読書

第一印象の偉大さ。

面白い記事を読んだ。「なぜ意見は事実を無視するか」と言う題で2月27日付けで出版されたThe New Yorker Magazineの記事。(英語ですが:http://www.newyorker.com/magazine/2017/02/27/why-facts-dont-change-our-minds) トランプ大統領のでたらめが、後にどのように事実が明らかにされようが、いかに社会的に悪影響を及ぼすかと言う事を、主に社会学の観点から論じた記事である。最初に紹介されるスタンフォード大学の実験が一番印象的。 1.被験者は50の自殺者による遺書を見せられる。「この中の半分は実際に自殺をしてしまった人によって書かれた本物で、残りは偽作」と言われ、「この中から本物を見つけ出してください」と指示を受ける。 2.被験者は2つのグループに分けられている。グループAは「すごい!24も合っている」と言われる。グループBの被験者は「う~ん、あなたにはこの才能は無いようですね」と言われる。これは被験者の読解力とは全く関係が無い。ちなみに一般的に本物と偽作を見分けるのはほぼ無理で、みんな平均的に半分くらい当てる。 3.その後で被験者全員がグループとして集められ「実は...」と言って、グループAもBも告げられた結果は実際の読解力とは関係ない、と告げられる。 4.被験者は全員実験に関するアンケートに答える。その中に「自分の実際の読解力はどうだったと思いますか?」と言う質問が隠されている。この質問が実は今回の実験の本当の目的だ、と言う事を被験者は知らない。 この実験の結果、グループAの被験者は物凄い確率で「自分はかなりの確率で当てたと思う」と答え、グループBはやはり物凄い確率では「全然わからなかった」と答えたのである。この実験結果の意味は、第一印象で形作られた固定観念は、どんな統計や権威ある事実をもってしても、中々変えにくい、と言う事である。人間は暗示にかかりやすく、かかった暗示を解く事は難しい。 なぜ人間はこうも言葉の暗示に弱いのか?この記事によると、要するに人間は群れて生き延びる種だからだ、と言う事になるらしい。事実よりも、同意・同調の方が大事になるのである。 私のNYの親友に私を「Connection Goddess」と呼ぶ人がいる。Connectionと言うのは、この場合実際には「乗り継ぎ」と言う意味なのだが、でも勿論「コネ」とか「繋がり」とか、言葉自体には色々意味がある。そしてどんな女神でも女神と呼ばれることは決して悪い気分では無い。このあだ名の由来は、私と親友が急いでいる時、地下鉄の駅に駆け下りたら実にタイミング良く電車が「ス~~~!」とホームに滑り込んできたことが何度かあったことからである。何にでも感動する彼は「一人の時には絶対こんなラッキーな事は無い!君は女神だ!乗り継ぎの女神だ!」と宣言し、以来あだ名が定着したのである。ちなみに彼は半分本気でこれを信じているらしく、たまに「今日は物凄く急いでいるので、よろしくお願いします」などと、テキストが来る。不思議な事に、「Connection Goddess」とおだてられていると、自分でも段々その気になってくるのだ。電車がスムーズに来るときは(♩当たりまえ~、朝飯前~、みんなどういたしまして~♪)と思う。時々電車が来ないと(今日は私、不調?)とか思う。そしてConnectionの大儀を考え、自分は実にラッキーな人間だ、とホクホク思える。 でも逆に悪い暗示、と言うのもある。いじめや人種差別・性差別・幼児虐待などはその最たるものだと思う。言葉と言うのは物凄い力がある。そして言葉の暴力と言うのは存在する。そして一度発せられた言葉は取り返せない。 アメリカで割と有名な寓話にこういうのがあります。http://www.inspirationpeak.com/cgi-bin/stories.cgi?record=50 「あるところに凄く癇癪持ちの男の子が居ました。この子のお父さんは、この子が癇癪を起こす度に庭の塀に釘を打ち付けるように、と言いました。最初の日、この子は37本もの釘を打ち込まなくてはいけませんでした。でも段々癇癪の数が減り、ついにある日、全く釘を打ち込まない日が来ました。男の子がお父さんに言いにいくと、『じゃあ、これからは癇癪を起さない日は一本、釘を塀から抜いてごらん」と言われました。何年か経ち、塀の釘が一本残らず抜かれた時、お父さんは息子を連れて塀まで歩いて行きました。『お前は良く頑張った。本当に偉かった。でも御覧、この塀はもう元通りにはならない。釘が抜かれた後の穴はこれからもずっとあるんだよ。』男の子はそれ以来とても良い子になりました。」 私も今まで生きて来て、何本もの釘を打ち込んだ。でも今の私に出来る事は、過去に打ち込んだ釘から学ぶことだけだ。私はConnection Goddessとしてこれからは生きて行く。

