読書

書評:「木を見る西洋人・森を見る東洋人」(2003)リチャード・ニスベット著

非常に短い期間に全く関係のない二人の友人からほぼ同時期に勧められ、数か月経過していたこの本。でもたまたま今すごくタイムリーでした。そう言うのって嬉しいです。 脳神経科学が解析する音楽の効用と言うものを勉強していると、(人間と言うのは本当に群れを成す習性が強いんだな~)と思います。例えば、音楽に合わせて一緒に手拍子を打ったり声を合わせて歌ったりをするだけど、人はお互いへの好感を高め、幸せ度が増すそうです。でもそういう人間の特性とエゴとか自我とかと言うのはどう折り合いを付けるべきなのか。特に専門に音楽などをしていると「自分独自」とか「型破り」「過去に前例がない」などと言うことがすごく重要になったり、競争心などが煽られたりします。協調したい、でも自分でいたいーその矛盾に苦しむ人は多いのでは? そんな中やっと「読む本リスト」の順番が来たこの本。「東洋と西洋の視点の違いを分析している本」と言う前知識のみだったのですが、実はずばり今私が考察中のトピックに関する本でもありました。邦訳も出ているようですが、原題は「The Geography of Thought: How Asians and Westerners Think Differently…and Why(思考の地理:アジア人と西洋人の考え方の違いと理由)」。邦題は意訳ですが、ずばり本のエッセンスを捉えた素晴らしい訳だと思います(翻訳は村・由紀子さん)。著者はRichard E Nisbett. 心理学の中でも社会心理学と言う分野が専門な学者。さらにこの本はその中でも歴史に影響された心理も重視しています。 古代ギリシャの思想・世界観に影響を受ける文化=西洋=世界に約1億人:個人主義。 古代中国の思想・世界観に影響を受ける文化=東洋=世界に約2億人:調和を重要視。 まずこの本はそこから始まります。 そしてその背景として哲学思想の歴史をまず分析します。古代ギリシャの哲学と道教、儒教、そして少し後から仏教を対比。古代ギリシャでは個体の特徴・特性を見極め、それを抽象化して分類し、世界の原理を解き明かす事によって、個人が世界に対して主体性を持とうとします。だから天文学や、手術などの研究が進みます。逆に実社会や人間関係に注目する古代中国では天文の不思議(彗星の出現や日食など)は予言と考えられていましたが、天体に定期性や原理を発見してからは一挙に興味を失ってしまいます。逆に灌水や墨や深層掘削など生活のニーズに密着した技術はギリシャよりずっと早く発明しています。 どうしてそうなるのか。Nisbettは地理や天候条件が大きいと考えます。ギリシャは狩猟や牧畜や漁業、そして貿易を主な産業としていました。逆に中国は主に農業、その中でもさらにコミュニティーが協力して共同体としての不可欠な米作が重要です。他にも古代ギリシャと古代中国の言語条件の違い、異文化との接触の頻度や度合い、など色々な視点からNisbettはまずこの西洋と東洋の相違を検証します。 そう言う背景を確立したあと、今度はNisbettは様々な研究や実験結果で、現在でも東洋人と西洋人の違いが如実に見られると言うことを主張します。 世界観を大きく変える要因の一つとして引き合いに出される、言語習得に関する実験の一つにこういうのがあります。日本の乳幼児とアメリカの乳幼児がどのように違う教育を受けているか比べる、と言うものです。6か月、12か月、19か月の幼児とお母さんに車のおもちゃで遊んでもらいます。そうすると、アメリカのお母さんは日本のお母さんに比べ2倍の名詞を、逆に日本のお母さんは社交性や関連性に関する言葉を言う、と言うものです。例として出される会話を私が訳してみます。 アメリカ人母「車だよ。車、見える?車、好き?青い車だよ。素敵な車輪だね。」 日本人母「見て。車だよ。はい、車上げる。はい、車頂戴。そう!ありがとう。」 他に殺人事件に関する報道の違いへの言及もあります。受賞を逃したことで就職ができなかった人物が自分のボスと受賞者を決めた人物、そしてライヴァルたちを撃ち殺したあと、自殺したと言う事件です。