ピアノの道

洒脱日記144:Led ZeppelinのStairway to Heavenを弾くぞ!

『本当に聴く』ということ。会話でも音楽でも、自分の期待とか、関連している自己体験とか、どう反応するか、とかそういう『自分の事』を考えながら聴くのではなく、『本当に聴く』というのがいかに難しいことか。

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書評「心で弾くピアノ:音楽による自己発見」

セイモアバーンスタイン著 出版年:1981 出版社:音楽之友社 (私は原文を読みました) 実体験に基づく教訓をつづった回想録として書いてきていた本の枠組みをもっと直接的なハウツー本にすることに決めてから、お手本になりそうな本を読み漁っている。この本はピアノ奏法に自己考察・倫理・人生観などを投影させるという意味で、私の本の一側面と趣旨を同じくしている。色々参考になった。 著者の文章力には舌を巻く。言葉が的を得ていて無駄が無い。文章にリズムがあり、次へ次へと誘われるように読みやすい。そして本の構築が分かりやすく、理にかなっている。ハウツー本は通常、事実・情報とそれをストーリー化した例が交互にくる形で書かれる。この本はどちらかと言うとストーリーに重点が来ていたが、情報・事実と例との移行がさりげなく、バランスが良い印象を与えた。(実際には、私に言わせると情報がもっとあった方が良かった。) この本で、美しい文章に懐疑的になっている自分を発見した。例えば自分と生徒と関係の発展性について書くとき、美しい文章作成を優先するあまり、事実や信念が脚色されていることは無いか、と思ってしまうのだ。ハウツー本の落とし穴発見!気を付けようと思った。 そう思ってしまったのには他にも理由がある。この本の主張は主に著者の信念・過去の恩師や同業者へのインタビューや会話、そして生徒とのやり取りなどに基づいていて、科学的や史実的な検証は少ない。心理学については少し触れられている(が、ユングの集団心理学など。)し、歴史についても全く言及しないわけではない(古代ギリシャが出てくるが、音楽史はほとんど出てこない)。そして脳に関する言及が2か所ある。が、簡単にグーグル検索したところ、どうやら脳の右左を間違えているようなのだ。更に、著者の主張の裏付けと言う意味でも、読者のためにも、脳の部位の名称や右左は、全く不必要だったのだ。よく考えると、ここで脳の部位の名称が出てきたのは要するに、著者が自分の権威を設立するためだけだったのだ。これはハウツー本の落とし穴その②!! 気を付けよう! 不必要に批判的にこの本を読んでいるのは、私がこの本を書き方教室と捉えているからだ。この本はとても良く書かれていると思うし、著者はこの本を善意を持って書いていると思う。大体ピアノ演奏を啓蒙への道として捉えた本が1980年代に注目を浴びた事実には勇気づけられる。さらに、この著者に関するドキュメンタリーが2015年に注目されている。「シーモアさんと大人のための人生入門」 私もこの本から実際役立つ情報もいくつかゲットした。例えば腕の重みを上手く奏法に取り入れるために、手首の周りに重りをつけて練習するというアイディア。やってみて開眼(7章目)。それから一つの関節(例えば手首)を自由に楽に使うためには他の関節(例えば肘、肩)が固定されていないといけない、と言う事実は言われてみて初めて納得した(5章目)。それから息を意識的に使って感情や感性を高める(4章目)-これは心身心理療法と言う私が初めて知った心理療法から来ていて、やってみて非常に感じ入った。 この本は一日で読み切る必要があり、斜め読みした部分も多いが、翌朝の練習は非常に充実した、発見の多い物だった。こういう本を10代で読めていたら非常に救われたのでは、と思う一方、10代の時には絶対読まなかった類の本だ、とも思う。じゃあ、私のハウツー本を10代に読みたいと思わせるためにはどうすれば良いのか?イメージ戦略?SNSマーケティング? 取り合えずダイエット中。3キロやせた。体脂肪は現在19.5%~20%。やはり痩せるとすっきりする・目が大きくなる。

