• 私は、どちらかと言うと一匹狼である。 小学校の卒業アルバムでは「クラスのひょうきん者」に選ばれたりしたし、時々急にハイテンションになって一人で大声で喋りまくったりするが、沢山の人が同時に会話をしている、例えばレストランのテーブルや、パーティー会場で良く、気が付くと完全に自分の頭の中に入り込んで全く別の考え事をしている自分に気が付いたりする。「会話の為の会話」と言うのは、余りしない。一人でいる時間が普通の人より多く必要としていると思うし、その時も頭の中は結構忙しく、楽しくしている。私が旅が苦にならずに、むしろ好きなのは、そう言う性格によるところも多いと思う。 そんな私でも、人生の疑問を時々分かち合いたくなって、急に非常に入り込んだ会話をしたりする。そう言う必要を感じる時、そう言う会話に応じてくれる友達に、私は実に恵まれていると思う。何週間も、何カ月も、時には何年も話しをしていなくても、訴えかければ共鳴して、一緒に考えてくれる友達。 今日は2006年、私のコルバーン一年目の時のルームメートに電話をした。将来のことの不安を、今同じような立場にあると風の便りに聞いた彼女と、分かち合いたくなったのだ。コルバーンで余り幸せで無かった彼女は近所に住んでいながら、卒業後は全く姿を消してしまった。話すのは実に1年ぶり位だ。それでもルームメート時代は実に色々な話をしたし、どうしているか、心の底から気になったのだ。「どうしているかと思って」と言ったら「今、青空市場で一杯買い物して来たところ。夕飯作るから、食べにおいで」と誘われた。尋ねて行ったらろうそくが灯して在って、前菜から飲み物まで、ゴージャスなお夕飯が用意してあった。美味しく頂きながら、一杯おしゃべりをした。 私は、幸せものだなあ、と思う。

  • 私の日本での演奏活動は2001年に始まった。 その後毎年恒例で続けてきた日本での演奏会は、今年で10年目を記念する。感慨深い。 今年のプログラムはそんな2010年を記念して、「生誕記念の作曲家たち」と言うタイトルである。 始めは1810年生まれのショパンを祝って、ショパンづくしのプログラムにしようと思っていた。 私は「君は何で音楽学者を喜ばせるような選曲ばかりするんだ!」と先生が嘆いて尋ねかけるような、奏者にも聴衆にも難しい難曲ばかりを並べて演奏して来た。ベートーヴェンの超難解ソナタ、「ハンマークラヴィア」は2008年に演奏したし、私が「秘宝」と名づける、けれども全く誰にも馴染みの無い曲を並べたプログラムや、12音階のショーンベルグやベルグとシューベルトやモーツァルトを比べた「ウィーン楽派」のプログラム、などなど。ティケットの売り上げについての心配をあえて無視して、こうして私の音楽探求心を尊重してくれた主催者の人々、そしてそういうプログラムでもいつも応援に駆け付けてくれて暖かく見守ってくれた聴衆の方々には本当に感謝が尽きない。そう言う皆に感謝の気持ちの表現のつもりで今年はショパンを一杯弾くつもりだった。 ところが、幾つかの事実に気が付いたのである。 #1この夏ははショパン・コンクールが在る。ショパンは沢山演奏されるだろうし、沢山放映されるだろう。その時期にショパンを弾くのはちょっとショパン過ぎじゃないか? #2同じ年に生まれたシューマンを弾かなければ、片手落ちではないか。 シューマンとショパンは同じ年に生まれ、どちらもその人生においても、音楽においても、絵に描いたようなロマンティストであるが、同時に正反対の要素も多い。比較検討が非常に面白い二人なのである。例えば、ショパンは祖国ポーランドの革命や、パリへの亡命、そして肺結核など若い時から色々な困難に直面しながらも、本当に幼少の時から作曲活動を生涯続けた、ほぼ独学の、生まれつきの作曲家である。一方シューマンは父親の命令で不本意ながら法律の勉強をしたり、音楽と同じくらい文学に入れ込んだり、練習しすぎて手が動かなくなり断念したけどピアニストを目指したり、結構回り道をした「努力家」の作曲家である。この二人の違いはその作風にも如実に表れている。