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書評:世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?

書評:世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?

山口周著「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか?—経営における『アート』と『サイエンス』」(2017) 光文社出版。 私自身が、音楽を使ったチームビルディングやリーダーシップのワークショップをデザインする段階で市場調査を行っています。その時から確かに、近年、企業がアートやアーティストに指針を求めている、と言うことは感じていました。この本が増刷を重ね(2019年一月の段階で16刷目)、数々の賞(HRアワード2018最優秀賞、ビジネス書大賞2018準大賞、など)を受賞していると言う現象そのものも、興味深い。これは私が打ち出した企業向け音楽ワークショップに対する反響にも反映されていると思います。 なぜ、今、経営にアートや美学が求められるのか?この本は80パーセントをこの問いの解析に費やし、残りの20パーセントで、ではエリートはどのように美意識を鍛えられるのか、と言う提言や例を挙げています。 まず、本書のタイトルにあるキーワードを著者がどのように定義しているか、まとめていきましょう。 『エリート』とは、大きな権力を持ち、他者の人生を左右する影響力を持っている人たち(P. 143)です。システムに最適化しているので、様々な便益を与えてくれているシステムを、その便益にかどわかされずに相対化して批判し、修正する力を持っています(P. 183-4)。しかし、達成動機(P. 140)が高いので、生産性や収益などの数字のみを追っていると、コンプライアンス違反などの犯罪のリスクがあります。『美意識』はエリートを犯罪から守り、さらにその影響力を有効活用して、理想的な社会への実現を向けて現状の改善を促す力があります(P. 237)。 『エリート』の影響力を企業などのシステム、さらに社会改善のために役立てるーこの大きな理想を実現するために必要となるのが「人生を評価する自分なりのモノサシ(P. 143) 」、『美意識』です。 本書で著者は「真・善・美」と言うフレーズをよく『美意識』の同義語として用いています。スタイル・エスプリ・教養とも呼べる、要するに「目の前でまかり通っている評価や判断基準を『相対化できる知性』」です。(P. 150-151) そして脳神経学者、アントニオ・ダマシオ博士の「ソマティック・マーカー仮説」を参照し、高度の意思決定の能力は、直観的・感性的なものであり、絵画や音楽を「美しいと感じる」のと同じようなものだ、とします。 副題にある、経営における『アート』と『サイエンス』とは何でしょう? 経営学者ヘンリー・ミンツバークによると、理想的な経営は『アート』と『サイエンス』と『クラフト』のバランスによって達成されます(P.52)。 『サイエンス』は「分析」「論理」「理性」などと言った「言葉にできるもの」です。(P. 14) MBAで学ぶのが『サイエンス』です。 『サイエンス』には3つ問題があります。最大の問題は、サイエンスだけに頼る経営は、人間味に欠けることです。次に、客観的な数字は誰が見ても同じです。MBAの増加で、同じデータ解析の技術が蔓延し、「正解」の希少価値が無くなります。極論で言えば、人工知能に情報解析を任せればよい、と言うことになります。同じ市場・現状を競争企業が一斉に同じ方法でサイエンスすると、どんぐりの背比べになり、コンプライアンス違反しか競争を勝ち抜く方法が無くなってしまう。さらに、現在はVUCA(Volatile, Uncertain, Complex, Ambiguous)で、不透明度の高い時代です。(P. 108-109) VUCAの時代の厳密な因果関係の整理は、要素の変化が絶え間ない世界では無意味なのです。(P. 110) 『クラフト』は「経験」や「伝統」で培われたノーハウです。ここでもVUCAが問題になります。イノベーションを受け入れにくいのです。(P. 53-54) 『アート』は 組織の創造性を後押しし、社会の展望を直観し、ステークホルダーをワクワクさせるようなヴィジョンを生み出します(P. 53) 。 しかし、『アート』にはアカウンタビリティがありません。