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2週間のヨーロッパ旅行を振り返って。

4年ぶりにヨーロッパに行ってきました!日程はこんな感じ。 6月14日      アテネ入り6月15日~21日   ギリシャのスペツェス島で機械学習の学会        20日:学会主催「ピアノで聴く水」リサイタル6月21日~25日   ジュネーブ観光6月25日~27日   アテネ観光 刺激・出会い・美食・驚き・発見・再会・探検…余りに盛沢山で、どこから書き始めて良いか分からないくらいです。思い出に浸りながら書き始めに悩んでいると(う~ん、毎日日記をつけるべきであった…)とも思います。が、実は今回の旅行に於ける最大の発見の一つは余白の大切さ。私のアメリカの携帯は旅行中はWifiが在る所のみネットアクセス可能。電話としては全く機能しませんでした。特にスペツェス島ではWifiは場所が特定され、しかも遅かった。...でも、これが良かったのです。我を忘れて読書に没頭したのも、新聞紙の畳み方に格闘しながら隅から隅まで読んだのも、水の音に聞き入ったのも、そして電話に気を取られること無く色々想ったのも久しぶりだった。お蔭で私の覚醒や感受性の度合いが旅行中にアップしました。生き返ったような実感を持って旅を楽しめた。現代社会に於ける「不便」の贅沢。リミテーションが在って初めて可能になる事が在ると言う事実。何にせよ、インターネット恐るべし。これからは携帯・パソコンの使用時間の上限を毎日守ろう。固く決心して帰国して来ました。次の再発見は歩き回る事の楽しさ。学会終了後は毎日10キロ以上歩いていました。歩いて初めて気が付くことに沢山愛おしさを感じました。すれ違う人の人種・服装・表情が微妙に変わっていく様。投げかける挨拶が、帰って来るときの喜びと発見。街のディテールに対する自然の壮大さ。アメリカ、特に西海岸の車社会で歩くことの喜びを忘れていたな~、と痛感しました。 旅のハイライトを場所ごとにまとめます。 アテネ: 結果的にアテネでは3泊。しかも全て同じ区域で(Evangalismoと言うメトロの駅付近)、違う宿に泊まる事になりました。このそれぞれの宿の違いが面白かった。 宿その①:アメリカから飛んで最初の宿はAirbnbでアパートの貸し切り。最初の晩でちょっと奮発して一泊約60ドル。広々として、窓からウ~ン!と上体を乗り出すとアクロポリスが遠くに望め、天上が高く、(え、これが60ドル!?)と言うお得感満点のきれいな高級アパート。騒音レヴェルが割に高いアテネでも防音完璧。ベッドルーム、居間、広いキッチン、そしてバス・トイレ。寝具も気持ちよく、快眠。 宿その②:ジュネーブから帰ってきての一泊は1/3の値段相応。借りたベッドルームはソファとベッドが片面づつ接触している狭さ。ベッドは傾いていて、洗面所は顔を洗おうとすると目前の鏡に頭がごっちんこする至近距離。熱いアテネの夏でもクーラー無し。申し訳にある扇風機は動いたり動かなかったり。そして動いている時は「ガーガー、カタカタカタカタ」と常に自己主張。半分地下の部屋で、ベッド横の窓は交通量の多い道に隣接。バイクや車が通る度に突っ込んでこられるような臨場感。同じアパートにもう二つあるベッドルームはそれぞれ貸し出されていて満室。そして洗面所にも寝室にも台所にも、色々な用具が雑多に(これ以上在り得ない)と言うくらい山盛りに積まれています。