そしてその多様性は、ロマン派の多様性をそのまま反映しているようで、それもまた面白いのである。 しかし私はそこでまた、広げたくなってしまうのである。それじゃあ、その百年前、百年後に生まれた作曲家にはどんな人が居るのか。百年後、1910年に生まれた作曲家で有名なのはアメリカ人のサミュエル・バーバーである。私は彼のピアノ協奏曲を弾いたこともあるし、余り多くは無い彼のピアノ独奏曲も遊びで弾いたり、レッスンで教えたりした、思い出深い曲が多い。1710年に生まれた作曲家にはバッハの息子の一人である、ウィルヘルム・フリードマン・バッハが居る。カール・フィリップ・エマニュエルや、ヨハン・クリスチアンなどと言う有名な息子の中では少し影に居る息子だが、しかし彼の鍵盤ソナタは時にスカルラッティを彷彿させるような鍵盤技巧を駆使したり、突然面白い転調をしてみたり、なかなか面白いのである。 と言うわけで、5月中旬に始まる私の今年の日本での演奏会での本格的練習、開始である。

  • 指揮者の仕事の大きな部分は音楽以外の所にある。主に人間関係である。聴衆とオーケストラとの関係と言うのも勿論あるし、オーケストラの奏者間、オケの事務局と奏者との関係などと言うのも指揮者にかかってきたりする。資金集めにも指揮者のパーソナリティーが大きく影響する。全ては最終的には音楽の為なのだが、中にはこういう人間関係をまとめるのが非常にうまいので、指揮自体が余り上手く無くても、音楽的に余り深く無くても、かなりのキャリアを持つ指揮者もいる。逆に、かなりの指揮者でもこう言うことが上手く無いために、くすぶる人もいる。 また指揮者は体型、容姿、と言うのも作る音そのものに影響する。理想的には、指揮者はその動きで音楽を体現して、奏者を触発する。だから必然的にいつもオケの一歩先の音楽を踊っている感じになる。オケはその指揮者を観て反応して演奏する。太った指揮者と痩せた指揮者が同じ音をオケから引き出すためには、かなり違った動きをしなければいけない。そして自分の意図、性格、音楽性とは全く関係なく、自分の体型、性別、声音、体格、~要するに、「イメージ」~で在る程度「自分の音」が決まってしまうのである。 指揮と言うのは、かなり表面的な仕事なのではないか? 私はピアニストなので、オケの中の奏者として、指揮者の合図に反応しながら演奏した経験は少ない。それでも、数少ないオケの中のピアノ・パートを演奏した経験は何回かは在る。一番最近、去年の夏のタングルウッド音楽祭でバーンスタイン作曲の「ウェスト・サイド・ストーリー組曲」のピアノ・パートを担当した。この時はリハーサル2回を指揮の研修生に従って弾き、本番前のリハーサル一回と本番は有名なアメリカ人指揮者、レナード・スラットキンの元で演奏した。この曲は小節ごとに拍が変わるセクションがあったり、リズム的にかなり入り組んでいて、割と難しい曲だし、ピアノ・パートはチェレスタと掛け持ちで、ソロも在り、かなり難しい。研修生の指揮の時は、兎に角必死に数えて、びくびくしながら弾いた。ところが、レナード・スラットキンが来たとたん、皆途端に安心して、急に自信を持ったのである。これはリハーサル中の彼の話しかけ方、話す内容、励ます口調、そして自信たっぷりの指揮具合による。この時は、彼の指揮の拍も導入の合図も余りにはっきりしているので「私が間違えたら、あなたのせい」と思いながら、楽しく演奏出来た。 ところが、上には上が居るものである。タングルウッドには現代曲専門の指揮者が居た。知る人ぞ知る、アッシュベリーと言うイギリス人の指揮者である。彼はスラットキンの様に華々しいキャリアは持っていない。容姿もパッとしないし、研修生から親しみをこめて、酔っぱらった時に彼が踊ったダンスを真似されてからかわれるような、親しみやすいけど、カリスマとは程遠い人格である。ところが彼の指揮がこの上無く明確なのだ。疑いようがない。非常い入り組んだ現代曲のパート譜の一音一音を必死で追いながら、パッと彼を一瞬見上げただけで、今何拍の小節の何拍目か一目瞭然なのである。