来る日本での5月の演目について。

私の日本での演奏活動は2001年に始まった。
その後毎年恒例で続けてきた日本での演奏会は、今年で10年目を記念する。感慨深い。
今年のプログラムはそんな2010年を記念して、「生誕記念の作曲家たち」と言うタイトルである。
始めは1810年生まれのショパンを祝って、ショパンづくしのプログラムにしようと思っていた。
私は「君は何で音楽学者を喜ばせるような選曲ばかりするんだ!」と先生が嘆いて尋ねかけるような、奏者にも聴衆にも難しい難曲ばかりを並べて演奏して来た。ベートーヴェンの超難解ソナタ、「ハンマークラヴィア」は2008年に演奏したし、私が「秘宝」と名づける、けれども全く誰にも馴染みの無い曲を並べたプログラムや、12音階のショーンベルグやベルグとシューベルトやモーツァルトを比べた「ウィーン楽派」のプログラム、などなど。ティケットの売り上げについての心配をあえて無視して、こうして私の音楽探求心を尊重してくれた主催者の人々、そしてそういうプログラムでもいつも応援に駆け付けてくれて暖かく見守ってくれた聴衆の方々には本当に感謝が尽きない。そう言う皆に感謝の気持ちの表現のつもりで今年はショパンを一杯弾くつもりだった。
ところが、幾つかの事実に気が付いたのである。
#1この夏ははショパン・コンクールが在る。ショパンは沢山演奏されるだろうし、沢山放映されるだろう。その時期にショパンを弾くのはちょっとショパン過ぎじゃないか?
#2同じ年に生まれたシューマンを弾かなければ、片手落ちではないか。
シューマンとショパンは同じ年に生まれ、どちらもその人生においても、音楽においても、絵に描いたようなロマンティストであるが、同時に正反対の要素も多い。比較検討が非常に面白い二人なのである。例えば、ショパンは祖国ポーランドの革命や、パリへの亡命、そして肺結核など若い時から色々な困難に直面しながらも、本当に幼少の時から作曲活動を生涯続けた、ほぼ独学の、生まれつきの作曲家である。一方シューマンは父親の命令で不本意ながら法律の勉強をしたり、音楽と同じくらい文学に入れ込んだり、練習しすぎて手が動かなくなり断念したけどピアニストを目指したり、結構回り道をした「努力家」の作曲家である。この二人の違いはその作風にも如実に表れている。そしてその多様性は、ロマン派の多様性をそのまま反映しているようで、それもまた面白いのである。
しかし私はそこでまた、広げたくなってしまうのである。それじゃあ、その百年前、百年後に生まれた作曲家にはどんな人が居るのか。百年後、1910年に生まれた作曲家で有名なのはアメリカ人のサミュエル・バーバーである。私は彼のピアノ協奏曲を弾いたこともあるし、余り多くは無い彼のピアノ独奏曲も遊びで弾いたり、レッスンで教えたりした、思い出深い曲が多い。1710年に生まれた作曲家にはバッハの息子の一人である、ウィルヘルム・フリードマン・バッハが居る。カール・フィリップ・エマニュエルや、ヨハン・クリスチアンなどと言う有名な息子の中では少し影に居る息子だが、しかし彼の鍵盤ソナタは時にスカルラッティを彷彿させるような鍵盤技巧を駆使したり、突然面白い転調をしてみたり、なかなか面白いのである。
と言うわけで、5月中旬に始まる私の今年の日本での演奏会での本格的練習、開始である。

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