今までの宿泊客が残していった全てを捨てずに積んだ?と言う感じ。一応掃除はしてあるけれど、とても歴史が在る感じの建物で、しみ・黒ずみはもうどう掃除しても清潔感は醸し出せない。 宿その③:最後の宿は離陸時の事故に飛行不可になった飛行機会社が250人+の乗客全員のための宿を取った4.5星のホテル。二つ目の宿から徒歩3分の距離が信じられない別世界。ロビーにはシャンデリア。屋上にはアクロポリスが臨めるプール。サウナもジムも、夕食と朝食のビュッフェも、すべて込み。個室のシャワーは超広く、寝室は完全防音。全てが完璧。これ以上ないくらいの快眠。 この宿の質の違いはアテネの貧富の差・観光地としての建前と現実のギャップを垣間見せてくれたような気もします。兵役を終えたばかりの20代の男性と話す機会が在ったのですが、彼によると現在のギリシャの失業率は29パーセント。数年前にニュースになった経済破綻から回復しているとは言い難い状況です。でも、観光が一大産業のこの国では、そういう事実は前出しにしたくない。 アテネでのハイライトは二つ。一つ目は最初の晩に食べた日本食屋の「Gaku」。Syntagmaと言う地区にあるお洒落なレストランは実は私の旧友のお店。学部時代の先輩、バッハに思い入れる凄腕ギター奏者、「ごー君」と言う呼び名で親しまれていた長野剛さんとは実に20年ぶりの再会でした。全てアテネの魚尾市場で調達された新鮮なお魚をふんだんにあしらった冷やし中華風ラーメンも、お任せでごー君自ら握って下さったお寿司も、デザートの抹茶入りクレムブリュレも最高!舌鼓を打ちながら、お互いの音楽への熱い思いやこれからの希望や野心について語り合い、素晴らしく盛り上がった一晩でした。 もう一つ美味しかったのは、魚市場で頂いた焼き魚と焼きタコ。ギリシャでは七輪を使って海鮮を焼き、レモン汁をたっぷりかけて頂く、日本人には超嬉しい食習慣が!この日頂いたシーバスはあまりのおいしさに、周りの目をはばからず目玉から骨までしゃぶってしまう美味しさ!お昼時を過ぎた空席が目立つ飾らない店内で提供されていた、演歌や盆踊りと聞き間違うライブ音楽も、素晴らしい香辛料でした。 スペツェス島: スペツェス島でのハイライトは学会で出会った科学者たちの素晴らしい研究(特に国際貿易関係を物理の原理で解析するEconophysics(経済物理)の家富洋先生や、X線を使って中世以前の古文書を読み解いたり石に埋まった化石を研究するUwe Bergmannなど。)そして「科学者」に対する私の偏見を覆す、彼らの多趣味で社交的で陽気さ。さらに社会意識の高さ。そんな彼らと交わした科学に於ける女性進出問題や、音楽・政治・経済・人生観・歴史などに関する意見交換。そして渾身込めて演奏した「ピアノに聴く水」が、一曲毎に全員満面の笑顔と、惜しみない拍手のクレッシェンドで迎えられた時の喜び。CDが売り切れてしまいました。 スペツェス島は村上春樹が「遠い太鼓」と言うヨーロッパ滞在記に「ノルウェイの森」を執筆中に滞在した場所の一つとしてかなりのページ数を費やしている小さな島です。アテネからフェリーで2時間半ほどで、学会があったのは海岸沿いにある元寄宿学校。私は学会の研究発表を聴講したり、演奏会に向けて少し練習したり、島の海岸沿いを歩いてみたり、海水浴をしたりして、ゆったりした時間を過ごしました。シンポジウム主催者の企画は驚くほど文化的要素が多く、ソクラテスが最後に死刑判決を受ける裁判の再現劇を見たり、ギリシャのライブバンドで皆で手をつないで踊ったりもしました。寄宿舎では、毎食必ずグリークサラダ。これが美味しい!そして、スピナッチパイ、ムサカ、海鮮たっぷりのリゾット・パイエア風煮込みなど、伝統的なギリシャ料理もこの寄宿舎のカフェテリアで満喫することが出来ました。 