西洋では、要因を個人の背景や性格に見て、報じます。「この人生はもともと情緒不安定で感情的になりやすく、人間関係も苦手であった。」この場合、個人は全く別の状況でも同じような事件を起こす可能性が強いことになります。ところが東洋では「ボスとの関係に不満を抱いており、またアメリカでは銃が簡単に手に入るため…」などと環境や状況に要因を求めます。この場合、状況が違えばこのような事件には至らなかったことになります。 また、このような実験もあります。パンダ、サル、バナナと言う言葉の中で関連性が強い二つを挙げてください、と言うものです。アメリカ人はパンダとサルを同類の動物としてペアしますが、中国人はサルはバナナを食べるので関連性が強いとする、と言うものです。 そしてこのような実験や観察結果が非常にたくさん並べられます。しかし、私は段々興味を失ってきてしまいました。最初の背景を確立するところはすごく面白くてノートを取りながら一生懸命読んだのですが、こういう実験は何か違う、と思い始めてしまったのです。その後に人類学者が書いたNY Timesの書評を読んで自分のもやもやが言語化されて落ち着きました。この人が問題視することを下に箇条書きします。 1.文化の相違を論じるに、実験の被験者たちをその文化環境から切り離された実験室で実験することですでにそれぞれの文化に直結した結果が出ないリスクを負う。 2.ほぼすべての実験に於いて、被験者は大学生であり、サンプルも少ない。 3.実験結果の統計の解釈にはバイアスがかかる。 4.そもそも実験や本が「東洋(ここでは主に極東:中国・日本・韓国)と西洋(主にアメリカ・イギリス帝国、その後に西ヨーロッパ、次いで東ヨーロッパ)」の対比を前提としているが、そんなに大きなグループを一まとめにできるものか?宗教・教育・経済状況・性別・世代などで、世界観は個人差が大きく出る。この本はほとんどそういう事を無視している。 5.最後に、世界を東洋と西洋に二分化することの目的は何か?「異文化の人たちがお互いの文化・世界観を理解することでよりよく意思疎通ができ、誤解を少なくするように」と前書きに書いてあるが、その具体的な方法は提示されていない。 最後に私が一番思ったこと。東洋人の研究者と多くコラボしていることを強調したり、また東洋人の研究を多く引用はしているけれど、このNisbettと言う人は非常に西洋的なやり方でこの複雑な主題を抽象化し、分類することで把握している。私が一番疑問として主張したいのは、そういう西洋の態度が今まで東洋や、他の協調を重要視する文化を傲慢に支配して来た、と言うことです。この人は「こういう比較文化を提示することで、西洋人がその傲慢と糾弾される原因に意識を向けられれば…」と前書きで書いていますが、本人が全く同じことをしていることには気が付いていないようです。 さらに、私が個人的にこの本を読んで思ったこと。私は日本生まれの日本国籍ですが、今年でアメリカは29年目。そして幼少期はイギリス植民地だった香港です。自分のアイデンティティーに関しても、この本に答えが見つけられることを期待していたのですが、やはりそんなに単純なものではない、と言うことがはっきりしました。最後に挙げられた実験は面白かった。この東洋系思考と西洋系思考はいくらでも影響できる、と言うものです。上に挙げたような実験をする前に、被験者に一段落の読み物を渡し、グループAには「We, Our, Us」と言った一人称複数代名詞に丸を付けてもらい、グループAには「I, My, Me」と言った一人称単数代名詞に丸を付けてもらう、と言うものです。これだけで、グループAは協調系=アジア系の傾向を見せ、グループBは個人主義的=西洋系の傾向を見せた実験結果になる、と言うものです。 人の嗜好・傾向・アイデンティティーと言うのは生まれ備わった物ではなく、その時々の環境・状況・人間関係・感情などに大きく影響される、と言うことだと思います。例えば帰国中の私はより日本人だと思うし、アメリカ人の友達とパーティーを楽しんでいるときの私はよりアメリカ人だと思う。それで良いんだと思います。そういう発想をきっとNisbettは「東洋的」と言うのでしょうが…