説明がつかないことが多いのです。サイエンスやクラフトと議論をすると負けてしまいます。さらに、『アート』だけの経営はナルシシズム、「アートのためのアート」に走る危険性があります。そういう弱点のために今まで軽視されがちだったアート。それが現在見直されるべき理由は、アートは「熱いロマン(P. 61)」であり、「ワクワク」だからです。今日、世界中の市場が「自己実現的消費」に向かい、消費と言う行為が自己表現とみなされる中、ブランドに求められるのは、ストーリー性でありファッション(P. 100)、つまり『アート』の要素なのです。東芝はノートパソコンを世界で最初に開発した会社(P. 120)です。しかし、ノートパソコンのデザインと機能はパクられて市場は乗っ取られてしまいました。素晴らしいイノベーションこそ、すぐにリヴァースエンジニアリングでコピーされてしまいます。他者にコピーできないのが、世界観とストーリー性です。アップルが売っているのはイノベーションではなく、世界観とストーリー性、そしてアップル商品の消費者が誇れるイメージとファッションである、と言うのが著者の主張です。(P. 118) 戦後の日本企業では『サイエンス』と『クラフト』が重視され、『アート』は軽視・無視される傾向が強まって来ていました。それでもやって来れたのは戦後から90年代まで、日本は欧米のお尻をまっしぐらに追いかけていればよかったからです。「ヴィジョン」は無くても、「もっと安く、もっと早く」でぐんぐん成長して来ました(P. 90-91)。しかし今、そしてこれから、日本企業は何を指針に進化していけば良いのでしょうか?  この本で提示されているのは、ミンツバーク博士の『アート』が主導し、『サイエンス』と『クラフト』が脇を固める、と言う構図です。(P. 65) Planをアート型人材が描き、Doをクラフト型人材が行い、Checkをサイエンス型人材が行う、と言うモデル(P. 66) 。その為にエリートに『美意識」が必要になる。ブランドイメージやプロダクトデザインを、本物のアーティストに発注するとしても、社運を賭けるアーティストを誰にするのか決めるだけの『美意識』が無くてはいけません。 さて、ここまでは私は著者の論点や、挙げられている例の豊富さ、そしてまとめ方の説得力に小気味よさを感じながら読んでいました。しかし、最終章「どう美意識を鍛えるか」と言う所で、疑問を感じてしまったのです。下心を持って哲学を学んだり、絵画鑑賞をしたり、文学に触れたりして、本当に『美意識』は培えるのか?著者が挙げる「美意識を鍛える手段」の中に音楽を含む舞台芸術が全く無かったから不信感が芽生えたのでは、と言われれば、正直そう言う所もあるかも知れませんが、それだけではありません。 まず、『美意識』は説明ができないもの、サイエンス型人材やクラフト型人材、そして『エリート』ではない凡人には分かり得ないもの、としてしまうと、『美意識』を持ったとされる人の独裁を許容してしまう恐れがある。『美意識』を培うものが特権階級にしかアクセスが無い教育(オックスフォードやケンブリッジなどの教育が挙げられています)や、教養だ、としてしまうと、なおさらです。いくらCheckをサイエンス型人材にやらせても、サイエンスを解釈するのが人間である以上、データを独裁美意識に有利に使う危険性は多いにあると思います。 私は、本物の『真・善・美』や『熱いロマン』や『ワクワク』、つまり著者が言う所の『美意識』は、伝染する、ものだと思っています。それこそダマシオ博士が打ち出す「ソマティック・マーカー」で、教育レヴェルや立場に関係なく、お腹に共鳴するものです。伝染が部署関係なく全ての社員に蔓延して、株主や消費者にも感染する時、その会社のサービスやプロダクトやイメージはいろいろな意味で成功しているのだ、と思います。成功と言うのは儲けだけでない、実感できる意義、幸福感、誇り、などです。そして、それがそのまま『美意識』、ストーリーと世界観では無いでしょうか? そもそも「絶対的な美」と言うのが在りえない以上、一部エリートが持つ「より優れた美的感覚」と言うのは無いのでしょうか?『美意識』と言うのは『蔓延力』、共感を促す力、集団意識へのアクセスではないでしょうか? もう一つこの本に問題を感じるところは「欧米に比べて日本は(日本企業は)劣っている・改革が必要である。」と言う論調です。日本の文化や国民性や現状を論じる時、ルース・ベネディクトの「菊と刀」(1946)を始め、主に欧米人の評価を持って語っています。