私が演奏会で喋る訳

 個人的な話から始めさせてもらえれば、私がピアノを弾くのは、ピアノ技巧や音楽を極める為ではない。私がピアノを弾くのは、人が好きだから、です。自分のことを他人に分かってもらいたい。私が弾く曲を書くに至らしめた作曲家の感情、状態に近づいてみたい。人の為に弾き、その人の感性に触れてみたい。時間、場所、そしてある聴覚的(そして願わくはそれ以上の)体験を共にする事によって“共感”を試みたい。そうして、お互い(貴方と私、です)の確認をし合いたい。  究極的には、だから私にとって音楽は手段で、必要と有れば手段を犠牲にしても、目的達成を試みる。例えば、西洋音楽をやっている以上、伝統継承はその意義の大きな一部だ。しかし、250年前に書かれた曲を当時演奏された通り仮に復元し得たとしても、作曲家のメッセージが、当時の聴衆に伝わったのと同じインパクトで今日の私達に伝わるだろうか。私は復元よりも、メッセージに忠実であろうと努めたい。そしてメッセージは、伝わらなければ意味が無い。メッセージをより良く伝える為に、少なくとも今の私には、喋る事が必要だ。  理由の一つとしては、演奏家と聴衆の距離を縮めたい、という事がある。イメージ的にクラシックは御堅い。構えられては、伝わるメッセージも伝わらない。固定観念も邪魔だ。リラックスして感受性を楽にするお手伝いができるならば、私の下手な日本語を(書くほうが好きです)披露する位何でも無い。又、自分を一個の人間として出す事によって、私個人、更に音楽に対して、親近感を持って頂きたい。  もう一つは、私自身、音楽を聞く、という事の難しさを痛感しているので、少しでもそのお手伝いをしたい、と思う気持ちだ。 実際、音楽に近づく過程として、弾く方が聴くより、ずっと簡単だと思う。一曲を弾く為に演奏家は何百時間を費やし、譜を読み、音を習得し、曲が書かれるにいたった背景を文献で調べ、録音を聴き、あらゆる角度から、曲を検討する。ところが聴衆は、その曲を、少なくとも私の演奏で聴くのは、この場限り!私は自分が勉強して得た発見を分かち合いたいという気持ちと、聴衆に課せられた荷の重さへの思いで、喋らずには居れなくなる。  聴く、という事の難しさについて、もう少し言えば、曲が書かれた当時の常識、作曲家と聴衆の間に当然あった常識が、現在の私達には無い事から来るギャップと言うのが、一つの要因だ。例えばバッハは大変信仰深く、その作曲は全て神への捧げものとしていた。“神を知らずにバッハの音楽は分かり得ない”、とあるクリスチャンのオルガニストが言ったそうだ。しかし逆に、無宗教の私がバッハの音楽を通じて、“神”を感覚的に知る事だって有り得ると思う。そして更に、バッハが信仰深かったという事を知識として持っていれば、この感覚は、潜在意識のレベルを超えて、認識され得る。見ている物が見えないという事、指摘されて初めて気がつく、という事は誰にでもあることだ。(例えば、チルチルとミチルの青い鳥や、鼻の上の老眼鏡など…)  又、私は、喋る事によって聴衆に生演奏ならではの、聴衆と演奏家の間のコミュニケーションに積極的に参加して頂くよう、誘いかけているつもりだ。コミュニケーションと言うのは、何も言葉のやりとりだけではない。演奏していて、聴衆から受け取る“気”というのは物凄く、それによって演奏と言うのはその都度大きく変わる。舞台に出て受ける拍手の調子、その時見る一人一人の表情、最初の一音が出るまでの静寂。。。そして、曲が始まってから演奏家が感じ取る聴衆の反応に至っては、言葉で言い表す事の難しい、テレパシー的な強力な物だ。ところが、テレビの前で完全に受身の状態で座っている事になれている今日の聴衆の中には、舞台の上の人間が生身であるという事をアピールしなければコミュニケーションが成り立たない聴衆も過去に有った。これは、私の存在感や気迫、又は演奏にも足りない物があったと思う。しかし、喋った演奏会で私がコミュニケーションの欠如を感じた事は無い。  だから、私は喋りたい。私が喋りたいのは、音楽が好きでたまらないから、そうして、その好きな音楽を共有する事で、人とつながり、人をつなげる実感が欲しいから、だ。

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これから

 「活字離れ」が話題にもならなくなった。私には「音楽離れ」もそれに比例する形で進んでいるように思われる。音楽は在ることは在る。ウォークマン、ラジオ、テレビ、いたる所で鳴るBGM・・・・音楽は有り余るほど在るが、しかし、積極的に音楽を聴く姿勢、音楽に何かを求める姿勢というのは人の中から消えつつあるのではないか?マスメディアが浸透する世の中で、人が知的な娯楽に受身な姿勢をとりたがるようになったのは、私は悲しいことだと思う。  私はそういう人達が眼を覚ます意欲を覚えるきっかけを与えるような演奏家になりたい。テレビやコンピューターの前で催眠術にかかったように、次から次へと情報を飲み込むのは実はとても退屈なんじゃないか・・・・生の演奏に触れて一人でも多くの人にそう思ってもらえれば本望だ。   人間にとって一番楽しいのは他の人間と触れ合い、自身を分かち合うことだと思う。その過程に機械をはさむと人間の人間らしさが薄れてくる気がする。だから私は演奏がしたい。録音も良いが、旅行して色々な所で、色々な聴衆の為に演奏し、自分を知ってもらい、又人を知りたい。そして特にこれからどんなテクノロジーの発展を目の当たりにするかもしれない子供達の為に弾きたい。来シーズンからアメリカの各地で子供の為の演奏会を行う。  いつか日本でも同じ事がしたい。

