表現者として私の責任はそれぞれの声部(人物)に対してではなく、音楽(物語)、そして聴き手(読み手)に対して。そして究極的には私の一番の責任は私の視点…主体性を持った私の正直な観点に対して、です。
もう二度とあり得ない今この瞬間のあなたと私は、慈しむべき偶然。祝うべき奇跡。愛でるべき運命。そして結局音楽というのは、そういう慈しみや祝いや愛でるという行為の体現なのではないでしょうか?
私は演奏技術よりも音楽性や音楽観を、そして自分の内面を人とシェアするやり方をずっとずっと摸索して来たのだと、振り返って改めて思い知る。