「偏差値は高いが美意識は低い」と言う論点を強調するために引き合いに出されるオウム真理教に関しては宮内勝典氏の「善悪の彼岸」を参照されていますが、これだって(なぜ日本考察の例がオウム?)と言う感じです。さらに、「日本人は空気に流されやすい。過去の過ちに対する過剰反応が日本企業をサイエンス過多の経営に走らせる」と言う時に引き合いに出されるのは終戦直前の戦艦大和です(P.94-98)。 本当に日本は欧米に劣り、改革が必要なのでしょうか?日本はその非常にユニークな歴史・条件・国民性のため、欧米がお手本にならない、と言うことはあり得るでしょうか?私は歴史上、様々な困難に打ち勝って豊かな文化と歴史を築き上げた日本人について学ぶ度に、その創意工夫や、根強さ、そしてこだわりと言ったものに、触発されます。日本の企業経営やCEOは、確かにグローバル化を目指す中で、他国に学ばなければいけない点はあるでしょう。しかし、論点として、「日本は間違っている、あるいは劣っている」ので改革を目指せと主張するのと「日本のこんな良い点をこういう風に開発・進化させれば、日本のすばらしさはもっとグローバルに広がる」と言う風に主張を展開するのでは、後者の方がより効果的だと思います。(マツダや、無印良品、ユニクロなども、成功例として出てきます。が、GoogleやAppleなどの欧米社と比べて、扱いやページ数が違うのです。) 『美意識』に必要なのは、教養よりも、自信と誇りだと、私は音楽家としての経験を持って言います。もちろん、この自信と誇りは知識と経験に基づいていますが、いくら知識と経験を積んでも、自信と誇りが無ければ『美意識』は打ち出せません。そして残念ながら、日本には自信と誇りの邪魔をするコンプレックスがあります。このコンプレックスには、白人優勢の世界の中で有色人種だと言う事実、さらに極貧の農作国家であった歴史、そして黒船や敗戦のトラウマ、その上ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの後遺症、など、色々な要因があると思います。日本企業が「サイエンス」と「クラフト」に肩入れしてしまうのは、「美意識」をないがしろにしているからではなく、「美意識」をはっきりと打ち出す自信と誇りを抑圧させる背景があるからではないでしょうか。ここを直視しないで、『美意識』が無いのでルノワールやカラバッジオを鑑賞しろ、プラトンやドストエフスキーを読め、と言われても...「はい、そうですか」と従う人はほとんどいないと思いますし、(なぜヨーロッパの絵画?)(なぜギリシャ哲学?)(なぜロシア文学?)となります。日本人のコンプレックスにさらに追い打ちをかけているだけではありませんか?「日本はフランスと並んで、おそらく世界最高水準の競争力(美意識)を持っている(P.112)」と、山口さん、書いてるじゃない?(最初のチーフ・クリエイティブ・オフィサーとして千利休を挙げられています(P. 72~)し、美意識を鍛えるために詩を読む、と言う所には谷川俊太郎さんの「朝のリレー」が出てきます(P. 244)。が、例外的です。) この本で、私は沢山のアイディアや視点に開眼しました。この本を丸ごと批判するつもりはありません。が、美意識を鍛えるためのあるシステムを提示されたので、著者が警告を発している「システムを無批判に受け入れる」と言う悪を冒さぬため、日本人としての誇りを高く持つ在米30年目の日本人、そして一人のアーティストとして、最後に評論いたしました。

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書評:野村路子著「フリードル先生とテレジンの子どもたち:ナチス収容所に残された4000枚の絵」(2011)

書評:野村路子著「フリードル先生とテレジンの子どもたち:ナチス収容所に残された4000枚の絵」(2011)

