• 毎日、ぎっしり充実しています。 やる事が沢山在りすぎて、ちょっと寝不足なので、今日は手短に、でもここ数日(どうしても書き留めとかなくちゃ)と思った事を書きます。それは、Phyllis Curtainと言う今年92歳のアメリカの伝説的ソプラノで、タングルウッドで教えている人が言った事です。"You don’t have to build a house everyday (毎日自分の住処を新しく作る必要は無い)”。どう言う意味かと言うと、演奏している時、練習している時、どうしても基本的な事から不安になりがちですが、ここまで来た道のり、積み重ねてきた訓練、そして自分の勘(才能)を信じて、気を楽にし、その自信の上に演奏を載せなさい、と言う意味です。 明日もぎっしり充実!

  • タングルウッドの研修生の大半が宿泊している寮の窓に鳩が巣を作り、卵をずっと温めていました。 タングルウッドの初日から、暑い日も雨の日も毎日です。 その雛が孵り、タングルウッドの皆がなごんでいます。 丁度窓の外に巣が在って、ガラス越しにのぞくと鳩が警戒して身体をそらすで可哀そうなのですが、 余りにも可愛いので、通りすがりに皆で必ず見てしまいます。 面白いのは、卵を温めている段階では鳩は警戒のそぶりも見せなかったのですが、 ヒナが孵ってからはそうやって身体を固くしてそらすのです。 ヒナは孵ってもしばらくは母鳥の身体の下に居るようで、今日で三日目です。 都会ばかりに住んできた私はこう言う田舎の自然に包まれるのは新鮮で、驚きが多いです。 田舎も、都会に負けないくらい音が在る事に気が付きました。 カエルの鳴き声、鳥の鳴き声、水の音、木の葉が風に揺れる音。。。 演奏会を会場のすぐ外の芝生で聴く時は (タングルウッドなどの音楽祭では会場の壁を開け放って人々が芝生でピクニックやごろ寝をしたりしながら 演奏会を楽しめる、と言うのが夏の風物詩です。) 突然、鳥が音楽に合わせるように鳴き始めたりして、芝生の人々の間からくすくす笑いが起こります。 昨日は、練習室に向かう途中、2匹つながっているセミの死体を見つけました。 どうしてつながって死んでいるのかとても不思議でした。

  • 今夜はTMCO (Tanglewood Music Center Orchestra) の演奏会でリヒャルト・ストラウスの組曲「町人貴族」のピアノ・パートを弾きました。「町人貴族(Le Bourgeois Gentilhomme)」はフランスのモリエア戯曲を元になった曲です。イメージがはっきりしているので、そう言う意味で面白いし、音楽としても美しかったり可笑しかったり、表情豊かな組曲です。でも、難しい。ストラウスの音詩(詩的テーマを表現しようとする管弦楽曲)は多くがオケのオーディションに出てくる様な、超絶技巧が問われるものが多いです。でもこれには但し書きが付いていて、ストラウスは当時のオケには演奏不可能な難度のパッセージをわざと書いて、それを弾こうとしてもがく、その音が欲しかった、と言う説も在ります。この説を唱える人によると、オケの演奏技術のレヴェルが上がって、皆が楽譜通りにそろって弾くようになった時、ストラウスは怒った、とか何とか。 でも、私たちは皆負けず嫌いだし、一途だから楽譜に忠実に弾こうと頑張ります。ピアノ・パートもかなり、かなり難しかったし、ほとんど弾きっぱなしで、コンチェルトの様なソロも在り、結構目立つパートでした。コンサート・マスターや主席ヴィオラ、主席チェロ、そして木管・金管もかなり難度の高いコンチェルトの様なソロが多く、皆このコンサートは武者震いして臨んだのですが、この演奏の注目点のもう一つは指揮者でした。タングルウッドの指揮の研修生と来ているロシア人の子なのですが、何と17歳!タングルウッドの指揮はかつてレナード・バーンスタインが教えて、小澤征爾も研修生だった事が在る、非常に権威あるものです。そこに17歳の子が来る(ギリギリ「高校以上」と言う年齢制限をクリア)と言うのから前代未聞です。この子がかなり変わった子で、やたらと人の神経を逆なでするような言動を繰り返し、本人は全く気付いていないのですが、ちょっと研修生の中では鼻つまみ者なのです。しかし若干17歳にしてすでに5つのオペラの指揮までした事が在る、異常な天才児。そしてリハーサルも、さすがに上手に進めていました。ところが本番、皆の不安が的中してしまいました。本番の興奮と緊張から、普段より30%位速いテンポで始めてしまったのです。普通のテンポでも超難しいのに、そうやって走られると。。。もう皆目の色を変えて必死で弾きました。曲が進むにつれて段々落ち着いてきて、無事終了しましたし、聴衆は拍手喝さいで喜んでくれましたから、「終わりよければすべてよし」ですけど。私も皆に褒めてもらえて嬉しかったし。 今日の演奏会は今年の指揮の研修生3人が一曲ずつ担当した演奏会で、後半のこのストラウスの他に日本人の原田慶太楼君がシューベルトの交響曲5番を実に丁寧に重厚に美しく振ってくれた他、私が今度行くライス・ユニヴァーシティーでメインの指揮者のアシスタントをしている、クリスティー君がバッハの「音楽の捧げもの」をウェーバーンがオケ用に編曲した奇抜な曲を振ってくれました。 実に面白い、思い出に残る演奏会でした。