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書評:Famous Father Girl: A Memoir of Growing Up Bernstein, Jamie Bernstein著

世界的な指揮者として小澤征爾や五嶋みどりを起用して応援したり、ウェストサイド物語の作曲を手掛けたり、教育者としてハーヴァードでの講義をシリーズで手掛けたり...レナード・バーンスタインは一世を風靡した奇才でした。カリスマ性に富み、人権問題を始めとするさまざまな世論にもその作品や個人としての発言で影響を及ぼし、またNYフィル主催でシリーズで行った「ヤング・ピープルズ・コンサート」では子供にわかりやすくクラシックを説明すると言う当時は画期的な試みを大成功させ、一世代の音楽ファンを急増させました。 今年で100年目の生誕記念と言うこともあり、各地でバーンスタインを中心としたプログラムが行われ、バーンスタイン関連の出版も多く出ています。そんな中、バーンスタインの長女の自叙伝がこの夏出版され、多くの話題を呼んでいます。バーンスタインの本を来年出版予定のAmerican Studiesの教授吉原真里さんを始め、私も数多くの友達にこの本を多いに勧められて、昨日読破。読み始めたら一気に読み上げてしまいました。 なぜこんなに面白く読めてしまったのか。レナードバーンスタインは音楽史、特に第二次世界大戦直後から20世紀を通じてアメリカ東海岸に於ける音楽史に非常な影響力を持った音楽家です。他の作曲家や芸術家との交流、共同製作、ライバル関係など、音楽関連の興味も多いに在りました。さらに本人の作曲のプロセス(結構行き当たりばったり?)、生みの苦しみ(かなり苦しむ)、演奏会本番の日常のルーティーンや(あまりなし)、練習時間(皆無?)、集中の方法(薬とアルコール?)なども興味の対象でした。 しかしバーンスタインの個性的人生、家族人としてのエピソード、大金持ちセレブとしての私的生活、そして政治背景なども非常に面白いのも事実です。私の世代の音楽に興味がある人ならバーンスタインがゲイだったことを知らない人はいないと思います。でもそのバーンスタインの妻が才色兼備のピアニスト兼女優。しかも夫の同性愛を承知の上で結婚。2人は3人も子供を設けます。さらにそんな状況の中でもバーンスタインが真面目に父親と家庭人としての役割を重要視ししていたのは、本当に意外でした。ただし、尋常ならざるエネルギーの持ち主で睡眠時間をほとんど必要とせず、周りがへとへとになるまで自分の大騒ぎに付き合わせる。これは日本の同業者のエッセーを読んで知っていましたが、家族にもそれを強要したようです。更に自分の兄弟や住み込みのお手伝いさんもすべて含めて本当にいつもいつも人に囲まれて、人から敬愛されていないと、満足できない...アウトプットが多い人はインプットも多く必要とするのでしょうか?家族としては本当に有難迷惑と言うような苦笑の文体の所と、親の七光りからなんとか独立して自分を確立しようともがく場面と、Jamie自身の人生にも、バーンスタインの伝記と同じくらい興味を持って読めました。 音楽マニアが多い日本ですから、この本は近い将来きっと翻訳が出るのでしょう。あまりネタバレをしないように書きましたが、面白く読みました。

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書評:The Unforgiving Minute: A Soldier’s Education by Craig M. Mullaney

