朝食の時、少し元気が無かった。
今度8月1日に演奏する”Traces”と言う現代曲のピアノ・ソロ。
音は全て習得したのですが、昨日現代曲専門のピアニストの先生に「信念を持って弾いていないから、訴えかけてくるものが無い。もっと感情をこめて、自分の音楽性を発揮してみろ」と凄くしごかれてしまったのです。私はこの曲の作曲家であるアウガスタ・リード・トーマスと言う女性にとても魅入られているし、彼女と一緒にこの曲を作り上げていくプロセスが楽しいので、この曲の事を気に入っているつもりでしたが、やはり私の現代曲一般への猜疑的な態度がにじみ出てしまうのかなあ、と少ししょげていました。だって物凄い速い楽章をダーーーーッと弾いた後で、最後の和音を「最低15秒か、それ以上響かせる」とか指示が在ったりするのです。一生懸命頭の中で「1、2、3、4。。。」とそれまでの速いパッセージのせいで息を切らせながら、数えてはいるのですが、でも本当に音楽的必然性を感じて和音を響かせているのでは無いのが、何だか見え見えらしい。
その話しを朝食の時に皆に披露したら、皆凄く親身になって一緒に考えてくれました。「音を邪念を払って集中して聞いていたら、15秒なんてあっと言う間だよ」、とか「自分の呼吸を整えて瞑想し、次の楽章へ頭を切り替える凄く良い時間じゃない」とか、「必然性と言うのは、自分の中で作って行くものだ。もっと弾き込んで、身体にこの15秒をインプットしてみたら良いよ」とか。皆に一緒に考えてもらったのが凄く嬉しくて、今朝の練習はとても張り切った、集中した練習になりました。
そして午後、Lucy Sheltonと言う、私の凄く尊敬する現代曲専門のソプラノ歌手に頼み込んでこの曲のレッスンをしてもらいました。この人はショーンベルグの「月夜のピエロ」を歌う代表的な歌手です。どんな複雑な現代曲を歌わせても本当にドラマチックに、訴えかけてくるのです。でもやはり歌手だから、私は現代曲に対する心構えとか、そういう一般論的な質問をするつもりでレッスンをお願いしました。ところがさすが!「この細かく一音一音に表記されている強弱記号―右手はきちんと従っているけど、左手は全然できてないよ!」とか、「和音と和音の合間、手をじっと休めていてもタイミングは上手くつかめないよ。和音を手で鷲掴みにするつもりで、グワ、グワ、っと実際に動いて見なさい!ほら、余程自然な呼吸になって来た。」「フレーズの合間は実際に呼吸してみなさい。そうすれば身体もリラックスするし、音楽に句読点がきちんと付いて、余程分かりやすい構成になってくるよ」「こう言うダイナミックな曲は、音を一瞬きれいに無くする瞬間を入れ込んで行かないと、聴衆の耳も貴方自身の耳も音楽に付いていけなくなる。小さな休符もきちんと守って、チャンとペダルをクリアして、静寂の一瞬一瞬をきちんと作って行きなさい」
指示の一々が素晴らしく的確で、そのたびに目からうろこがボロボロボロボロ落ちて行くような感覚!!
夕飯の時に興奮して日本人のピアニストのYさんと、打楽器のT君に大声でいかにルーシー・シェルトンが素晴らしいか身振り手振りを交えて話していたらば、近くに座っていた子たちから「マキコは良いねえ、一言も分からないけれど、マキコが何だか凄く喜んでいるのが分かるから、こちらまで嬉しく成ってくるよ」と褒められてしまいました。