  • 今日はセイジ・オザワ・ホールにてレイナルド・ハンの歌曲の演奏で、今年度最初のタングルウッド演奏を無事終了しました。フランス歌曲をまとめたリサイタルで、ハンの他にフォーレ、デュパークなどがプログラムに組まれていました。私の今日の相棒のテナーはまだ若い23歳で、真剣に詩や音楽に取り組むあまり、リハーサルが解釈の話し合いでえんえんと続いてしまうような人でしたが、そのお陰もあってか、今日の演奏は本当にうまく行ったと思います。色々な人に褒めてもらいました。 その後、ボストン交響楽団で全ベートーヴェンのプログラムを聞きました。スティーブン王序曲作品117、ピアノ協奏曲の3番(Gerhard Oppitz 独奏)、そして交響曲5番「運命」。指揮はスペインのブルゴスです。昨晩のマーラーの交響曲2番「復活」(マイケル・ティルソン・トーマス指揮)に続き、2番目のボストン交響楽団は指揮者が違うと同じオケでここまで違うか、と言うくらいでした。ブルゴスは縦振りが多く、音やフレーズを伸ばす動き、と言うのを余りしません。でも全体的なイメージは独創的なものが多く、例えば交響曲5番は楽章間、時間をほとんど取らずにほとんどぶっ続けで演奏して、それが結構面白かった。でも、細かい所で何となくきっちりしない感が残ります。昨晩のマーラーは大きな構想、そして細かい詰めまで全て素晴らしかったと思う。 そしてその後皆で演奏会の感想などを話しあいながら飲み会をしました。廊下で「今日、とても良かったよ、おめでとう」と、通りすがりのチェリストに声をかけられましたが、一瞬自分の演奏会が今日だった事をすっかり忘れて(なんのこっちゃ)と思ってしまいました。何だか今日の夕方6時の演奏会の事が随分昔の事詩思えます。 明日も忙しいです。

  • タングルウッドの歌のプログラムはとても充実していて、世界的な歌手が沢山教えたり、演奏したりしに来てくれます。ステファニー・ブライス(Stephanie Blyth)は世界的なオペラ歌手、そしてドーン・アップシャ―(Dawn Upshaw)は現代曲など幅広いレパートリーをこなすで有名な歌手です。この二人の言った事で忘れたくない事を書きとめておこうと思いました。 昨日の公開レッスンでステファニー・ブライスはかなり厳しかった。 一人とてもひょうきんなソプラノが居ます。いつも場を湧かせてくれる、とても面白い子で、ちょっと太めだけどお茶目なキャラです。歌もとても上手で、それに演技力も抜群で、自分で可愛い振り付けをしてそれを演じきるので、見ていても面白い。ところが、ステファニー・ブライスは「自分の解釈の意図がはっきりしているのは素晴らしいけれど、心から歌えていない。表面的な演技に逃げるのは辞めなさい。見え透いたブリっこはすぐにばれますよ。」と、その子が泣くんじゃないか、と心配するほどしつこく何度も「自然に、誠実に、正直に」と、やらせ直させました。キャラクターを演じて、「泣いてください」「笑って下さい」とシグナルをはっきり出すと、聴衆としてはどう解釈したらいいのか、どう反応したら良いのか考えずに済むから、ある意味楽です。でもそれでは心に残る演技は出来ないんだ、と言う事をステファニー・ブライスは言いたかったんだと思います。安易なキャラを演じる事で逃げるな。その子はちょっと太っているから、多分ひょうきんになる事で、自分の容姿から注目を反らせようと言う無意識の意図が在ったと思います。現に、まっすぐ立って歌い始めたら、やはりその子の見た目が動いている時より視覚的には目立ちました。でも同時に、その子の声は声自体がとても、とても奇麗で、その奇麗さが初めてはっきり際立って聞こえた、と言う事も在ります。難しい、そして厳しいことだなあ、と思います。  もう一つ、ドーン・アップショーがこれは一週間くらい前に言った事で忘れたくなかった事。彼女は60、70年代に青春を過ごした世代なのですが、こんな事を言っていました。「私はクラシックには随分遅く入って来ました。私が最初に触れ、感動した音楽はビートルズや、ボブ・ディランと言った、はっきりとした社会的メッセージを持って、世界を変えようと言う意図をもった歌の数々でした。そう言う歌はメッセージをより効果的に伝えるために音楽に載せてあります。そう言う歌から、音楽一般、そして最終的にクラシックにたどり着いた今でも、私は歌に対する姿勢は同じです。どんな歌でも、この歌で世界を変えたい、と思って歌います。」楽器奏者の私には考えた事もない様な、音楽に対する考え方でしたが、彼女の真摯な気持ちはよく伝わって来ました。