音楽家の私にできる社会貢献とは?社会に於ける芸術の役割とは?日本人の私が西洋楽器であるピアノの専門家である歴史的背景、そして意義とは? …模索中です。 (面白い!)と意識に引っかかった一つがバウハウス。産業革命に反発して、合理性よりも人間性や多様性を重視した美学に感銘を受けました。第一次世界大戦後の不安定な政情のドイツで、国籍・宗教・年齢・性別を問わずに沢山の芸術家を招待して一緒に育んだバウハウス。1933年ナチス政権に解散を命じられた後は、バウハウス関係者の多くが世界中に広がり、その思想は後世に多大な影響力を及ぼしました。「フリードル先生(Frederika “Friedl” Dicker-Brandeis (1898 ウィーン – 1944 アウシュヴィッツ) 」もバウハウスで20代の前半勉強し、また教鞭を取りました。 このフリードル先生、1942年にナチスのテレジン強制収容所に送られてしまいます。そしてそこで、強制労働の合間に子供たちに芸術教育を施したのです。アートセラピーと言っても良いかも知れません。収容された15,000人の子供たちの中で戦後生存していたのは100人と言う過酷な状況の中で、実に4000枚以上の絵が残っています。 上の絵の様に状況を記録した絵もあるのですが、多くはもっと幻想的な絵です。 このフリードル先生が1940年、友人宛てに書いた手紙の言葉に、私は共鳴します。「Today only one thing seems important — to rouse the desire towards creative work, to make it a habit, and to teach how to overcome difficulties that are insignificant in comparison with the goal to which you are striving. (今日、大事な事はただ一つに思える ー 創造力を掻き立る事を習慣づけること。そして自分の創造力への精進に比べたら他の困難がくだらなく見えてくるように訓練すること。)」 この本はテレジンの子供たちの創作活動を書き綴る事をライフワークにしていらっしゃる野村路子さんが、生存者の一人のディタ・クラウスさんから聞いた話とご自分で調べられた史実を交互にまとめられた本です。大きな文字の印刷で、難しい漢字にはルビが振ってあり、小学高学年なら十分に読めるでしょう。そしてこの本のメッセージは普遍的な大切なものです。 残されたそれぞれの絵には子供たちの名前が書いてあります。フリードル先生は子供たちに何度も言って聞かせたそうです。「あなたたちには名前が在るのよ。ドイツ兵が、いくら番号で呼ぼうと、お父さんやお母さんが、あなたたちの誕生を心から祝って付けた名前があるの。それを書きましょうね。」(P. 167)

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書評「世界を変えるSTEAM人材:シリコンバレー『デザイン思考』の核心」

(The English translation of this review is here.) タイトルにもある「核心」に徹した、シンプルかつ重要な本。 メッセージ性が明瞭でぐいぐいと引っ張られるように読んでしまう。 創造力=エンパシー(相手を思いやる勇気と能力) STEAM人材=ヒューマニスト・人類主義者。 シリコンバレーのSTEAM人材をモデルに、 今後の日本社会に適した新しい人材像とその養育法を提示する一冊。 産業革命以来、各国が競い合ってきたのがSTEM: Science(科学), Technology(技術), Engineering(工学), Mathematics(数学)。 これらはすべて数量化できる分野。なので前進にも競争にも、拍車がかかる。 ここに新しくArts(芸術)を加えたのがSTEAM. ArtsをSTEMに加える実際的な理由はいろいろ文中に挙げられている。  「対象物の特性をつかみ取る」「意味を昇華させる」「3次元で考える」「体を使って知覚する」など、これまで芸術家が使ってきた技術的なスキルの多くが、STEM領域の学びに有用。 今まで関連性が低いとされてきた複数の領域をつないで、活動や学びを活性化 未完で在ることに対する包容性の高さ Artsがもたらす集中力、記憶力、学習能力、探求心、コミュニケーション能力などの向上。 そして実際にSTEAMを養成するための教育上の試みや具体的な例、さらにSTEAMを活かして活躍している前衛的なSTEAM人材もストーリー性豊かに本書では紹介されている。 STEAM教育現場では、生徒主体の体験ベースの学習:Project Based, Problem Base, Design Thinkingで生徒たちはそれぞれの発見を積み重ねて、個性と自信と知識を育んでいく。 そしてSTEAM人材は「デザイン思考」を駆使して、潜在的なニーズにうまく答えたイノベーターたち。 「デザイン思考」とは「なぜ作るのか(WHY)」「何を作るのか(WHAT)」「どう作るのか(HOW)」を模索するプロセス。