けてから、何年か一度は共演して来た。私が彼と共演するのはブラームスのソナタなどの普通のクラシックだが、彼はなんと言ってもクレズマーで名前が通っているのでアンコールなどでクレズマーの伴奏も少しはする。そして私はそういうのが、本当に恥ずかしいほど、へたくそなのだ。自分でも、(どうして?)と思うくらい、ノリが悪い。何にせよ、私は彼と昨日の午後、久しぶりにお食事をして、積もる話を沢山交歓した。彼の情熱的生き方はその幼少時代の環境から形付けられている、と思う。彼の母はヴァイオリニストで、父は当時の伝説的ジャズ奏者の治療に多くあたり、ビリーホリデイとも交流のあった心理学者で、Davidはそのころからジャズ、クレズマー、クラシックと多様な音楽や文化に囲まれて育っている。その結果だと思うが、彼は今1940年代の黒人ジャズ奏者とユダヤ人クレズマー奏者の交流を描いた短編小説を手掛けていて、その背景となる、非常に興味深い話を沢山聴いた。主に、1920年代から60年代までの、ユダヤ人と黒人の抑圧された物同士の結束に関する話である。例えば、ビリーホリデイの有名な曲「奇妙な果実」と言う歌がある。 Southern trees bear strange fruit (南部の木になる奇妙な果実)  Blood on the leaves and blood at the root (葉には血、根には血)  Black bodies swinging in the southern breeze (黒い体を揺らす南部の風)  Strange fruit hanging from the poplar trees. (ポプラの木にぶらさがる奇妙な果実)  Pastoral scene of the gallant south (素敵な南部の田園風景)  The bulging eyes and the

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クローデ・フランクのレッスン

年末年始にNYに帰ってきた際にも見て頂いたのだが、今回もクローデ・フランク氏にレッスンをして頂く幸いに恵まれている。 クローデ・フランク氏というのは、伝説的なピアニストである。http://ml.naxos.jp/artist/81795(日本語では「クロード・フランクだった。。。でも、今までいつもクローデと書いてきたので、このまま一貫して続けます。スペルはClaude Frank)。 兎に角、クローデ史はもう86歳と言うかなりのご高齢で、特に愛妻のリリアンを亡くされてから、少しずつ記憶に障害が見られるようになってしまった。私は始めてレッスンを受けさせて頂いてからもう4年くらいになるが、それでもお会いするたびに私のことを本当に覚えていらっしゃるのかおぼつかない。ところが凄いのが、彼は事実や出来事に対する記憶が曖昧でも、音楽に対する記憶はとてもしっかりしているのである。例えばおととしの夏お会いした時、彼は私の顔をまじまじと見て、こう言った。「私は、君を知っているね。確か君の演奏を聞いたことがあると思う」。私はとても嬉しくて、喜び勇んで言った。「はい!去年の夏に、ベートーヴェンのバガテル、作品127をお聴き頂きました」。ところが彼は不満げなのだ。「いや、バガテルではなかったはずだ。。。」。この年、私はドイツ作曲家の晩年の作品を集めて弾いていた。バガテルはベートーヴェンのピアノ作品の最後だ。でも、私の記憶違いだったか?もしかしたら聞いて頂いたのはブラームスの最後のピアノ作品、作品番号119だったかも。。。「もしかしたら、ブラームスの119をお聴き頂きましたっけ?」その途端、彼の顔がパッと晴れた!「そうだ!そうだよ。君のブラームスの119を聴いたんだった」。。。すごくないですか? クローデ史はとても明るい。音楽が好きで、好きで、たまらない!と言う感じである。私がゴールドベルグを持っていくと、まずリピート付きで全部聴かれて(1時間10分)、それからアリアからそれぞれの変奏曲全てを一つ一つレッスンつけて下さったりする。有に3時間かかる。こちらはくたくたである。それなのに、それが終わってから「それで?今日は他に何の曲を持ってきたの?」と言う。「申し訳ありませんが、もう疲れてしまって弾けません!」とは言わないが、丁寧にお礼を言って、お暇して、その後こちらはバタンキューである。 昨日のレッスンでは、ゴールドベルグは「言うこと無し!」と褒めて頂いたので、まだ暗譜のおぼつかない、モーツァルトの協奏曲KV488をお聴きいただいた。そしたら、とても細かい、とても素晴らしいレッスンをつけて下さったのである。「4小節、一フレーズを一息に、一つの流れで!」「連続16分音符のパッセージ、音の粒をそろえて良しとしないで、それぞれの音に意味を持たせて、ちゃんとフレーズに形をつけて!」オケパートを、「歌う」と言うより音程無しでしゃべる様にリズムと息で、伴奏つけてくれ、時々音楽が前倒しになりがちな私の音楽をしゃんと姿勢を立て直させてくれる。2楽章を弾き終えたら「Beautiful! Beautiful! Don’t expect it to always go that well – that was special! (美しい!すばらしい!いつもこんなに上手く行くと期待しちゃあ、ダメだよ。今のは本当に特別だったんだから)」と手を打たんばかりに手放しに喜んで褒めてくれる。一緒に歌って下さったからあんなに綺麗に弾けたんですけど。。。でも、本当に素敵な瞬間でした。 クローデ史は本当に音楽の天使のような人です。私もああいう人になれたら、と思います。