ジュネーブ: ジュネーブは国連やWHO(世界保健機関)など国際政府機関が多く、日米リーダーシッププログラム関連の友達がいたこともあって、今回学会の後に寄る事に決めました。アテネからの飛行機が遅れたのにも関わらず、CDC(Center for Disease Control:アメリカ疾病管理予防機関)でHIVと結核撲滅の活動をするジュネーブに出張中の友達が待っていてくれました。翌朝アメリカに戻る彼女と少しでも多く時間を過ごしたくて、荷物を宿に預けて早々に彼女と2時間程ジュネーブ湖の周りを散歩しながら色々語り合いました。麻薬中毒者たちが注射針を共有してしまうことでHIVの感染が広まる。それを防ぐために、古い注射針を無条件で新しい針に変えてあげる施設を設立する。アフリカの奥地で性教育を施す。水商売の人たちに性病に関するワークショップを開く。そういう活動をずっとキャリアにしている彼女は、でも信じられないほど朗らかで、無邪気で、かわいらしくて、天使のような人です。彼女の博愛主義には本当に触発され、自分ももっともっとやりたい!と思います。 翌日はフランクフルトからジュネーブまで6時間車を転がして会いに来てくれた私の20年来の友達夫婦と、CERN(欧州原子核研究機構)に見学に行きました。「科学を通じた国際協力で世界平和を!」と第二次世界大戦直後に立ち上げられたCERNの背景。原子の研究の副産物としてCERNから出てきたものの中にはWorld Wide Web,そしてタッチスクリーンなど、現代の私たちの生活に密接しているものも。そして勿論ノーベル賞受賞のその壮大なビジョンとミクロの研究にも感銘を受けましたが、PRにどれだけ力を入れているかと言うことにすごく感心しました。半端でない。研究者たち自らが毎日ツアーを行う(ただし選抜。私たちはラッキーでしたが、応募は手間がかかるしややこしい)。展示場ではライトショーや3D 映画や、言語や質問が選べるインターアクティブなディスプレーなど、ディズニーランド顔負けの最新テクノロジーが駆使された楽しく、かつ情報満載の内容。ジュネーブに行く機会があったら是非行ってみてください。(ただし音楽は良くなかった。シンセサイザーの音楽は適当な繰り返しが多く、耳に付き、確かに近代的な雰囲気は醸し出しているけれど、私に言わせると展示になんの価値も不随しなかった。) そしてCERNの後は、ジュネーブの街を挙げての音楽祭!運命としか言いようのない幸運でたまたま我々のジュネーブ滞在の週末がこの音楽祭にぶつかったんです。色々な教会や広場や公園で、オーケストラから合唱団から室内楽やエレキ・ギターなど、色々なジャンルの音楽を楽しみながら散策。ジュネーブに住んで9年になる私の友達がびっくりするほど、教会では立ち見が出る鈴なりの観客。公園も押すな押すなの混雑で、ジュネーブの人たちが夏の週末の音楽祭を楽しんでいました。 翌日は、そのジュネーブ在住の友達が案内してくれて、フランスへの国境を越え、中世の街並みがそっくりそのまま残るYvoireへ。夢を見ているような素敵な別世界でした。ゆっくりと街を歩き、レマン湖を望む景色良いレストランで素敵な海鮮ランチを頂きながら友人とゆっくりと、これまでの人生で得た教訓や、それをこれからのライフウォークにどう活かして行けるのか、など大学生の様に語り合う時間が持てました。お互い丁度人生の折り返しにあって、これからできること・したいことを考えている時なのかもしれません。こういう話し合いが本当に大切に思えます。出張の合間をぬって贅沢な時間を作ってくれたWEF(世界経済フォーラム)で大活躍中の友人に感謝です。 夕方は10キロ近く歩いてローヌ川とアルブ川の合流点を見に行きました。青く澄んだローヌ川の水と、白く濁ったアルブ川の水が渦を巻いて混じり合うさまは結構迫力があり、多いに満足しました。その後ジュネーブ湖沿いの出店で食べたチキンサンドと、ソーセージとラクレットも美味しかった。 