それは実際的な製品だけではなく、体験・概念と言った抽象的なモノにも適応される、世にあるすべてを対象にした営み。 既存の枠組みにとらわれずに大胆に発想し、柔軟かつ濃厚なネットワークで 答えの無い問いでも追い続ける、探求に対しての真摯な姿勢を持って 複雑化する世界に対応していく能力を養成するのがSTEAM。 しかし、本書が一番強調しているのは、STEAMとは新しいヒューマニズムだ、と言うことだ。 STEAM人材とはAI時代に、人間性を大切にし、人間性を取り戻そうとする新しいヒューマニスト。 本書からの引用でこの書評を締めくくりたいと思う。 「人間を取り巻く環境が、かつてない大きな変革期を迎えている21世紀。科学技術は日々飛躍的な進歩を続けています。そのような時代に私たちが直面している真の課題は、より新しい商品を開発して競争に勝つことでも、より多くのテクノロジーで世界を満たすことでもありません。真の問題は、この世界を、すべての人間にとって優しい場所にできるかと言うことではないでしょうか。人類にとって本当に役に立つものを作りたい。人間とは何かを問い続けたい。専門性を研鑽し続けながら、それぞれの熱い想いを活動につなげる最先端のSTEAM人材たち。彼らこそ、次世代のポスト情報社会がどう進むべきかの道筋を示す、21世紀を牽引する人材なのです。」 おこがましいようだが、私が音楽でやろうとしていることが如実に記されている。 なんだか鬨の声を上げたくなる。 ヤング吉原麻里子・木島里江共著「世界を変えるSTEAM人材:シリコンバレー『デザイン思考』の核心」朝日新書出版。初版2019年1月30日。

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書評:「木を見る西洋人・森を見る東洋人」(2003)リチャード・ニスベット著

非常に短い期間に全く関係のない二人の友人からほぼ同時期に勧められ、数か月経過していたこの本。でもたまたま今すごくタイムリーでした。そう言うのって嬉しいです。 脳神経科学が解析する音楽の効用と言うものを勉強していると、(人間と言うのは本当に群れを成す習性が強いんだな~)と思います。例えば、音楽に合わせて一緒に手拍子を打ったり声を合わせて歌ったりをするだけど、人はお互いへの好感を高め、幸せ度が増すそうです。でもそういう人間の特性とエゴとか自我とかと言うのはどう折り合いを付けるべきなのか。特に専門に音楽などをしていると「自分独自」とか「型破り」「過去に前例がない」などと言うことがすごく重要になったり、競争心などが煽られたりします。協調したい、でも自分でいたいーその矛盾に苦しむ人は多いのでは? そんな中やっと「読む本リスト」の順番が来たこの本。「東洋と西洋の視点の違いを分析している本」と言う前知識のみだったのですが、実はずばり今私が考察中のトピックに関する本でもありました。邦訳も出ているようですが、原題は「The Geography of Thought: How Asians and Westerners Think Differently…and Why(思考の地理:アジア人と西洋人の考え方の違いと理由)」。邦題は意訳ですが、ずばり本のエッセンスを捉えた素晴らしい訳だと思います(翻訳は村・由紀子さん)。著者はRichard E Nisbett. 心理学の中でも社会心理学と言う分野が専門な学者。さらにこの本はその中でも歴史に影響された心理も重視しています。 古代ギリシャの思想・世界観に影響を受ける文化=西洋=世界に約1億人:個人主義。 古代中国の思想・世界観に影響を受ける文化=東洋=世界に約2億人:調和を重要視。 まずこの本はそこから始まります。 そしてその背景として哲学思想の歴史をまず分析します。古代ギリシャの哲学と道教、儒教、そして少し後から仏教を対比。古代ギリシャでは個体の特徴・特性を見極め、それを抽象化して分類し、世界の原理を解き明かす事によって、個人が世界に対して主体性を持とうとします。だから天文学や、手術などの研究が進みます。逆に実社会や人間関係に注目する古代中国では天文の不思議(彗星の出現や日食など)は予言と考えられていましたが、天体に定期性や原理を発見してからは一挙に興味を失ってしまいます。逆に灌水や墨や深層掘削など生活のニーズに密着した技術はギリシャよりずっと早く発明しています。 どうしてそうなるのか。Nisbettは地理や天候条件が大きいと考えます。ギリシャは狩猟や牧畜や漁業、そして貿易を主な産業としていました。