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素晴らしい、対照的な夜景

昨日と今日で、とても対照的な、でも両方とも印象的に素晴らしい夜景を体験した。 昨日の夜はマンハッタンで、高層マンションから見下ろす夜景、 高校時代から大変お世話になっている先輩の新居から見た夜景だ。 私は家族が日本に帰ってしまった16歳以降、留学生としてNYに来ていた日本人の先輩たちに本当に可愛がってもらった。手作りの日本食をご馳走して頂いたり、おみそで色々な会合に参加させて頂いたり、つたない愚痴を延々と聞いて頂いたり。その時からずっとお世話になっている先輩の一人が、ご結婚なさって赤ちゃんも生まれて、最近引っ越したハドソン川沿いのマンションにお招き下さった。そこでまぶしいくらいの夜景を見下ろしながら、昔話を思いっきりして、大笑いして再開を喜び合った。ハドソン川ににじむ夜景が本当に綺麗だった。 今日の夜景は、家族が帰ってから身を寄せたホームステイ先、私のアメリカの実家で見た夜景だ。そこの居間の大きな窓から見る裏庭は、かなり広い。その裏庭には信じられない数の蛍が光っては消え、光っては消えして、飛び交って、光の模様を描き出している。あまりの蛍の多さにびっくりしてしばらく見とれていたらば、そこに静に美しい鹿が登場し、ゆっくりと裏庭を横切っていったのだ。まだ真っ暗になる前、自然の色が段々モノクロになっていく時間だった。夢のような光景だった。 幸せを感じてしまう。

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ピアノフェストでの一日

私は朝方人間…のはずだった。 でも、ピアノフェストに来てからは、朝いくらでも眠れてしまう。 相部屋のオルガ(ベルルース出身、私と同じくイーストマン音楽院で博士課程一年目を終了したところ)の目覚ましが7時45分になってから、彼女がシャワーを浴び終えて私の順番になるまでしっかり2度寝をしてしまう。 私がシャワーを浴びている間しっかり30分、オルガは髪を整え、お化粧をする。 私はシャワーを浴び終えたら、服をパッパ、と着て、目をサッサ、と書いて、準備終了である。 ピアノフェストの参加者の一人は朝の化粧のためにルームメートよりも2時間早起きをするそうである。 人生優先順位の違いである。 そのことについてたまに考えるが、私はやはり朝ゆっくり眠れる方が、 眠くない時は、練習する方が良い。 準備完了の段階で同じ家に同じく下宿している中国人の男性ピアニスト二人と、計4人で便乗して オルガの車でピアノフェストの本部へとドライブする。 運転行程15分、歩いて1時間15分。 私は歩くのが好きなので、一人の時間が欲しいときや、天気が特別気持ちいいとき、運動したい時は、 この行程を歩く。 ピアノフェストについたら台所に直行。 たいてい前夜の飲み会の残骸で、台所は悲惨な状況である。 その中から清潔そうな調理器具や食器を掘り出し、 台所に山とある食材からそれぞれ思い思いに好きな朝食を用意する。 オムレツを作る子、パンを焼きもせずにくわえ、練習室に向かう子、コーヒーだけの子。。。 私の最近の定番はオートミールに卵をかき混ぜて作るしょうゆ味の卵粥のようなものである。 台所にもピアノがあって、そこでも誰かがいつも練習している。 人の練習を聞いているのは面白い。 色々な工夫、練習法、そして解釈がある。 台所で練習していると、色々な人が色々な時間におやつや食事や、つまみ食いに来る。 無意識のうちにいつも誰かが練習している曲を一緒にハミングする子、 「え!そこの指使い、教えて!」などと無邪気に話しかけてくる子。 無視している様に見えながら気配で明らかに聞いているのが分かる子。 まったく我関せずの子。 みんなさまざまである。 あまり練習に乗り気でない時は、台所に陣取って、 来る子とおしゃべりしながらその合間にチョコチョコ練習すると 思いがけずはかどったりする。 でも、私は「ピアノフェストは人生の休暇!」と決めているので、 朝一番で練習にがっつくことはせずに準備した朝食を持って、庭を見渡すポーチに行く。 たいていオルガと一緒に色々しゃべりながらゆっくり朝食をとった後、 その日の練習が始まる。 朝方の子や、コンクールに向けて準備中の子は、もうバリバリ練習しているが、 逆に毎晩飲み会の子はまだお見えにならない、そういう時間である。 その後はたいてい夕飯まで思い思いに練習しながら時間を過ごす。 午後はレッスンがあったり、演奏会前の通し稽古があったりする。 昼食を外で食べたり、多くの日はみんなで連れ立って砂浜に向かい、海で波遊びをしたりする。 昨日の海は荒かった。 寄せる波を足を踏ん張ってやり過ごしたと思ったら、返す波に足をすくわれ、 転がされて髪から水着の中まで砂だらけになってしまった。 水着を忘れてズボンで入水した男の子は両ポケットに信じられない量の砂が入り込み それをかきだし、かきだし、苦心していた。 寄せる波と返す波の間の一瞬の海水は信じられないほど透明である。 海底だけでなく、他の色々なものを反映してくれるような、吸い込まれる様な透明だ。 私はふと、東北でみた津波の爪あとを思い出して、非常に複雑な気分になってしまう。 のどと鼻の奥に、海水が苦い。 今日の波は大きかったが勢いが少なく、ゆったりとしていた。 浮いてやり過ごせる波ではないが、 波が来た時、下をくぐる様にもぐって進んでいけば、楽にかなり沖までいける。 足が届かないところまで、波がまだ水しぶきを上げない、うねりの状態の所まで泳ぎ出せば もう波は関係ない。

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