ジュネーブ最終日も盛沢山!まず現地の友達が勧めてくれたフォーシーズンズホテルのホットチョコを飲みに行きました。抹茶のお濃い茶の様な濃厚さ…と言ったらちょっと大げさかもしれませんが、これはすごい!ゆっくり味わっていると、お腹いっぱいになります。 ジュネーブの旧市街のウォーキングツアー。ジュネーブの起源と歴史、そして現在が良く分かります。それから国連のツアー。国連のキャンパスは広大で、その歴史も沢山ある国連の機関も、ツアーのお陰で色々垣間見れて良かったのですが、一番すごかったはツアーの後。もともと国連職員のために企画されていた「極貧シミュレーション」と言うプログラム。参加人数が足りなくて、急遽一般ツアー参加者にお呼びがかかったのです。たまたま時間に余裕があったので何のプログラムかも良く分からず参加を決めたのですが、これが強烈だった。Crossroads Foundationと言うNPOがやっていて、国連の役人や安倍総理の奥様も参加されたことがある、10年来のプログラムだそうです。 極貧状態にある人々(一日に稼ぐお金が220円以下)が世界に11億人います。その人たちの生活を一時間半体験してみましょう、と言うものです。参加者はまず班に分けられます。それぞれの班はシミュレーション中の「家族」です。私たちがお金を稼ぐ手段は一つ:お店で客が買った品物を入れる紙袋を作る事です。糊は小麦粉を溶いた水。紙は新聞紙です。家族で兎に角できるだけ早く紙袋をできるだけ沢山作成し、店に売りに行き、そのお金で家賃と食費を賄わなくてはいけません。でもお店は気まぐれで、紙袋を買ってくれないときもあるし、条件を付けてくるときもあります(マッサージ、ハグ、お世辞、など)。家主は容赦なく家賃を引き上げ、払えないと持ち物を取り上げたり、交換条件を出して来たりします。NPOやNGOが救助品や教育プログラム(起業や健康法など)や子供の養育補助を持ち出して来たりしますが、彼らが持ちかけてくる救済の内容に耳を傾けている時間や余裕がありません。そして時々無慈悲に係の人が「あなたは病気になりました。これから5分働けません」「あなたは交通事故にあいました。2分お休み」と告げに来て、家族がどんどん働けなくなります。悪条件の中、紙袋を作ろうを一生懸命やりますが、家主は怒鳴り散らすし、係の人が洗面器や太鼓をどんどんと叩いて「急げ、急げ、間に合わないぞ~」「次の家賃が払えなかったらホームレスだぞ!」「早く、早く!」とプレッシャーとストレスをかけてきます。でも糊は水っぽくて新聞紙がすぐ破れ、粗悪品は全部店先で破られてしまいます。これをただ一時間延々と続けるのです。 始めはゲーム感覚の負けず嫌いで、闘争心丸出しで紙袋作成にかかった私ですが、この一時間半を経て、糊でべとべとになった手と、破られた新聞紙が散乱する部屋を出てから一週間経った今でも、強烈にこの時の印象が体感として残っています。そして実際に紙袋を作りながらなんとか生き残ろうとして一生を終える人たちがこの世の中に多く存在している、と言うことが実感として感じられるのです。 この思いがけず強烈な国連訪問を終えてすぐあと、今度は日米リーダーシッププログラム繋がりのWHO(世界保健機構)とOHCHR(国連高等人権弁務官事務所)で働く二人のエネルギッシュな女性たちと大量のフォンデュを頂きながら科学・性差別問題・人権問題などについて多いに熱く何時間も語り合いました。気が付いたら日がとっぷり暮れていました。ジュネーブの日の入りは9:30だと言うのに、帰宅時は真っ暗。時間をすっかり忘れる熱い時間でした。 人生観が変わったような、思い出に残る、刺激の多い旅行になりました。

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