逆に中国は主に農業、その中でもさらにコミュニティーが協力して共同体としての不可欠な米作が重要です。他にも古代ギリシャと古代中国の言語条件の違い、異文化との接触の頻度や度合い、など色々な視点からNisbettはまずこの西洋と東洋の相違を検証します。 そう言う背景を確立したあと、今度はNisbettは様々な研究や実験結果で、現在でも東洋人と西洋人の違いが如実に見られると言うことを主張します。 世界観を大きく変える要因の一つとして引き合いに出される、言語習得に関する実験の一つにこういうのがあります。日本の乳幼児とアメリカの乳幼児がどのように違う教育を受けているか比べる、と言うものです。6か月、12か月、19か月の幼児とお母さんに車のおもちゃで遊んでもらいます。そうすると、アメリカのお母さんは日本のお母さんに比べ2倍の名詞を、逆に日本のお母さんは社交性や関連性に関する言葉を言う、と言うものです。例として出される会話を私が訳してみます。 アメリカ人母「車だよ。車、見える?車、好き?青い車だよ。素敵な車輪だね。」 日本人母「見て。車だよ。はい、車上げる。はい、車頂戴。そう!ありがとう。」 他に殺人事件に関する報道の違いへの言及もあります。受賞を逃したことで就職ができなかった人物が自分のボスと受賞者を決めた人物、そしてライヴァルたちを撃ち殺したあと、自殺したと言う事件です。西洋では、要因を個人の背景や性格に見て、報じます。「この人生はもともと情緒不安定で感情的になりやすく、人間関係も苦手であった。」この場合、個人は全く別の状況でも同じような事件を起こす可能性が強いことになります。ところが東洋では「ボスとの関係に不満を抱いており、またアメリカでは銃が簡単に手に入るため…」などと環境や状況に要因を求めます。この場合、状況が違えばこのような事件には至らなかったことになります。 また、このような実験もあります。パンダ、サル、バナナと言う言葉の中で関連性が強い二つを挙げてください、と言うものです。アメリカ人はパンダとサルを同類の動物としてペアしますが、中国人はサルはバナナを食べるので関連性が強いとする、と言うものです。 そしてこのような実験や観察結果が非常にたくさん並べられます。しかし、私は段々興味を失ってきてしまいました。最初の背景を確立するところはすごく面白くてノートを取りながら一生懸命読んだのですが、こういう実験は何か違う、と思い始めてしまったのです。その後に人類学者が書いたNY Timesの書評を読んで自分のもやもやが言語化されて落ち着きました。この人が問題視することを下に箇条書きします。 1.文化の相違を論じるに、実験の被験者たちをその文化環境から切り離された実験室で実験することですでにそれぞれの文化に直結した結果が出ないリスクを負う。 2.ほぼすべての実験に於いて、被験者は大学生であり、サンプルも少ない。 3.実験結果の統計の解釈にはバイアスがかかる。 4.そもそも実験や本が「東洋(ここでは主に極東:中国・日本・韓国)と西洋(主にアメリカ・イギリス帝国、その後に西ヨーロッパ、次いで東ヨーロッパ)」の対比を前提としているが、そんなに大きなグループを一まとめにできるものか?宗教・教育・経済状況・性別・世代などで、世界観は個人差が大きく出る。この本はほとんどそういう事を無視している。 5.最後に、世界を東洋と西洋に二分化することの目的は何か?「異文化の人たちがお互いの文化・世界観を理解することでよりよく意思疎通ができ、誤解を少なくするように」と前書きに書いてあるが、その具体的な方法は提示されていない。 最後に私が一番思ったこと。東洋人の研究者と多くコラボしていることを強調したり、また東洋人の研究を多く引用はしているけれど、このNisbettと言う人は非常に西洋的なやり方でこの複雑な主題を抽象化し、分類することで把握している。私が一番疑問として主張したいのは、そういう西洋の態度が今まで東洋や、他の協調を重要視する文化を傲慢に支配して来た、と言うことです。この人は「こういう比較文化を提示することで、西洋人がその傲慢と糾弾される原因に意識を向けられれば…」と前書きで書いていますが、本人が全く同じことをしていることには気が付いていないようです。 さらに、私が個人的にこの本を読んで思ったこと。私は日本生まれの日本国籍ですが、今年でアメリカは29年目。そして幼少期はイギリス植民地だった香港です。自分のアイデンティティーに関しても、この本に答えが見つけられることを期待していたのですが、やはりそんなに単純なものではない、と言うことがはっきりしました。