この時は完全に「私が間違えたら、私のせい」と思った。 指揮者は自分で音を出さない。指揮者が働きかけるのは、音楽では無く、奏者である。指揮者は奏者を通じて間接的にに音楽を創る。そして、少なくとも今のティケットの売り上げが音楽の将来の明暗を決めてしまう資本主義の世の中では、指揮者のゴールは聴衆を喜ばせることである。少なくともオケのマーケット担当の人は指揮者のイメージを通じてオケを聴衆に売ろうとする。 昔の指揮者、例えばトスカニーニやカラヤン、ショルティや、ストコウスキーと言った昔の大指揮者の音楽性と言うのは今でも色々な人が色々なことを言うけれど、最近の指揮者で私の頭に最初に浮かぶのは、彼らの顔写真、あるいは指揮をするそのイメージである。少なくとも指揮者に関しては、完全にマーケットに、音楽が負けている。私はもっと昔の個性の強い指揮者の勉強をしなければ。 ちょっと支離滅裂になってしまったが、今の私の指揮の理解度とはつまりこんなものなのです。これからもっと勉強します。

  • 指揮について

    昨晩、入学試験の伴奏で超多忙だった一週間の終焉を祝って、久しぶりにLAフィルの演奏会を聴きに行った。ベルリオーズのLe Corsaire、エマニュエル・アックス独奏によるショパンのピアノ協奏曲2番、そしてショスタコーヴィッチの交響曲6番と言う演目である。アックス氏のショパンは前にも聞いたことが在り、いつも何かが今一つ足りない、と言う気持ちを払拭しきれない。余りに率直で、簡潔過ぎるのだ。この曲は私は何年にも渡って色々なツアーで何十回と演奏した曲で、だから余計批判的になると思うし、アックス氏は去年の夏タングルウッドでメンデルスゾーンのハ短調トリオをみっちりコーチングしてもらってから私は非常に尊敬している。彼のボストン交響曲とのベートーヴェンの4番も素晴らしかった。まあ、ショパンについてはそういう所である。しかし、今回の演奏会の一番の注目点は何と云ってもLionel Bringuier と言う若干23歳の指揮者だ。LAフィルの常任指揮者を今シーズンから勤めているデュダメルもまだ27歳で、その熱情的な指揮と、非常に人間的な性格で話題沸騰中だが、その彼の副指揮を務めているのが、このライオネル君だ。彼は19歳の時に指揮の登竜門的存在である、ブサンソンで優勝している。BBCや、NYフィルなど、一流のオーケストラの客演指揮もすでに勤めている、将来有望株だ。 私が特に彼の指揮が気になるのは、私自身、コルバーンを卒業後、指揮をもっと本格的に勉強するか否か、今迷っているところだからである。ライオネル君は、若いから当たり前だが、指揮歴はまだ10年と、短い。そして、この華々しいキャリアである。私はライオネル君よりかなり年上だが、指揮歴はまだ4年、しかも趣味的な、微々たるものである。華々しいキャリアを望んでいるわけではないし、望んでもかなう確率は万分の一以下である。じゃあ、なぜ指揮の勉強をしたいのか、指揮とは一体何なのか。 私がコルバーンに来た年、指揮を始めた理由は、楽器演奏とは正反対の視点から音楽に関わることによって自分のピアノ演奏を上達させたかったからである。楽器で音楽を奏でる場合、一つ一つの音全てに肉体的、感情的、知的に自分を打ち込む。その為に視点が近視的になり、全体像を見失いがちである。指揮の場合、一つ一つの発音や、細かいニュアンスは全て他人任せで、ただ単に方向性と全体像だけに責任を持つ。全く逆の遠視的とらえ方である。私は自分は近視的な人間だと思うし、そう言う自分が好きだ。突き放した見方は余り好きでない。でも、ピアニストとしてバランスを取るためには、指揮の勉強が役に立つのでは、と始めただけである。 ところがやってみて、面白くなってしまったのである。指揮には音楽だけでなく、人間とのかかわり合いが重要になってくる。奏者たちの心理的要素、それにどう言う風に何を訴えかけ、どう左右することによって、どう言う音、どう言う音楽を作り上げるか。これはただ単にどう腕を振り回すかだけではない。