自分の回顧録を書くにあたり、他の人の回顧録を沢山読んでいます。これはその一つ。(和訳は出ていません。) 本の虫の高校生がアイヴィーリーグではなくWest Pointの陸軍士官学校を選びます。肉体的にも精神的にも限界を超えることを要求されるスパルタ教育中にも勉学を怠らず、オックスフォードへ名誉あるRhodes Scholarとして留学。その最中に9.11が起こり、自分の訓練が実戦に使われる運命を自覚。その後アフガニスタンで10か月戦い、何人かの部下を亡くします。 詩や小説・戯曲から歴史、哲学、宗教と読書家の著者は「生徒」「軍人」「退役軍人」の3部に分けられた全41章を色々な引用で始めています。聖書・ダンテの戯曲・軍の規律・小説...出典は実に多様ですが、その一つに私は特に共鳴しました。 「The nation that will insist on drawing a broad line of demarcation between the fighting man and the thinking man is liable to find its fighting done by fools and its thinking done by cowards.(戦う者と考える者の間に線を引いて隔てる国は、愚か者が戦い臆病者が考えると言う結果を導く。)―Sir William Francis Butler」 『戦うもの』=『実践するもの』。私も考える音楽家になりたい。 本の著者は使命感と正義感に満ち溢れる知性的な青年です。若い士官として責任を全うしようと懸命になり、その結果部下の死に対する罪悪感に傷つきます。私がこの本を読んでいる間、この本の著者Craigは傷痍軍人のための寄付金を募る活動をしながら、亡くなった自分の部下を追悼してアルプスを横断していました。Facebookやインスタグラムにアルプスの美しい写真をアップロードをするのと同時に、亡くなったかつての自分の部下の写真も上げています。亡くなった方々それぞれへの言及を本の中で読んだばかりだったので、Facebookに挙がった顔写真を改めて拝見して感無量になってしまいました。 私がこの本を読んだのは実は著者にこの夏会っていたからです。US-Japan Leadership Programの参加者だったのですが、本人は主に「Facebookで働く人」と言う立場で参加し、発言しており、私はうかつにも彼の過去やニューヨークタイムズのベストセラーリストにも乗った著書の事は、会が終わってから知りました。今、たまたま回顧録を手当たり次第読んでいると言うことと、知り合いの本と言うことで、ほとんど義務感から図書館で借りましたが、面白くて一気に読み切りました。 回顧録を読むのは、自分の回顧録を書くに当たり参考にすると言うのが第一目的ですが、もう一つ「世界観を広げて、もっと社会のニーズに寄り添う音楽活動がしたい」と言う気持ちが在るからでもあります。この本は私には全く未知の世界だった軍隊の世界を垣間見させてくれました。 この本を読みながら、今までの自分の軍隊に対する偏見を認めざるを得ませんでした。私の偏見は反戦を謳う戦後の日本教育のせいでしょうか?それとも反体制になりがちな芸術タイプに囲まれて育ってきたせいでしょうか? Craigは一途としか言いようのない正義感と責任感とチャレンジ精神を持って、訓練と実戦の中の肉体的・精神的・倫理的困難に立ち向かっていきます。エリートとして士官学校に合格した後「正義のために人を殺す事は本当に正しいのか?」と何週間も悩んだ後に神父に相談したり、友達への闘争心や劣等感に悩んだり、アフガニスタンで現地人のコミュニティーに溶け込もうと色々滑稽な努力をしたり、本当に共感をそそります。(私とCraigは似ている!?)と思ってしまうほどです。同時に複雑な親子関係や恋愛の箇所は、むしろ知人だからこそかも知れませんが(ここまで知っちゃって本当に良いんですか!?)とちょっとオタオタしてしまうようなところもありました。読者を信頼しているから正直にシェアできたんだと思いますが、自分が回顧録を書く上でどこまでシェアするのか悩むうえでの参考にもなりました。 みんな、それぞれの立場でそれぞれのチャレンジと悩みを抱え、一生懸命生きているんだと思います。一つの世界―それが軍隊であれクラシック音楽業界であれ―にどっぷり浸かってしまうことの欠点は「私たち(俺たち)が一番苦労している・頑張っている。」と思ってしまうことだと思います。クラシックの文化では、19世紀ロマン派の影響もあり、そのナルシシズムはかなり病的に存在している。音楽以外の事を知ることは時間や労力の無駄だ、と言う風潮が在るのです。私はそれに甘んじてかなりの時間を音楽だけに集中してしまった。それはそれで良かったこともあるけれど、これからはできるだけ視野を広げ、今まで培ってきた私の音楽をこれからはできるだけ世のため・人のために役立てられたら、と思っています。Craigの本で何より私が共感し、感動したのは、Craig自身もCraigの友達もみんな必死になって自分の限界を超えようと毎日頑張っていることです。私も学生時代そういう時が在ったし、これからも常にそういう風に頑張って居る自分でありたい。本を読んで非常に刺激され、野心がむくむく湧いてきました。取り合えず、縄跳びを買いました。 音楽療法と言うのは第一次世界大戦と第二次世界大戦の従軍看護婦が、野戦病院で音楽隊が来ると傷痍軍人が少し苦痛が和らいでいるようだと気が付いたことことから始まったと言われています。(音楽を治癒に使うと言うことはメソポタミア文明、古代ギリシャ文明。世界各地の原住民など古来から様々言い伝えられていますが、ここでは、現在の西洋医療で実際に研究・実地されている音楽療法の起源の事を言っています。)私も退役軍人を対象にしたNPOでもお役に立てれば良いな~、と夢見ています。 私に人間性善説への信念を強めてくれるような本でした。 最後に。タイトルの「The

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書評:森下典子著「日日是好日」

私の妹の送ってくれた小包がちょうどクリスマスイブに届いた。 妹は本当に私の心を暖かくしてくれる名人だ。 「こだわりました!」と言う感じのお餅やあんこ、 そして「あやが好きなの!」と言う感じのお菓子や飴と一緒に スペシャル包装に包まれてきたのが、この本「日日是好日」。 「なんか爽やかな気持ちになれるの~」と言う感想付き。 茶道の本だった。 いや、違うな、これは茶道に反映させた、奥ゆかしい自叙伝だ。 何と言うか、茶道を20何年やっていくことで、だんだんと磨かれてくる感性に素直に感動して、 そして卒業、就活、失恋、などと言った人生のビッグイベントに照らし合わせて どんどんと茶道を心の拠り所にすることを生きる術にしていく様が描かれている。 利休とか、私にはよく分からないお道具の固有名詞とかも出てくることは出てくるけれど、 大事なことは、茶道を通じて筆者の森下典子さんが、五感の全てで世界に向き合うことを学ぶ、 その過程なんだと思う。 そう言う風に一般的にまとめると、私が今書こうとしている本もまったく同じかも。 自分が舞台恐怖症を克服する過程で勝ち得た人生観と自信について書こうとしているのだけれど、 でも、苦しい。私は苦しんでいる。 森下典子さんも、例えばお父さんの急死の事や、結婚を2か月に控えたタイミングでの破談など、 そう言う絶対個人的には苦しい話しを、茶道の話しをするのに必要な逸話の様に書いているのだけれど、 自分の胸をえぐるようなエピソードを詳細を一切割愛して小出しにするとき、 自分の中に残るえぐいダシガラの様なものをどう処理して良いか、分からない。 誰かに分かち合ってほしい。 森下典子さんや、Black Boxの伊東詩織さんや、みんなどうやったんだろう。 どうやって気持ちに片を付けたんだろう。 知りたい。 この本には慰められた。 もう一度最初から、今度は音読してみよう。   あや、ありがとう。  