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トランプ政権のアメリカ=オーウェルの「1984」?

最近私の読者数がアップしている(ありがとうございます!)。 特に読まれているエントリーが2010年3月29日付けの ジョージ・オーウェルの「1984」と、村上春樹の「1Q84」。 今までも毎日20数人がこのページにいらして下さっていましたが、 トランプ就任以来、その数が一気に毎日100を超す勢い。   Googleで「トランプと1984」と検索すると、すごい数の記事が出てきます。 https://www.google.com/#q=%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%81%A81984 反ユートピア(英語ではDistopia)を描いた『1984』がなぜ今売れるのか? 本当にトランプ政権下のアメリカは『1984』の社会に似ているのか? この記事が面白いです。 http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/01/20171984.php   この記事が指摘しているように、今のアメリカで怖いのは、 恐怖政治では無いのに、明らかな嘘を国民の多くが進んで受け入れているからです。 私の今周りに居る人達は表面的には全部トランプの絶対反対者たちです。 これは、大学関係者・芸術関係者・人権主義者・人類愛者たちです。 でも、じゃあ、誰が、トランプに投票したんだ? 誰がトランプ政権の暴走を許しているんだ? …疑心暗鬼になってきます。   この前ケニヤ出身のアフリカ専門家の女性と散歩していたとき、 一台のトラックが横断歩道を渡っている私たちを無視して一時停止をせずに 私たちの前をすれすれ横切りました。 「あの運転手みたいな人がトランプに投票したんだ! 私たち二人が有色人種で女性だから、交通違反しても良いと思ったんだ!」 と二人で冗談を言い合って、物凄い大笑いをしました。 その大笑いは、多分ストレスの発散の大笑いだったのです。   大学関係者は知識階級で、トランプに投票するような人とは違う、と思われています。 でも、アメリカ各地の大学で、トランプ支持の落書きがされています。 ライス大学でも、トランプ就任直前の一月にそういう事件がありました。 犯人は学部生の2人組でした。 ライス大学は、1989年に倒されたベルリンの壁の一部を所有しており、 キャンパス内に飾ってあったのですが、 そこに「トランプ2016!」などとスプレーペイントで落書きし、 さらにキャンパスの別の場所に飾ってあったアートオブジェにも 「DeportSpanos!(ラテン系は強制退去!)」などと書かれていたそうです。   また、私は面識があるだけのFacebook友達で元FBI勤めの弁護士は Facebookでトランプ政権支持の声明をかなり出しています。 彼女の声明に対するコメントを見ていると 彼女の交友関係では彼女と同じような意見を持つ人が多い事が分かります。   今まで潜在的に存在していた人種の多様化に付いていけない人達のくすぶった思いが トランプ就任で爆発しただけだ、現実を直視する良い機会だ、 と言うのがポジティブな見方でしょう。 でも、そのあまりの意外性と衝撃の度合いに、毎朝ニュースが怖い感じです。   でも、私は今日は一日論文校正! 明日の締め切りに向けて集中します! やることはやる!   音楽人生万歳!  