演奏前にどう言う言葉をかけるか。オケ奏者の一人が間違えを起こした場合、睨みつけるか、微笑みかけるか、無視するか。どうやってオケと言うグループの士気を高めるか。言葉か、行動か、表情か、あるいは腕の動かし方か。また、指揮にはハッタリの要素が強い。そして私は意外にハッタリが効くのである。本当は自信が無くても、音楽の、そしてオケの気運が自分にかかっていると思った途端、急に張り切って「大丈夫、私が付いているからね!」と根拠も無いのに声高らかに宣言し、無我夢中で手当たり次第何かをしているうちに何とかなってしまったりするのである。う~ん、面白い、そして愉快。 ライオネル君はデュダメルに負けず、凄く大きく降る指揮者だ。しかしデュダメルがどう考えても美男子とは言えない、まあ3枚目なのに対し、ライオネル君は小柄だが、線の細い美形である。デュダメルが汗垂れ流して大きな運動で指揮をすると「情熱的」になるが、ライオネル君は同じくらいの運動量でも、なぜか汗が余りで無いし、結構優美な感じでこれは「ドラマチック」になるのである。しかし、彼にはハッタリの要素が多い。私は、(やっぱりちょっとはやっかみもあるし)目を皿の様にして彼の指揮をチェックしていたが、彼は何度か振り間違えたし、大事な導入の合図を忘れた。特にショパンはほとんど勉強してなかったと思う。まあ、ショパンなんて言うのは指揮無くても何とかなるし、そのほかの曲だって急所意外は大抵の所は指揮無くてもオケは勝手に弾けるのである。じゃあ、指揮と言うのは何なのか。 後半に続く。。。?

  • お金と言うのはつくづく不思議なものである。 お金が無くても感心するほど太っ腹の人もいるし, お金が沢山あるのに凄い検約家の人もいる。 私は、音楽家にしては金銭的にはまあ、文句を言えばバチが当たる部類だと思うけど、同時にいつも頭の中でゲームの様に、ロビンソン・クルーソ―の様に、生き延びるのに必要最低限の支出で、といつも考えて生きてきた。だから、普通の日本人より「高い」とか「安い」とか思う、金額のケタが一つ違うと思う。支出に関しては、そうやって最低限、最低限、と考えていれば良いだけだから、一貫していて簡単である。 ところが、収入に関しては、もうこれはどう考えていいか全く分からないのだ。こういう仕事だから、相場が非常に曖昧である。多くの仕事は、仕事の前に金額の打ち合わせは無く、終わってから頂いた金額を受け取るだけ。シューマンの妻で、幼少から天才児ピアニストとして騒がれ、19世紀を代表するピアニストとして歴史に名を残したクララ・シューマンでさえ、演奏会の後に花束だけを寄贈され、ギャラをもらえなかった時に憤慨して日記に「私が花を食べて生きていると思っているのでしょうか?」と書いている。その一方、そう憤慨して書いているにも関わらず、彼女が主催者に抗議や再交渉に行った形跡も無いのである。私の場合は、支出がそんなわけで少ないし、出演する演奏会も、大体経費と収入の予測のつく小規模なものが多いので、いただける金額は全て有難い。問題は、時々私にとってはけた違いに大きな金額が急に手に入る時である。 今週、私は学校が設定した金額によって、コルバーン入学希望者のオーディションの伴奏を引き受けた。かなりの数をこなしたし、まあ正直昨日は疲労困憊したけれど、譜読みも含めてキャンプから帰って来た先週の木曜日から一週間の仕事である。それだけで、私の貧乏生活ならば2か月は優に自活できる額を稼いでしまったのである。不思議なものである。伴奏はかなり一定した需要のある仕事だ。ただ、独奏と随分違った技術を要するし、私の音楽観に及ぼす影響を懸念して、私は生活の為に必要で無い時は最小限しかして来なかった。しかし、私はいつも自分のことを貧乏だと思っていたが、そしてそれは自分の選択によるものだ、と納得していたけれど、こんなに簡単だったとは。 しかしここで、(じゃあ)と思って定期的に伴奏をするようになると、どんどん自分の練習時間が無くなって行くのです。現に私は今週は自分のソロのプログラムをさらったのは正味2時間弱だったと思うし。