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書評:恩田陸「蜜蜂と遠雷」をピアニストとして読むと…

日本に帰って来る度の楽しみには色々(食!)あるが、乱読もその一つである。平田家はみんな本が好きなので、帰ってくるとすでに両親からの「推薦読書」が結構ある。妹が漫画をシリーズで図書館から借りておいてくれてある時もある。今年は特にUS-Japan リーダーシップ・プログラムへの参加を来月に控えて、みんなの推薦読書がより硬派になっている。私の音楽馬鹿さ加減を一か月で解消しよう、と言う野望には無理があるが、でも面白く・ありがたく読み進んでいる。 今日のブログには今年の直木賞受賞で話題になった、国際ピアノコンクールを描いた小説「蜜蜂と遠雷」について書きます。この本は私の演奏会に来たお客様にも意見を求められるほどだった。今朝読破。小説の中心になる4人の登場人物がコンクールに勝ち残れるのかどうか、気になってぐいぐい読んでしまう。まず第一印象から言うと、この小説はバレーを題材にした少女漫画(例えば有吉京子の「スワン」)によく似ているな~、と思った。そしてピアニストとしてピアノ・レパートリーの描写をどう思うかと聞かれると、私は筋を追う事に専念して、特に小説の終わりの方はそう言う所は読み飛ばしている自分を発見した。一般のお客さんには「ピアニストは演奏中何を考えているのか」と言う興味に夢が出て、この小説のお陰でクラシックの人気が高まるのかも知れない。そうすれば私もうれしい。今回の帰国で、家族の気遣いが例年より細やかなのも、もしかしたらこの小説のお陰なのかもしれない。私がこの小説で一番共感したのは、「練習と言うのは掃除に似ている」と言う所である。曲(家)が小さければ、掃除も簡単。でも曲(家)が大きくて、構造が複雑であればあるほど、その家をきれいな状態に保っておくことが難しくなってくる。一か所をきれいに保つことを集中すると、他がいつの間にか汚くなっている。でも、段々効率よくその家をきれいにすることをマスターするとやがて、花を飾ったり、特別にぴかぴかに磨いたりして、自分らしさを演出することが出来るようになる。この描写は(そう言う云い方もできる!)と深く共感した。それから本番前と演奏中の緊張の描写。特に三次予選トップバッターがプレッシャー負けして暴走する部分は、凄い洞察力・描写力だと思った。恩田陸は幼少からピアノを習い、大学時代にはビッグバンドでのサックス演奏経験などもあるようだが、それにしてもすごい。 でもやっぱり、少なくともピアニストとしての私の実感とは違うな~と言う所もある。そして風間塵と言うキャラクターはかなり現実離れした状況設定。曲に対する奏者の事細かなイメージ描写も、う~ん、やっぱり音楽とか音楽体験を言語化することの限界を感じてしまう。それから小説に於いて注目されるコンテスタントの二人が日本人、もう二人が日本人とのハーフと言うのも、この小説は国際的にはベストセラーにならないな、と私が思う理由である。あと、もう少し違う国の教育とか音楽観とかピアノ技術へのアプローチの違いを浮き彫りにした方が、舞台を国際コンクールにした理由がもっと生きるな、と思った。 同じく音楽を題材にこれから色々執筆しようと思っている私が一番うれしかったのが、ナクソス・ジャパンとの提携で小説で出てくる曲全てを、著者のイメージと合った演奏で聴ける、と言うサービスがあること。http://www.gentosha.jp/articles/-/7081 私も自分の著書にはCDを付録して出版したいと思っている。私の場合は自著自演になるけれど。

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