今日は、久し振りに一日中練習をした。
朝ごはんを食べてから夕飯まで、息抜き以外はぶっ通しで練習したのだ。
贅沢な気分だった。
タングルウッドで演奏予定の曲を一通り見た後に、自分のソロの曲も久しぶりに触った。
ここに来てから、「聴く」と言うことの深さを教わっているなあ、と思う。
メンデルスゾーンのトリオのコーチングから始まって、
私には未開の域だった声楽家たちとの、ここに来てから毎日の様にある共演、
そして毎晩聴く、素晴らしいアーティストによるコンサートに行くことで、
今まで自分がいかに聞けていなかったか、と言うことを思い知らされる。
ちょっと聞いて「次はこう来るだろう」と勝手に予測をつけて、
実際の音を聴いていない、と言うことが私にはよくある。
他の人の演奏はもちろん、共演者の演奏、そして自分自身の練習・演奏する音、
さらにはこれは会話にも当てはまることだと思う。
ちゃんと、聴こう。
一瞬、一瞬、空気の振動が私の鼓膜に伝わって、自分の脳に「音」として認識される
奇跡のプロセスをしっかり受け止めて音楽を創ろう。
昨晩に続き、今日もJordi Savall率いる、Le Concert des Nationsによる演奏会があった。
今日のプログラムは、シェークスピアの台本に出てくる「音楽」のキュー用に作曲された曲たち。
映画「アマデウス」で、サリエリを演じてアキャデミー・アワードを受賞した、
Murray Abrhamが曲の間にシェークスピアの「真夏の夜の夢」、「マクベス」などから朗読した。
趣向は面白かったが、音楽も演奏も私は昨日の方が好きだった。
音楽会で、朗読や、ダンスや、映像などを取り上げると、
どうしても音楽の効果が色あせてしまう様の気がする。
特に今日の場合、シェークスピアの時代のイギリスの作曲家、と言うことで
Robert Johnson, Matthew Locke, そしてHenry Purcellの曲が並べられたのだが、
もともと音楽の国としてはどうしてもドイツ、フランスと、イタリアに
遅れてしまうイギリスというお国柄のせいか、
それとも昨日の演奏会があまりに凄過ぎて、期待しすぎたのか、
私には全部似て聞こえてしまった。
と言うことで、後半は舞台の後ろの席で、指揮をしているSavallをまっ正面に見る席に座った。
ここだと音響は良くないが、いろいろな古楽器がすぐそこに見えるし、
Savallの指揮も、演奏家たちの表情も、コミュニケーションも良く見える。
視点が変わると、また色々な発見があって面白かった。
Savallは、笑顔がとても優しいし、実に頻繁に微笑む(演奏中も)。
それから、打楽器奏者のタンバリンのテクニックがすごくてびっくりした。
ハープシコード奏者は、弦楽器がとても体を入れ込んで演奏するのに比べて、
タイプライターでタイプをしているように演奏していた。
後ろから見ていたら弾いてるか、休んでるか、分からないくらい。
そういう役割の楽器なのかも。