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「裸でも生きる」「羊と鋼の森」「大島弓子全集」

私は子供の頃、これ以上無いほどの本の虫だった。 練習よりも読書が好きで、 練習中こっそりと楽譜立てに本を立て、 何時間もハノンをやって廊下をやってくる母の足音が聞こえるとサッと本を隠すとか 授業中に机の下に本を隠して読むとか、 練習中のトイレにかこつけてトイレに何十分もこもって読みふけるとか そんな事をやっていた。 そんな本好きは、両親の読書好きの影響も大きいと思う。 本当に幼少の頃からかなり高学年になるまで、 就寝の際には必ず本を読んでもらった。 妹といつも出来るだけ長い本を選ぼうと言う作戦の元に相談し、 その晩の朗読者の母か父との交渉を経て、その晩の朗読となる。 とっても楽しみだった。 読書をすると、本当に時間も現実も全て忘れて没頭した。 物語の展開が待ちきれず、次のページをめくるのももどかしかった。 寸暇を惜しんで読んだ。トイレの時間、短距離を歩く時間、何かを待っている時間… 今ではそういう風に没頭することは珍しい。 数年前、帰国の際に芥川龍之介の「地獄変」に没頭し、 電車に乗っていると言う事すら忘れて何駅も乗り過ごしてしまった事があるが、 そう言う時間はまれになった。 でもこの「本の虫」のイメージがあるからだろうか? それとも通勤時間中を読書に充てている母が 本を読みながら私を思い出してくれることが多いのだろうか? 帰国すると、母が私に読ませたい本を山積みにしておいてくれている。 大抵は図書館から借りて来てあるが、 中には「図書館で借りて読んで凄く良かったので、持って帰ってもらおうと思い購入した」 と言う本もある。 全てを帰国中に読むのは到底無理! 演奏、そして演奏のため練習や通信、その上日本でしか出来ない社交がある。 そして博士論文のリサーチのための本を私は6冊も持って帰ってきているのである! 論文用の本を読むか、母推薦書を読むか...毎回ジレンマである。 そんな中、誘惑に打ち勝てず読破してしまった母推薦図書。 1.山口絵里子著「裸でも生きる」と、続編「裸でも生きる~Keep Walking」 2.宮下奈都著「羊と鋼の森「 3.大島弓子(漫画家)著、全作品集 まず、山口絵里子さんの活動については テレビのドキュメンタリー・シリーズですでに感銘を受けていた。 「アジアで一番貧しい国」と検索して出てきた国「バングラデシュ」で 「可哀想だから」買ってもらうのではない 「お洒落だから」「使いやすいから」「欲しいから」買ってもらえるバッグを バングラデシュ産の材料と職人で作り、自分たちに自信と経済力を持ってもらう。 その25歳で始めたプロジェクトの奮闘記。 続編では、メディアで受け、バッグの売り上げも需要が追い付かない所まで延び、 バングラデシュのプロジェクトが大成功をおさめたのち 同じ志で今度は賄賂で行政が腐敗しきっている国、ネパールで 同じような奮闘を繰り広げるところまで、話は発展する。 私はいつも「音楽は人と人との間に共感を通じて、和平をもたらす力がある」と そう思って意義を感じて音楽活動を続けています。 近年、英語と日本語に不自由が無い音楽家の自分が 国際親善の様な仕事に携わることが出来ないか、と模索するようになりました。 そういう意味で、この本は私を大変触発してくれる本でした。 次に「羊と鋼の森」。 主人公がある調律師の仕事に感銘を受け、調律師になるまでの道のりを書いた小説。 題名はピアノのハンマーに巻かれるフェルトが羊毛からできていることと、