最後に挙げられた実験は面白かった。この東洋系思考と西洋系思考はいくらでも影響できる、と言うものです。上に挙げたような実験をする前に、被験者に一段落の読み物を渡し、グループAには「We, Our, Us」と言った一人称複数代名詞に丸を付けてもらい、グループAには「I, My, Me」と言った一人称単数代名詞に丸を付けてもらう、と言うものです。これだけで、グループAは協調系=アジア系の傾向を見せ、グループBは個人主義的=西洋系の傾向を見せた実験結果になる、と言うものです。 人の嗜好・傾向・アイデンティティーと言うのは生まれ備わった物ではなく、その時々の環境・状況・人間関係・感情などに大きく影響される、と言うことだと思います。例えば帰国中の私はより日本人だと思うし、アメリカ人の友達とパーティーを楽しんでいるときの私はよりアメリカ人だと思う。それで良いんだと思います。そういう発想をきっとNisbettは「東洋的」と言うのでしょうが…

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書評:Famous Father Girl: A Memoir of Growing Up Bernstein, Jamie Bernstein著

世界的な指揮者として小澤征爾や五嶋みどりを起用して応援したり、ウェストサイド物語の作曲を手掛けたり、教育者としてハーヴァードでの講義をシリーズで手掛けたり...レナード・バーンスタインは一世を風靡した奇才でした。カリスマ性に富み、人権問題を始めとするさまざまな世論にもその作品や個人としての発言で影響を及ぼし、またNYフィル主催でシリーズで行った「ヤング・ピープルズ・コンサート」では子供にわかりやすくクラシックを説明すると言う当時は画期的な試みを大成功させ、一世代の音楽ファンを急増させました。 今年で100年目の生誕記念と言うこともあり、各地でバーンスタインを中心としたプログラムが行われ、バーンスタイン関連の出版も多く出ています。そんな中、バーンスタインの長女の自叙伝がこの夏出版され、多くの話題を呼んでいます。バーンスタインの本を来年出版予定のAmerican Studiesの教授吉原真里さんを始め、私も数多くの友達にこの本を多いに勧められて、昨日読破。読み始めたら一気に読み上げてしまいました。 なぜこんなに面白く読めてしまったのか。レナードバーンスタインは音楽史、特に第二次世界大戦直後から20世紀を通じてアメリカ東海岸に於ける音楽史に非常な影響力を持った音楽家です。他の作曲家や芸術家との交流、共同製作、ライバル関係など、音楽関連の興味も多いに在りました。さらに本人の作曲のプロセス(結構行き当たりばったり?)、生みの苦しみ(かなり苦しむ)、演奏会本番の日常のルーティーンや(あまりなし)、練習時間(皆無?)、集中の方法(薬とアルコール?)なども興味の対象でした。 しかしバーンスタインの個性的人生、家族人としてのエピソード、大金持ちセレブとしての私的生活、そして政治背景なども非常に面白いのも事実です。私の世代の音楽に興味がある人ならバーンスタインがゲイだったことを知らない人はいないと思います。でもそのバーンスタインの妻が才色兼備のピアニスト兼女優。しかも夫の同性愛を承知の上で結婚。2人は3人も子供を設けます。さらにそんな状況の中でもバーンスタインが真面目に父親と家庭人としての役割を重要視ししていたのは、本当に意外でした。ただし、尋常ならざるエネルギーの持ち主で睡眠時間をほとんど必要とせず、周りがへとへとになるまで自分の大騒ぎに付き合わせる。これは日本の同業者のエッセーを読んで知っていましたが、家族にもそれを強要したようです。更に自分の兄弟や住み込みのお手伝いさんもすべて含めて本当にいつもいつも人に囲まれて、人から敬愛されていないと、満足できない...アウトプットが多い人はインプットも多く必要とするのでしょうか?家族としては本当に有難迷惑と言うような苦笑の文体の所と、親の七光りからなんとか独立して自分を確立しようともがく場面と、Jamie自身の人生にも、バーンスタインの伝記と同じくらい興味を持って読めました。 音楽マニアが多い日本ですから、この本は近い将来きっと翻訳が出るのでしょう。あまりネタバレをしないように書きましたが、面白く読みました。

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