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ポーランドの春

 もう去年の4月になるが、ポーランドに行った。ショパンの曲想からポーランドはいつも小雪の降っている様な気のしていた私の印象は裏切られた。りんごの白い花咲く木々が点在、水の豊かな見渡す限りの田園風景。あのワルシャワの郊外は何故懐かしい気持ちがしたのだろう。  シューマンの協奏曲のゲネプロ(最終リハーサル)は、地域の小・中・高校生を招待して行われた。会場満席の子供達のそれでも遠慮したヒソヒソ声はブンブン蜂の唸り声のように演奏中も続いたが、それが無関心のせいではないことはステージを降りたとたん小学生にワッと囲まれて分かった。多分クラスでは道化役の10歳位の男の子がプログラムとペンの捧げもって皆に笑われながら近づいてくる。その子のプログラムにサインした後はもうどの手がどの子につながっているのか分からないような混雑の中で日本語で名前を書きまくった。私は自分の名前は好きだが、こういう時は「字画が多いなあ」とちょっと思う。  やっと最後の子供のサインをして、中庭に出て一息ついて朝食の残りのパンにかぶりついたら今度は高校生の男の子が数人歩いてきた。(恥ずかしい)(言葉が通じない)(何を言えば良いか分からない)等小学生の時は思いもしなかったことを次々思いながら、しかし逃げるわけにも行かない。突っ立っていたらば一人がかがんでたんぽぽの花を摘み、私に渡してそのまま皆で歩み去った。やっぱりショパンの国だ。

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豪華客船での旅

 現在世界一速い客船「オリンピア・エクスプロアー」でゲストアーティストとしての2週間半、計7回の演奏会を終えて今、ニューヨークに帰宅途中の飛行機内だ。フランスのニースで乗船し、スペインとポルトガルで停泊後、大西洋を横断して南米アマゾン川下りとカリブ海諸島巡りをした。終点のフロリダ州ではこの新しい船のお披露目会が旅行会社やマスコミを招待して行われ、そこで最後の演奏をして私の契約は終わった。面白い仕事があるものだ。  船には賭博場もジムもカラオケもディスコもある。船招待の学者や歴史家が毎日各々講義を行い、夜はダンスや手品の大掛かりなショーがある。それでもやはり船旅というのは時間を持て余すものらしい。800人の乗客の限られた社会の中で人々は無上に愛想よく、一期一会の気楽さも有って突飛な打ち明け話を交わす。 一方その陰で、360人の船員は週休なしで毎日10-14時間、低賃金で豪華演出に走り回る。その大半は発展途上国の若者だ。家族に送金する者も、貯金して祖国で店を始める夢を持つ者も、皿を運び、客室を掃除し、階段を磨いて年をとる。世界を凝縮したような船上で17日間100を下らぬ人生を垣間見て、人間模様に食傷気味だ。  船を後にして、もう口をききたくなかった。航空手続きを全て首振りで済まして通過した。それでも子供はやはり可愛い。離陸直後から前席の隙間から金髪巻き毛の女の子がしきりに私の眼を覗く。 やっぱり笑ってしまう。もうすぐニューヨークだ。

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ニューヨークのクリスマス

 年末年始のニューヨークは絢爛豪華だ。木や茂みには色とりどりの豆電球が点り、満艦飾のツリーが立ち、街角でサンタがベルを鳴らし、いつもどこかでキャロルが鳴っている。飢えや環境破壊が蝕む世界で富を誇示するかのようなニューヨークのクリスマスは傲慢かもしれない。装飾の動機を消費活性対策と見れば浅はかにも見える。しかし北海道と同じ緯度に位置するニューヨークの長くて暗い冬がそれで救われるのも事実だ。鼻息も白くなる寒さの中で夢の様にきれいな豆電球は北風でにじむ涙の中で本当に暖かく見える。  一年前、世界貿易センター崩壊直後、それでも例年どおり灯りは点った。被害者追悼の花束、ろうそくは街中で見られ、追悼の集会も数多く続いたが、同時に普通の生活を取り戻す努力に全力を尽くすことによって、生存者の平常心とニューヨークの健在のイメージを保とうとしていた。自粛で悲劇への共感を示そうとする日本に対し、この国はとても行動的だ。貿易センターの跡地は週7日、1日24時間の作業の結果、1年で片付けられた。周囲のオフィスビルでは仕事が再開され、新ビルの再建計画が進む。そして又1年、灯りが点る。同時に受けた傷を癒す努力も続けられる。クリスマスのチャリティーイベントがいたる所で開かれる。12月17日には私も友達と連れ立ってチャリティーコンサートを開く。収益は全て被害者の子供達の為の夏のキャンプに寄付される。最後にはサンタも出てくる予定だ。

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