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言語のバランスーバイリンガルの場合。

日本に帰ってくると嬉しい事は色々ある。 美味しいごはん、CMに大笑いすること、家族との時間、アイディア商品の奇抜さ… そういう事に加えて、私は本の虫なので、日本語の本を乱読するのが楽しい。 私のために母が図書館から推薦図書をわんさか借りてきてくれている。 「図書館で借りて読んで、これは良いと思ったので」と買っておいてくれて ピアノの上にそっと置いてある本もある。 お母さん、ありがとう! 父は、この前私が築地玉ずしでの会合にお味噌で参加させていただくことを知ると 「お!玉ずしに行くのか…」と自分の愛蔵書から 「築地玉ず90年~暖簾4代の物語」と言う本を貸してくれた。 1924年に創始のお寿司屋さんが東京大地震、世界大戦、高度経済成長、 そしてバブル崩壊をそれぞれどのように切り抜けて今に至るかと言うのを書いた本。 面白くて武蔵小杉から築地に行く電車約45分の間に熱中して大半読んでしまった。 この本を水戸黄門の印籠の様に自己紹介の直後に披露して 「勉強家ですね~」とちょっとポイントアップした。 お父さん、ありがとう! アメリカにずっと居て、帰国して来て日本語の本を読むのは、 野菜不足が続いた後に食べるサラダを食べているような感じである。 いつまでもいつまでも面白い!いつまでもいつまでももっともっと読みたい! 不思議な事に日本語の本を読むと、英語の本が読みやすくなる気がする。 私は今年アメリカ27年目の日本人としては珍しく、日本語の方が微妙に楽。 英語は今、学術本や学術論文ばかり読んでいるせいもあって、 日本語を読むよりも4倍くらい時間がかかってしまう。 ところが、日本語で楽しく読書をした後は「読む姿勢」が改善しているのかも知れない。 『食べるように読む』と言う感じが英語の読書にもそのまま反映する感じ。 言葉を読む、と言うより、知識を吸収する、と言った感じ。 私は二か国語しか喋れないが、9か国語とかしゃべる友人はどうなのだろう? 今度聞いてみよう。 一つの事に夢中になると、他の事にも夢中が移る。 さあ、練習も頑張るぞ! 今日は本番! 19時半開演! 千葉は稲毛のジャズSpot「Candy」! こちらです。http://blog.livedoor.jp/jazzspotcandy/

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篠田節子の「沈黙の画布」はすごい!

昨日はスカぴあのリハーサルのために京急で北久里浜に行く際、 篠田節子の「沈黙の画布」の最後の盛り上がりにはまりまくって 二駅も乗り過ごしてしまった。(くみちゃん、ごめんね)。 この小説はすごい! 昨日のブログにもちょっと書いたけれどもう一度、私なりのあらすじを。 死後、急に小さなきっかけを元にメディアの脚光を浴び始めた新潟の田舎の郷土画家。 元美術雑誌の編集者だった主人公は、その過去の自負を捨てきれず、 その画家の画集制作に一念発起する。 同時にこの画家を支えてきた地元の有力者たちは この郷土画家の名を知らしめることによってこの地の知名度、 自分たちの所有する絵の価値、さらには自分たちの過去の画家支援の正当化を願う。 そこに、この画家を非常な苦労をして支えてきた妻、 さらにこの画家のインスピレーションだったのかもしれない不倫相手、 得体の知れない風呂敷画商、などのさまざまな思いが入り混じって、 この画家の作品と人生に自分の人生観、芸術観、人生観、結婚、 さらには物の真の価値に対する市場につけられる値段、などへの考察を投影する。 すごい! 沢山いる登場人物のすべてが 複雑なストーリー展開に連れてみんな以外な一面を次々に表わしてくる。 面白い… 今の自分にはここまでのものは(まだ)書けないぞ… 脱帽! 全然関係ないけど、スカぴあのYouTubeヴィデオを張り付けておきます。 今週日曜日の14時半開演! 横須賀ベイサイドポケット! チケット、まだあります! 今日も一日リハーサルと打ち合わせ!

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